都区制度
2016年07月24日
1965年「都議会伏魔殿」と戦った公明党
(公明党HPより引用)
「都議会は伏魔殿。政治とはそういうものよ」
都議会について調べていたら公明党HPの面白い記述にたどり着きました。
公明党HP「清潔政治」の原点
公明党が1963年に初めて東京都議会に進出して1965年東京都議会解散に至るまで振り返る記事なのですが、この内容が非常に興味深くて面白いと感じました。
「1963年の都議選で当選した公明党議員は“17人のサムライ”と呼ばれ、伏魔殿東京都政の改革を看板に掲げ、次々と不正をただしていった」という記述は当時の政治情勢の中で、政界に進出した公明党にどのような期待が寄せられていたかを知ることができる一文です。
その後、1965年3月の議長選をめぐる贈収賄で、自民党議員が17人も逮捕される事態となった大疑獄事件が発生し、公明党は野党連合の一角として都議会リコール運動に参加し、都議会自民党を妥協させて自主解散までの流れを作ったということです。
たしかに歴史の流れと一致していますし、都議会公明党が政界浄化のために奮闘したことは事実とも符合していると思います。筆者は公明党支持者ではありませんが、その政党人としての初心は非常に立派なものだったと感じます。
東京都議会は昔から伏魔殿と呼ばれていたのだ、ということ
筆者の年齢だと1965年はリアルに体験しているわけではないのですが、こんな昔から都議会は「伏魔殿」と呼ばれてきたのだなと驚きました。
戦前も東京市会を中心とした政治腐敗は非常に深刻なものでありましたが、その流れが戦後になっても脈々と続いているのだなということを知ることができました。
東京都議会は国会と比べてメディア注目度も低いため、都議会の腐敗は放置されやすい環境があるようです。地方自治の領域を超えた巨大な予算と機構を持つ東京都を一つの地方自治体として扱うことはそもそも無理があるのかもしれません。
また、東京都政に関する一般的な都民の関心の低さは都議会議員選挙の投票率の低さにも表れています。このまま何回選挙を行ったとしても、政治的な構造上の問題から抜け出すことは難しいと思います。
東京都の伏魔殿化に対する処方箋とは何か
東京都の伏魔殿化に対する処方箋は「都区制度を終わらせること」です。東京23区は東京都庁の事実上下部組織として位置づけられており、本来の基礎自治体が持つ権限、特に都市開発に関する権限が著しく制約された状況に置かれています。
そもそも「東京都」という仕組みは戦時体制に移行する過程で、東京都民から自治権を中央集権化する
東京都庁・都議会が持つ巨大な利権は特別区から取り上げられている都市開発に伴う権限集約にあります。これらを基礎自治体に返還していくことによって、東京都民の自治が機能しやすい住民に近い環境に戻していくことが重要です。
その際に、特別区を複数の指定都市などに分割するか、その手法は様々なあるところですが、東京都の都区制度の解体こそが今回の東京都知事選挙の本当のテーマであるといっても過言ではありません。
政治浄化は意思決定が有権者と近いところで行われることによって果たすことができます。東京都民による自浄作用のみが正しい政治を行うことを担保してくれる唯一の仕組みです。
今年か来年に予定されている東京都議会議員選挙において、公明党に限らず都議会各会派・無所属の候補者の皆さまが新しい東京の姿を示すことに期待しています。
本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。
yuyawatase at 13:39|Permalink│Comments(0)