戦後
2015年11月17日
「他責の国のおとぎ話」中央集権=官僚悪玉論を斬る!
日本の大人は他責が大好きです。特に政治の話になると直ぐに「お上」の責任として擦り付けを行います。
そして、それを有識者たちが「おとぎ話」で補強することで、良心の呵責に悩む善良な国民から「責任主体としての地位」を奪ってあげて、誰もが責任を取らない一億総無責任体制を作り上げてきました。
その「おとぎ話」の一つが「戦後の中央集権はお上(官僚)が推し進め、地方は東京に若い人材を吸い上げれた被害者である」という夢物語です。
原理原則を無視した「中央集権=お上(官僚)悪玉」論
「お上(官僚)が中央集権を推し進めて、地方は東京の高度経済成長の犠牲になった・・・」、「その補償を地方が受け取って何が悪いのか」という話についてどう思いますか?これは東京一極集中の是正の文脈で語られる通説です。
しかし、私はこの話を耳にする度に「良い年してまだオムツついてんのか?」と言って差し上げたくなります。
日本の政治の原理原則は「議会制民主主義」であり、国会議員の過半数による議決で予算と法律を決定します。そして、政令・要綱の類であったとしても、国会議員が本気で目配せしている場合は官僚も滅多なことは出来ません。
つまり、中央集権体制を容認して作り上げた人々は国民の投票で選ばれた国会議員です。そして、その国会議員が全国一律の競争条件を構築して東京の一極集中を推進し、その補償として地方が地方交付税を始めとした巨額の財政移転を受け取る仕組みを作ってきました。これこそが本当の事実なのです。
有名な日本列島改造論も台本は官僚が書いたかもしれませんが、新潟選出のたたき上げ・田中角栄首相がその台本の採用と実行を認めたことは紛れもない事実です。
大半の国会議員は地方から選出されてきたという当たり前の事実を思い出す
過去から現在にかけて、国会議員の大半は都市部ではなく地方から選出されています。東京都などの都市部選出の議員は議員全体の構成数から見れば微々たるものです。
戦後、日本の国会議員は東京に人的資源を集中させるために、全国一律の規制・税率を整備し、東京都と他の地域をほぼ同一条件で競争させるというムリゲーを強いた挙句、結果として生まれた東京の経済成長による果実(税収)を地方に再分配するという政治体制を構築しました。
つまり、地方在住者、そして地方代表である国会議員が地方の民間経済をワザと衰退させてきたのです。そして、自らが暮らす地域の民間経済を衰退させる代償として、都市からの財政移転という何の努力もいらない掴み金を受け取る選択を選んできたのです。
日本の地方は東京と同じ条件で競争することは誰が見ても不可能です。そのため、選挙民が責任ある賢明な人々として振る舞うことで、本来は地方自治体に税率・規制などの権限を大幅に移して創意工夫を持って生き残る道を選択すべきでした。
しかし、実際に繰り返されてきたことは「無用なハコモノ建設によるバラマキ金の受け取り」ばかりという有り様でした。これらを推進してきた自由民主党は資本主義・自由市場を肯定してきた政党なので、そのような政策を推進すれば地方が滅んでいくことは当然に知っていたはずです。
地方再生のために「民主主義」をやり直すことから始めましょう
何度も申し上げますが、国会議員の過半数が同意しない場合、どのような予算も法律も成立することはありません。
全ての不都合な出来事をお上(官僚)が決めたことにした場合、現在の惨憺たる状況を目の前にした鬱屈とした気持ちが軽くなることは分かります。
自分の地方の有り様を他人の責任にして押し付けてしまう、この手の「おとぎ話」は免罪符として良心の呵責に悩む人々に売れることでしょう。しかし、ヒトはいつか夢からは目を覚まさなくてはなりません。いつまでも甘美な他責の世界だけで暮らすわけにはいかないのです。
現在も国会議員の大半は地方から選出されている構造は一緒です。従来からのように東京からの財政移転で過ごして消滅まで時間を稼ぐのか、それとも一時は苦しくても自立の道をもう一度模索するのか、どちらの選択を選ぶかは地方在住者の人々の投票にかかっています。
本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。
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