貧困

2015年12月17日

両親がいる家庭よりもひとり親家庭を重視する政策は正しいか?

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そこまでやるなら、最初から「結婚制度」なんて無くしたらどうか?

政府がひとり親家庭への児童扶養手当の増額を決めたそうですが、そこまでやるなら「最初から結婚制度なんて止めたらどうか」と思います。

死去などの場合は別として「離婚したほうがお得になるシステム」をワザワザ政府が整えるわけなので、それなら最初から結婚しないで事実婚だけにしたらどうなのかということ。

<児童扶養手当>倍増へ…ひとり親家庭、2人目以降 来年度(Yahooニュース)

記事によると低所得のひとり親家庭の児童扶養手当を増額するそうですが、それを結婚している家庭や独身者の家庭に新たに費用負担させることの意味を政府は理解しているのでしょうか?

「低所得かつ離婚した場合」に「結婚&独身家庭が支払った税金」から「政府がお金を与える」という報酬を与えることは倫理的に肯定され得るのか、ということです。

一方、ほぼ同時に子どもがいる家庭全員に支払われていた子育て給付金が軽減税率導入による財政難で廃止されることになりました。2014年は1人1万円、2015年は1人3000円というバラマキが行われていました。

子育て給付金、来年度から廃止へ、1600万人が対象

このようなバラマキも良いとは全く思いませんが、全体への1年1回の一時的なバラマキを廃止し、毎月支給のひとり親支援への恒久措置に切り替えるという選択と集中による切り替えが行われたことになります。

政府の制度設計とは、少なくとも他人に迷惑をかけないように暮らすことが推奨されるように制度設計されるべきだと思います。ある人が離婚している場合に貰えるお金が増えるなら、それは同時に結婚していることに「罰金」を科しているということになるわけです。つまり、政府が「低所得者は離婚したほうがお得ですよ」ということを推奨していることにもなります。

貧困家庭の親に対する「現金給付」は完全に誤った政策判断でしかない

貧困状態にあるひとり親家庭に「最も必要な支援は何ですか?」というアンケートを取れば回答は「金」になることは当然です。しかし、「金がほしい」という人に「赤の他人がポケットから無条件に現金を渡すこと」ほど馬鹿な行為はありません。

病気などの完全に他責の場合は別として、貧困に陥る状況になるには「本人の生活態度」に問題があります。全人格的な話というよりも、少なくとも「その人物に金を与えることが良いことかどうか」をもう一度よく考えるべきです。

ひとり親世帯の数は全国146万世帯、そのうち児童扶養手当を受け取っている家庭は105万世帯、2人以上の子どもがいる世帯は42万世帯です。つまり、そもそもひとり親家庭の約30%・41万世帯は児童扶養手当を貰わずに生活できています。

「ひとり親で稼げている」方がいる以上、ひとり親であることと家庭が貧しいことは別物として捉えるべきです。特に、子どもの貧困と親の貧困を混同して、親に渡す現金の量を増やすとは何事でしょうか。子育てのバウチャーなどにしてパチンコやタバコなどの遊興費に使えない形で交付することが最低限の政策だと思います。

子育て支援は20代・30代への所得税ゼロ化によって実現していくべきだ

本ブログでは何度も述べていますが、子育て支援策は20代・30代への所得税ゼロ化で原則として推進するべきであり、中途半端な給付策は必要がありません。むしろ、親に働かずに得られるお金を与えることは子どもに受け継ぐ文化資本の問題から望ましくありません。

年収400万円世帯の所得税0%にすると毎月8000円程度の減税効果が生まれます。減税による景気効果も期待されるため、若者・子育て世代の雇用増・年収増も期待することができるでしょう。

推計で1兆円~2兆円の減税のための財源がかかりますが、若年世代の社会保障給付減少及び経済成長による税収増でそれらの費用を賄っていくべきです。橋下元大阪市長は公務員人件費を5兆円削って教育無償化を提言されていますが、それよりももっと安上がりに子育て支援を実行することは可能です。(ちなみに、来年に予定されている高齢者への3万円バラマキを止めるだけでも3400億円出てきます。)

その上で、貧困家庭については、養子縁組の推進や原則親負担の施設などでの養育に切り替えていくべきです。所得税ゼロの状態で子どもを育てることができないならば、基本的な養育環境が伴う余地がないことを意味しているからです。

安易なバラマキは社会にとって負の側面を強化することになり、政府は自分の政策が人々の生活を誘導する結果になることになることをもっと考慮するべきです。





 

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2015年11月21日

大人の教科書(4)格差社会を正しく理解する

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格差社会の本質、「貧困」と「富裕」はどちらが先に存在していたのか

世界を1対99に分けるような頭がおかしい言説を無視して考えるとして、世界を貧困と富裕の2つに分けるとした場合、最初に存在していたものは「貧困」でした。

人類史は狩猟などの極貧困時代(その日の食べ物をその日に狩る)から始まり、その後、農耕化することを通じて富を築きあげて一定の生活水準を保つことができるようになりました。それは種もみなどを蓄積して計画的に運用できるようになったからです。

その後、技術革新・制度革新が繰り返されることによって、社会的な富が増大していくにつれて貧困から解放される人々が増えてきたのです。

つまり、既にある程度富裕になった先進国で最初から生まれてしまった私たちには認識困難ですが、社会は元々「全員が貧困」な状況から「富裕な人々が出て来た」のであって、「全員が富裕」な状況から「貧困な人が出て来た」わけではないのです。

バシッと言われれば当たり前に理解できる話ですが、現代社会においてはこの基本的な認識が欠けている人が多く散見されます。

権力者にとっては資本主義など「必要ない」ということを知る

格差社会の問題として、資本主義が問題になることがあります。一部の人々がドンドン富めるようになり、それ以外の人が貧困になっていくという理屈です。これも本末が転倒した議論であることを学習するべきです。

資本主義社会が発展する以前の世界は「王様による独裁」または「貴族による少数支配」が普通でした。彼らは社会的な富を武力を背景とした支配力で自分のために使わせることが出来ました。

つまり、権力者は資本主義など有ろうが無かろうか、絶対的な力で物事を実行することができたのです。現代社会においても資本主義がほとんど機能していない北朝鮮の状況を見れば理解できると思います。

権力者がまるで資本主義を必要としているかのような話をする人は世界史をやり直してほしいものです。

資本主義は貧困者のために存在してきたということを知る

資本主義は貧困な人々のために存在してきました。現在、資本主義社会が提供しているあらゆるサービスの大半は「富裕層は使わない」ものです。そのため、それらのサービスを消費するのは中間層以下の人々ということになり、多くの人々がその利便性から恩恵を受けています。(コンビニなどもその一つ)

資本主義によって次々と便利なサービスが提供されることで人々の暮らしは豊かなものとなりました。町中で自分で作ったわけではない食べ物が売られている、またはゴミで捨てられている現状を良く見てほしいと思います。

また、資本主義を通じてかつては権力者が好き勝手できた社会の富を各個人の財産として保護することができている点も重要です。それによって、権力者も普通の人々に対して無茶苦茶なことができず、多くの人々からの同意を得なければ政治的にも経済的にも重要な決定ができなくなったからです。

仮に、世界が資本主義社会ではなく、専制国家または共産国家だらけであれば、権力者同士の欲望のために第三次世界大戦が発生してとっくの昔に人類史は継続不能になっていたでしょう。

格差社会で語られるべきことは「貧困」ではなく「富裕」である

格差社会で「貧困」を問題にする人は、物事の本末が分からない人です。世界は元々貧困だったのであり、貧困については今更新たなテーマにするほどの価値もありません。(むしろ、どうしても「貧困」をテーマにしたいなら、現在の貧困と過去の貧困の質的・量的な暮らしの環境の変化についてテーマにすべきです。)

格差社会でテーマにするべきことは「どうすれば人々が更に速やかに豊かになれるのか」ということです。

途上国を見れば明らかですが、資本主義・自由市場を導入した国は総体として豊かになっていることは事実であり、それらが機能しやすい環境を作っていくことが求められています。

そして、これは先進国でも同様であって「貧困」を解消するために「富裕」を解消するということがバカげた議論であることは明白だと思います。貧困を解消するための方法は社会全体の富を増やしていくことしか無いからです。

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦
ミルトン・フリードマン
日本経済新聞出版社
2012-06-26





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