SEALDs

2015年11月19日

大人の教科書(3)自由主義と民主主義の違いが分かりますか?

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民主主義と自由主義の区別を知っていますか? 

今年の夏は安保法制が盛り上がったこともあり、首相官邸前でSEALDsなどの左翼団体による抗議デモが随分と行われたものでした。私自身は道端で行われるデモは信号が通れなかったり、非常に迷惑だなあと思ったわけですが、それも人間の一つの権利なので仕方がないなと受容したものです。

彼らデモ集団が述べていた言葉の中で一つだけ気になったものがありました。それは「民主主義ってなんだ!」というものです。彼ら自体は民主主義者を標榜していたようですが、それは勘違いでしかないので「大人に教科書」シリーズに取り上げたいと思います。


「民主主義」とは国民による多数決で意思決定する仕組み

民主主義とは国民の多数決で意思決定する仕組みを指します。仮に議会制民主主義国の民主主義であれば、国会における多数決による議決が民主主義そのものということになります。

現在の日本の場合は、国会は最高裁が判断した「違憲状態」に置かれている議会の正統性が危うい点を捨象して考えた場合、自民党・公明党による多数決こそが民主主義だということになります。(ちなみに、自分は違憲状態における全ての国会の議決は正統性が危ういと思っています。)

いずれにせよ、多数決によって少数派の意見は押しつぶされること、が民主主義の機能の本質ということになるでしょう。そのため、民主主義=誰にとっても無条件に良いもの、という発想は間違っています。

デモなどの少数意見の尊重は「自由主義」の考え方によるもの

では、国会において少数派の政党の存在価値はないのでしょうか。民主主義という観点に立てば存在価値はほとんどない、と言っても良いでしょう。野党に予算案や法案を決める権限はありません。

しかし、野党も議会において自らが信じることを発言することは可能です。自らの主張を伝えることで与党の政策の変更や世論に影響を与えることができるかもしれません。

このような少数派が意見を述べる権利は「自由主義」によって守られていることです。自由主義は一人ひとりが自分の考えを持ち、それを実現するための行動することを基本としています。

SEALsなどのデモ行為も民主主義ではなく「自由主義」による権利の行使ということになります。彼らは少数派であるため、「民主主義ってなんだ」と声を上げることは言論上の自殺行為であり、民主主義の多数決原理が貫徹されるだけなら全く無意味な主張ということになります。

民主主義と自由主義を超えた大衆の歓呼による意思決定

このように民主主義と自由主義は極めて対立的な概念であり、その運用に関しては常に緊張関係があることが分かります。更に述べると、現在のように違憲状態の国会が続いた場合、議会制民主主義自体への疑義が増してくることも否定しません。

ところで、前述のSEALDsが述べいた「民主主義ってなんだ」は、議会制民主主義の代表者は「国民の声=デモなどでの歓呼」を代表していない、という意味で解釈することも可能です。

歴史上SEALDsと同様の主張を展開した政治勢力が存在しました。それは戦前のナチス・ドイツです。彼らは多数決や議会政治によって導き出される妥協を否定し、疎外された大衆による歓呼と拍手(デモも似たようなもの)で決めるべき、という主張を展開し、ドイツの議会政治機能を事実上停止させました。

民主主義の定義自体を変更することで、多数決による民主主義と少数意見の尊重である自由主義を乗り越えようとする思想です。まあ、このような思想の行きつく先の結果は官僚制の肥大化による全体主義につながるだけですが。

多様な価値観が共存する社会では自由主義の大切さを見直すべき

現代社会は多様な価値観が存在しており、そもそも多数決や大衆の歓呼で全体の意思決定を決める、ということ自体がナンセンスになりつつある状況です。

お互いの価値観の違いを尊重できるようになるためには、民主主義で決める範囲を小さくしていき、自由主義に基づいて自己決定できる範囲を拡げていくことが望まれます。多くの人たちが民主主義と自由主義の区別をつけて、自分が何を主張しているのかを理解できるようになれば幸いです。

現代議会主義の精神史的地位 (新装版)
カール・シュミット
みすず書房
2013-05-17




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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)