社会問題

2018年10月21日

消費増税が必要なくなる簡単な方法

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安倍首相が来年10月に消費税を10%に引き上げることを決めたとのこと。

一方、日銀の試算によると、同時に実行する様々な歪なバラマキとの差し引きで事実上の税収効果は2兆円とされている。

壊れた蛇口である日本の官僚機構にとって僅か2兆円程度の追加増税が何の意味もないことは明らかであり、前回の増税時と同様に「本来の使用目的」に後々転用されていくことは想像に難くない。

筆者は2兆円の増税を行う必要性がないと断言できる。そのための財源の筆頭は「地方公務員の人件費」だ。

平成30年度公務員人件費

地方公務員給与総額は20.3兆円である。これを10%カットするだけで消費増税分の税効果がある。

財政難を訴えておきながら自分たちの給与がほとんど横ばいのままいけると思うことがおかしい。地方公務員の給与水準は同地域の大企業の給与に合わせているため、同地域の平均的な所得水準よりも高い状況だ。あまり知られていないが、多くの地方自治体で職員給与総額が住民税総額と同等または上回っているデタラメぶりだ。

たとえば、平成28年度決算カードを見る限り、内閣府が地方創生の成功事例として喧伝している島根県海士町の地方税総額は2億円、人件費は5億円となっている。

平成28年度決算カード島根県(17ページが海士町)

これのどこが地方創生の成功事例なのか。親会社からの財政援助を食いつぶす典型的な子会社の放漫経営そのものだ。

真の地域活性化には「地方公務員という経済成長にほとんど貢献しない部門に地域の優秀な人材を集中させる給与構造」が問題であり、地方公務員給与を引き下げて、民間就職と比べて相対的に魅力的でない仕事にしていくことが大事だと思う。

地域が誇る人材を民間部門に投入し、役所ではなく民間から給与を上げていく仕組みがあることで初めて地域は元気が出ることになる。それ以外はソ連が作るようなマヤカシの豊かさがそこにあるだけだからだ。

おそらく国が「地方公務員給与10%カットされたくないなら無駄な事業を地方側からも出してほしい」と伝えた場合、

「まち・ひと・しごと創生事業費」(1兆円)

という総額約1兆円の役人の玩具のような経費がそっくり返ってくることになるだろう。これだけで増税効果の半分の合理化が見込まれる。筆者の所感では、地方自治体の事務事業評価票を見た上で「要らないと思うものを他にも出してください」と言うだけで更に1兆円分くらいの事業費削減はできると思う。

国がやったふりをする事業に付き合うだけなら地方側もやるだろうが、それが地方公務員の懐を痛める可能性があるとなった場合、多くの地方自治体が「要らない」という回答が来ると思う。どうしても地方創生予算が必要だという地域は自ら地方税を造成してもやってみたいかを聞いてほしい。

筆者は地方公務員が嫌いなわけではなくて、入と出が完全に破綻した仕組みを維持しながら、更に国民から税金を搾り取って投入しようとすることに納得性がないということを申し上げたいだけだ。

役所は自分が住んでいる地域の住民に決算カードを見せながら「地方税の大半は自分たちの給与になっているんですが、財政が苦しいので増税しても良いですか?」と言えるものなら言ってみてほしい。国民が財政に無知であることを良いことに「自分たちが創り出した財政難」を危機であるかのように煽ることは罪だろう。

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yuyawatase at 19:29|PermalinkComments(0)

2018年02月09日

東京ばかりが遅れていく。東京の企業は東京のこと考えてますか?


東京丸の内の開発を主導している某企業の広告があまりにも時代遅れで驚かざるを得ません。こういうのってアジアなどの新興国の都市がほとんど発展していなかった1990年代の感覚じゃないのかと思います。


東京の企業は東京のことに責任を持つべきであり、地方の企業は自分の地域のことに責任を持つべきです。日本における地方の衰退は、東京による地方の過剰な統制・管理・保護によって産業構造が政府支出依存に陥ったことにあります。その結果として自助努力が衰退して若者にとって魅力的ではない街になってしまいました。


東京は東京、地方は地方で自らの自己決定に従って責任ある地域運営を行うべきであり、東京から地方への余計なお節介は不要です。たとえ東京から見て地方の歩みが遅々としたものであったとしても、東京は地方の取り組みが成功するまで黙って見守ることが必要です。


(都市戦略研究所から引用)


東京は世界中の都市との競争の真っ只中にあり、それらの都市との競争に勝ち抜くための努力を続けています。今、世界中に新しく生まれている新興都市に遠からず東京は追い抜かされる日が近づいており、東京の企業は「世界の中での東京」というブランドを維持・発展させる努力が求められています。

東京は世界最大の人口圏を持つ大都市であり、東京都、東京の企業、都民はその難しい運営に心血を注ぐだけで精一杯です。日本には首都を規定する法律は存在しませんが、ぽっと出の新興都市というわけでもなく、古くから続く歴史と老朽化した公共インフラを抱えた先進国ならではの問題が山積する課題先進モデル都市としての挑戦が続いています。


リベラルなキャッチフレーズを煽り立てる風潮によって、東京から送る資源を日本中で浪費する時代は1990年~2000年代初頭でいい加減に終わらせることが重要です。既に世界中で東京と伍する都市群が発達し、アジアにおける東京の地位も相対的に低下しつつあります。地方からの東京への過剰な期待は東京の企業の勘違いを生み出し、その没落スピードを速めるだけの結果になるでしょう。今、必要なことは東京の企業は東京のこと、地方の企業は地方のこと、自らのビジョンと努力をもって取り組んでいくことです。


件の三菱地所も東京のど真ん中で儲けている企業なのでそんなことは百も承知だと思います。東京のリーディングカンパニーとして、地方への過剰な優越心の裏返しのようなコピーではなく、世界の中での東京、という意識で最前線に立って戦う責務を果たしてほしいです。



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2018年02月08日

小池都政による都組織の実質的な民営化の検討へ


(東京都下水道局から引用)

小池都政下における象徴的な組織改革として下水道と都立病院の経営形態の見直しが進んでいます。両者ともに組織の効率化を促進し、東京都の中長期的な財政支出を抑えることを狙いとしています。


下水道施設についてはコンセッション方式を利用し、運営権を民間に売却する方式が検討されています。その目的は下水道の更新にかかる費用の膨張を抑制し、民間企業体による適切なコストコントロールを行うことにあります。下水道法によると完全な民営化が禁止されていることから、民間事業体に運営権を売却する形で経営形態の移行を実現することになります。東京都はコンセッション方式だけでなく包括民間委託も検討しており、いずれのケースであっても実現した場合には国内最大級の実質的な民営化事例となるでしょう。


都立病院については地方独立行政法人化が検討されています。東京の一般会計からの繰入金が年間約400億円に達しており、財政負担の圧縮策について議論が行われています。独立行政法人になると、定数・配置・給与などの裁量権の増加などの経営上のメリットがあるとともに、病院運営を都議会からの余計な干渉を受けることなく自律性を持った経営を実現していくことが可能となります。また、東京都の毎年の一般会計からの繰り入れではなく、病院側が作成する5か年中期計画に合わせて運営費負担金として公金が支出されることになります。


これらの改革は超高齢化社会を迎える東京都の将来的な財政運営の見通しを想定した場合、現段階から検討を加えた上で実現していくことが望ましいものです。


ただし、実質的な民営化を伴う構造改革は、都庁組織、職員組合、都議会からの抵抗が予測されるため、小池都政は今後の検討過程において抵抗勢力との間で熾烈な闘争を行うことになるものと想定されます。下水道と都立病院の組織改革は改革に後ろ向きな勢力によって慎重論が唱えられてきた経緯があり、議論の俎上に乗っただけで簡単に前に進むような案件ではありません。したがって、今後もこれらの検討状況について都民は継続して見守り続けていくことが必要です。


タックスイーターが恐れるものは民意による強力なリーダーシップの存在です。したがって、タックスイーターは都政改革本部や都立病院経営委員会などの改革を推進する機関を攻撃し、知事部局によるリーダーシップを削ぐ試みを継続するものと考えられます。特に連合の支援を都議選時に受けた都民ファーストの議員らが同改革に賛成するかは改革に向けた試金石となることでしょう。


東京都の納税者はこれらの改革が前進するように同改革の取り組みの状況を把握し、その取り組みが前進するようにタックスイーターの動きを監視する必要があります。小池都政については賛否両論分かれるところではあるものの、良い面・悪い面をしっかりと評価を加えていくべきでしょう。


 

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2018年01月19日

2022年問題、多摩地域の生産緑地の宅地化を進めるべきだ

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(東京都HPより引用)


改正生産緑地法が1月1日に施行したことで、従来までは生産緑地として固定資産税などの優遇を受けてきた農地の適用下限面積が500平方メートルから300平方メートルに引き下げることができるようになりました。それを受けて都内約20市で下限面積の引き下げを意図し、更に小規模な農地が同制度の適用を受けられるように条例改正が行われようとしています。


1992年に改正された今回の再改正前の法律による生産緑地は指定から30年するまで宅地転用ができない、という優遇措置に対して農作業を義務付ける仕組みが組み込まれていました。その結果として、2022年に同法による期限が切れるために2015年の東京都調査では約4分の1の生産緑地が宅地転用される可能性が指摘されています。東京都内には東京ドーム・約700個分の生産緑地が存在するため、その4分の1である約175個分が宅地として供給される見通しです。


ただし、改正生産緑地法では市町村が指定し、10年間の期間延長を実施することができるため、農地持ち主の意向との利害衝突が発生する可能性もあります。さらに、改正生産緑地法では、農地の作物を利用する形でレストランの運営などが可能となっており(国家戦略特区での検証済)、農地の付加価値を高める工夫を実施することが可能となっていますが、レストランなどは固定資産税の減免措置を受けるわけではないので、どの程度まで効果があるかは未知数となっています。


筆者は、このような生産緑地への優遇政策は必ずしも必要がなく、限られた土地利用の付加価値を高めるために、生産緑地を廃止または適用面積下限を引き下げることなく、できるだけ多くの土地に適正な固定資産税の課税を実施するべきであると考えます。


たしかに、生産緑地が地域に対する住環境面でプラスになるという指摘も理解できます。しかし、現実には2011年に江戸川区で問題になったように税制優遇を受けているにも関わらず、労働力不足を理由に無断で耕作放棄をしていた事案も存在しています。都市部で農業を維持することを前提とした土地利用に無理がある可能性が高く、それであれば有効な土地利用を阻害する規制措置を設けることは間違いです。


生産緑地に指定されている土地が正規の固定資産税の課税対象となると、地主層がそれらの税負担を回避して売却または有効利用を行うように転換します。


その結果として、大量の宅地開発の候補地が提供されることを通じて、東京に新たに住もうという人々のための家が生み出されます。これは住宅コストの引き下げにつながるために非常に有意義なことです。


また、生産緑地を多く抱える多摩地域はニュータウン時代のツケによる急速な高齢化を迎えつつあります。生産緑地を新たな宅地として転換することは、若年世代の生活環境改善を重視する政策を打ち出すことで人口構成を反転させるきっかけになります。子育て事業者の参入規制緩和や子育て世代に対する政策減税の実施など、生産緑地の宅地化による固定資産税増加を有効に利用することを併せて検討すべきです。


生産緑地の適用面積の下限を引き下げて固定資産税減免と引き換えに土地利用を制限することは、生産緑地が存在している地域への新興住民の流入を抑制することに繋がるために都市としての発展を阻害することになります。


2022年、住宅の大量供給による供給過多が予測される未来において、若年人口を惹きつける魅力ある都市づくりの重要性は更に増すことでしょう。宅地開発による空き家懸念などについては宅地開発を制限することによる事前規制ではなく競争力がある子育て施策の実施などの前向きな施策によって対処すべき問題です。

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2018年01月18日

それでも仮想通貨は終わらない

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(fotolia/rofotostock)


直近1週間ビットコイン及び主要なアルトコインの相場が崩壊し続け、「仮想通貨バブルも終わった」「本来価値は0円だからな」「バブル崩壊で価値は1000分の1になってもおかしくない」などの各種コメントがネット上を賑わせました。


一連の相場の崩壊は韓国、中国、ドイツなどの規制当局者や中央銀行関係者らが規制を匂わせる発言をしたことに起因しているようです。法定通貨の関係者にとっては仮想通貨のような自律分散型のシステムが無秩序に発展することはある種の脅威であり、「投資家保護のための規制を作るために投資家に大損させる規制を作る噂を流す」という暴挙に出るのも然もありなんという状況です。


これらの規制はおそらく全面的な禁止というよりも投機を煽る現状を諫め、決済手段として利用される可能性が高い通貨を事実上認定していく方向で動くものになると推測されます。つまり、政府としても仮想通貨の流れを止めることは非現実であり、現状を実質的に追認していくことになると思います。

人類史は政府や一部の独占に対して分散型ネットワークが挑戦し、その都度一時的な勝敗はあるものの、結果として「自由」を増進する勢力が勝利をおさめてきました。そのため、今回のブロックチェーン技術を応用した仮想通貨は法定通貨の相対化を促し、近い将来経済の形、つまり社会の形を根底から変えていくものと想定されます。


そして、それは政府の形すら大きく変えていくことになり、いまだ地球上に残っている全体主義国家・独裁国家らの基盤を揺るがせる存在として成長していくことになるでしょう。


したがって、東アジアという独裁国家が残る地域において、仮に日本政府が仮想通貨に対して過度な規制を行うにしても過度な規制が行われることは望ましくありません。むしろ、自律分散型の社会構造を積極的に推し進めることによって、アジア地域に新しい政治・経済・社会モデルを構築することによって、他国の政治制度に対して変更圧力を強化していくことが望まれます。


仮想通貨は一時的な投機や決済手段の転換というだけでなく、政治体制の選択を促す重要なパワーを秘めており、日本人はこの新たな力を存分に取り入れて東アジアに残置された20世紀型の政治パラダイムを大きく転換していくことを希望します。

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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)

2018年01月16日

トランプ大統領は本当に「難民」を排除しているのか?

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The National Reviewより引用>

年明けからの「Shithole」発言によって、すっかり人種差別主義者としてのレッテルを貼られてしまったトランプ大統領ですが、一般のイメージと違ってトランプ大統領は難民の受け入れを相当する行う計画を用意しています。


トランプ大統領が設定した難民受け入れ上限数を4.5万人に設定しています。この数字はオバマ大統領の2016年受け入れ上限数である11万人と比べて著しく減少したものとして批判されました。


たしかに、トランプ大統領が新たに設定した2018年の受け入れ上限数は1980年以降で最も低い数字となっています。しかし、実際にはジョージ・W・ブッシュ及びオバマ元大統領の2015年までの受入れ許可数の平均は約5万人程度であり、受け入れ上限数が必ずしも実際の受け入れ許可数に完全にリンクしているわけではありません。近年の難民受け入れ数の増加はオバマ政権の無責任な中東政策によるイスラム国の勃興などによる混乱が原因であり、2017年にイスラム国問題が終息したので受け入れ上限数や許可数が減少することも妥当だと考えることもできます。


一方、2017年にはトランプ大統領が不法移民に対して激しく口先介入を行ったことも含めて不法移民の取り締まり強化の動きが始まり、不法移民の流入数自体も減少しています。その結果として不法入国者が前年比25%減少して1971年以来最低の水準となった影響を受けて、トランプ政権下で強制送還された人数も必然的に前年6%減となり、オバマ政権時代に最も低かった強制送還数を下回りました。そもそも不法入国者自体の減少傾向は続いていたものの、これはトランプ政権の無形の不法移民対策の成果と言えます。


つまり、トランプ大統領がオバマ大統領によってザルになった難民政策、管理不能になっていた不法移民対策の現状にストップをかけた形となっています。そのため、トランプ政権下では、受け入れる者は受け入れ、取り締まる者は取り締まる、という極めて一般的な国境管理が厳格化された状況となっています。


また、オバマ大統領は不法移民の子ども(ドリーマーズ)に対する特例措置を実施しましたが、それらは必ずしも法律化されたものではなく法的状態が不安定なままとなっています。トランプ大統領は連邦議会にドリーマーズへの対処を法律化して正規の法による執行プロセスにのせるように求めています。トランプ大統領は当たり前のことを当たり前に行おうとしているに過ぎません。


リベラルなメディアの主張を真に受けてトランプ大統領をイメージで批判するのではなく、実際に大統領職としてどのような行政対応を行っているのかを見極めていくべきでしょう。

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yuyawatase at 20:27|PermalinkComments(0)

2018年01月13日

「加憲」は歴史的使命を終える自民党の延命策

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日本の与党・野党は戦後長らく「改憲か、護憲か」という不毛なイデオロギー対立によって、安全保障政策を含めた日本のビジョンについてまともに議論することなく過ごしてきました。私の世代にとっては既に冗談のような話になっていますが、特に憲法9条の改憲の是非に関しては両者を分けるイデオロギー上のメルクマークとして機能してきた経緯があります。

そのため、常識を持った議論ができる野党が日本に育つことはなく、健全な形の二大政党政治が生まれることもありませんでした。これは非常に残念なことではありますが、過ぎ去った時間を取り戻すことはできないので仕方ありません。


しかし、筆者は既に不毛な改憲論議を行う時代は終了しており、その結果が如実に現代の政局状況に表れているものと思います。


護憲勢力である野党はバラバラになっており、また再集合したところで彼らは改憲を押しとどめるだけの力を持っていません。これは改憲論議が事実上決着しており、改憲論議の片翼である「護憲」が歴史的な使命を終えたことの証左です。


一方、自民党は55年立党年に制定した「党の政綱」には「六、独立体制の整備平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。」と記しています。


自民党は改憲を党是としており、その本気度は常に疑わしかったものの、党の根本的な存在意義は「現行憲法の自主的改正」にあったことは明らかです。


そして、現在の安倍・自民一強の状況とは改憲論議が事実上決着し、自民党が粛々と憲法改正を実現するフェーズに入ったことを象徴しています。


したがって、安倍・自民党によって改憲が実現された後、現在の「護憲勢力」と同じように自民党も歴史的存在意義を失って自然と消えていく存在と言えます。


与野党ともに「改憲後」の日本をどのようにするか、というビジョンはほとんどありません。現在の「改憲」「護憲」は明治維新時に「尊王」「佐幕」のキャッチフレーズに似たような政治体制の選択のみを語るだけであって、改憲後どうするのかという議論は明らかに不足しています。各党の憲法改正への見解内容が思い付きレベルの条文追加がメインとなっていることがその証左です。この体たらくでは政治のパラダイム自体が進展し、自民党も首相候補と呼ばれるような人たちも次の時代に生き残るかどうかは疑問です。


そこで、自民党延命のために持ち出された秘策は9条への加憲論です。一般的には、憲法9条に自衛隊を明記して第2項を削除する改憲案を採用することは、連立与党である公明党が難色を示しているために難しいと考えられています。しかし、実際には9条に中途半端な状態で加憲することで、自民党は「憲法9条の再改憲」という名目を維持することによって自らの存在意義を延命することが可能となります。


不完全な改憲論である加憲論を実現することによって、自民党は古くて新しい改憲目標を得ることで延命し、野党も護憲の旗を降ろさずに愚かな議論を繰り返すことができるわけです。こうして日本が次の時代にパラダイムシフトするはずであったところを時計の針を止めることが可能になるわけです。


「加憲論」は日本人を戦後のパラダイムに拘束し続ける要素を含んだ毒饅頭です。


日本の政治を健全な形の二大政党政治や価値がある政策論争という次元に移行させるためには加憲論を断固拒否し、憲法9条の抜本的な改正を実現することで自民党を含む与野党の歴史的使命を終えさせることで、その根本的な解体を迫ることが重要であると考えます。


日本国民は不毛な改憲・護憲の議論の継続を求めておらず、改憲後の新しい日本のビジョンを出せる政治を求めています。

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yuyawatase at 17:26|PermalinkComments(0)

2018年01月12日

入国禁止大統領令に対する訴訟とは何だったのか?

入国禁止

昨年、トランプ大統領による入国禁止の大統領令が話題となって米国では様々な訴訟が起きました。そして、米国のリベラル系のメディアが騒ぎ立てたことで、日本のメディアにもセンセーショナルな形で紹介されたことが記憶に残っている方も多いものと思います。

 

トランプ大統領による入国禁止の大統領令及び布告は昨年3度行われた経緯があります。大統領就任早々の1月に発行されたもの、一部の表現・既定の見直しが加えられて3月に発行されたもの、9月に北朝鮮やベネズエラを対象に加えられたもの、の合計3つです。

 

筆者も1月のトランプ大統領の入国禁止令が発令された際、日本のメディアに呼ばれて同内容について説明しましたが、トランプ大統領=トンデモ、というリベラル系の識者らの無知な論調の中で冷静な議論がほぼ行われなかったものと記憶しています。

 

トランプ大統領の入国禁止令は、当時イスラム国の実質的な消滅が予期されていた中で、テロリストが国際的に拡散してグローバル・ジハード化することを想定した入国手続きに関する見直し措置であることは明らかでした。

 

初期の入国禁止令の対象国は、米国国務省がテロ支援国家またはISISやアルカイーダなどのイスラム過激派が現在進行形で勢力を誇っているテロリスト・セーフ・ヘイブンとして名指していた国々であり、20161月に施行されたテロリスト渡航禁止法によって渡航または滞在歴がある人は米国のビザ免除プログラムが利用できず、ビザ申請をしなければならないという警戒対象国でした。

 

ただし、最初の第1回の入国禁止令の中に少数派の宗教信仰者の優先保護規定が盛り込まれたことが原因となり、本来は法的に無理筋であるはずの差し止め措置を求めて、宗教差別を理由とした違憲訴訟が濫訴されることになりました。

 

そのため、2回目の大統領令には同規定は見直しをされるとともに他の規定についても技術的な修正が加えられたものが再度発令されることになりましたが、1回目・2回目ともにリベラル派の影響が強い下級裁判所で無効判決が出る事態となりました。3回目の布告(大統領令の形式ではない)も現在下級裁判所で裁判の審理が行われている状況です。

 

しかし、既に最高裁においては2回目の大統領令については合憲とした結果が出ており、現在審理中の3つ目の布告について12月頭に最高裁が連邦控訴裁の訴訟審理中の期間の全面的執行を認めると判断する異例の対応を行っています。

 

つまり、最高裁は大統領が入管に関する権限を持っていることを事実上認めており、リベラル派のイデオロギーに侵されて偏向した判断を行う下級裁判所に定められた法律や判例に従うように諫めたことになります。この状況はリベラル側のイデオロギー闘争が行き過ぎたレベルに達しており、社会の分断を殊更強調して煽り立てている良い証左であったと言えるでしょう。

 

筆者は当初から入国禁止の大統領令は法令の一部文言に対する難癖のようなものとして理解しており、最高裁の判決及び行動は米国の良識を反映したものであると思います。そして、リベラル系のメディア・有識者らがバカの一つ覚えのように「社会の分断が・・・云々」と言うだけで、それっぽい識者に見える時代が早く終わってほしいものだと思います。

 

違憲訴訟を行う権利は当然に国民にはあるものの、それらの内容や意味を自ら吟味せずに政治的イデオロギーのみで騒ぎ立てる有識者・メディア(日本を含む)は自らの姿勢を反省するべきでしょう。

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2018年01月07日

日曜持論「2018年は『脱輸入ポリコレ』元年に」

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(日本テレビ)

2018年が明けて早速目に入ってきたのは、ダウンタウンの浜ちゃんがエディー・マーフィーの物真似をした姿を放映したことで、「日本メディアの人権意識の後進性だ」と社会起業家が問題提起したというニュースでした。

筆者の率直な感想としては、芸人のやることにイチイチ目くじらを立てる、教育委員会やらPTAのオバサンのような意見だなと辟易します。この手のポリコレ取締官が蔓延る世の中というのは実に息苦しい世の中だなと思う次第です。まあ、筆者も別の意味でテレビの小学生のノリの番組が面白いとは思いませんが。


日本もグローバル化が進んで在日アフリカ人の方がそれを見て不快に思った、というのが事の発端らしいけれども、それについてはそういう考え方もあるのか、と皆が学習すれば良いだけの話で人権後進国だと揶揄されるような話ではありません。


筆者は日本に外人が来る理由をイチイチ尋ねる番組のほうが毎日外国人観光客を近所で見かける時代に時代錯誤も甚だしい、と素直に思ってしまうし、人それぞれ疑問だったり不快に思ったりするポイントは違うものです。


とは言うものの、少なくとも日本国内では黒人差別の歴史はアフリカなどの植民地支配を持つ西欧人とは話が違うので、日本人にとってはグローバル化の中で既存の社会的文脈外の異質な文脈を有する人々の社会参画にどのように対応すべきか、という良いケーススタディになったのではないかと思います。ますます進展するグローバル化の流れの中で対応するかしないかは各テレビ局や芸人が自分で自然と判断すれば良いことで外部から規制を強制するような話ではありません。


閑話休題。


さて、今回、筆者が最低だなと思うことは、現在メディアで活躍しているリベラル系の知識人には、欧米で言われている言論を直輸入しようとする中途半端な知的レベルの人々が非常に多いことです。それが日本社会にどのように当てはまるのかを考えることもなく輸入した概念を徒に振り回す人が多すぎると思います。


たとえば、巷の運動家ならいざ知らず、それなりの肩書を持った知識人が安倍政権を新自由主義政権だと批判する言論を述べていますが、安倍政権は異次元緩和・機動的財政出動

そして民間企業への賃上げ要求、地方へのバラマキ、消費増税の事実上の決定を行った、世界基準ではリベラル、つまり大きな政府を志向する政権だったりします。実際、安倍首相本人ですら自分自身は世界基準で見たらリベラルだと発言しているくらいです。


日本のリベラルな知識人は、保守政権=新自由主義、という海外では常識の構図を単純に日本に直輸入して、リベラルな政策を推進している安倍政権に新自由主義のレッテルを貼って攻撃しています。海外の人たちが使用している社会的概念と対立構図を政治的敵対者を叩くためだけに何も考えずに表面的に直輸入するから、野党やリベラルの人たちは自分たちが何を批判しているのかすら分からないのです。


百歩譲って日本では小さな政府を求める政党が存在しないので、巨大な政府=野党、大きな政府=安倍政権、という図式で新自由主義のレッテルを貼ろうとしているのかもしれません。しかし、それはいくら何でも無理がある話だと思います。むしろ、彼らから筆者が海外から新自由主義やらの概念を直輸入するなと逆に怒られりして(笑)


この手の日本的文脈を踏まえないポリコレや社会的概念の輸入によって日本の知的空間は混乱しているのですが、海外で使用されているポリコレや社会的概念をそのまま輸入したとしても「それが日本の中でそのまま通用するのか」という一歩立ち止まる思考習慣はリベラル派の言論人には持ってほしいと思います。


そして、一般の日本の人々も欧米のポリティカルコレクトネスやその他の社会的概念はあくまでも彼らの文化の文脈に沿ったものであることを理解し、その良し悪しについて相対的に学習していくくらいの気持ちがほしいです。


欧米人のポリコレ文化は行き過ぎの面もかなりあるのでこれ以上彼らのポリコレを無批判に直輸入することはやめましょう。2018年がリベラルなメディアや知識人がおかしなことを話しているときに、「あっ、これは輸入ポリコレだわ」と分かる、そのような感覚が普及する年の始まりになれば良いなと思っています。


ところで、浜ちゃんやバラエティ番組の話に戻ると、テレビ番組の趣向の違いは見なければ良いだけの話ですし、むしろ「何で批判するほどそれを見てんの?」と不思議にすら思う次第です。小姑みたいな人たちが自分の好きな番組だけを楽しめるようにメディアの自由化・多様化を更に推進していくことが望まれます。

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自由民権運動を左派ポピュリズムから取り戻す


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明治維新150年ということもあって歴史をネガティブキャンペーンに利用したいという野党陣営から現代の自由民権運動が必要だという声がパラパラと聞こえ始めています。しかし、彼らが言う自由民権運動は「敗北の自由民権運動」の流れであって、国民にとってはおよそ百害あって一利なしという代物です。


明治日本で国会開設を求める運動であった自由民権運動は、初期の頃は士族や豪農と呼ばれた当時の知識階級や資本家層が中心になった政治運動として起きました。この時期の民権運動は、減税、行政改革、地方分権を推進する小さな政府を求める政治運動でした。新たに発足した明治の中央集権政府に対し、自主自立を求める人々による誇りある政治運動でした。それらの人々の団結も一つの要因となり、明治政府は国会開設を認めることになります。


しかし、時の流れとともに、政府による買収・取り込みが活発化されたことで、地域の有力層は政府との癒着に塗れてその初志を失う形となり、普通選挙法の施行によってその担い手が労働運動家を中心とする左派運動に変質し、大きな政府による庇護を求める形で社会の官僚化を促進し、肥大化した政府が主導する全体主義国家への道を突き進むことになりました。まさに、この後者の流れは失敗の歴史といえるでしょう。


この過程で初期の自由民権運動は労働組合運動の前史として位置づけられてしまったため、戦後史においてもあまり注目されることもなく、歴史教育においても左派の敗北の歴史の中に組み込まれてきました。


士族民権・豪農民権の自由民権運動は性質が異なる秩父事件などの激化事件に何故か連なるものとして整理されてしまい、戦後も社会党系の労働運動側の歴史観のオマケのような位置づけに貶められて、初期の自由民権運動の誇りある人々による歴史が簒奪されてしまうことになったのです。


現代においても、日本の大衆運動は、政府に対する敗北と懇願、そして自主独立の精神の魂が失われたエゴを丸出しにした醜い運動として残り続けてきました。それらの本質は大衆側に立つと言いながら政府への依存にあり、大衆から人間としての誇りを奪うものです。


野党陣営が「自由民権運動」を上記の左派ポピュリズムのワーディングとして再び使用し始めている現代だからこそ、板垣退助・植木枝盛・福沢諭吉らの自由民権運動初期の頃に活躍した、政治家、活動家、思想家の歴史をもう一度紐解くべきだと思います。


自由民権運動のイデオロギーは抵抗運動の文脈で語られることが多いのですが、実際には全国各地の激化事件として鎮圧された頃、その運動の中心的な担い手は東京における国会開設の主導する人々に変わりつつありました。そして、彼らは幾多の苦難を乗り越えながら、日本の自由主義・民主主義の流れを創り出すことに成功しました。


したがって、私たちが自由民権運動として、士族民権・豪農民権の流れとして位置づけるべきは東京で国会開設運動に尽力した人々の動きであり、それらは日本のナショナルヒストリーとして再注目されるべきものと考えます。これらの人々が創り出した第一回帝国議会のテーマは減税と行政改革という本物の「民」の側に立ったものでした。今こそ、左派ポピュリズムに簒奪された初期の自由民権運動の歴史を国民の手に取り戻すことが重要です。


実はこの歴史の捻じれによる影響は、自由党と日本民主党の対立、そして55年体制に影響を与えることになり、日本に「小さな政府」を求める筋の通った政党が実質的に消滅する思想的な流れにつながるのですが、それはまた別の機会に述べていきます。

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yuyawatase at 15:11|PermalinkComments(0)