明治維新

2015年11月08日

日本で「小さな政府論」が起きないのは司馬史観が原因

konsin
*高知市自由民権資料館HPから引用「自由民権運動に立ち上がった人々」

 小さな政府を主張する勢力が「維新」を称する不思議

米国ではナショナリズムと小さな政府の価値観が結びつくことにより、小さな政府を求める大衆運動が我が国とは違って盛り上がっています。(詳しくは
拙稿「日本でウケない小さな政府運動が米国で大衆化したワケ」を参照してください)では、何故日本では同様の現象が起きないのか?それは司馬史観という呪縛にこそあるのです。本稿では、日本において大衆レベルでナショナリズムと小さな政府の価値観が融合しない理由とその克服方法についても記していきたいと思います。

司馬史観に代表される超然主義の歴史観という病巣

現代日本人の歴史観に大きな影響を及ぼした司馬遼太郎の作品は日本の近代化が一部の英雄によってのみ実現したという英雄史観に立脚したものです。政治家の中にも『坂の上の雲』等を愛読書として挙げる人間が多いように、民衆レベルでの司馬史観への支持はかなり厚いことが分かります。


ただし、司馬史観が称える人物は維新志士や藩閥官僚などです。彼らは大きな政府・中央集権を推し進めた人々であり、民衆から自由と自治を奪ってきた人々と言えます。これは司馬史観が、明治国家の建設と近代化の歴史に民衆が寄与していない、かかわりのないものであったという物語だということです。いわゆる超然主義に基づく物語です。

超然主義とは何か。それは、「天皇の官吏」は民衆から超然(独立)として政治を行うという思想です。これは司馬が描いた維新志士らによる英雄史観とは、一握りのエリートが世の中を動かすという意味では全く同一のものです。故に司馬史観が民衆心理に浸透することは、超然主義者の末裔である現代の官僚らによる実質的な政治支配の正統性が国民に浸透することに繋がってきたのです。

 
「官僚に独占された日本の近代史」

日本近代史は官僚による国づくりへの功績によって実質的に独占された状況にあります。それは戦後復興史においても同一であり、経済再建への通産省の役割などが過度に強調される偏った歴史観が形成されることを通じて、官僚が政治に関与することへの正統性が守られてきました。

しかし、もしそうであったのならば、本田宗一郎は官僚からの命令に従って未だにホンダはオートバイしか作れず、日本の自動車産業は世界を席巻していなかったでしょう。ですが、実際の本田宗一郎は通産省の指導に逆らい、自動車業に進出し大成功を収めた歴史があります。

このように、本来の近代史においては、官僚=政府の活躍だけでなく、民衆の活躍が車の両輪として取り上げられるべきなのです。しかし、後者についてはすっぽり忘れ去られた状態となっています。むしろ、戦前の歴史においては軍部の暴走を止められなかった存在として、民衆の代表である政党の無力が強く描写させることも少なくありません。

日本の近代史と官僚=政府が深く結び付くことを通じて、日本のナショナリズムは「大きな政府」と常に一体化するようになりました。保守主義を標榜しているはずの自民党が政府規模を拡大し続けていることこそ、ナショナリズムと大きな政府という価値観が結びついた結果の証左でしょう。

「維新」という党名に現れる歴史観とイデオロギーのネジレ原因

2015年現在、小さな政府や地方分権を党是として掲げた保守政党が藩閥官僚による中央集権化を実現した「維新」を呼称する摩訶不思議な現象が発生しています。


この不可思議な政党名の呼称問題は、上記のような日本のナショナリズムをめぐる歴史観の構造的な問題に根差しています。「維新」という呼称が「大きな政府・中央集権」の歴史の象徴であるという大いなる矛盾がありながらも、「維新」以外にナショナリズムを象徴する適当な呼称が彼らには見つからなかったということです。

正しい歴史認識に基づく歴史用語を使用するためには、日本近代史の中でもう一人の主役であった「民衆」の役割を再発見する必要があります。

民衆のナショナルヒストリーとしての自由民権運動の再興の重要性

具体的には、日本近代史における「自由民権運動」というもう一つの国づくりの物語に再注目するべきです。民間の産業資本が勃興し、民衆が西欧思想を摂取していく中で形成された「国会開設と憲法制定を求めた初期の自由民権運動」をナショナルヒストリーとして再興することが重要です。


確かに自由民権運動は細かい解像度で見れば様々な問題があったのは事実です。しかし、板垣退助が「民撰議院設立建白書」の中で納税者が国政に対して意見を述べることは正当な行為であるとしたこと、進取の気風に富んだ私擬憲法が日本各地で作成されたこと、国会既成同盟などを通じて全国規模の議会設立要望が繰り返されたこと――それら明治初期の民衆運動を我が国のナショナリズムの根幹に再配置するべきです。そして、これらは恐れ多くも皇后陛下も繰り替えしご発言の中で、触れられている歴史であることに鑑みればより重要性を持つでしょう。

明治初期の自由民権運動を核とした歴史観を再興することを通じてこそ、ナショナリズム=大きな政府という、一辺倒の歴史観を是正し、ナショナリズム=小さな政府というソリューションを提供できる歴史観の構築が可能となるのです。

今こそ、自由民権運動をナショナリズムの根幹として位置付けるべき時代が来ているのではないでしょうか。



 


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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)

2015年11月02日

今、何故「自由民権運動」が重要なのか

自由民権塾

日本の真の政権与党は「官党」である

日本には大きく分けて3つの党派が存在しています。それは、与党、野党、そして「官党」です。与党とは選挙で過半数を制した政党のこと、現在で言えば自民党・公明党のことです。野党とはその他の政党の事です。

しかし、日本にはもう一つ「官党」が存在しています。彼らは、常に政権、つまり権力機構の側に存在しています。民衆による選挙とは別に存在し、選挙を勝ち抜いた与党を取り込み権力を保持してきた存在、それが官党(霞が関)です。

日本の近代史は「官党と民党の闘い」の歴史である

日本の近代史とは「官党」に対する「民党」の戦いです。そもそも歴史的に「国会」は民衆が「官党」と戦うために創り上げた仕組みです。

明治初期の官僚による増税・規制に対し、民衆は権力である官党に対抗する力を欲しました。そして、官党に対抗する勢力が結集して生まれた勢力、つまり「民党」が「国会」を形成したのです。

民党は官党に対峙して選挙で過半数を得た与党として戦いましたが、次第に権力を握る官党の力の前に屈服することを余儀なくされました。分断、買収、疑獄、暗殺、様々な手段を通じて、戦前の民党は崩壊したのです。

今、私たちが知ることは、選挙で選んだ「民党」ではなく、この国の与党は「官党」だということ。そして、現行の政権与党である自・公は「官党」の連立与党として存在し、私たちに増税・規制強化を迫っているということです。

毎年増大を続ける政府予算は社会における官党の力の増大を意味しており、民衆の相対的な力の後退を意味しています。

 民党の復活のために「自由民権運動」の歴史観を再興すべき

本来は、自民も民主も維新も共産も無く、官党に対して「民党」たる選挙で選ばれた政党が民衆の与党として存在することが必要です。英国などで確立されている当たり前のこと、民党の官党への優位、という体制を確立するのことこそ、何にも先立ってまず実現する必要があります。

そして、民党が勝利を手にするためには、利権などの甘い誘惑に屈さない強い信念を民衆が取り戻すことが重要です。そのためには、私たちは私たち民衆の歩み、つまり歴史を取り戻して誇りを回復することが求められます。

現在、日本の学校では「自由民権運動」は歴史の教科書のほんの一幕として取り上げられるだけに過ぎません。しかも、官党の歴史観の影響から矮小化された形で記載されており、「民撰議院設立建白書」のような歴史的な文書でさえ、私が文語調のものを翻訳し、現代語訳するまで存在していませんでした。

しかし、私たちにとって「民衆」の戦いである、自由民権運動は日本国民である自覚、その誇りに直結する大切な歴史です。

日本国民は、未完に終わったトルコを除いて、アジアで初の本格的な立憲国家を樹立して国会を開いた、アジアの自由と民主主義の灯台となるべき国家です。

私たちがその歴史を見直すことで力による圧制を強める中国やいまだ暴政が蔓延る北朝鮮に対し、自由と民主主義を守るアジアの盟主たる正統性を主張することができるのです。

議員と国民に一人でも多くの自由民権運動への理解者を増やすべき

現在のバラバラになった野党の有り様は、昭和維新の際に崩壊していく自由主義・民主主義の過程そのものです。議会制民主主義の力を信じることなくデモなどの大衆運動によって世論を動かそうとする風潮もまさに当時の日本に酷似した状況になってきたと感じています。

そのような時代であるからこそ、政治への不信、官党による政権の独占時代であるからこそ、党派の別を越えて、自由民権運動の歴史観を標榜する政治家と有権者が必要です。どこの政党が良いとか悪いとかはどうでも良く、現在は一人でも議会制民主主義の意義と歴史を大切にすることこそ重要です。
 

政官攻防史 (文春新書)
金子 仁洋
文藝春秋
1999-02




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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)