リチャード

2015年12月08日

切捨御免!秋葉原は「エロいオタク」がいるから発展したのか?


マネキン

LGBT支援が日本経済に必要な「理論的根拠」という欺瞞

自分も都市論には興味があるため、たまに見過ごすことができない欺瞞を発見することがあります。今回は下記のようなトンデモなLGBT支援論について。

LGBT支援が日本経済に必要な「理論的根拠」(日経ビジネス)

自分はLGBTについて趣味嗜好は好きにすれば良いと思いますが、都市論としてLGBTが多い=競争力が高いという議論は「原因と結果の因果が明確ではない」という感じがします。

タダの性的嗜好であるLGBTに注目して経済成長を語ることの不毛さ

もちろん、人口の数%のLGBTの人を意図的に排除することは、人間の知的なネットワークの一部へアクセス拒否することなので、経済成長にとってマイナスであるという議論は認めます。

しかし、「LGBTが多い」から「経済成長する」ということは論理の飛躍です。むしろ、経済成長している都市だからこそ多様な人材を受け入れることができるのであり、様々な分野でのクリエイティブな環境が創出されていきます。

記事中に取り上げられたリチャード・フロリダは原因・結果を混同していると、カリフォルニア大学のエンリコ・モレッティなどの他識者からも指摘を受けています。ボヘミアン指数やゲイ指数はあくまで結果であり、地域経済を支えるようなイノベーティブな産業が発展する原因ではないというものです。

堅実な産業基盤が築かれて経済成長したからこそ、クリエイティブな雰囲気が根付くことになります。都市の発展の順序を間違えて気取った街を作ったところで、大量の失業者を抱えるばかりの都市になるでしょう。

「LGBT=経済成長」論は、秋葉原は『エロいオタクがいるから発展した』というのと一緒

仮に百歩譲って、LGBTの比率が高いとクリエイティブな街になる、というのが米国においては真実だと仮定しても、それがそのまま日本に適用される理論家というと相当に怪しいものです。

キリスト教圏ではLGBTに対する意味合いは信仰とタブーの問題であり、社会に長く根付いた性的迫害の問題とほぼ同義です。そのため、それらの人々が存在できる地域は自由な空気は科学的・近代的な空間として意味を成すかもしれません。

しかし、米国文化の話をそのまま全く文化的背景が異なる日本に持ち込んで語ることには相当に違和感があります。ゲイ指数が普遍的な要素となり得るか分からない状況で、それが日本経済に必要だと言い切れるのは凄いと思います。

一方、日本で経済成長の結果としてクリエイティブな都市が生まれた事例として秋葉原が挙げられます。

進駐軍のガラクタ修理の集積・露店販売から始まり、高度経済成長期に電気街として発展した上で、ファミコンの登場でゲームの街として変貌し、更にそこからの派生としてオタク・エロゲーの街として再成長しました。現在では中国人観光客が押し寄せて、完全に中国人用の爆買いの街になっています。

秋葉原は最初からオタクのエロ文化を育てようとして発展した街ではなく、経済成長・ビジネス革新の過程で自然とそうなったに過ぎず、安易に「オタク・エロゲーを受け入れたから成長できる」みたいな議論は論理飛躍だと思います。LGBT もエロゲーも同じ下ネタであり、それらの存在と経済成長を結びつけることのくだらなさが両方を並べてみれば分かります

雰囲気ばかりの政策ではなく地に足のついたイノベーティブな都市を創るべき

さて、それはともかく、日本の経済成長力は人口減少の関係などから衰退していくことが明確になっています。もはやLGBTを受け入れることで都市がクリエイティブになって経済成長できる、というような悠長な議論をやっている場合ではありません。

他人の性的嗜好であるLGBTを差別するような都市は良くないと思いますが、それを日本経済に必要な理論的根拠として日本のビジネス誌が取り上げることは論外です。しかも、同理論は最近誕生したものではなく、記事中で紹介されている「クリエイティブクラスの世紀」は相当の批判にも曝されています。

日本に必要なことは根本的な産業政策・都市政策であり、フワフワとした雰囲気の議論から脱却して地に足のついた骨太の議論が行われていくことに期待したいところです。





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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)