大人の教科書

2016年06月13日

大人の教科書(24)BIは弱者切り捨ての「心の免罪符」に過ぎない

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BI(ベーシック・インカム)が俄かに持て囃される風潮が出てきたようだ

スイスでBI(ベーシック・インカム)の導入是非に関する国民投票が行われて否決されました。昨今では人工知能の発達などによって人間が仕事を奪われることへの懸念、複雑化した行政機構と社会保障政策の整理、格差問題の解消のための切り札としてBIが取り上げられることが増えてきました。

筆者はBIについて非常にナンセンスな仕組みであると理解しており、政治的システムとしても倫理上の問題としても拒否されるべき命題だと思っています。BIの政治的なシステムとしての欠陥は多く指摘されるところであり、今回はBIの「倫理上の問題」について取り上げていきます。

BIを受給する人々が「賢く行動する」可能性は極めて低いということ

全ての人に一定のBIを与えることで生活の保障を行った場合どのようなことが起きるでしょうか。

もちろん、BIが配給された結果として、BIの範囲内で慎ましやかに暮らす人も少なくないことでしょう。しかし、そもそもBIが無いと生活ができない人々が全て生存に向けて合理的に行動する根拠は全くありません。

むしろ、確実な収入源であるBIを担保に無謀な借り入れなどを実行して散財を繰り返した挙句、生計を破滅させていくことになる人は後を絶たないことでしょう。金貸しにとっては確実な担保であるとともに、愚者にとってはBIは所詮は他人の金に過ぎないのです。

そこまで行かなくてもBI需給早々に全て使い切る人も現れることは確実であり、そのような人はBIがあろうがなかろうが、そもそも生きていくことが極めて困難な生活癖を持っているということになります。

BIの本質は「弱者切り捨て」のための「心の免罪符」を与えるものだということ

人間は本質的には誰しも愚者であるため、上記のような状況には誰もが陥る可能性があるものと思います。

この際、BIの存在自体が「BIを貰っているのだから、愚かな人々への救済は不要」という正当性を人々に与えることになるでしょう。

人間はどうしようもなく愚かな存在なのですが、その愚者を愚者として正しく認識して社会から破棄する仕組みがBIなのです。人々は一定の財政的負荷をBIを通じて背負うことによって、愚者を見捨てた心理的な負担を放棄することができます。

BIの本質は「弱者切り捨て」のための「心の免罪符」を発行することにほかならず、その表面的な人道性とは対極の人間の心理的な逃避欲求を満たすためのものだと言えるでしょう。

富裕な人々が担うべき心理的な負担を捨て去るべきではない

残念ながら、人間社会ではどのような制度を整えたところで弱者も愚者も消え去ることはありません。人間が人間の欲求にしたがって生きている限り、それは変えようがない真実だと思います。

その際、富裕な人々の弱者や愚者に対する心理的な負担を放棄するための仕組みを導入することは倫理的に肯定しても良いでしょうか。富裕な人々が彼らに心理的な負担を背負わない社会は極めて非人道的な社会かもしれません。

人間社会ではどのような制度を創ろうとも貧富の差は発生するものです。BI導入によってその現実から目をそらすことにつながるのではないか、BIは倫理の問題から問い直されるべきものだと言えるでしょう。






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2016年01月28日

「富豪62人の総資産、下位36億人分」は意味がない議論?

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「富豪62人の総資産、下位36億人分」というけれど・・・

国際支援団体オックスファムがダボス会議で、米経済誌フォーブスの世界長者番付など2015年のデータに基づいて世界の富豪上位62人が持つ資産が、世界の人口の貧困層下位半分(約36億人)の資産総額に等しいとする推計を発表しました。

同団体は裕福な人とその他の人々の差が拡大していることを懸念しており、世界の指導者に格差是正に取り組むように働きかけました、とのことです。

日本でも格差是正を求める一部の人々が上記の主張を引用して、政府による増税及び再分配を求める声が上がっています。しかし、これらの主張は経済活動を理解していないものであり、貧困解消に向けて的外れであるばかりか、むしろ貧困を悪化させる結果をもたらすものです。

「金持ち」の資産は「常に他人が使っている」という基本を知ることが大事
 
格差是正を訴える人々は金持ちの資産がタンス預金のような形で保管されていると勘違いしています。しかし、実際には、彼らの資産の大半は投資や貸付という形を通じて他者の手によって使用されています。それが資本主義の原理だからです。

そして、資本主義において重要なことは、金持ちとは資金の出し手であって現場における使用者ではないということです。彼らのお金は世界中で利益になること(≒社会全体の発展につながること)に利用されています。

これは私たちが銀行に少額の預金を行ったとしてもまったく同じことです。銀行にお金を預けた段階で預金者のお金は投資や貸付に利用されており、金持ちの資金と全く同じ原理で運用されています。

ちなみに、一度投資や貸付がなされると、資金の出し手は現場の使用者よりも資産の運用状況を正確に把握することはできません。そのため、資金の出し手よりも現場の使用者のほうが情報の非対称性から実際には強い立場を築くことができます。

この力のギャップを埋めるため、投資家が事実を正確に把握することを目的として簿記や会計の技術が発達してきたのです。上記の議論の意味が分からない人は簿記3級からやり直すことをお勧めします。

金持ちの資産は「金持ちが直接知りもしない赤の他人」が「自己の資産を増やすために使用」しており、結果として「金持ちの資産が増える」とともに「社会全体の発展」につながっているのです。

金持ちや権力者は「ファーストフード」を食べる必要がないということ

資産を誰が持っているかということはほとんど意味がない議論なのです。重要なことは世界に存在する富が人社会を発展させることに使われているか否かということなのです。

資本主義は「金持ち」=「権力者」のための制度として批判されています。しかし、実際には資本主義とは貧困層の生活環境を改善するための制度です。一体どういうことでしょうか?

権力者にとって自らの豊かな生活を実現するための選択肢は資本主義だけではありません。マリーアントワネットや金正恩のような資本主義を停止する形で武力を背景に人々を抑圧するほうが権力者による支配を永続するには便利です。

資本主義が健全に存在する前提となる「自由市場」では、社会に必要なサービスを提供している人が資産を手に入れて、僅かでも自己の資産を持つことができます。その結果として、上記の金正恩のような独裁者に反抗する力が国民に形成されるため、現代の圧制者は資本主義や自由市場が自国内に広まることを防止しています。

もっと身近な事例を取り上げるならば、富裕層はファーストフードを利用する必要はありません。ファーストフードが日本中に存在している理由は、普通の人にとって便利なサービスを作ることが金持ちの利益にもなる制度が存在しているからです。ファーストフードのような普通の人または貧しい人にとって便利な仕組みは資本主義が作り出しているものです。

世界の貧困国の大半は「資本主義」が機能していない地域であるということ

現代社会における貧困層の大半は、地球上の資本主義が機能していない地域、に存在しています。つまり、それらの地域の人々は、上記の資産の運用先になることができず、自らの価値が適切に評価されていない立場に置かれた状況にあります。

貧困地域では、政府関係者らの権力者が武力を背景として自らの利益を貪っているいため、同国の国民は何ら富を得ることができません。これらの地域の人々のために先進国は税金から多くの支援金を送ってきましたが、結果はオックスファムが述べている通り貧困地域の問題は解決することはありませんでした。

一方、不完全ながらも資本主義を導入した中国では沿岸部を中心に富裕層や中産層が誕生しました。また、東南アジア各国の給与水準も向上しつつあり、同地域における貧困問題は改善の兆しを見せつつあります。これらは資本主義と自由市場がもたらした成果です。

資本主義や自由市場を導入したとしても一直線に成長・発展するわけではありませんが、各国政府が腐敗した政府権力者を通じて資本主義・自由市場が働いていない地域に再分配を行うよりも中長期的に成果をあげることができます。むしろ、政府を通じた支援は一部の政府権力者を肥え太らせたことによって、真に日知ような資本主義・自由市場体制への移行スピードを落としているということも言えるのではないでしょうか。

世界の貧困問題を解決してきたのは「資本主義」と「自由市場」であるということ

世界の貧困問題を解決したいということであれば、無意味なストック(資産)の格差についての議論を行うのではなく、豊かな地域と貧しい地域の経済をどのように接続するべきか、ということを議論するべきだと思われます。

資本主義や自由市場にアクセスできていない地域の労働力は、利用不可能な資産、として扱われており、彼らへの富の継続的な移転が行われていません。これこそ貧困が固定化される原因であり、将来的に解決されていくべき問題なのです。

「富豪62人の総資産、下位36億人分」というセンセーショナルな議論に踊らされることなく、正しい政策を恐れることなく推進していくことが求められます。





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2015年12月27日

大人の教科書(22)政治家はロボットで代替可能か?

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議員の能力の大半は「有権者」の顔と会話の内容を記憶すること

議員の仕事の大半は選挙に受かるための肉体・精神ともにすり減らしながら行う「営業系」の仕事です。有権者の顔を記憶し、誰の紹介で、何の会話をしたのかを正確に覚える仕事といっても過言ではありません。

政治家の名簿記録には、名前、顔写真、住所、家族構成、出身校、所属企業、所属団体、その他諸々、あらゆる情報が記録・整理されており、有権者との円滑なコミュニケーションを実現することに全力が注がれています。そして、最後にあった時から時間が経ち過ぎないよう、地元回りで票田のメンテナンスが実行されています。

現在の人間に投票するしかない仕組みであれば仕方がないですが、この仕事は「人工知能搭載型のロボット」でも十分に可能です。むしろ、瞳紋記録などで全ての情報を紐づけたほうが正確な会話もできますし、陳情処理なども面倒くさがらずに確実にこなすことができます。もうそういう仕事は、それで良くないですか、としみじみ思います。

議会での質疑応答もロボットが行ったほうが正確な対応が可能


更に議会質問についても質問する側も答える側も完全にコンピューターで何の問題もありません。むしろ、事前の質問取りなどの無駄な作業も消滅し、最新のデータを両者がオープンデータとして接続して、タイムリーに正確な情報でやり取りすることが可能です。

「その質問は事前の通告になかったので答えられません」というような不毛なやり取りも消滅し、なおかつ財政データなどについてもイチイチ議員が勉強する必要もなく、確実な将来予測のシミュレーションを基に合理的な政策が立案できます。正直言って、普通の議員よりもIBMが開発したワトソンのほうが遥かに優秀です。
 
中途半端に立法事務費や政務活動費などを支出するくらいなら、まとめて人工知能の開発に費用を注いだほうが余程クオリティーの高い議会運営が可能となるでしょう。

人間にしかできない「議員」としての仕事とは何か

そこで、人間にしかできない仕事について話したいと思うのですが、それは「自由を守る」こと以外には存在しません。

ロボットに任せた場合は最初に設定した幸福の定義に基づく目標を達成するために、人間はロボットが設計した人生を正確に歩むことが求められるようになります。全ての社会システムはロボットによって設計されたものになり、人間は主体ではなく客体としてそれらを受容するだけの存在になるのです。

政府が合理的に社会を設計するとはそういうことを意味しており、政府による人間の家畜化こそがその本質と言えるでしょう。そして、これはロボットがシミュレーションしなくてもロボットよりも質が劣る人間が運営する政府も同一の方向性を有しています。

両親が子どもを生むための環境、生まれた子供が育てられるプロセス、その後結婚して子どもを生みつつ、老齢を迎えたら介護と医療を受けて死んでいく、ところまで、人生のほぼ全てが事前に制度として設計されています。自分の人生の在り方を客観的にみれば、自分が置かれている状況について気が付くと思います。

そして、ロボットよりも能力が低い人間が担う政府の下にあるからこそ人々に一定の自由が残っているに過ぎないことを知るべきです。従って、政府の仕組みが合理的でないから充実・強化して合理的にしようというのは、上記のロボットが決める社会制度に近づけようという議論でしかなく、人生に自由があることを大事だと思うならば決定的な愚かな行為であることが明らかです。

そのため、私は政府に力を与える増税・規制強化を求める人々を倒し、人間の自由を確保していくことが大事であると主張しています。上記のたとえ話で、政治家に必要なことは何か、ということについて、文章を読んだ方に少しでも伝われば幸いです。

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2015年12月25日

大人の教科書(21)「新自由主義批判」という様式美

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新自由主義を批判する人々に共通する様式美について

押しかけシンクタンクなるものが出来たというので、どんなものかなと思っていたら、

という記事を発見しました。この記事中で、大学の先生が、

「本来、左派やリベラルというのは、豊かで幸福な社会を作るためにあるもの」と述べ、「いま世界を席巻しているアメリカ型の新自由主義に対抗できる距離感は必要だと感じるが、経済成長を真っ向から否定するわけではない」

と発言されていましたが、「アメリカ型の新自由主義」って本当に分かっているのか、と言いたくなります。

まあ、「新自由主義批判」って「知識人の様式美」の世界の言葉

であり、このように発言することで、

「一般人よりも自分は思想知ってます」的なオーラを纏って普通の人に「お、おう、そうなんだ」って思わせる

にはもってこいなんですよね。本当に辟易するなあと。

ところで、「アメリカ型の新自由主義」に対抗したいんだったら、「現在の自民党」の政策でも十分に機能しています。そして、日本政府はアメリカ型の新自由主義に(悪い意味で)十分対抗できる能力を持っているので、毎年の日本の経済成長率は微々たるものに留まっています。現状以上に新自由主義に対抗したいなら、ソ連の復活でも頑張ってほしいものです。

思考停止した型にはまった議論を好む大学関係者たちの頭の中

日本で大学研究者として出世していくために求められることは、とりあえず「新自由主義を批判する」ことであるといっても過言ではありません。新自由主義批判が求められる理由は主に知識人が持つ2つの思考様式に根差しています。

1つ目は、知識によって社会がデザインできると思っているということです。元々自分たちの頭でご飯を食べてきた人たちなので、彼らは自分たちが社会をデザインできる能力があると思っています。

少なくとも自分の専門分野においては当然であり、大衆の自由から生まれる知性が自分の知性を優越していると思ったことがありません。そのため、大衆の経済的・政治的自由を重視する新自由主義には批判的になります。

2つ目は、新自由主義を批判する、という思考的な様式美を直輸入しているからです。つまり、自分たちの目の前に起きていることを問題にせず、書物の中で描かれた概念を輸入して日本でも起きている真実として捉えています。

その結果として、現在の安倍政権が「新自由主義」(小さな政府、減税、規制緩和)を推進していないことは誰でも検証できますが、世界中で「保守政権」を名乗る政党を「新自由主義」として叩いてるため、日本でも一緒になって何も考えずに保守政党=親米=新自由主義として叩いているのです。 

以上のことから、大学研究者の頭の中では、自分は大衆を優越している知性を持っており、その自分が、保守政党=親米=新自由主義、を批判しているのだから正しい、ということになるわけです。

日本は「米国型新自由主義」ではなく「中国型縁故資本主義」の進化形である

現在の自民党が作り上げている政治経済のかたちは「アメリカ型の新自由主義」ではなく「中国型縁故資本主義」です。

仮に上記の大学研究者らが批判するアメリカ型の新自由主義政策が実行されているなら、経済的競争力が劣る「日本の地方」はとっくの昔に消滅してほぼ誰も住まなくなっているでしょう。旧態依然とした産業は残っておらず、新分野で発展してきた新興企業が多くの雇用を創り出しており、その中から世界で活躍するグローバル企業も生まれています。

しかし、現実には日本の地方は生き残っており、中央の大企業と結託しながら地元土豪が地域支配を確立しています。これらの大半は政府による予算・規制による保護で成り立っており、そこに自由主義経済の息吹はありません。このような姿は「新自由主義」ではなく「縁故資本主義」の典型です。

また、大企業への予算・規制を維持しながら、労働市場の規制緩和のみを進める手法は、旧態依然とした産業構造を維持するためには最適な政策(しかし、いずれは産業自体の競争力が失われる)です。そして、このような一部の大企業と政府が癒着した姿も縁故資本主義の特徴ということになります。

つまり、中国共産党が実行している改革開放政策を最低限の社会保障とコンプライアンスが整う形に仕立てて、もう少し上品にお化粧した姿が現在の日本の真の姿なのです。日本の政治経済の現状をアメリカ型の新自由主義ということには無理があります。

日本の格差が問題であると定義するのであれば、それは政府との癒着によって生まれる縁故資本主義による格差を問題にするべきであり、自由市場における格差を問題にすることは現状認識に誤りがあります。

縁故資本主義と新自由主義の考え方は対極に位置する、新自由主義批判は問題解決にならない

新自由主義とは、これらの政府と特定企業・団体の癒着を断ち切り、自由市場の中でサービスが提供されていくことを是とする思想なので縁故資本主義とは真正面からぶつかる思想です。

そして、新自由主義を批判するということは、政府が何らかの企業・団体と手を結んで公共サービスを提供していくことを意味しており、現在の日本の問題である「縁故資本主義」を解決する手段を提供するものではありません。

ところが、上記の学者らは、日本で新自由主義政策が実行されていると思い込んでおり、縁故資本主義によって生じている弊害を助長する政策を提言しようとしています。知識人の様式美を現実世界に適用しようとすることは誤りであり、事態を悪い方向に進める非常に危険なことなのです。

まずは、日本は新自由主義とはかけ離れた状態であることを共通の認識し、その上でどこに向かうべきなのか、という議論を行っていく必要があります。








 

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2015年12月16日

大人の教科書(20)「うどんかるた」への逞しすぎる想像力に脱帽

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セクハラ扱いを受けた「うどんかるた」、文句をつける人間は何を想像したのか(笑)

このかるたの絵柄からセクハラを想像できる、他者に優越する圧倒的なイマジネーション力の持ち主への羨望を禁じ得ない気持で一杯です。

香川県が作った「うどんかるた」にクレームが寄せられたため販売が延期される事件が発生しました。問題になったデザインはは「つ」の読み札で「強いコシ 色白太目 まるで妻」ということです。

いやいや、この画像だよ?普段からどんな妄想を膨らませているのか理解に苦しみますが、このような表現に対する規制が増えるばかりで辟易します。

実物とあまりにも違うという誇大広告以外にも存在する根深い問題について

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最近、問題になった表現は美濃加茂市観光協会や志摩市のちょいエロのポスターなどですが、これらのポスターは撤回される事態に発生しています。

個人的には実際の実物とはあまりにも違う誇大広告であることが撤回理由として相応しいと思いますが、デザインなどには個人の価値観があるためにちょっとした表現に不快感を持つ人がいることも確かです。

しかし、何故このような不毛な議論が社会的な問題になってしまうのでしょうか。

税金を使って余計なことを行うと不毛な表現規制が進むから止めてほしい

これらの事例に共通することは「税金を使っている」ということです。税金を使っている限りはほぼすべての人が何らかの理由で、役所や外郭団体がやっている表現活動にイチャモンをつける権利を保障することにつながります。

仮にこれらの観光振興政策のコンテンツビジネスが民間の自由な活動で行われている限りは、嫌な人は見なければ良いだけの話であり、社会的な批判にさらされても必ず撤回しなければならないわけではありません。そして、表現活動に関する自由は守られていくのです。

役所が余計な表現活動を行うことによって表現規制論者の意見が社会に浸透していく機会を提供していることになります。何でもかんでもイチャモンをつければ表現を潰すことができる、という思想が、税金で行っているものを超えて民間の自由な活動にまで広がっていく一穴を提供していると言えるでしょう。

「うどんかるた」という想像を絶する事例が出てきたことで、役所のオウンゴールで民間の表現規制の一歩手前まで来ています。このような取り組みは最初から民間に任せて行政は手を出すべきではありません。

のうりん (GA文庫)
白鳥 士郎
SBクリエイティブ
2013-09-12

 

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大人の教科書(19)企業の内部留保を批判するのは正当か?

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 企業の内部留保とは「何のために」使われるのか?

企業の内部留保が溜まりすぎているから、それらを賃金や雇用に還元しろ、と騒いでいる政治家が増えています。しかし、それらの人々は自分で企業を経営したことがなく、投資、雇用、資金繰りなどを行ったことが無いのだろうと推測します。

現在、内部留保として騒がれているものは、決済用の運転資金と海外株式への投資を指しています。前者は経営上絶対に必要なものであり、後者には日本政治の根本的な欠陥が引き起こしている問題です。

企業が日々の支払いのために決済用の運転資金を一定以上持つことは当たり前のことであり、それらを批判することがおかしいことは誰でもわかることでしょう。

そして、企業は収益を上げる必要があるため、経営者は当然に儲かる市場・将来性がある市場に対して投資を行うことになります。その結果が海外市場でビジネスを行うための投資ということになるのです。

国内の雇用増や賃上げを実現するためには何が必要なのか?

海外市場に向けられている企業の投資を国内に戻すことは国内の雇用増や賃上げに繋がっていくことになります。では、海外市場ではなく国内市場に企業が投資を行うために必要なことは何でしょうか。

投資の国内回帰には成長していく市場と新たなビジネスチャンスが必要です。つまり、持続的で新規性に富んだマーケットが存在することで大企業の投資を呼び込み、景気が良くなり、雇用が増えて、賃金が上昇します。

そのために必要なことは、人口を増加させること、そして税金・規制を少なくすること、です。現在、日本政府は180度真逆の政策を実行しており、政府自らが大企業の投資を海外に誘導するようなことが行われています。

大企業の投資の国内回帰を実現するためには、移民の受け入れ、大規模な減税、規制緩和が必要であり、将来に渡って日本市場が成長していく合理的なビジョンを示すことが重要です。

政治家が企業に賃上げ強制または内部留保に課税するのは経済音痴

したがって、移民を受け入れず、税金を重くしながら、日々新たな規制を作っている、日本の政治家・官僚が仕切っているエリアに大企業が投資するわけがありません。

しかも、経営者が慈善の策として取っている海外投資資金に無理やり課税しようとする政治家が増えてくれば、日本から出ていきたいと思う企業が出てきてもおかしくないでしょう。実際、海外へ資産移転に対して課税が行われる前に一部の富裕層は日本国外に離脱を完了してしまいました。

つまり、日本に投資が行われず、雇用を減少させ、賃金が上がる見込みがない原因は、日本政府の政策では経済成長する見込みがないからです。そして、経済改革を実行する責任を持つ政治家・官僚は大企業に対して責任転嫁しているのです。大企業側は皆笑顔で応対するものの、無能な政治家に辟易していることは間違いありません。

有能な政治家とは海外の大企業の「内部留保」を日本に呼び込める政治家だ

政治家・官僚を日本の経営者とした場合、自分たちの関係者に税金・規制で不当な利益を与えている姿は横領罪で告訴されてもおかしくありません。経済成長を実現せずに予算と規制を増やす政治家は国民に対する背信行為を実行していると言えるでしょう。

要は、日本の大企業からの投資を呼び込んでいる海外の政治家は日本の政治家よりも優秀であり、日本の政治家は彼ら以上に海外の大企業からの資金を呼び集められるようになることが必要なのです。これは大企業の内部留保への課税を叫ぶような経済音痴の政治家たちには無理なことです。

自分たちの国民への背信的な税制・規制運営を棚に上げて大企業を批判するような人々に日本を経営する資格はないのです。企業経営者が「何故、うちの商品を消費者は買わないのか」といって、お客さんに怒りながら、自分たちが毎晩豪遊している姿を思い浮かべてみてください。

私たち有権者は正しい経済改革を実行できる人物を日本の経営者にしていくように努力する必要があり、ガラクタのような予算と規制に対して明確にNoを叫ぶことが重要です。

中国共産党と資本主義
ロナルド・コース
日経BP社
2013-02-21




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2015年12月15日

大人の教科書(18)全ての政治家は思想家の道具でしかない


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全ての政治家は特定の思想家の道具に過ぎないということ

最近の風潮として現場に立たない学者などが現実の政治実務に関わる首長・議員らに意見を述べることについて、不寛容な政治家が増えてきた気がしています。

その要因として、現在の政治がそれだけ予算その他の面で一杯一杯なこと、政治家に寛容に受け止めるような精神的・時間的な余裕がないこと、批判する学者らの能力が著しく低すぎること、などの色々なことが挙げられます。

しかし、政治家が何かを実際に実行しようとするとき、思想家の影響から逃れることはできず、どのような権力者であったとしても、過去または現在の思想家の道具に過ぎないのです。

そのことを知っているために、思想家は言葉を紡ぐことは辞めないでしょうし、政治家はその影響による呪縛から抜け出すことはできません。

政治家の価値判断の基準は、思想家の価値判断に依存している

政治家が何かを実行しようとするときには、何らかの政治的な価値観が必要となります。その価値判断の良い・悪いの基本的な部分を生み出しているのが思想家です。

政府規模の大小、政策の実行手段、話す言葉のイデオロギーのすべてが過去の思想家が考案したものを自覚的・無自覚的に採用しているのであり、そこからはみ出たことを実行することはできません。

たとえ政治家がモノを知らない人物であったとしても、過去と現在の思想家とその思想の影響下から逃れることはできず、むしろ特定の思想家の体系だった思考形式ではなく、あちからこちらの思想家からつまみ食いした政策が実行されていくことになるでしょう。

思想家の価値判断を踏まえずに、現場の改善作業が行き着く先はどこか

思想家が述べるような空理空論よりも、自分は現場の政策を少しでもマシなものにしていくために頑張っている、と述べる政治家もいます。実際の問題として、自分が何をしゃべっているのか分からない大学の名誉教授のような人々も多くいますので、これらの意見は一定の説得力を持ちます。

しかし、このような現場の改善作業自体の一つ一つを実行していくとき、個別の良し・悪しの判断はやはり過去・現在の思想家の影響を受けているわけです。そして、それらの部分改善は体系だった思想に基礎づけられていないために、チグハグなパッチワークのようなものになっていきます。

その結果として生まれるものは、全ての人々を満足させるべく、全てのことを実行する政府に他なりません。予算制約などの技術的な問題は実務的に解決できるため、それらが同時に全て実行されたときに起きる自由喪失の悲劇を看過するのであれば、政策の部分改善の積み上げはどこまでも実行可能です。

政治家のための思想家が必要とされるときに何が起きているのか

逆に政治家が思想家を道具として使うことによって何が起きるのでしょうか。

政治家は自らの権力追求を絶対善とする人々です。むしろ、政治家本来の思想とはこの一点に集約するといっても過言ではありません。

政治家に人間としての良心の呵責を期待することは間違いです。なぜなら、政治家は(特に議会議員)は立法府という人格性の無い組織の一部であり、自らの選挙における勝利によって権力を掌握して自らの再生産を実行できる存在だからです。その人物個人は何らかの政策判断に同情的であったとしても、彼らは立法府の組織の一部として議場に立っている存在に過ぎないのです。

その政治家が自らの役に立つ思想家のみを求めることは、非常に大きなリスクを孕んだことだと言えるでしょう。
彼らは自らの権力強化を可能とする政策実行に役立たないものを非現実・非道徳的として切り捨てます。その際に、目障りな思想及び言論について規制をかけることも可能です。

それらを防止するために、憲法で言論の自由が確保されており、非常に明察な思想家から愚かな思想家まで自由に意見を交わす形が整えられています。私たち有権者が理解して言論の自由・思想の自由があることの意味を見つめ直すべきでしょう。








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2015年12月14日

大人の教科書(17)自由主義のための必読図書18冊

自由主義ってなんだ!ワタセユウヤの自由主義選書18冊

2015年末休みに改めて読むべき「自由主義ってなんだ!」ワタセユウヤの自由主義選書18冊をチョイスしました。今年はジュンク堂が「自由と民主主義のための必読書50冊」を開催してました。

しかし、その後、同イベントは最初の「自由と民主主義」のうち、「自由と」が無くなる形で「今、民主主義について考える49冊」に変わりました。その過程でハイエクの隷属への道などが脱落してしまう残念な事態となりました。

そこで、私も2015年末の休みを利用して熟読すべき自由主義選書20冊をチョイスしてみました。興味がありそうなものを是非手に取って読んでみてください^^

隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】
F.A. ハイエク
春秋社
2008-12-25


政府が人々の経済生活を統制することを通じて自由が奪われるプロセスについて解説した一冊。社会主義と全体主義が同根であることを指摘し、私たちの自由を守るための基本的な考え方が記されています。ジュンク堂の選書では「自由と」が消えた文脈で弾かれた生粋の自由主義本。


選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦
ミルトン・フリードマン
日本経済新聞出版社
2012-06-26






ケインズ主義が西側世界に蔓延した世界の中で、私たちが自らの自由のために選択の自由を取り戻すことが必要です。政府や中央銀行による自由市場への恣意的な介入を防止する新自由主義的な政策の基本的なコンセプトがまとめられた一冊。


国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源
ダロン アセモグル
早川書房
2013-06-21





なぜ、たった1本の国境を隔てただけで「豊かな国」と「貧しい国」が存在しているのか?政治経済制度の違いがどのような影響を与えるのか、という視点から体系的な結論を提示した一冊。

 
現代議会主義の精神史的地位 (新装版)
カール・シュミット
みすず書房
2013-05-17

議会制民主主義の中に内包する自由主義と民主主義の矛盾が衝突するとき、それらはどのように乗り越えられていくのか。議会制民主主義を超克する「決める政治」がどこに繋がっていくのか。後にナチスを理論的に支えた著者が放つ珠玉の一冊。




日本国憲法の制定プロセスにおけるやり取りを詳細に追ったきめ細やかな一冊。GHQによる押しつけ憲法論の一面的な見方ではなく、戦前回帰を目指す人々、新しい国づくりを目指す人々、そしてGHQの関係を克明に描いています。日本国憲法とは何だったのか、ということをじっくりと知りたい人に最適。




日本の明治維新がもたらした文明開化の流れの中で、維新政府の主導下ではなく、民間の中で生まれた政治や経済の新たな息吹を学ぶことができる一冊。当時の日本の民間人の水準の高さに驚くとともに、誰が日本の近代黎明期を本当に支えたのかを学ぶことができます。

福沢諭吉「官」との闘い
小川原 正道
文藝春秋
2011-09-29



一万円札でお馴染みの福沢諭吉は、明治政府の警察の監視下に置かれている要注意人物であった、という衝撃的な内容が描かれた一冊。日本の文明化に際して決定的な役割を担った思想家・教育者、福沢諭吉の生き様を知ることで現代まで続く日本の課題を知ることができます。

政官攻防史 (文春新書)
金子 仁洋
文藝春秋
1999-02


近代以降の日本では政治と官僚は常に政権争いを繰り広げて、政治の優位が確立される度にスキャンダルや暗殺などによってキーパーソンが消えていくことを繰り返している・・・。元警察官僚の著者が描いた日本政治の落とされた深い闇、乗り越えるべき課題について説得力がある内容。小沢一郎氏の陸山会事件に繋がる日本政治の真の対立構造を知りたい人には必読の一冊。

1940年体制(増補版)
野口 悠紀雄
東洋経済新報社
2013-05-02



現在の日本社会を束縛しているあらゆる社会システムは戦時中に形成された戦争を遂行するためのシステムであり、これらは目的を失ったまま現代社会でも稼働し続けています。戦時中に形成された1940年体制を知ることを通じて、日本に必要な真の改革の対象を学ぶことができる一冊。



米国にはほぼ全ての自治体業務を民間企業が担っている都市が存在しています。圧倒的な行政効率によるタックスペイヤー(納税者)のための都市とはどのような場所なのか。米国発、未来の自治体運営の姿を学ぶことができる珠玉の一冊。



目を奪われるタイトルの都市経済論であり、現代の都市の在り方について重要な視点を与えてくれる一冊。設備型の産業と比べて知識を重視した産業は移動のためのコストが大きく、後者の産業を育てていくような試みが重要という内容。淡々とした説明が説得力を持つ、雇用と経済について興味がる人には必須の一冊。




マーケティングの大家・コトラーが記した世界経済に関する赤裸々な事実。世界人口の半分が都市に住み、世界の総生産の80%は都市が算出している現状、 経済成長と都市成長はほぼ同一の意味を持つという主張の一冊。現状の日本の無意味な地方振興政策を継続するのではなく、世界における都市間競争に注力するべきことを理解することができます。

「保守革命」がアメリカを変える
グローバー・G. ノーキスト
中央公論社
1996-06


1994年に発生した米国共和党による上下両院の連邦議会の政権奪取を、その立役者であるグローバー・ノーキスト全米税制改革協議会議長の筆で書き下ろした一冊。民主党の選挙マシーンが支配していた連邦議会を共和党系のグラスルーツ(草の根)団体が破った内幕が語られています。日本で小さな政府を本気で実現したい人が読むべき本と言えるでしょう。




1994年保守革命に至るまでに米国内で保守主義運動がどのように形成されてきたかを丹念に追った一冊。著者は保守派の代表格のシンクタンクであるヘリテージ財団の研究員。日本において小さな政府を実現していくためのプロセス論として参考になる一冊。



鄧小平以来の改革開放路線を支えてきた経世済民を重んじる中国の新自由主義経済学者の人々が登場する一冊。中国を共産主義・社会主義の国だと未だに勘違いしている人には必読図書であり、彼らが日本人よりも真摯に経済改革に向き合っていることを理解することができます。日本が失われた20年を経験している間に中国が経済大国に成長した理由を学ぶことができるでしょう。

中国共産党と資本主義
ロナルド・コース
日経BP社
2013-02-21

中国の経済改革のプロセスについて、具体的にどのようなプロセスを経て実行されてきたのか、という実証的な研究書。制度派経済学の大家であるコースは、その教え子らが中国の経済改革に深く関わっており、実は中国の経済改革の理論を支えた源流に位置する人物と言えます。中国の改革から日本も様々な示唆を得ることができるでしょう。




現在、到来しつつあるフリーエージェント社会の中で、人に雇われない生き方を実現していくための一冊。巷に溢れかえっている経営者本とは180%逆の経営者の本音丸出し本です。独立を志向している人が必ず読むべき図書と言えるでしょう。




日本マクドナルドの創業者の藤田田氏が記した伝説の自伝。内容の破天荒ぶりから当時からカルト的なベストセラーとして脈々と存在し続けて現代に至っています。怪しげな装丁が醸し出す雰囲気、そしてイカれた内容が人生の価値観を破壊してくれる一冊。






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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)

2015年12月12日

大人の教科書(16)既得権と腐敗の違いは何だろう?

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政治や経済の話をするときに耳にする「既得権」ってどんなものですか?

日本で政治や経済の話をするときに、「既得権」という言葉を耳にすることがあります。「既得権の打破が必要だ!」みたいなことを改革派の議員が述べたりすることを報道等で見たことがあり人もいるかもしれません。

では、「既得権」とは具体的にはどのようなものでしょうか。平たく言うと、既得権とは、歴史的な経緯などから形成・固定化した政治によってもたらされる利益、のことだと言って良いでしょう。

たとえば、分厚い規制に守られた業界(たとえば、農業、電力、官僚機構、その他諸々)は、既得権と呼ばれて批判されることがありますが、行政改革の対象となっては改革話が立ち枯れになって消えていきます。

その上、政府によって保護された既得権を変更することは極めて困難であるため、日本においては批判されるだけで実際には既得権者はほとんど影響を受けない状況にあります。

そして、既得権が存在することによって、市場経済に歪みが生じて富の分配の不平等や経済的な合理性が阻害されて、国民一般の福利厚生への負の影響が生じることになっています。

開発途上国の政治を語るときに耳にする「腐敗」はどのようなものですか?

開発途上国では政府職員による賄賂などが蔓延しており、企業活動などに対する介入や国民への理不尽な対応などが行われています。

これらは法的権限の恣意的な行使によるものもありますが、多くは政府職員の収賄行為や公金流用などであるため、明らかな違法行為であることが少なくありません。しかし、開発途上国では腐敗を行う側と腐敗を取り締まる側と一体化していることも多く、これらの地域で腐敗を無くしていくことは困難な状況にあります。

政府職員による恣意的な違法行為である腐敗が生じることによって、市場経済に予測できない負の影響が生じることになります。これらの負の影響が開発途上国の成長を阻害する主要な要因となっています。

既得権は「合法的で予測可能な腐敗」のこと、既得権の名称は「合法腐敗」に変更するべき

では、既得権と腐敗の違いは何でしょうか。

既得権と腐敗の差は「法律で保障されている」ことで「予測可能」かどうかということになります。

既得権も腐敗も市場経済に対する負の影響が生じることは一緒ですが、両者の差は負の影響が生じる発生経緯が「合法的なものかどうか」ということになります。政府によって腐敗が法律で保障されることを通じて、既得権として予測可能な弊害に変換されることになります。

つまり、既得権とは「合法的で予測可能な腐敗」のことであり、これらを維持することは日本社会のためにはならないことは明白です。そのため、既得権については「合法腐敗」という名称に変更したほうが良いでしょう。

もちろん、既得権も最初は理由があって成立したものもあると思います。しかし、時代の流れで必要性が無くなったにも関わらず存続しているものは腐敗とほぼ変わらないものでしょう。日本国民が既得権を廃止していくためには、既得権とは合法腐敗であるという認識を持つべきです。




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yuyawatase at 17:58|PermalinkComments(0)

2015年12月11日

大人の教科書(15)日本一分かりやすいポリティカル・コンパス解説

<図表1:政治的立ち位置の4分類>
PC(1)
本日の大人の教科書は自分が政治学上、どの位置に属するかを分かりやすく解説を行います。

まず図表1の政治的立ち位置の4分類を見てください。世の中には様々な政治的な考え方を持った人々がいますが、大きく分けると4つのカテゴリーに人々を分類することが可能です。政治思想を分ける軸は「政府」が経済や思想についてどこまで干渉するかを許すか、という点によって分類できます。

(1)経済的自由度とは、政府による税金や規制から民間企業などがどの程度自由な状況にあるか
(2)思想的自由度とは、政府による表現規制などの思想統制から人々がどの程度自由な状況にあるか

ということです。この2つの指標の自由に関する指標の大小によって4種類に人々を分類できます。

(1)経済的自由大・思想的自由大=自由主義=ホリエモン、完全な自由人
(2)経済的自由大・思想的自由小=新保守主義=サッチャー、愛国的なベンチャー経営者など
(3)経済的自由小・思想的自由大=社会民主主義=ピケティ、左派系の経済・社会学者など
(4)経済的自由小・思想的自由小=全体主義=岸信介、革新官僚、ナチス・ソ連、ネトウヨ、地方の土豪など

<図表2:全体主義から新保守主義への移行と移行過程の弊害>
PC(2)
さて、上記の4分類までは一般的な分類となっていますが、現代社会においては更に踏み込んだところまで、解説していかねば自分の立ち位置が分かりません。なぜなら、左右の識者がいい加減な話をして一般の国民を煙に巻く議論をしているからです。

20世紀に全世界を覆った全体主義(ナチス)、そしてその後のソ連の共産主義は人々の経済・思想を抑圧した体制でした。それらに対抗するために、西側各国も自由や資本主義を標榜していたものの、彼らに限りなく近い体制(国有化など)を実行し、政府の経済面・思想面での介入を許してきました。自民党のような資本主義を維持したバラマキと愛国とナチスやソ連とのやり方の差は程度問題だったと言えます。

しかし、西側各国の経済停滞、そしてソ連の崩壊が見えてきたところで、多くの西側諸国は「全体主義」から「新保守主義」に舵を切ることになります。(図表2)国有化された資産が民営化されることになり、それと同時に愛国思想が鼓舞されることになりました。これがサッチャー、レーガン、中曽根時代から現代に至るまでの状況です。

このプロセスの中で元々国有資産または規制対象であった商品・サービスが民営化・規制緩和されたことで、多くの政府と密接な関係にある経営者が民間人として自己のビジネスを拡大しました。

事例を挙げると、

(1)中国:鄧小平以来の改革開放によって、全体主義から新保守主義への移行プロセスで、中国共産党幹部が立場を生かして民間市場での不当な利権を確保したこと。

(2)米国:金融危機などで巨額の報酬を受け取っていた経営者らの責任を問わず、金融機関・大企業の債務を国民の税金を埋め合わせたこと。

(3)日本:政府の規制介入で守られていた雇用の規制緩和によって巨大な派遣利権を発生させて、雇用の規制緩和を推進した本人が現在最大手の派遣会社の会長に就任していること

など、これらは新保守主義ではなく、縁故資本主義と呼ばれるものであり、全体主義から新保守主義に移行するプロセスで生じる権力者への代替利権の提供として姿を現します。

<図表3:縁故資本主義に対する的外れの新自由主義批判が生じている状況>
PC(3)
これらの移行過程で生じた利権を槍玉に挙げて、各国では新保守主義批判が展開されています。日本においては、新保守主義という名称ではなく、新自由主義とかネオリベとか呼ばれる傾向があります。

しかし、彼らが批判している対象は実は、経済の自由化が不徹底な状態で発生している縁故資本主義的な状態であり、経済的な自由化が進んだ状況を正しく認識していないことが多い状況です。

たとえば、「規制緩和や税制改革は大企業にばかり有利だ!」というような批判は本質的には大体的外れです。むしろ、大企業の規制・税制などの利権が守られたままの状態で、中小企業・労働者のほうだけ大企業による新規参入や実質的な税負担増という競走上不利な立場に立たされていることが問題です。

一方、大企業の利権を守る規制が緩和されることは、新規参入機会が生まれる中小企業や新しい雇用の場ができる労働者にとっては有利なことであり、本来であれば積極的に推進するべきことなのですが、現実には分厚い利権体制によってそれらは守られています。原発事故のような大災害が起こらなければ電力自由化などは永遠に進まなかったはずです。

そのため、完全な自由化ではなく縁故資本主義的な状況を指して、左上の社会民主主義や左下の全体主義に持っていこうとしている御用学者や利権解体の危機に瀕している既得権者が新自由主義批判を展開しています。これが現在の日本における政治的な論説の基本的な構造となります。

ちなみに、鄧小平以後の改革開放論を標榜する新自由主義者に対して、中国でも新左派と呼ばれる政府経済介入派が登場して中国共産党が担う政府機能の強化を主張していたりもします。その結果として何が起きるかは図表4以降の説明を読んでください。

<図表4:社会民主主義者は全体主義者に最終的には戻っていくということ>
PC(4)
さて、現代の政治的な言論空間における基本的な構造をおさらいしたところで、この後に日本がどちらに向かっていくべきかについても述べておきたいと思います。(図表4)

まずは、縁故資本主義を乗り越えて新保守主義の段階までしっかりと至ることが重要です。現状は自由化・民営化しているように見せかけて、部分的な緩和によって生じた市場の歪みを一部の人々が搾取している状況にあります。このような歪みが生じないように真の意味での全面的な規制緩和や減税政策を断行するべきでしょう。

その上で可能であれば右上の自由主義への道が開かれていくことが理想ですが、それは現実の政治問題として極めて難しい状況かもしれません。また、全体主義体制下でいきなり自由主義を標榜するとホリエモンのように刑務所に入れられたりしますので、最初は折り合いをつけて新保守主義程度の塩梅から入っていくのが良いでしょう。

そのプロセスの中で、新自由主義批判の甘い誘惑に乗らないことが重要です。なぜなら、社会民主主義と全体主義は実態としては同じものだからです。自分の生活に関する稼ぎなどを政府に依存するようになった社会では、あなたは政府からの思想統制を逃れることはできません。仮に自分は思想統制から逃れられるというのであれば、それはメルヘンの世界への逃亡であって現実のものではありません。

以上、代表的な4分類と現在の日本における政治的な言論空間の構造について解説しました。左右の識者とされる人々の言説に惑わされることなく、国民にはしっかりとした自己認識を持ってほしいと思います。





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yuyawatase at 18:00|PermalinkComments(0)