BI

2016年06月13日

大人の教科書(24)BIは弱者切り捨ての「心の免罪符」に過ぎない

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BI(ベーシック・インカム)が俄かに持て囃される風潮が出てきたようだ

スイスでBI(ベーシック・インカム)の導入是非に関する国民投票が行われて否決されました。昨今では人工知能の発達などによって人間が仕事を奪われることへの懸念、複雑化した行政機構と社会保障政策の整理、格差問題の解消のための切り札としてBIが取り上げられることが増えてきました。

筆者はBIについて非常にナンセンスな仕組みであると理解しており、政治的システムとしても倫理上の問題としても拒否されるべき命題だと思っています。BIの政治的なシステムとしての欠陥は多く指摘されるところであり、今回はBIの「倫理上の問題」について取り上げていきます。

BIを受給する人々が「賢く行動する」可能性は極めて低いということ

全ての人に一定のBIを与えることで生活の保障を行った場合どのようなことが起きるでしょうか。

もちろん、BIが配給された結果として、BIの範囲内で慎ましやかに暮らす人も少なくないことでしょう。しかし、そもそもBIが無いと生活ができない人々が全て生存に向けて合理的に行動する根拠は全くありません。

むしろ、確実な収入源であるBIを担保に無謀な借り入れなどを実行して散財を繰り返した挙句、生計を破滅させていくことになる人は後を絶たないことでしょう。金貸しにとっては確実な担保であるとともに、愚者にとってはBIは所詮は他人の金に過ぎないのです。

そこまで行かなくてもBI需給早々に全て使い切る人も現れることは確実であり、そのような人はBIがあろうがなかろうが、そもそも生きていくことが極めて困難な生活癖を持っているということになります。

BIの本質は「弱者切り捨て」のための「心の免罪符」を与えるものだということ

人間は本質的には誰しも愚者であるため、上記のような状況には誰もが陥る可能性があるものと思います。

この際、BIの存在自体が「BIを貰っているのだから、愚かな人々への救済は不要」という正当性を人々に与えることになるでしょう。

人間はどうしようもなく愚かな存在なのですが、その愚者を愚者として正しく認識して社会から破棄する仕組みがBIなのです。人々は一定の財政的負荷をBIを通じて背負うことによって、愚者を見捨てた心理的な負担を放棄することができます。

BIの本質は「弱者切り捨て」のための「心の免罪符」を発行することにほかならず、その表面的な人道性とは対極の人間の心理的な逃避欲求を満たすためのものだと言えるでしょう。

富裕な人々が担うべき心理的な負担を捨て去るべきではない

残念ながら、人間社会ではどのような制度を整えたところで弱者も愚者も消え去ることはありません。人間が人間の欲求にしたがって生きている限り、それは変えようがない真実だと思います。

その際、富裕な人々の弱者や愚者に対する心理的な負担を放棄するための仕組みを導入することは倫理的に肯定しても良いでしょうか。富裕な人々が彼らに心理的な負担を背負わない社会は極めて非人道的な社会かもしれません。

人間社会ではどのような制度を創ろうとも貧富の差は発生するものです。BI導入によってその現実から目をそらすことにつながるのではないか、BIは倫理の問題から問い直されるべきものだと言えるでしょう。






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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)