補助金

2016年07月06日

増田寛也・岩手県知事時代の後援会はどんな人達だったのか

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(出典FNN)

任期3期目に質問された後援会幹部の立場と県庁の補助金・委託事業の関係

本日は筆者の主観を出来る限り混ぜず、増田寛也知事(当時)と佐藤正春・県議会議員の岩手県議会でのやり取り及びそれに伴う事実について紹介していきます。(平成15年6月定例会 第3回岩手県議会定例会 会議録)

<佐藤正春>
「選挙の母体となった後援会のメンバーを見ると、かつて第1回の選挙で必死になって知事を担ぎ上げた建設業界グループ1社も、1人も入っておりません。なぜですか。土建王国の知事と言われるのをまだ嫌っているのですか。あなたを熱烈に応援したところの高弥、丸伊、丸協などは皆つぶれました。再建中のところもございますが、今ごろ歯ぎしりをしているのではございませんか。知事、心の痛みは感じませんか。きちんとお答えを願います。」

「県予算、公共工事とかかわりのある業者が後援会のメンバーであるというとげいぶんが悪いと言うならば――外聞ですよ――ここに平成13年度の増田寛也の政治団体の収支報告書がございます。これによりますと後援会連合会長の大堀勉さんは岩手医大の理事長であり、県では毎年4、000万円から5、000万円研究費、補助金を出しております。県費と利害関係にあるんです。

「幹事長をやっておるところの高塚猛氏は、この人は相当金もうけの上手な人らしくて過去にもいろいろとうわさのあった人でございます。岩手ホテル&リゾートの代表として、みずから経営しているホテルばかりを利用しております。余りありていなのでことしの3月31日にはやめさせられております。支出の内容を見ると、政治活動費の中身で会場費に294万9、208円、県政報告会会場費242万822円、鈴木稔氏政治資金パーティー会場費――この人はどこの政治家か私は存じ上げませんが――136万8、333円、SS会会場費276万738円となっております。知事は、高塚猛氏の経営するホテルがよほど気に入っているのか、または高塚幹事長が増田知事を大いに利用しているのか存じませんが、これはかなり臭い仲でございますね。」

「また柴田義春事務局長が社長であるところの第一商事は、平成11年度から13年度までは県庁舎の清掃事業をやっており、15年度は岩手県ビル管理事業協同組合が受託しておりますが、柴田氏は副理事長として実質的に切り盛りをしているのが現状です。この協同組合は隠れみのにすぎない。内部の人が言っていることを御存じですか。もちろん法的、手続的には問題はございませんが、これでは土建王国と言われるよりもっとあじゃらじゃありませんか。乱暴じゃありませんか。隠れみの王国と言われても過言ではございません。今後、県民は関心を持って注意深く監視をしていきたいと、こう思っております。」

(1)後援会連合会会長が県庁からの補助金支給先機関の長であること、(2)事務局長が県庁の事実上の清掃事業の委託先事業者であること、などが追及されています。後援会幹事長については、非常に有能な経営者の方だったようですが、その後は強制猥褻罪を起こして有罪にもなった方です。ちなみに、同幹事長の著作は「抱擁力―なぜあの人には「初対面のキス」を許すのか」という書籍名です。

なお、議事録を読む限りでは、当選1期目に建設会社から応援を受け、知事就任後に巨額の公共事業を行った増田氏ですが、3期目は大幅な歳出カットを実行した関係もあったのか、当選1期目に一生懸命応援したとされる建設会社が全面排除されていたようです。

増田寛也「個人の判断であり、行政上のかかわり・判断は明確に峻別」と主張

佐藤正春議員の質問について、増田寛也氏は下記の通り答弁しています。

<増田寛也氏>
「それから、後援会の関係でございますが、後援会の構成ですけれども、これは、その方の職業あるいはそのバックの業界がどうのこうのということではなくて、それぞれ個人の判断で加入をしていただいているというものでございますので、建設業界が入っていないというのはどういうことかということでございますが、そのほかも含めて、すべて個人の立場ということでございます。それから、その中のメンバーとの関係でございますが、特に会長、幹事長、事務局長の名前がございましたけれども、そうした役職にある皆さん方、それとあと行政上のかかわりというのは、また特に行政上の判断というのははっきりと峻別をされているものでございまして、また、そうした皆さん方、後援会の役員に就任をしておりますけれども、そうしたことが県行政に判断を与えるとかといったことは全くないと。当然、私もそういうことを十分に考えて行政を進めておりますので、はっきり峻別をされていると、こういうふうに認識をしております。」

ということです。増田寛也氏によると、後援会には個人の判断で加入しており、行政上のかかわり・判断については明確に峻別されているとのことです。

今回の記事は公人でも言論人でもない方のお名前を取り上げておりますので、あくまでも県議会議事録という公文書の内容紹介という文脈で記事にさせて頂きました。

岩手県知事時代にどのような方が後援会幹部だったのかということは、東京都知事選挙出馬報道がある中で都民にとって増田氏の人となりを知る有益な情報だと思います。後援会幹部の所属を見れば政治家は大体どのような人物か分かります。何を言っているかではなく、誰と居るのか、それが政治家のメルクマールです。

上記の後援会人事と県庁の関係は法律上は適法なものであり、増田寛也氏の答弁を疑うわけではありません。このような追及を受けたこと自体について、読者の皆様には道義上適切かどうかをご自身でご判断いただければと思います。








本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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2016年05月08日

「ヤンキーの虎」だけではなく「人類」が育つ環境が大事

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最近流行りの「ヤンキーの虎」論の限界を認識するべきだろう

地方の活性化に取り組んでいる人達の界隈で「ヤンキーの虎」というワードが流行りつつあります。

衰退する地方経済の中で残存者としての利益を得つつ、地元密着の様々な事業を経営して逞しく生きる人々。彼らはマイルドヤンキーの雇用主として扱われることで、都市部の有識者らから勝手に「ヤンキーの虎」という称号を得ることになりました。

中央政府、大学、大企業のような象牙の塔での政策論、要は綺麗な世界で生きてきた人たちにはヤンキーの虎はよほど新鮮な存在のように見えるのでしょう。今まで気が付かなくてごめんなさい的な話かなと。

しかし、地方の現場の人々と触れ合えば、以前から頼れる兄貴的な存在としてヤンキーの虎的な人たちがいることは常識で分かります。自分も散々泥臭いことをやってきたので、その中で出会う彼らの漢気は素晴らしいと感じています。

「ヤンキーの虎」は非常に実行力・行動力・決断力に富んでおり、目標を決めて物事を断行するだけの資金力も有しています。中央政府や地方政府の遅々とした動き、審議会などの非生産的な状況に飽き飽きした論客たちが「ヤンキーの虎」に飛びつく気持ちも分からなくもありません。

しかし、だからと言って、「ヤンキーの虎」によって地方が活性化するということは「木を見て森を見ず」の話であり、新たな地方活性化論のためのバラマキネタを霞が関に徒に与えるだけになると思います。

「ヤンキーの虎」は、補助金経済の二次受益者ではないか、ということ

「ヤンキーの虎」の定義にもよりますが、現在のオーソドックスなヤンキーの虎は「地方経済の小さなコングロマリット」のオーナーと位置付けられていると思います。居酒屋、パチンコ、携帯ショップ、ガソリンスタンド、介護施設、産廃、その他諸々の儲かりそうな業種を統合しているプレーヤーというイメージです。

しかし、ヤンキーの虎の事業ドメインは、地方経済の「内需」に属する分野であるため、実態としては補助金経済の二次受益者ではないかと思われます。地方の人口減少の影響を受け続けながら、先細りする都市部からの財政移転の残存利益を合理的に回収しているわけです。

つまり、彼らは社会のビジネスモデル自体を変革するような存在ではなく、あくまでも現実優先の経営判断力を持った存在と言えるでしょう。それは経営者個人の資質として見た場合は素晴らしいことですが、中長期的に地方経済の衰退を食い止める存在ではないと思います。

地方経済が成長していくためには、地域外でも通用する技術やビジネスモデルを持った企業が誕生し、それらの企業が経済全体の屋台骨になって発展していくことが望まれます。

ところが、「ヤンキーの虎」が持つコアコンピタンスは、それらの技術やビジネスモデルの革新を創造する方向とは正反対の力によって構成されているのです。

「虎を頂点とした弱肉強食」ではなく「雑多な環境による適者生存」こそが競争力の源泉になる

「ヤンキーの虎」のコアコンピタンスは、地域社会におけるソーシャルキャピタル、特に縦社会の序列を形成するリーダーシップにあります。このようなリーダーシップは「やるべきビジネスモデルが見えている」場合に最大の力を発揮することになります。

ヤンキーの虎が地域に生息している生物の行動を統率し、次々に新しいビジネスを立ち上げさせて雇用を継続・維持していくやり方は、従来型の地方産業のM&Aや東京からのビジネスモデルの輸入という文脈において圧倒的な強さを示すことでしょう。

ただし、筆者のように東京都心部でVCに投資されて創業されるベンチャー等と触れあっている身としては、上述のようなヤンキーの虎のスタイルでは、地方経済の新たな立役者となる存在は生まれてこない、と感じています。

東京都心部で生まれるベンチャー経営者は、人物に依るものの、表面的にはヤンキーの虎のような漢臭さや覇気を感じない場合も多く、むしろ生き物としての生存が危ぶまれるようなパーソナリティの方もいたりします。

しかし、これらのベンチャー経営者らのビジネスが成功した場合には、社会全体のビジネスモデルが変わるものが多数存在しています。東京という社会的序列がはっきりしない雑多な環境から生まれるベンチャーは、ビジネス環境という生態系自体を作り替える「人類」であると言えるでしょう。

そして、地方経済が中長期的に必要としている要素は、「ビジネス環境自体を変える」または「域外経済においても圧倒的な市場シェアを占める」強いビジネス、そしてそれを生み出す「人類」であることは明らかです。

飼育係に支配された日本国の檻から経済人を開放することこそが重要である

日本の課題は飼育係(霞が関)に支配された日本国から動物たちを開放することです。

日本国の飼育係である霞が関は自身が管理する動物園の中で繁殖していく種族を決定し、それ以外の種族が増えないようにする力を持っています。しかし、彼らは神様でもなんでもないわけですから、生態系が繁栄するための方法を知っているわけではありません。

現在、多くの地方社会は飼育係の支店(地方政府)によって管理されており、大多数の生物は彼らの監督の下で生きていくことが許されている状況となっています。それらの場所では標語としての適者生存・繁殖促進が謳われているだけであり、実際には全ての生物が絶滅(人口消滅)に向かうプログラムが実質的に実行されているわけです。

ヤンキーの虎のような経済的な生態系における新たな発見を喜ぶだけではなく、根本的に日本経済の環境を野性的な状況に戻して活力を取り戻していくことが必要です。多様な生物が氾濫する肥沃な大地を蘇らせることが求められており、既存の環境の中での生存状況を確認だけでは不十分です。

筆者は「ヤンキーの虎」という言葉が「霞が関用語に変換された」上に虎たちに改造手術が施すための訳が分からん予算がつけられて生態系全体のバランスが更に崩壊するのではないかと懸念しています。

中央も地方も経済については介入することなく自然の逞しさに任せておけば良いのです。そして、地方からもビジネス環境全体を変革するような人々が生まれてくることに期待したいと思います。

ヤンキーの虎
藤野 英人
東洋経済新報社
2016-04-15


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2015年11月24日

石破茂大臣宛・地方創生の秘訣は「自由な空気」を取り戻すこと

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地方創生にとって重要なことは「自由な空気」が存在することです。地方に失われたものは自由な空気であって、地方の活性化を実現したいなら失った最大の地域資源を取り戻すことが重要です。

なぜ、日本の地方は衰退しているのか

地方から若者が出て行ってしまうのは何故でしょうか。仕事が無いから、将来への希望が無いから、その他諸々の理由があると思います。そして、その大きな要素の一つとして「都市には地方には無い『自由』があるから」ということも挙げられると思います。

各地方には特有の地域コミュニティが存在しており地域独自のルールを持っていることは否定しません。

ただし、役所が地域経済の大半を握っており、役所を中心としたピラミッド構造が出来上がっている現状はどうでしょうか。政府が支給する補助金は、地域の序列に従って支配的企業や組織に配分されて、皆がその序列に従ってオコボレをもらう姿を見せられて希望を感じる人はいるでしょうか。

地方は衰退過程で政府支出の増加という誤った施策を採用したために完全に負の衰退スパイラルに入っていることが分かります。

石破茂・地方創生大臣のお膝元「鳥取県」は政府支出が県内総生産の40%を占めており、もはや手遅れ気味ではあるものの、今からでも地方創生の在り方について方針転換すべきです。

そのような経済・社会の有り様から生まれる息苦しさこそが地方から人材が出ていく原因なのです。

ピントが完全に外れた地方創生プランの数々

以前に地方創生関連のセミナーがあり、そこでお会いした役所の外郭団体の人に対して、地方創生関連で自分も役に立てることがあれば協力したい旨を伝えたことがあります。

私の申し出に対する先方の返事は「色々な先生経由で沢山案件を頂いて一杯一杯なので、あなたからの要望には応えられません」というものでした。

自分は相手の方が何を言っているのか一瞬理解できなかったのですが、どうやら私が補助金や助成金をおねだりしていると勘違いされていたようでした。自分はそんなことは一言も申し上げていないし、非常に無礼な話だったと思うのですが、地方創生の現状を端的に表した会話だったと思います。

地方創生については様々なプランが提案されているようですが、地方の特産物を売れるようにしていく計画を役所がワザワザ立案することについて疑問を感じざるを得ません。それが成功したとしても補助金まみれの地域経済が改善されるわけもなく、その過程で生まれる「澱んだ空気」の問題のほうが深刻だと思います。

北朝鮮も世界の独裁者向けの巨大像輸出が特産品として成功していますが、それで地域活性化が成功していると言えるのでしょうか。補助金を使って特産物をPRする前に、補助金まみれの地域運営を変える必要があります。

東京のど真ん中でも補助金まみれの場所には若者は存在しない

仮に東京のど真ん中の地方自治体であったとしても、補助金でジャブジャブになっているような場所に若者はほとんど存在していません。役所が行っている地域振興・商店街振興のような政策に集まってくる人はある程度年配の人ばかりです。

税金で一杯のシチュエーションで若者を見かけるとしたら、役所で働いている若者か、役所に仕事を取りに来ている若者だけであって、若者で役所が関連することに自発的に近付こうとする人は少ないです。

つまり、地方の人々は東京でも失敗しているような補助金に依存した地域振興策を田舎で実行して成功させようとしているわけです。これは若者が何を欲しているのかを全く理解していないことによる無策と言えるでしょう。

地方創生に必要なことは「税制改革」と「規制改革」を断行すること


地方創生のためには長年補助金・助成金によって「澱んでしまった空気」を「自由な空気」に戻していく必要があります。地方自治体内の自由市場の機能を取り戻し、少しづつでも活気を復活させていくことが大事です。

具体的には「地方税を減税すること」「規制改革を断行すること」が重要です。地方自治体が自由にこれらの改革を断行できる制度設計を作ることが地方創生に繋がります。

補助金で創り上げた張り子の経済・社会はそれらのモルヒネが無くなれば終わりです。そして、張り子の経済・社会が偽物であることを敏感に察知した若者は優秀な方から地方を出て行ってしまいます。

地方自治体の住民の代表である首長・議員が本当に地域を活性化したいのであれば、地方自治体を縛る制度設計の全面的な自由化こそ要望するべきです。「澱んでしまった空気」を清々しい気分で活動できる「自由な空気」にしていく努力が望まれます。





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2015年11月22日

大人の教科書(5)政治屋、政治家、慈善家の違い

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「あいつは政治屋だ」とか、「彼は政治家を目指している」とか、「彼女は立派な慈善家だ」とか、色々な言葉が使われることが多い議員の人物評価ですが、政治家・政治屋・慈善家の見分け方について基準のようなものが必要だと思っています。

そこで、今回は身近な「もっと保育園が必要だ」という社会問題に対する態度で三者の違いを説明したいと思います。

(1)政治屋の場合

政治屋の基本的な発想は「税金を使って保育園を建てる」というものです。保育園を全額税金で建てるのか、補助金を使って建てるのか、様々な方法はありますが、人々から集めた税金を自分の特定目的のために支出します。

そして、「私がこの保育園を建てました!」や「私がこの保育園の補助金をつけました!」みたいな話を人々に向かって主張します。そして、補助金の利用者などを制限して保育園の供給量を意図的に減少させることで自分への求心力を維持し続けます。

念のため確認しておきますが、彼が保育園を建てるために使ったお金は皆から集めたお金であって彼の私物ではないことは言うまでもありません。

(2)政治家の場合

政治家の基本的な発想は「その地域に自然と保育園が建つように誘導する」というものです。たとえば、現役世代向けの減税を実施すれば、同世代の可処分所得が増加して子育てのための費用へ割く金額も増加します。

増加した子育て用費用が地域に循環することによって、自然と保育園が建っていくように誘導するのです。この場合、政治家は「私がやりました!」というのではなく、「人々が自然と行ったこと」を追認するということになります。

他人が与えるのではなく自らが創り上げていく苦労と喜びを人々にもたらします。基本的には目立つ存在ではありませんが、人々の生活を陰ながら支えていく存在です。

(3)慈善家の場合

慈善家は所得の有無に関係なく保育のための税金による手当を地域の人々にばら撒きます。このお金を狙って地域には保育園が建てられていき、保育園同士の一定の競争が発生することで質も担保されます。

このとき、慈善家は「私は誰もが保育園に通える環境を作りました!」と述べるでしょう。しかし、そのための多額の費用は税金から支出されることに変わりはなく、全ての政策に同様のことが実行されれば財政は破綻するでしょう。

以上が、政治屋、政治家、慈善家の違いです。あなたの地域にはどのような議員が多いでしょうか。

政治屋はお涙話が非常に巧みであり、慈善家は聡明な感じがするものです。しかし、私は「政治家」が世の中に増えると良いなと思っていますが、政治家の実績は分かりづらいために有権者の目が肥えることが重要です。





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2015年11月20日

翁長雄志・沖縄県知事が相手にされない本当の理由


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沖縄の辺野古基地移転に関する問題で賛否が分かれる状況となっていますが、大半の本土の人間はこの問題を「どうでも良い・相手にする必要もない」と感じていると思います。これは沖縄が日本の端に位置しているからという理由だけではありません。仮に沖縄の人達が本土の人々に真剣に取り合ってほしいとしたらどのようなことを行うべきでしょうか。

何故、沖縄の人々の主張は相手にされないのか?

基地反対運動が本土の左翼によって煽られている等の様々な原因がある面も否定しませんが、そんなマニアックな左右の政治闘争の内容などは、ほとんどの本土住民は関心も無ければ関係もありません。

沖縄県知事の主張を本土の人間が相手にしない理由は全く別のところにあります。その理由は沖縄県民が自立の意志を一切見せていないということです。財政的に本土に依存しながら、沖縄県民が何を言っても彼ら自身の本気度が見えないので、本土の人間は相手にするはずがないのです。

ニートの息子が親に何を言ったところで、親が本気にしない理屈と全く一緒といえるでしょう。人間はまず自立することによって、はじめて他者に意見を真剣に聞かせることができるのです。

沖縄県の異常な本土への財政依存の惨状

平成25年度の沖縄県全体への国庫支出金3,737億円(全国11位)、地方交付税は3,593億円(全国15位)、 両者の合計は7,330億円(全国14位)です。これだけ見ると全国敵に比べてもどちらかというと貰ってる方かなという程度の印象です。

しかし、人口一人あたりで見た場合は、国庫支出金は264千円(全国1位)、地方交付税は254千円(全国17位) 、両者の合計は518千円(全国 6位)となっています。沖縄県の平均世帯人数は2.5人程度であるため、1世帯につき「年間約・130万」を国から受け取っていることになります。

何もせずに、毎月1世帯10万円のお小遣いが貰えるわけです。「生活保護の軽度版のような暮らしを他人の金で実現できる」環境がある場所が沖縄県です。全世帯がそれだけで暮らすことは難しいと仮定して半数に国からのお金が渡っているとした場合、1世帯20万円なので沖縄の物価も考慮した場合50%世帯が十分暮らせます。

米軍基地関連の経済効果を除いたとしても、このような暮らしをしている人々が何を言っても本土の人間が相手にしなくて当然だと思います。

「沖縄」が真剣に話をするために最初にやるべきこと

これは沖縄に限ったことではないのですが、地方自治体が真剣に国にモノを申したいなら、「全ての補助金・交付税を拒否する」ことは当然のことだと思います。

交渉相手に自分の生活のための財布の中身を握られたまま、交渉事に臨むような愚かな話が成り立つわけがありません。一時的に苦しくとも交渉相手から最低限の自立をしていることが条件になります。

従って、現状では沖縄県民の本気度は本土の人間には全く理解されないでしょう。仮に理解されるとしたら、それは単なる同情であって、それ以上でもそれ以下でもありません。同情から生まれる対応では、現状と同じかそれ以下の対応しかなされないでしょう。

まずは「働いて自立してから自分の意見を述べるべき」というのは、大人の世界の共通のルールです。左や右よりもまずは「上」を向いて堂々と自分の足で歩けるようになるべきです。

翁長知事は基地問題を本気で解決したいなら沖縄県民に経済的な自立心を与えることから始めることが望まれます。





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2015年11月03日

待機児童増加の犯人は事業者の資本力が足りないこと

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「待機児童増加の、意外な犯人は」(駒崎弘樹氏)
http://blogos.com/article/141651/

という記事を読みました。駒崎氏の主張に対する感想は「しっかりとした企業体の参入」が必要だということです。

民間の経営感覚から見た違和感

 駒崎氏は記事の中で、待機児童増加している原因は「役所が保育園のための初期の補助金を創らないからだ」と述べており、地方自治体や厚生労働省などへの制度設計を求めています。しかし、本当にそうでしょうか?

仮に、駒崎氏が述べているように「投資から回収までの期間が1年半」かかるとしたら、経営の当たり前の感覚としてそれに見合うだけの資金調達を実施するだけのことです。実際、普通の民間事業であっても回収までに1年半かかる事業なんてザラだと思います。

むしろ、回収見込みまで運営補助で見通せているのに「資金調達を実施することができない」と仮定することは?と思います。資金調達という経営の手腕の根幹に関わる話を「行政の補助金が無いことに責任転換」することは話の筋が明らかに違います。

本当の問題は事業者の資本力の問題ではないか

確実に儲かる可能性が高い事業であるにもかかわらず、初期資金が用意できないために参入できない、それによって待機児童が解消できない、という駒崎氏の主張の通りであれば、「資本力を持った事業体が参入すれば良い」というだけのことです。

むしろ、素人考えでは初期の補助金が無いと保育園を運営できないような主体に経営を担わせることは危険ではないか、とさえ思います。良いサービスを提供しようと思えば、資金繰りはカツカツの状況ではなく、多少の余裕を持って回す必要があるからです。

本当に重要なことは、資本力が足りない事業者が参入しやすい制度ではなく、資本力の潤沢な事業者が参入しやすい環境を整備することです。

資本力を有する事業者の参加に「価格の自由化」は不可欠

資本力を有する事業者が魅力を感じて参加するためには「価格の自由化」は必要不可欠です。価格が自由化されることを通じて、強力な資本力を持つ事業者が大量に参加すれば待機児童問題は一気に解決します。

待機児童数が多い相対的に保育料が上昇している地域には、新たに事業者が参入することを通じて価格競争が生じることになります。自由価格であったとしても競争が存在している限り価格は妥当なラインに収斂します。

むしろ、社会福祉法人に関する規制、保育士に関する規制、施設に関する規制などの規制緩和を推進するとともに、経営状況が第三者からも分かるように徹底した情報公開を義務付ける方向で改革するべきです。

社会主義者の言論が社会の発展を遅らせているということ

駒崎氏の記事の中では区役所の担当者の答弁を社会主義として切り捨てていますが、同じ問題を補助金があれば解決できると主張する姿は単なる社会主義者同士の近親憎悪でしかないと思います。自分に言わせればどちらも社会主義者ですが、それをうまく自由主義的に見えるよう化粧できているか否かというだけのことです。

現代社会においては福祉国家病が蔓延しており、あらゆる人々が政府予算にたかるようになったため、昔のように「補助金を寄こせ」と騒げば無限に予算が出てきた環境ではありません。まして、高齢者の影響が強い超高齢化社会において、それ以外のアクターに対する補助金設定をソリューションとして提示することに疑問を覚えます。

現在のような人口構造・財政構造の下では、若者や乳幼児に関する施策は自由化を進めて民間資本の力で実現していくやり方について知恵を絞る必要があります。高齢者と同じ土俵で予算の分捕り合いで競合することは生産的なことだと思えません。徒に子育て関連の補助金を求めることは物事の根本的な解決を遅らせることになるのではないでしょうか。






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