保守

2015年11月29日

大人の教科書(10)左と右は180%回転すると同じもの

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世の中の政治的なスタンスとして「あの政治家は右だとか左だ」とかいうことがあります。しかし、実際のところ、それらが同じところから出てきた親戚みたいなものだということに説明します。

そもそも政治的なスタンスの右とか左って何ですか?
 
「右」の議員は保守、「左」の議員は革新、と呼ばれたりするわけですが、元々はフランス革命後の議会において座った席の場所で右・左と区分けされるようになりました。

ところが、現代社会に至るまでに政治闘争の結果として右や左が入れ替わったりしているため、右と左の政治的な呼称としての意味は言葉を使用する人によって異なるために、それらの明確な定義を求めにくい環境になっています。

そのため、上記のように右やら左やらのレッテルを貼るだけでは本記事の説明が分かりづらくなるので、政治的なポジショニングの区分けの整理をして、右と左は実は同じものだということを述べていきたいと思います。

右とか左ではない正しい政治的なポジショニングを知ること

一般的には政治的な立ち位置を分析する場合、(1)政府による経済介入の大小、(2)政府の思想・倫理への介入の大小という2軸で自分のポジショニングを知ることが出来ます。

(1)経済介入が大(2)思想介入が大=全体主義・共産主義(北朝鮮)
(1)経済介入が大(2)思想介入が小=社会民主主義(フランス)
(1)経済介入が小(2)思想介入が大=新保守主義(ネオコン)
(1)経済介入が小(2)思想介入が小=自由主義(ホリエモン)

というような分類です。自分がどのあたりに考え方に収まりそうかイメージ湧きますか?そして、日本の政党のポジションは実際のどこにあたるでしょうか?


戦後の右(自民)も左(社会・民主)も大体同じようなものだった

戦後の日本では、自民党などの保守勢力が「右」、社会党などの革新勢力が「左」とされてきました。

一応、自民党側は資本主義を守る政党で米国寄り、社会党側は社会主義を求める政党でソ連寄り、という区分けで左右の分類がなされてきました。

特に1990年以降は右と左という名称が自民党・民主党に引き継がれることになりますが、民主党や共産党は自民党(特に小泉政権)を新保守主義とか新自由主義という名称で叩き続けています。

ところが、少し考えれば分かりますが、55年体制以降の日本は一貫して政府の予算拡大・規制強化(経済介入=大)がされており、なおかつ右も左も教科書などへの思想教育(思想介入=大)を重視してきました。

要は右も左も大して変わらない「全体主義」への道をまい進している状況だと言えます。

政府の経済介入が強まると思想介入も強まっていくことは必然

このように書くと「左」(社民主義者)に区分されている人々から「我々を安倍ファシズムと同じにするな!」と怒られそうですが、実際には同じようなものなので仕方がありません。

また、仮に(1)経済介入=大(2)思想介入=小であったとしても、生活の原資を政府に握られてしまえば、その後に政権は国民に対して容易に思想を強制していくことが可能になります。大半の人々は生きていくために、自分の思想表現を簡単に変更してしまうものです。

自由市場を否定して格差是正を叫んだ先に待っているものは、北朝鮮のような政府独裁型の共産党主義国家です。

逆に、右の人々からは「我々を社会主義者・共産主義者と一緒にするな!」というクレームがあるかもしれませんが、彼らが求めている愛国主義的な思想統制は「経済介入=大」を実現しない限りは不可能です。

そのため、最終的にはナチスドイツのようなファシズム国家になっていかざるを得ません。つまるところ、共産主義(左)≒ファシズム(右)で建前は異なるけれども親戚みたいなものなのです。

正しい政治的なポジションニングを問う質問は「税金は上げることは良いことか?」のみ

上記の過程から右や左という区分が極めて無意味な質問であり、本当に重要なことは「政府の経済介入=税金を上げることは良いことか?」という質問だけで十分なのです。

政治家や政治に関心がある人に上記の質問をした場合に「YesかNoか」の回答が返ってきます。「税金を上げることにYes+その人物が権力者=危険人物」であり、「税金を上げることにYes+その人物が非権力者=頭が悪い人」ということになります。ちなみに、問題は経済全体における政府の規模の話なので、どの税を上げても結果は一緒です。

以上のことは大人の常識として知っておくと、悪い政治家にひっかからないで済みます。政治家は誰しもが己の権力の強化にまい進するものですが、せめて建前だけでも小さな政府を主張してほしいものです。

独裁者になるために
イニャツィオ シローネ
岩波書店
2002-12-20



 

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yuyawatase at 20:13|PermalinkComments(0)

2015年11月25日

ドナルド・トランプの強さの秘密を徹底分析

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米国共和党大統領候補者を選ぶ予備選挙でドナルド・トランプ氏の爆走状態が継続しています。日本の周回遅れの米国研究者らはドナルド・トランプ氏が高い支持率を確保し続けている現状をうまく説明できていないため、本ブログがアクティビストの観点から、ドナルド・トランプ氏の強さの秘密を解説します。

周回遅れの米国共和党に関する日本の分析能力について

米国共和党の主要な派閥は、穏健派と保守派に分かれているということが基本的な共和党研究の視座となります。穏健派とは米国民主党に近い政府支出の増加を容認する立場であり、保守派とは政府支出を断固として拒否する伝統的な立場ということになります。

戦後の米国共和党内の権力構造は、穏健派による保守派への圧倒的な優位という形で推移してきました。戦後の米国共和党と日本の関係値は共和党穏健派との間で積みあがってきたものと考えることが出来ます。

しかし、レーガン政権前後から米国内では保守派の台頭が起きてきます。特に1994年の連邦議会多数派を共和党が奪取した保守革命によって共和党内における保守派の勢力が力を見せつける結果となりました。その後は、大統領予備選挙や議会運営などで共和党内部における穏健派と保守派の主導権争いが続いています。

日本の米国研究は穏健派の見方から影響を受けており、保守派の政治的な論理や腕力についての理解が足りておらず、つい最近まで的外れなブッシュ圧勝の観測を垂れ流してきていました。彼らの教えを乞うている国会議員らもテンでピントがずれたことを述べていたものです。この程度の視座ではもはや現代の米国共和党の勢力構造を正しく分析することはできないでしょう。

現代の共和党は穏健派VS保守派VSアウトサイダーという三層構造という形に

元々保守派は穏健派を「ワシントン」(中央集権)として攻撃してきた経緯があり、自分たちを「反ワシントン」と位置付けて政治闘争のスタンスを形成してきました。

しかし、保守派が台頭した1994年保守革命から既に20年の月日が経過しており、共和党の中には保守派にすら満足できない層が出現してきています。それらの層を指す名称はまだありませんが、連邦議会・州知事・グラスルーツ関係者などの政権中枢の人間ではないアウトサイダーを支持する層が生まれています。

穏健派はメディア、保守派は組織化された草の根団体(グラスルーツ団体)、アウトサイダーはそれらに不信感を持つ人に各々強みがあるといえるでしょう。

そのため、最近では「ワシントンか反ワシントンか」という二元構造よりも大きな「政治のインナーか政治のアウトサイダーか」という構図が誕生しています。この保守派とアウトサイダーは主張が似ている部分があるため、上記の対立構造の見分けがつきにくい状況にあります。

ドナルド・トランプ氏を支持する層はアウトサイダーを支持する層であり、既存の共和党内部の政治的な対立構造とは質的に異なる層であると指摘できます。

アウトサイダーを支持する層に既存の穏健派・保守派からのメッセージは伝わりにくく、逆に既存の穏健派・保守派の候補者が撤退した場合にドナルド・トランプ氏に支持が流れるかは不透明な状況です。

「トランプ・カード」ドナルド・トランプ包囲網という明確な構図が出現することの意味

既に予備選挙から撤退したスコット・ウォーカー・ウィンスコンシン州知事(保守派)のリズ・マイアー女史(共和党元広報担当者)がドナルド・トランプ氏を予備選挙から落とすための運動「トランプ・カード」を組織することの必要性を提唱しており、米国保守派もドナルド・トランプ氏の保守派との質的な相違に気が付き始めたようです。

しかし、この取り組みが必ずしも功を奏するかはまだ疑問です。なぜなら、穏健派&保守派VSアウトサイダーという構図が出来上がってしまうことで、むしろアウトサイダーのトランプ支持を強固にする可能性があるからです。

アウトサイダーはそのような既存の政治キャンペーンの在り方への不信感を持っているため、トランプ支持の熱狂が強まることも否定できないでしょう。逆に、トランプ氏が「反ワシントン」のメッセージを出し続けることで、保守派が切り崩されていくことも十分に有り得る状況です。

日本の米国研究者に聞いても「トランプは馬鹿、保守派も馬鹿、米国共和党は大丈夫か?」というような感想ばかりが返ってくると思いますが、その理由は米国内部に出現している新たな政治構造を理解できていないからということになります。(総資産1兆円を築いた経営者が馬鹿なわけがありませんので、そのくらいの常識を持つべきだと思います。)

ドナルド・トランプ氏との対決を制する人物はマルコ・ルビオ氏なのか

現在、穏健派及び保守派の両方から一定の支持を集めつつある候補者はマルコ・ルビオ氏であり、本ブログではドナルド・トランプ氏とマルコ・ルビオ氏の対決に最終的に収斂していくのはないかと予測しています。(米国政治も一寸先にはどのようなスキャンダルが生じるか分からないため明確なことは言えませんが・・・)

以上のように、日本の米国研究で主流の穏健派視点の米国共和党の分析がいかに周回遅れであるか、そしてドナルド・トランプ氏の支持者の質的な相違について分析しました。今後、大統領選挙が近づく中で米国政治への興味関心が高まっていくことを祈念します。





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yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)

2015年11月21日

切捨御免!ひきこもり保守の代表格「はすみとしこ」さん

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シリアで発生した難民問題に関して、日本のイラストレーターの「はすみとしこ」さんが人種差別的なイラストを描いたことで話題となりました。一部の保守がこのイラストに賛同したことは大変残念であり、日本の保守のブランドを汚すものとして、そのグローバル意識の低さは改善されるべきものです。

脆弱な国内レイシストとしての育った戦後保守

戦後日本の保守の一部は、第二次世界大戦に敗北した結果、戦勝国や在日朝鮮人らに対して劣勢な立場に立たされてきており、そのカウンターカルチャーとして発展してきた傾向があります。つまり、自分たちが何者であるかを自己規定できない中で、自分たちに敵対的な勢力を鏡として自らの姿を規定してきたのです。

そのため、これらの矮小な保守はグローバルな動きは敵とみなし、自ら国内でしか通用しないレイシスト的な貧弱な愛国意識を育んでしまっています。

このようなレイシスト的な傾向が発達してきた傾向の背景には、敵対勢力による理不尽な日本人への敵対行為やバッシングが存在しており、それらのバッシング主体を口汚く罵ることによって歪んだ保守は影響力を持つことができるようになりました。特に中国、韓国、北朝鮮の対日姿勢は非常に愚かであり、それらの国の政府が日本の保守のゆがみを育てた育ての親と言えるでしょう。

<はすみとしこさんの作品>
無題


実は日本人全体の潜在意識に埋め込まれた歪んだ精神

日本国民は現在人口減少と遅れたグローバル化という2つの難題に直面しています。

安倍首相は国連の場でシリア難民の受け入れよりも日本人の人口減少対策が急務であることを述べて顰蹙をかいましたが、それは上記のような歪んだレイシズムに基づく保守の影響を受けたものだと言えます。(そして、日本人単体の人口減少は子育て支援などで解決できるようなレベルでもないため、人権問題以前に冷静な国家運営すらできないということを露呈しています。)

もう一つは世界的な人口成長・経済成長から取り残された、遅れたグローバル化の状況も深刻です。途上国に出て見ればわかりますが、既に日本の資本は他国に対して大きく後れを取っています。これは日系企業の官僚主義=国内の内向き姿勢が影響したものです。

実は上記のような歪んだ保守の持っている特徴は多くの日本人が抱いている日本像に近いものがあり、それらの意識が歪んだ保守の浸透を側面的に支えています。いわゆる左派であったとしても、米国に対する劣等意識から排除的な反米論を述べており、同じように脆弱な日本人の精神を体現しています。

国内でしか通用しない保守を自浄する「新しい保守」が必要 

ただし、現在の日本が抱えている上記の2つの問題は、脆弱で歪んだ保守、には解決できません。

今回の問題であれば、シリア難民の話は人権に敏感な西欧社会を中心に発生している問題であり、基本的な国際社会に通用するグローバルな感覚を持っていない、ひきこもり保守が起こした典型のような失敗談です。本人は偽装難民を揶揄したものとして弁明していますが、グローバルな活動をするにはリテラシー能力が低かった、ということが根源にあります。

これから必要な保守は、日本国に対する誇りを持ったグローバルな意識を持つ保守です。敵対国によるカウンターカルチャーとしての保守ではなく、自らの意志を発することができる日本ということになります。

日本が経済的・社会的に飛躍するときは常に対外的に開けた時代であり、外国人の力を利用しながらそれらの力を日本社会に統合することに成功してきた歴史を思い出すべきでしょう。

海外から人間が入ってくる程度のことでビビッて閉じこもるような日本人であれば、遅かれ早かれ諸外国から食い物にされていくことになります。私はそのような自信のない日本人に魅力を感じることはありません。

私自身はアベノミクスの第四の矢として「移民の推進」が当然提示されると思っていたのですが、代わりに1億総活躍社会という真逆の方向の標語が掲げられたことで、やはり安倍政権にそのような大胆な政策を期待することが間違っていたと思います。

国内の歪んだ保守、そしてその背景にある日本人の引きこもり根性を自浄する、自信と誇りを持った力強い日本国民による保守が今こそ重要です。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)
オルテガ・イ・ガセット
筑摩書房
2013-11-15


 

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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)

2015年11月20日

「日本会議」の動員力は政治力を測るメルクマークになった

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私は日本会議とはほとんど面識もないのですが、彼らがグラスルーツ・ネットワーク(草の根)としては日本で成功した一つの形であると理解しています。元々草の根団体というと左翼系団体の香りがしますが、日本会議が土着の保守勢力を一つのネットワークとして形成した実績は全ての政治に関わる人々は参考にすべきです。

憲法改正という大事業を首相に明言させる動員力

日本会議は日本有数の保守系のグラスルーツであり、神道系・仏教系の伝統宗教・新宗教が中心となった政治勢力です。所属する国会議員数も280名程度存在しており、政界において精神面・動員面の観点から影響力を強めています。

具体的には、同団体は新憲法制定の他にも国旗国歌法の法制化や拉致被害者救出、教育基本法の改正、安全保障法制の整備などに取り組んできています。

11月10日日本会議が主導した憲法改正に向けた大会が日本武道館で開催されて各党代表者が出席する中、安倍首相の改憲に向けたメッセージ動画が自民党総裁名で発表されました。

主催者によると、日本武道館に集まった人員数は1万1千人、憲法改正を求める署名数は447万人を集めたされており、日本会議の圧倒的な動員力が示された形となっています。

国技館を一杯にする動員力あれば何でもできるのか?

日本会議の主義主張は分析の対象にはしませんが、同イベントを通じて、動員人数1万人、署名人数450万人という指標は民主主義において一つの指標になりました。全政策の中で最も困難な憲法改正を口約束とはいえ、現役の内閣総理大臣に約束させるために必要な動員数のメルクマークが誕生したのです。

もちろん、日本会議の構成団体には保守系議員に強い影響力を持つ神道系の人々が多数含まれているため、一概に動員数だけの問題ではありませんが、日本武道館を一杯にすることが動員数の指標になったことは間違いありません。

日本会議主導の憲法改正のイベントは、シングルイシュー(憲法改正など)を掲げて、1万人の動員をデモなどではなく集会の形で実現することが出来た場合、首相から言質を獲得することができるという事例として極めて重要な意味を持つものとなりました。

小さな政府を実現する政治勢力の大集会を実現すべき

私は「小さな政府」を実現して、力強い経済成長や世代間格差の是正を成し遂げていくべきだ、と考えています。

ただし、従来までは「小さな政府」を信望する人々は団結することがなく、逆に少人数でも集まって声を上げるタックスイーターの政治的な意向ばかりが政策に反映されてきました。

小さな政府に直結する減税改革は、その改革の恩恵が薄く広く国民に拡がることに特徴があり、限られた少人数で特定の税財源を貪るタックスイーターのように専任者を置くような継戦能力を作ることも困難でした。

しかし、仮に日本武道館を1万人の参加者で埋め尽くすことで政治的に一定の影響力を持てるとした場合、小さな政府を信望する人々が一日だけ所得税・法人税・消費税などの引き下げに同意して集会に参集することは可能だと思います。

重要なことは、全ての税金の引き上げを凍結し、全ての税金の引き下げに合意する、という一点のみで集まることです。そのため、現在働いている人・過去に働いた人から取り上げた税金で暮らそうというタックスイーターは入れないでしょう。

しかし、真面目に暮らしている多くの日本国民は参加することができるはずです。今後、日本は真面目に働いている人を大事にする政治にシフトしていく必要があります。そのための大きな流れを創り出すことが必要です。




 

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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)

2015年11月08日

日本で「小さな政府論」が起きないのは司馬史観が原因

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*高知市自由民権資料館HPから引用「自由民権運動に立ち上がった人々」

 小さな政府を主張する勢力が「維新」を称する不思議

米国ではナショナリズムと小さな政府の価値観が結びつくことにより、小さな政府を求める大衆運動が我が国とは違って盛り上がっています。(詳しくは
拙稿「日本でウケない小さな政府運動が米国で大衆化したワケ」を参照してください)では、何故日本では同様の現象が起きないのか?それは司馬史観という呪縛にこそあるのです。本稿では、日本において大衆レベルでナショナリズムと小さな政府の価値観が融合しない理由とその克服方法についても記していきたいと思います。

司馬史観に代表される超然主義の歴史観という病巣

現代日本人の歴史観に大きな影響を及ぼした司馬遼太郎の作品は日本の近代化が一部の英雄によってのみ実現したという英雄史観に立脚したものです。政治家の中にも『坂の上の雲』等を愛読書として挙げる人間が多いように、民衆レベルでの司馬史観への支持はかなり厚いことが分かります。


ただし、司馬史観が称える人物は維新志士や藩閥官僚などです。彼らは大きな政府・中央集権を推し進めた人々であり、民衆から自由と自治を奪ってきた人々と言えます。これは司馬史観が、明治国家の建設と近代化の歴史に民衆が寄与していない、かかわりのないものであったという物語だということです。いわゆる超然主義に基づく物語です。

超然主義とは何か。それは、「天皇の官吏」は民衆から超然(独立)として政治を行うという思想です。これは司馬が描いた維新志士らによる英雄史観とは、一握りのエリートが世の中を動かすという意味では全く同一のものです。故に司馬史観が民衆心理に浸透することは、超然主義者の末裔である現代の官僚らによる実質的な政治支配の正統性が国民に浸透することに繋がってきたのです。

 
「官僚に独占された日本の近代史」

日本近代史は官僚による国づくりへの功績によって実質的に独占された状況にあります。それは戦後復興史においても同一であり、経済再建への通産省の役割などが過度に強調される偏った歴史観が形成されることを通じて、官僚が政治に関与することへの正統性が守られてきました。

しかし、もしそうであったのならば、本田宗一郎は官僚からの命令に従って未だにホンダはオートバイしか作れず、日本の自動車産業は世界を席巻していなかったでしょう。ですが、実際の本田宗一郎は通産省の指導に逆らい、自動車業に進出し大成功を収めた歴史があります。

このように、本来の近代史においては、官僚=政府の活躍だけでなく、民衆の活躍が車の両輪として取り上げられるべきなのです。しかし、後者についてはすっぽり忘れ去られた状態となっています。むしろ、戦前の歴史においては軍部の暴走を止められなかった存在として、民衆の代表である政党の無力が強く描写させることも少なくありません。

日本の近代史と官僚=政府が深く結び付くことを通じて、日本のナショナリズムは「大きな政府」と常に一体化するようになりました。保守主義を標榜しているはずの自民党が政府規模を拡大し続けていることこそ、ナショナリズムと大きな政府という価値観が結びついた結果の証左でしょう。

「維新」という党名に現れる歴史観とイデオロギーのネジレ原因

2015年現在、小さな政府や地方分権を党是として掲げた保守政党が藩閥官僚による中央集権化を実現した「維新」を呼称する摩訶不思議な現象が発生しています。


この不可思議な政党名の呼称問題は、上記のような日本のナショナリズムをめぐる歴史観の構造的な問題に根差しています。「維新」という呼称が「大きな政府・中央集権」の歴史の象徴であるという大いなる矛盾がありながらも、「維新」以外にナショナリズムを象徴する適当な呼称が彼らには見つからなかったということです。

正しい歴史認識に基づく歴史用語を使用するためには、日本近代史の中でもう一人の主役であった「民衆」の役割を再発見する必要があります。

民衆のナショナルヒストリーとしての自由民権運動の再興の重要性

具体的には、日本近代史における「自由民権運動」というもう一つの国づくりの物語に再注目するべきです。民間の産業資本が勃興し、民衆が西欧思想を摂取していく中で形成された「国会開設と憲法制定を求めた初期の自由民権運動」をナショナルヒストリーとして再興することが重要です。


確かに自由民権運動は細かい解像度で見れば様々な問題があったのは事実です。しかし、板垣退助が「民撰議院設立建白書」の中で納税者が国政に対して意見を述べることは正当な行為であるとしたこと、進取の気風に富んだ私擬憲法が日本各地で作成されたこと、国会既成同盟などを通じて全国規模の議会設立要望が繰り返されたこと――それら明治初期の民衆運動を我が国のナショナリズムの根幹に再配置するべきです。そして、これらは恐れ多くも皇后陛下も繰り替えしご発言の中で、触れられている歴史であることに鑑みればより重要性を持つでしょう。

明治初期の自由民権運動を核とした歴史観を再興することを通じてこそ、ナショナリズム=大きな政府という、一辺倒の歴史観を是正し、ナショナリズム=小さな政府というソリューションを提供できる歴史観の構築が可能となるのです。

今こそ、自由民権運動をナショナリズムの根幹として位置付けるべき時代が来ているのではないでしょうか。



 


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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)