基金
2015年12月28日
日中限定戦争への道、慰安婦・日韓合意の真意を探る
日韓の不可解な慰安婦に関する合意、突然の年内決着の思惑とは何か
タカ派で知られる安倍政権が年の瀬に突如として実行した岸田外相の訪韓と慰安婦問題における大幅な妥協は何を意味するのでしょうか。そして、慰安婦問題の立ち合い人として米国を据えた意味はどこにあるのでしょうか。
安倍政権の日韓合意に込めた意図は米国などの国際世論に「日本の正当性」をアピールすることにあります。
同政権は米国議会における演説などでも歴史修正主義的な内容を一切含まず、夏の談話についても文言を工夫して戦後民主主義・自由主義陣営に属するイメージづくりに励んできました。そして、従来までの慰安婦に関する政府主張を顧みない今回の日韓合意は安倍政権の対外的なイメージを決定付けるものです。
安倍政権が国内から一定の失望を受けながらも国際的にタカ派のイメージを放棄する理由は何でしょうか。能あるタカは爪を隠すという諺もありますが、筆者は安倍政権の真の狙いは全く別のところにあると予測します。
真の目的は「日中限定戦争」のための環境整備ではないのか?
筆者は安倍政権の真の目的は、日中限定戦争のための環境整備、ではないかと推測します。国際的な世論環境において、発足当初の安倍政権は中韓の宣伝によって非常にタカ派色が強い政権として認知されていました。
しかし、安倍政権の対米配慮姿勢の徹底、そして中国を取り囲むような対外援助増加を実行してきた結果、安倍政権に対する国際的な世論の風当たりは弱まり、むしろ中国の海洋覇権主義に対する懸念が高まりつつあります。
米国本国は東アジア・東南アジアの政治情勢、特に対中関係は関心が強くない状況ではありますが、全体的な空気感として米国の中国側に傾いていた国際世論の流れをかなり押し戻したものと思います。
仮に日中による尖閣諸島などで限定的な戦争(紛争)が発生した場合、日本が中国に対して優勢な状況を形成できれば米国が日本側で仲裁に入る環境が既に整備されてきています。その中で今回の日韓合意によって日中が限定的な戦争状態に突入するためのツメの作業に入ったと言えるでしょう。
憲法改正のための限定戦争という本末転倒な事態が発生する可能性
筆者が日中が限定的戦争またはそれに近い状態に突入する可能性が高いと見ている理由は、安倍政権の政策目標が「憲法改正」にあると看做しているからです。
大規模な金融緩和や消費増税の先送りなどの経済政策は支持率上昇のためのものであり、安倍政権にとってはそれ以上のものではないものと推測します。そのため、第三の矢である最も重要な規制緩和は現在までほとんど実施されておらず、円安による株高誘導や企業業績のかさ上げなどのモルヒネ的な経済政策が実行されている状況があります。
安倍政権が長期政権を目指す場合、安倍首相が本年行われた日本会議に送ったビデオメッセージの内容通り、憲法改正を政治日程に組み込むことが自然な流れとなります。
来年の参議院議員選挙において、消費増税の先送りを掲げて民主党などの改憲反対勢力を一掃した上で、日中の限定戦争ないしそれに近い状態を創り出すことができれば、憲法改正に向けた世論環境を創り出すことができます。
戦争というものは憲法が改正したから発生するものではなく、両国の指導者が意思を持って軍事力を行使することで始まります。来年11月米国大統領選挙の後の2017年が極めて危険だと思います。
筆者は上記の状況が発生することを支持するものではありせんが、安倍政権の一連の不可解な外交政策の積み重ねを総合的に鑑みるに、一つのシナリオとして十分な妥当性があるものと予測します。
yuyawatase at 20:46|Permalink│Comments(0)
2015年12月26日
慰安婦の方が住んでいる場所に訪問した思い出とともに
日本と韓国、それに第三国も入れて慰安婦問題を最終決着させる話が浮上
慰安婦問題について妥協するために28日にソウルで岸田外務大臣が韓国政府と会談することになったとのことです。
日本側が慰安婦の人たち向けの1億円の基金を創設することの代わりに、慰安婦問題については最終的に解決した旨を確認し、米国などの第三国にも同確認について再確認させるというもの、と報道されています。
日本側も随分思い切ったことを提案するなと驚きましたが、国内で保守的な歴史観を持っている(海外では自由主義者で通している)安倍首相だからこそできる妥協だと思います。
私自身は心情的には評価しませんが、成功すれば日本の国際的な地位を高めることにつながることになるでしょう。
学生時代にナヌムの家に行った時の思い出を思い出してみた
私自身は学生時代に慰安婦の方が集合して住まれているナヌムの家までお伺いし、慰安婦の人々の実際の様子を見てきた経験があります。
個人的な感想を申し上げるならば、極めて悲惨な人生を送られてきたのだなというところです。私は慰安婦が強制されたものであったかどうかは議論しません。それらについては歴史学者の皆さんが検討すれば良いことだと思っています。
私が悲惨だと感じたことは、訪問当時・戦後60年経っているにも関わらず、彼女たちはナヌムの家で「天皇を銃殺する絵を描かされて」過ごしていたということです。私の感想としては、日本との慰安婦問題における関係以前に、韓国政府が上記のような心の問題を抱えている慰安婦の状態を長年放置してきたことに衝撃を受けました。
本来は心理的なケアを行うことで彼女たちが少しでも幸福に暮らせるように配慮するところですが、韓国政府は「慰安婦」として政治利用し続けているために、彼女たちの人権は韓国国内で現在でも蹂躙され続けているように感じました。
日本政府は慰安婦のための基金を設置するべきなのだろうか?
安倍政権が慰安婦問題の解決に動き始めた理由は、米国議会演説などで自由主義的な演説を行った安倍首相による中韓に対する対米外交の盛り返し、というところでしょうが、オセロゲームのような発想で触れてよい問題なのかどうか、イマイチ納得できない問題のように感じます。
日本政府が慰安婦のための基金を設置するべきかと言えば、私の回答は日本政府として基金を設置するべきではないというものです。
むしろ、戦前の歴史とともに戦後に韓国政府が彼女たちをどのように扱ってきたのか、両者の歴史をしっかりと解明することが重要だと思います。そして、全ての歴史を明らかにした上で、慰安婦の方々に対して何らかの思うところがある方々は自発的な寄付を提供するべきでしょう。
私自身は慰安婦の人々に対する自発的な寄付には賛成です。彼女たちが、従軍慰安婦であったか否か、に関わらず、歴史の被害者として人生を過ごした人々への憐憫の情を持つ人は居ても良いからです。
彼女たちは日韓の歴史が作り出した「慰安婦」という名前の政治被害者であり、日本をバッシングするための走狗となるしか生きる道が無かったからです。自らの人生の自由を失って一生を政治の道具として捧げた人々に憐れみを覚えます。
yuyawatase at 12:00|Permalink│Comments(0)