相対化
2015年11月16日
何故、テロ行為と対テロ戦争を相対化してはならないのか
日本の言論空間に溢れかえったテロ行為と対テロ戦争を相対化する有識者たち
日本の言論空間ではテロ行為と対テロ戦争を混同し、米国らの対テロ戦争によってテロ行為が増加しているという発言が溢れかえっています。また、そこまで言わなくても、あえてテロ行為を相対化することに理解を示し、自らが中立性を持った発言を行っていると思いこんでいる人も見かけます。
私の立場は、テロリストはいかなる理由があっても許されるものではない、というものです。そして、対テロ戦争とテロ行為は全く異なるものだと見做しています。また、テロが発生する原因として強圧的な政治体制の中で自由市場や平和な環境へのアクセスが難しいことを重視しています。
ISISのような専制的な支配体制を敷く政治勢力を打倒することで、将来に渡ってテロの発生源を断つことが重要です。それらの政治体制そのものがテロを生み出す温床だからです。
テロの発生原因と戦後構築の失敗を同一視することのではなく、専制的な支配体制の除去を行った上で、戦後構築の手法を見直すことが大切です。
一般のムスリムをテロリスト予備軍と見做していることに気が付くべき
対テロ戦争の犠牲者が発生してしまうことは非常に痛ましいことであるものの、そのことを理由として誰でもテロリストに成り得るという考え方は「現在、テロリストではない一般のムスリムの全てをテロリスト予備軍」と見做すものです。
自由市場や平和な環境へのアクセスが断たれた状況によって、暴力によるテロリズムへの動機が生まれるとする立場から見た場合、テロリストと一般のムスリムを峻別して考えることは極めて重要です。
テロリズムの発生原因を個人化する相対化の言説は、一般のムスリム全てがテロへの動機を持っているとみなす考え方に繋がるため、極めて有害かつ無思慮なものだと思います。
テロの発生原因は政治的・社会的なものであって、宗教的・個人的なものではないものとして対応するべきです。前者は排除可能な要因であり、後者は排除不可能な要因です。後者を強調することは、消すことができない偏見を人々にまき散らすことになります。
日本の「有識者」は「相対化」ではなく「切り分け」の視点を身に付けるべき
日本では、有識者とされる人々は視点の相対化を通じて、一般の人々を煙に巻いて有利な言論的ポジションを確保することが常ですが、相対化は物事を何も解決できないだけでなく、ある種の問題を引き起こすこともあることを自覚するべきです。
また、物事を解決していく際には「相対化」ではなく「切り分け」が重要であることは、一般のビジネス社会では常識だと思います。事象を相対化しているだけでは物事は遅々として進まず、事象の切り分けを行うことで初めて解決可能な問題に取り組むことができます。
事象を理解する際に多くの視点を持つことも有用ではありますが、集めた情報をそのまま並べることが何を意味するのか、ということについて、もう少しだけ深く考えるべきだと思います。
yuyawatase at 13:40|Permalink│Comments(0)