55年体制
2015年11月15日
自由民主党結党60年、山本勝市「福祉国家亡国論」とともに
写真の人物を知っていますか?(山本勝市先生について)
この写真の人物は山本勝市先生です。著名な経済学者であるとともに、通算5期の国会議員を務めた重鎮でもあります。自民党結党60年に際して、当ブログでは山本勝市先生について触れながらコメントしたいと考えています。
山本勝市先生は戦後におけるハイエクなどのオーストリア学派の日本における研究の第一人者でした。また、鳩山一郎が創設した「自由党」の結党に加わり、その経済政策の根幹に自由経済を据える際に重要な役割を果たし、日本の針路を実質的に決めた人物です。
社会主義や全体主義に対して徹底的に対抗し、戦後日本の黎明期に日本社会の自由を守った人物といっても過言ではありません。
自由民主党が生まれたときに何が起きたのか
1955年、山本勝市先生が所属をしていた自由党は日本民主党と合併して自由民主党が生まれることになりました。その際、現在までに至る病根が自由民主党の中に埋め込まれたことが山本勝市先生の著書である「福祉国家亡国論」の中に記されています。(*絶版なので国会図書館まで行かないと読めません)
同書の中で革新官僚として名を馳せた岸信介氏が幹事長として絶大な権力を振るい、自由民主党の中から自由主義経済の芽を摘み取り、政府が社会を変える様々な「計画」がねじ込まれたことが指摘されています。岸信介氏は現在の安倍首相の祖父に当たる人物です。
山本勝先生が所属していた自由党の党綱領には「計画」という言葉は存在せず、岸信介氏が所属していた日本民主党の党綱領には「計画」が明記されていたことから、その路線対立は深刻なものだったことが伺われます。
自由経済の担い手であった自由党が計画経済の申し子である岸信介氏に飲み込まれた悲劇、それが自由民主党の結党の意味することだったのです。
自由民主党の中に山本勝市先生のDNAは残っているのか
2015年現在の自由民主党は表面的には自由経済の体制の大切さを主張していますが、毎年膨張し続ける政府予算と政府債務の有り様を見れば、旧自由党のエートスはほぼ失われた状況にあると言えます。
自由民主党は岸信介の孫である安倍首相が党首を務めていることからして、もはや完全に岸信介氏に率いられた旧民主党の系譜に当たる勢力によって支配された姿を晒しているわけです。
自由民主党所属議員は結党60年に際して、自分たちの政党ができた過程で何が起きたのか、そしてそれが現在の私たちの生活にどのようなインパクトを与えたのかを問い直すべきです。
自由民主党の中に山本勝市先生のDNAがまだ残存していることを切に願います。
yuyawatase at 12:00|Permalink│Comments(0)