国内政治

2017年07月04日

都議選敗北はTOKYO自民党が生まれ変わる好機

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自民党・東京都議選の敗因は「争点」設計のミス

自民党の東京都議選のマニフェストは「個人都民税10%削減」「事業所税50%削減」など、経済政策としては「都民ファースト」よりも筋が良いものでした。しかし、これらの政策は「やっつけ感」が元々漂っていたこと、どの候補者も真面目に訴えていなかったこと、そして党本部がほぼそれらの政策を無視したこと、などが響いて、その価値や位置づけが明確になりませんでした。

一方、憲法改正やテロ等準備罪などのタカ派的な政策イメージが先行し、国民の目から安倍政権が一定の評価をされてきた経済政策が目立たなくなったことで、有権者が安倍政権を積極的に支える理由が喪失したことも大きかったと思えます。

そのため、消極的な理由である「安倍首相・自民党以外の選択肢がない」という課題に対して、自民党に対して「古いか・新しいか」というだけで他はほぼコピーと変わらない「都民ファースト」が代替者としての地位におさまることになりました。(もちろん、選挙戦自体は公明党・連合という新進党型なので少し違う点もありますが。)

都議会自民党は各選挙区のボスの集合体で統一的なキャンペーンは実施しにくい体質がありますが、そこは党本部側が国政レベルでキャンペーンを設定して補うべき点だったと思います。

争点設計の失敗の結果としての「メディアによるネガティブキャンペーン」

森友・加計のような首相及び夫人に起因する問題はまだしも、豊田議員の暴言スキャンダルや金子議員の公用車育児通勤などは本来は都議選に影響を与えるほどのモノかと言えば極めて疑問です。

要は安倍政権自体がテロ等準備罪や加計スキャンダルなどの国会対策に手一杯に追い込まれて、東京都議選をどのように戦うのか、という点について無策であったことが、メディアのネガティブキャンペーンに拍車をかける結果になったものと思います。

たしかに、昨年段階から小池知事の支持率は非常に高い状況ではあるものの、豊洲問題をはじめとして都民からの支持に一瞬のかげりが生じたことも確かであり、その時に自民党があるべき「東京都のビジョン」を示せなかったことが致命傷になりました。

小池知事は議会運営日程を見ながらマイナスを修復するタイミングを計画的に伺っていたように見えるため、選挙に向けたスケジュール設定なども小池知事のほうが上手であったように思います。

政権側が選挙争点を設計することに失敗した場合、反政権的なメディアによる争点設計が優位となり、その結果として「通常は話題にもならないようなネタ」がワイドショーで幅を利かせることになったといったところでしょう。

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東京都を痛めつけることを良しとする現在の自民党の愚さ

むしろ、自民党は東京都のビジョンを作るどころか、東京都を衰退させるようなスタンスを維持し続けています。昨年の夏の東京都知事選挙において、都政のドンの問題はクローズアップされましたが、それだけでなく、増田寛也氏という東京から地方への不当な資源移転を推進する人物を知事候補におしたことが拒否されたことを真剣に考えてこなかったことが問題です。

知事選挙で落選した増田氏は杉並区の顧問に据えて厚遇されています。自民党の重鎮のお膝元であり、有権者の民意を無視した忖度の極みでしょう。同氏のお墨付きのプラスアルファを得た杉並区は南伊豆への無用な特養建設に邁進し続けており、東京都内からの税金の流出に拍車をかけるモデルを構築しようとしています。また、同氏が座長代理を務める国の有識者会議が東京都内における大学抑制をはじめとした東京衰退政策を平然と公表している姿にも全く共感できません。

基礎自治体が独自に判断したというのかもしれませんが、都民が有権者として税金で雇うことを拒否した人物に、都内の基礎自治体が顧問料を支払うことに疑問を呈さない政党など不要でしょう。

小池知事の初登頂時の握手を拒否した無反省ぶりだけでなく、政策的な無反省ぶりは極まった状況であると言えます。この点も「都民ファースト」という名称のアンチとして都民の認識の深いところに影響したものと推測します。(追記・握手拒否はメディアが作ったフェイクニュースということで、自分も勘違いしていたため反省します。)

TOKYO自由民主党は「東京都民のための政党」に生まれ変わるべきだ

自由民主党の主要な支持基盤は土着の人々であり、ノスタルジーに駆られて田舎に税金をばらまくことを良しとする人たちばかりではありません。東京都内でも土着の人々はいるのであって、党本部が地方を重視するどころか、都議会自民党が地方へのバラマキを容認するなど言語道断です。

筆者は元々TOKYO自民支持でしたが、近年ではおかしな方向に向かっていたため、第三極への支持を強めていました。そして、TOKYO自民党は完全な敗北を決すまで間違った政策を進めてしまいました。これは東京オリンピック招致で東京都は国に協力を求める必要があり、政権与党であった自民党が東京都のために働くことに対して逆行した政策を容認してきた故もあることでしょう。

しかし、既に東京オリンピック招致は決定しており、それらの差配は小池知事・都民ファースト側に移ることが予想されるため、TOKYO自民党は利権争いはほどほどにして、東京都民のために働く、という原点に立ち返ってほしいと思います。タックスイーターの政党からタックスぺイヤーの政党に転換すべきです。

二度と党本部が指名するような天下りの地方バラマキ候補を都知事候補に指名する愚を繰り返さないでほしいものです。

TOKYO自由民主党は経済成長の具体策を出せる政党へ

小池知事及び都民ファーストの会は豊洲問題に象徴させるように政策よりも政局を優先させる傾向を持っています。そのため、そもそも経済政策自体を真剣に考えている可能性は極めて低いものと思います。一方、自民党本部も東京都のことをまともに考えているとは信じがたい政策を実行しています。

そのため、都議会の野党第一党であるTOKYO自民党は独自のシンクタンク機能を創設し、東京都の経済成長を促すためのまともな政策を立案していくことが望まれます。それらは今後の都知事選挙や都議選における礎となっていくことでしょう。

この東京都議会議員選挙の結果は、中央の党本部が推し進める地方へのバラマキを東京自民党が拒絶して、東京都を更に経済成長させるための政党に生まれ変わる絶好の機会が到来したと受け止めるべきです。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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2017年06月24日

都議選、ひぐちたかあきVS中村あや、頂上決戦の行方

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<ひぐちたかあき氏のHPから引用>

都議選、天王山としての千代田区選挙区の候補者はどんな人物か?

(1)ひぐちたかあき

〇プロフィール

・昭和57年8月生まれ(34歳)
・家族は妻と娘(2歳)
・京都大学法学部卒業
・都民ファーストの会 都政改革委員(千代田区担当)
・警視総監の息子

・幼少期は東京、長野、徳島、ロンドンなどを引っ越して、東京・地方・世界を経験。
・東京在住時には千代田区の皇居外苑でよく遊んでいる子どもだった。
・中高は小池知事のお膝元の豊島区の巣鴨学園。学業の傍ら、美術班で油絵を描く日々。
・京都大学法学部へ進学。大嶽秀夫教授の政治過程論ゼミにて政治学を学ぶ。
・部活は茶道部。3年間、自己を鍛錬し、おもてなしの精神、奥深い日本文化を学ぶ。

・政治の現場も学んでみたいと小池百合子代議士の地元事務所へ。4年間、地元での政治活動に従事。
・伝統やコミュニティなど守るべきは守る、古い政治体質など変えるべきは変える、という小池代議士の姿勢に影響を受けました。
・電通国際情報サービスで7年間の営業職。製造業のお客様を担当し、ITによる設計開発の効率化・改革を提案、支援。
・退職後、台湾大学大学院へ留学。両岸関係、中国政治経済、台湾地方政治、アジア主義などの研究。

〇感想

・幼い頃から東京、地方、海外を見て回った人物であり、学生時代から小池知事と関係があった人物。若い頃から政治に関心が高かったことが伺えます。
・電通国際情報サービスでの7年間でのコンサルティング経験は、東京都庁のIT化・IT調達の効率化などは期待できる可能性があるなと思います。
・中国・台湾関係に関する知見は、将来的な国政向きの候補者とも言えるため、今回の都議選をクリアした後の先が楽しみな人物です。

(2)中村あや

〇プロフィール

・平成元年11月10日(27歳)
・大阪府大阪市で、中村家長女として生まれる。転勤で愛知県にて生活。
・平成3年に妹が誕生し、現在でも2人で海外へ旅行するくらい仲良し。

・奈良県へ転居。ネオポリス幼稚園卒園後に、富雄北小学校入学。
・東京都へ転居。稲城第一小学校転入。
・富山県へ転居。西田地方小学校転入・卒業後、
・富山大学教育学部附属中学校入学・卒業。
・転勤で神奈川県へ転居。慶應義塾湘南藤沢高等部入学・卒業。
・転勤で東京都へ転居。慶應義塾大学法学部法律学科入学・卒業、同大学大学院法学研究科入学・修了。

・大学ではマイクロソフトオフィススペシャリスト世界学生大会で日本1位となり、学内表彰を受ける(塾長奨励賞受賞)。各マスコミで特集が組まれる。
・大学院では大沢秀介教授のもとで憲法学を研究。3.11のボランティア活動も行う。 
・暇さえあれば旅行へ。現在28ヶ国を訪問済。好きな都市はベネチアとニューヨーク。

・㈱日本取引所グループに入社。
・株式部で株式市場の現場業務を、JSCCへ出向し清算業務及びリスク管理に従事。
・社内のバドミントン部でも精力的に活動し、市民大会にも出場。

〇感想

・幼少期から学生時代まで転勤回数がやたら多い人物であるという印象です。
・MS世界学生大会で日本1位、世界28か国の旅行という行動派タイプ。
・現在の業務経験は必ずしも豊富とは言えませんが、将来的には面白い人材かなと思います。

千代田区選挙区、小池VSドン、だけでなく候補者力の判定は・・・

千代田区長選挙は、当然に小池VSドンという意味合いはあるものの、両陣営の候補者同士もなかなか面白いキャラだなと思っています。

政治経験・業務経験は都民ファーストのひぐちたかあき氏、意外と即戦力になりそうな人材です。若さという意味では中村あや氏ですが、若さという意味では新人の30代・20代の間では決定的な差があるとは思いません。

筆者の観点では、自民党の狙いがイマイチ分からないのでひぐちたかあき氏のほうが若干人材力の面で分があると思いますが、千代田区民の判断はいかがでしょうか。この注目選挙区の結果は楽しみです。



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2017年06月23日

都議選のポイント、ドンとは何だったのか

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(都議会のドンと呼ばれた内田茂氏(引退))

小池劇場の第一幕、都議会のドンとの対決はまだ終わっていない

昨年の夏に行われた東京都知事選挙において、小池百合子氏は都議会のドンと呼ばれた内田茂氏と激しく対立、自公の傀儡であった増田寛也・元総務大臣を破って知事の座を手に入れました。

その後、小池知事は都議会において圧倒的少数与党であった都民ファースト(旧かがやけTokyo)では都政運営は不可能と判断し、この夏の選挙戦のため、公明党、連合、生活者ネット、共産党などの非自民全ての勢力を取り込んでの戦争に挑んでいます。

そして、元ドン・内田茂氏のお膝元である千代田区では、小池知事の刺客である樋口高顕氏がドンの後継候補者である中村あや氏との一騎打ちという情勢になっており、この1人区の勝敗は小池氏VS内田氏の因縁の対決に一定の決着をつけることになるでしょう。

今回の都議選は都民ファーストが公認・推薦候補者及び公明党で過半数の議席を得ることができるかどうかが焦点となっていますが、シンボリックな選挙区と言えば千代田区を除いて他にはありません。

ソリューション無き政治闘争は新たなドンを作ることに繋がる

ただし、都民ファーストの会と自民党の双方ともに、実はドンを根本から退治するための方策を示していません。なぜなら、都議会のドンは、東京23区制度、という自治の欠陥によって生まれたものだからです。

東京都23区は、通常の地方自治体と変わって多くの権限を東京都に取り上げられた状態となっています。それは東京という大都市経営のために必要なものとされていますが、その結果として東京都庁(≒都議会)に過度な権力が集中する構造が生まれているとともに、23区民には地方自治の意識が育ちにくい状況となっています。

自分の選挙区(地盤)を超えて他地域にまで隠然とした影響力を行使できる理由は、東京都庁によって東京23区がコントロールされて自律性を失っていることに原因があります。

そして、東京出身者が相対的に少ない東京都内において、東京23区制度によって一層の自治の希薄化が促進されて、都政のブラックボックス化や東京都庁からの天下りなどが放置された状況となっています。

現状のままであれば、千代田区で旧ドンの後継候補者が倒れたとしても、いずれ都議会の権限を牛耳る新たなドンが育ってくるだけの状態となることでしょう。

東京都から23区への権限の移譲こそが「ドンを無くす」ための最良の方策

筆者は以前に「都議会の「真の改革派」を見分ける簡単な方法」という記事をアップしました。簡単にいうと、東京都庁から東京23区(特別区)に権限を手放すことができる勢力が改革派だということです。

都民ファースト、自民党が自ら改革派を名乗っていたので、どちらかが「ドンを無くす」ための政策として同案を簡単でも良いので政策集で触れるかなと思っていたら、

橋下徹氏が「都民ファーストの会の公約が今の東京都政の問題点そのもの。彼らの公約のほとんどは23区がやるべきもの。」というTwitterでの投稿を行っており、日本維新の会が「都から区への権限移譲」を謳っていました。東京都民よりも大阪人のほうが東京の課題を分かっている、まさによそ者のほうが正直な意見が言えるものだなと感心しました。東京都は大阪と違って財政的余裕があるとはいえ、都民としては少々情けない話ですね。

恐らくは日本維新は議席を維持することは難しいと思います。しかし、都議会のドンが自民党から都民ファーストになるだけなら選挙をやる意味が無いため、大量に議席を保有する都民ファースト・自民党には選挙後に同政策を引き継いでくれることを願います。



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2017年06月18日

2017年東京都議会議員選挙を10倍楽しむ超入門

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<毎日新聞から引用>


2017年・東京都議会議員選挙を考える上で知っておくべきこと

2017年東京都議会議員選挙は近年稀に見る複雑な政局が入り乱れており、その正しい見方を知っておかねば有権者やギャラリーとして十分に堪能することができません。

たとえば、小池氏は「なぜ豊洲移転をギリギリまで決断できなかったのか」、「なぜ都民ファーストは公明・元民進・生活ネに推薦を出すのか」、「なぜ都民ファーストは大阪維新のような保守ではなくリベラルな傾向があるのか」などについて正しい認識を持つことが重要です。

東京都議会を取り巻く政局構図を理解することで、有権者として構図を理解した上での投票を行うことが可能となり、ギャラリーとしては都議選後の政局予測を楽しむことが出来ます。

なぜ小池百合子は豊洲移転をギリギリまで決断しなかったのか

先日、小池百合子知事は市場移転問題プロジェクトチームの結論を待ってから「豊洲移転」を決断したわけですが、これはあくまでも形式上の話に過ぎません。小池知事の腹は最初から豊洲移転であったことは間違いなく、いつどのタイミングでそれを表明するのか、という問題に過ぎなかったものと思います。

それでは、なぜ小池知事は「決められない」という批判を受けながら、豊洲移転の表明をここまで先延ばしにしてきたのでしょうか。今まで識者らによって豊洲移転、築地再整備、様々な意見が開陳されてきました。しかし、この問題は市場整備の合理性ではなく完全に単なる政局であるため、それらの政策的な説明は的外れなものだと思います。

小池知事が豊洲移転を先送りしてきた理由は「都議会を正常に運営する」ため

小池知事が豊洲移転を先送りしてきた理由は、「政策的なものではなく都議会を正常に運営するためであった、」と考えるべきでしょう。

小池系の都議会議員は、都知事選当初はかがやけTokyoの3名のみであり、現在においても都民ファーストの都議は合計で5名しか存在していません。つまり、都議会を正常に運営するための過半数には遠く及ばず、都議会自民党と対決姿勢を強めた都知事選後に小池都政は早晩行き詰まることが明らかでした。

都議会で過半数を構成するためには、自民党を分裂させるか、公明党を含む他政党の全てを取り込むか、という二択しか存在せず、自民党からの引き抜きは僅か2名しかできなかったことに鑑み、小池知事の選択肢は後者しかなかったものと思われます。そのため、共産党が熱烈に反対する豊洲移転を「ギリギリのタイミングまで遅らせた」というだけのことでしょう。

したがって、小池知事が「決められなかった」理由は都議会与党会派が圧倒的に少数に過ぎないというだけのことだと思われます。仮に小池知事が豊洲移転を早々に決めた場合、それは自民党との中途半端な妥協を意味するとともに、政局運営上はより深刻な問題が生じたものと思われます。

都民ファーストの歪な推薦の乱発状況は都議会での過半数獲得のためのもの

都民ファーストが公明・元民進・ネットなどに推薦を乱発している理由も都議会を運営していくための手段であったとみなすべきでしょう。つまり、自党の推薦を乱発することによって、そのラベルが貼られた議員たちは都議会運営で小池知事に協力するという目印になります。

ただし、普段は都議会に関心が低い東京都の有権者の目から見た場合、都民ファースト公認と無所属or公明orネット・都民ファースト推薦などの良く分からない状況が生まれてしまいました。

一見すると都民ファースト公認&都民ファースト推薦で同一選挙区で複数議席取ることが狙いのように見えますが、これは行きがかり上そうなっただけのことであり、そこそこ強い現職の議員に推薦が出せれば良いという戦術上の判断よりも都議会運営を含めた政局上の判断が優先したと言えるでしょう。

大阪で橋下氏が自公推薦で府知事選挙で勝利したあと、大阪維新が元々自民党の内部会派からスタートし、大阪維新の分裂時に既に一定の候補者数を獲得してきた事情とは大きく異なるものといえます。むしろ、自民党と対決して誕生した小池都政はこれ以外の選択は困難であったと思われます。

東京都議会議員選挙の結果次第で、小池知事は「決められる知事」になる可能性が高い

したがって、東京都議会議員選挙で都民ファーストが躍進し、公明党と連立することで過半数を形成することに成功した場合、小池知事は従来までの妥協的な「決められない」政局運営のスタンスを大きく転換し、十分な指導力を発揮できる体制に移行することになります。

このとき、都議会運営上、共産党に配慮する必要がなくなるため、政策的選択の余地が飛躍的に拡がるものと思います。自民党との間で様々な政策的な交渉が可能となるため、小池知事による自民党からの引き抜きが本格化し、都議会自民党は空中分解していく可能性があります。

逆に、都民ファースト公認・推薦及び公明党で過半数に到達しなかった場合、小池都政は共産党との事実上の連携余地を残す必要があるため、小池知事の支持率は徐々に低下し続けるとともに、都民ファーストの素人議員の不祥事が乱発し、逆に都議会自民党側から都民ファーストの議員が一本釣りで抜かれていくことになるでしょう。

百戦錬磨の自民党の重鎮の当選が確実視される中で、都議会で親小池勢力が過半数を制することが出来るか、は小池都政にとっての生命線となるでしょう。

都議選後、都民ファーストの会の内部の勢力争いも本格化するのではないか

都議選後、もう一つ注目に値する要素は、都民ファーストの会内部の勢力争いです。江戸川区選挙区では、現職の都民ファーストの都議である上田令子氏に宿敵とも言える元民進の女性都議が「推薦ではなく公認」で立候補しています。

これは明らかに当初から小池知事を支持してきた、かがやけTokyoの3名、上田、両角、音喜多の3名を小池知事が排除しようとしているシンボリックな動きと言えるでしょう。

上記のような政局的な流れを受けて同議員らは当初こそは必要であったものの、都民ファーストが大量議席を獲得した際には存在価値が明らかに低下します。まして、自民党からの引き抜きを見据えた場合、非元自民・非元民進系、中途半端に当選回数の多い議員は政局運営上邪魔だと言えるでしょう。

そして、これら3人の選挙区は公明党候補者が存在しているため、公明票獲得という戦術上の融和の余地もなく、民進候補者もいるために連合による支援という靱帯も機能しません。つまり、小池執行部はこの3人の首に鈴をつけることは難しく、早晩同会内での軋轢が表面化していくことになるものと思われます。

都議会といえども議席数は決定的に重要、都議選を10倍楽しむために背景情報を知る必要がある

豊洲問題などについても、メディアは表面的な報道を繰り返しており、都議会議席数の構図にまで踏み込んだ解説がほとんどなされることはありません。したがって、今、何が起きているのか、という基礎的な理解が進むことはありません。

上記の説明の通り、小池知事の行動は都議会での議席数の影響を受けて大きく変わることになるでしょう。筆者は今週のFLASHの取材を受けて、現時点での都議選挙の各選挙区予測を行いましたが、都民ファーストと自民党は過半数ラインを巡って極めて拮抗した戦いをしているものと思っています。予測を楽しんで頂ける方には是非とも同誌を手に取ってみてほしいと思います。

むろん、小池側は現在のまま行くわけもなく、都議選に向けてまだまだ仕掛けを行うものと思います。それらによっても当落の数字はまた前後することになるでしょう。当選と判定させて頂いた方はそのまま頑張ってほしいし、落選とした方も奮起の材料にしてもらえればと思います。



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2017年06月10日

加計学園、獣医学部を1個作ることが国家戦略なのか?

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加計学園の話で何かと話題の国家戦略特区について考える

メディアは加計学園の話で忖度があったかどうかについて毎日報道を重ねていますが、筆者は「国家戦略特区」や「構造改革特区」などの既存の制度自体に疑問を持っています。

国家戦略特区は安倍政権時代に始まった国(≒首相)の主導権を強めた規制改革のための政策であり、国の岩盤規制を突破するという意味では非常に良い制度だと思います。ボトムアップ型の構造改革特区と比べて、中央省庁の抵抗を打破して規制緩和を進める上で、政治家が剛腕を振るうための制度だと言えるでしょう。

したがって、内閣府に設置される諮問会議が音頭を取って改革を断行するわけですから、その過程で政治主導で物事が実行されていくことは当たり前のことであり、本制度について忖度云々を騒ぎ立てることがそもそもおかしいと思います。

国家戦略特区の問題は「特区の内容がショボすぎる」ことではないか

むしろ、筆者は国家戦略特区の内容が政治家が剛腕を振るうという意味では、認定事業の内容がショボすぎることが問題ではないか、と思います。

「たかが獣医学部を持つ大学を一つ新設すること」が国家戦略だと言ってしまう感覚がナンセンスなのです。加計学園だろうが京都産業大学であろうが、このような無意味な規制は最初から必要なものではなく、「国家戦略」と呼ぶこと自体が恥ずかしい、この国の官主導の体質を明らかにしたものだと言えます。

獣医師免許の需給状況について、文科省や業界団体がアレコレ理屈をごねるかもしれませんが、そもそも獣医師の受給を政府がコントロールしようという発想自体がおかしな話であり、その程度の規制の緩和すら簡単に実行できない現状を問題視するべきでしょう。(政治的な意味でこの程度の岩盤を破れないというのは政治の怠慢と利権そのものではないでしょうか。)

「国家戦略」が「四国に獣医学部を持つ大学を一つ作ること」という大変残念な有り様について議論するべきであるし、国家戦略特区で認定されている事業内容は実験するまでもなく全国で認めるべきものが多数あります。

下記は国家戦略特区の認定事業の一覧ですが、そもそも規制していることが理解不能なものが多数並んでいます。当然、一つひとつは真面目に取り組んでいる事業者の方がいることは理解しますが、これを国家戦略と銘打つことについては「いい加減にしてほしい」というのが正直な感想です。農地にレストランを建てるだけのことを国家戦略って言ってみたり、そもそも国家戦略の意味が分かっていると思えない(笑)

国家戦略特区の認定事業一覧

各地域が自分の判断と責任で大学の設置の認可を判断すべきではないか
 
本件の問題は獣医学部を新設する際に国会議員や文部科学省の御意向を伺う必要がある現行体制に問題あるわけで、最初から中央政府で判断すべき性質の問題ではありません。

ある地域で獣医が足りないか否かは各地域で判断すれば良いだけの話であり、しかも本件については育成された人材は移動しますから地域的な要件自体も意味がないかもしれません。国の規制を廃止して地方が自己責任で意味がある大学を創設していけばよいと思います。

現在、忖度がどうのこうの、文書があったか否か、などのどうでも良い話題に議論が割かれていますが、政府は国会での質疑について真摯に回答すれば良いだけの話です。本来、国民が気が付くべきことは、この程度のことすら大仰な組織を作らないと実行できないという、この国のお役所体質を改革しなくてはいけないということです。

与党も野党も国家戦略特区や構造改革特区などではなく、もっとスマートに廃止すべき規制を全て公約として掲げて国民の信任を取り付けて、一気に改革を進めていくべきだと思います。

この程度の改革をチンタラと何年もかけてやっていて、「国家戦略特区」が目的として掲げる「産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点の形成を促進する」ことなど到底不可能でしょう。



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2017年05月23日

経産省次官・若手ペーパーへの意見に対する考察に見る言論ガラパゴス

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リバタリアンとしてぶった切ったら、意外と盛り上がっているみたいなので一度だけ返事しようと思う


経済産業省の次官・若手プロジェクトが作ったペーパーについて、リバタリアンの視点から容赦なくぶ一刀両断してほしい、という要望を受けて下記のようなコメントを述べさせていただきました。

「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。 | 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構

夜中に行われたインタビューだったので眠くてやや表現が過激になりました(笑)が、日本国内の左寄りの方々から下記のように議論を整理して頂いたので、筆者も一度だけ応答しようと思います。

経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記
選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について
鈴木謙介氏の整理に沿ってーー経産省「次官・若手ペーパー」論(3)

筆者はこの手のダラダラとコメントするタイプの感想を述べるのは気が進まないのですが、自分自身の主張を他者のパースペクティブで全く異なる文脈で整理されることについては文句を言っておこうと思います(笑)

日本の言論空間の感覚はガラパゴス化によるイデオロギーの選択の幅が狭すぎる

さて、筆者が論評を頂いた内容で決定的に違和感を感じる点は、筆者の主張と経済産業省の若手の政策的な方向性が同一のものとして整理されていることです。

たしかに、経済産業省の若手の本音は、筆者と同じ新自由主義路線であると思います。それは現場第一線にいる彼らが政府の限界性を最も強く認識していると理解しているからです。(買いかぶりかもしれませんが。。。)

しかし、彼らの本音はともかく、筆者は経産省ペーパー自体を新自由主義路線だと解釈したことは一度もありません。むしろ、筆者は経産省ペーパーも望月氏もその程度の差は微々たるレベルの社民主義的な内容だと解釈しています。

望月氏の見解では、経産省ペーパーや筆者は同じように新自由主義路線に見えるのかもしれません。

しかし、筆者の視点から見ると、経産省ペーパーの上に示された内容はあくまでも彼らの立場による「小さな政府を目指すフリ」をするポジショントークであり、現実には他省庁の権益に切り込むための文章でしかないものと理解しています。

政府規模の拡大を事実上容認し続ける支出拡大の方向性すら含む同ペーパーの内容と望月氏が望んでいる社民主義的な政策の方向の本質は同じものです。

社民主義的な方向性が明らかである望月氏の主張から自由主義的な方向に一歩だけ足を踏み出したとしても、筆者にとっては同じ社民主義であって何も変わらないのです。

この程度の内容が新自由主義的な方向に見えてしまうこの手の政策理解の幅の狭さこそが日本の言論空間のガラパゴス化を象徴するものです。そして、この政策議論の振れ幅の少なさが現在の日本の政策の手詰まり感を産み出す原因だと思います。

正直に申し上げると、この程度の新自由主義的な方向性の主張を筆者が述べている政策の方向性と同じものとして扱われることは心外であり迷惑です。

日本が新自由主義化しているという誤り、日本はケインジアン的な縁故資本主義国に過ぎない

筆者、そして望月氏と鈴木氏の間では、現在の日本の政策の方向性が新自由主義的あるという理解すら違いがあります。

日本政府の一般会計の予算規模は、一時的に減少した年度もあるものの、基本的には増加傾向にあります。地方自治体の中には自主財源が数%しか存在せず、中央からの財政移転でほぼ全ての歳出を賄っている財政的自治を事実上放棄した自治体も少なくありません。

首相が企業に賃上げ要請を行うなど民間経済に公然と介入し、ベンチャーとして新規事業を行うにも様々な業法による縛りによって自由に事業を営むことすらできず、経済産業省なども含めた天下りが民間企業で幅を利かせています。

日銀による異次元緩和や年金の株式運用比率の上昇など、民間市場に中央銀行や政府機関が与えるインパクトも極めて増大してきました。日本の年金制度は政府が運用する世界最大級のネズミ講でもあります。

また、移民・難民政策という観点に立ったとしても、トランプは2017年は年間5万人の難民受け入れを発表していますが、日本の難民受け入れ数はトランプ政権の方針を遥かに下回るものです。

で、日本政府の政策の一体どこが新自由主義なのでしょうか。筆者には毎年のように日本政府が肥大化しているようにしか見えません。

筆者はハイエクが創設したモンペルランソサエティーなどの「本物の自由主義者が集まる国際会議」に参加する機会もありますが、日本経済や安倍政権を「新自由主義だと解釈する人は一人もいません」よ。そのような話をしても失笑されるだけです。日本の位置づけは完全なケインジアンです。

ちなみに、派遣労働が拡大した時期のように、経営側にレントシーキングを与える規制をそのままにして労働法制を中途半端に緩和した行為は、新自由主義ではなく縁故資本主義そのものです。経営の生産性を上げずに労働者の一部のみの法制を緩和した場合に所得が下がってしまうことは当然です。縁故資本主義が社会のあらゆるビジネスシーンに蔓延する日本でトリクルダウンが起きるとも思えません。

このような政府と企業幹部が癒着した腐敗した政治スタイルは縁故資本主義と呼ばれるものであり、新自由主義と同一のものとして語るべきではありません。縁故資本主義は倫理的にも正当化されるものではありません。

また、硬直化した教育行政などによって労働者への職業的教育が時代に対応したものにならず、教育の質が向上した途上国労働者との競争に敗れたことによる所得減少は政府の失敗ではないかと考えます。筆者の教育の考え方はこちらを参照ください。(「教育無償化」の憲法明記という思考停止を超えた改革を

日本の問題は言論のイデオロギーの幅の狭さ、役所関係者以外の言論空間への参加を希望

長くなってしまいましたが「何を言いたいか」というと、「新自由主義」でもないものが「新自由主義」だと見えてしまう現在の日本の有様は、言論空間に参加しているアクターが、

・左派系の大学研究者
・役人または元役人
・グローバルなリベラルエリート
・大企業お抱えの総研の人

というエスタブリッシュメントばかりであって、日本の言論空間の中央値が大きく左に寄り過ぎており、イデオロギーの方向性を議論するほどの自由度がないということです。米国で言うならサンダース支持者やヒラリー支持者の声ばかりということになります。

筆者は何度もベンチャー企業の立ち上げに関わってきましたが、毎回のように役所の規制(しかも不明瞭な)に悩まされます。自営業者、中小企業、ベンチャー企業、フリーランスの方は役所から目をつけられるのが嫌なので公の場で堂々と政治的な発言しません。(彼らを政策的に代弁するヘリテージ財団のようなシンクタンクもありません。)

それを良いことに日本では左派寄りの言論人が幅を利かせすぎており、政策議論のイデオロギーの振れ幅の健全性が完全に失われた状態となっています。そのため、欧米の基準で言論のイデオロギーを表面的に分類しているように見えても、本当は顕微鏡で見るような誤差の範囲に過ぎない違いを無理やり区分している状況となってしまいます。

一例を挙げるなら、新自由主義を支持している米国の共和党保守派の大統領予備選候補者であったテッド・クルーズは商務省廃止論者でした。(日本の経産省廃止に相当)経済産業省のペーパー程度の内容が「新自由主義的な要素が含まれている」と過大評価を受ける日本とは全く別次元です。

上記の日本の言論制約の中で作られた同ペーパーに明確なソリューションが無いことは当然だと言えます。なぜなら「そこ」には答えはないからです。

現在の言論空間の貧困状況を続けるならば、10年後にもほぼ同じ内容のペーパーを経済産業省は提出していると断言させて頂きます。そして、その頃には確実に政府は更なる肥大化を遂げていることでしょう。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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2017年05月12日

「禁煙条例」推進者に対する反論

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東京都が推進しようとしている「喫煙禁止条例」に対する考え方

喫煙及び受動喫煙によって発がん性が上がるかどうかについては様々な意見が存在しています。今回はその点について議論するのではなく、「東京都内で屋内で一律に喫煙を禁止する」ことの妥当性について考えてみたいと思います。

東京都が屋内で喫煙を禁止することを正当化する理屈は「それが強制的なものであるか」ということが問われるものと思われます。つまり、喫煙を許可している物件があるとして、非喫煙者が当該物件の利用が不可避であるケースであれば一定の妥当性があり、それ以外については非喫煙者が「利用しない」という選択を行うことで話は終わります。

筆者は既に禁煙していますが、禁煙ファシズムへの抗議の意味を込めて葉巻写真を使い続けています。自分が積極的に行わないことでも他者の自由も最大限尊重する世の中を目指しています。

受動喫煙が懸念される場所の大半は利用者によって「利用しない」という選択が可能

上記の厚生労働省が実施したアンケート調査によると、受動喫煙を体験した多い場所は「飲食店」「遊技場」「職場」「路上」ということになります。

このうち、「飲食店」は喫煙スペースがある店は利用しなければ良いだけの話です。喫煙が人々から嫌われる慣習であればあえて同店舗を利用しなければ潰れていくことでしょう。また、喫煙のみor禁煙のみの店舗はそれぞれの嗜好に合わせた独自店舗として付加価値を提供できます。

つまり、飲食店は利用者の自由意志で店舗が選べるために禁止する必要はありません。この点に関してはパチンコ・競馬場などの「遊技場」も一緒であり、議論の余地はないものと思われます。

次に「職場」についても同様のことが言えます。職場によっては喫煙がそもそも望ましくない職場もあり、それらはCSやESの向上のために各職場が戦略的に実行すべきでしょう。喫煙の有無によって働く人のインセンティブも変わるので、それによって職員の採用に影響が出るのは各職場の経営者の勝手です。

喫煙を望まない優秀な労働者を集めるために積極的に禁煙にするのも良いですし、その逆も然りです。労働価値説が通用するような非生産的な職場であればタバコタイムは無駄なので経営者判断で禁止すべきかと思います。しかし、これも経営者の判断に対して労働者は職場を選べるので、政府が禁止するような話ではありません。

議論がある点は路上と公共施設でしょう。路上や公共施設は喫煙者も非喫煙者も利用を回避することはできない、そして両者ともに納税者でもあることから「分煙」が正しい対応になります。喫煙者・非喫煙者の双方が納得できる形の対応を取るべきです。(WHOが主張するように欧州の一地域の分煙の無効性似に関する特定調査のデータで日本にも同様の規制を求めることは議論が粗雑に過ぎます。)

ちなみに、「家庭」についてはそれほど受動喫煙が嫌なら結婚しないor同居しない、という選択を取ればよいです。または、どの場所で吸うかなどのルールを家庭の自治で決めることが可能なので、一律に禁止することは理屈に合いません。子どもの受動喫煙などは虐待の問題として別途扱うべき問題です。

賃貸物件の場合は、喫煙を許容するか否かは物件オーナーの方針によるところもあり、民間同士の賃貸契約に政府が介入する必要もありません。オーナーと利用者が情報開示を適切に行うことで対応できます。

極めて解像度が荒い国際機関による条約内容を受け入れる国・地方自治体は無能だ

東京都知事や厚生労働大臣が屋内禁煙にこだわっている理由は、国際機関による条約を守らなくてはならない、というインセンティブが存在しているからでしょう。

2005年に日本も批准している「たばこ規制枠組条約」が発効し、受動喫煙の防止対策、製品への警告表示方法、たばこ税引き上げまで盛り込まれています。また、同条約に基づく「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」の中では屋内施設の100%完全禁煙が求められています。

そして、これらの条約の影響もあって、2010年から国際オリンピック委員会と世界保健機関が「たばこの無い五輪」を推進しています。

しかし、筆者は「国際機関が主張している世界の常識」を日本もさっさと受けれ入れろ、という意見には一切与しません。なぜなら、地域における政策はできるだけ住民に近い場所で判断するほうが適切に判断できるからです。

上記のアンケート調査を見ても明らかなように、飲食店などは自由意志で利用の有無を選べるため、一律に禁止する必要はありません。また、遊技場などの屋内施設については議論する余地すらないでしょう。

つまり、国際条約・ガイドラインの立案者は、個々の地域の内情までは情報の非対称性の問題で分からないので一律禁止しろ、と言っているに過ぎず、補完性の原理を無視した全く非効率で非民主主義的な決定に過ぎないからです。

要は政府や地方自治体が国際条約を根拠に自らが定めたい条例制定について法的正当性を訴えることは、自らが住民の個々のニーズや実態を把握できない無能な政府であることを証明しているのです。

また、喫煙によって何らかの特定疾患の医療費が増加するとした場合、その疾患に対して既存のたばこ税の使途を特別に割り当てるだけで良く、従来までのようにたばこ税を一般財源として扱うことがそもそも間違いです。

仮にオリンピックを実施するために質の悪い条例を制定し、国民の自由を制約することを優先するならオリンピックなど必要ありません。



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2017年05月09日

「教育無償化」の憲法明記という思考停止を超えた改革を

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「大学・大学院まで含めた高等教育を受ける権利」=「教育を税金で提供すること」ではない

大学・大学院まで含めた高等教育の教育無償化(税負担化)について、多くの人が根本的に勘違いしていることは「人々が教育を受ける権利を保障すること」を「人々に教育を税金で提供することを保障すること」と勘違いしているということです。

この2つは似ているようで全く違うものを意図的に混同しています。

まして、「大学・大学院まで含めた高等教育の教育無償化」を憲法に明記することは完全な思考停止の産物であり、学生のためにも社会のためにもならなことを説明していきます。

「高等教育を受ける権利を保障する方法」は「税金で保障する以外にも十分に可能」

さて、そもそも大学教育を受けるために人々が必要とする金額は幾らでしょうか。現状の最低価格帯は卒業までに約70万円程度です。これは放送大学などの通信制大学の価格帯の話です。

授業内容という意味では大学教授に中途半端に対面で習うよりも余程しっかりした内容が教えられています。仮に4年間かけて卒業すると仮定した場合、1年間16~17万円、月に1万数千円の負担ということになります。

さらに、筆者も大学に関与する立場を持っていますが、正直に言ってしまえば「4年間も大学に物理的に通う必要性」は教育を受けるだけならありません。むしろ、現状の大学は毎週ごとに自分の著作を教科書に指定する教授の話を一章づつ延々と聞くだけの授業が多く、指定された教科書を一冊読み切って理解すれば単位が取れる課目が大半です。

大学教育が高くつく理由は、研究者が教室でダラダラと4年間も教える、という現状の大学の高コスト体質が問題なだけでしょう。奨学金問題は役に立たない授業をダラダラと提供し、その教育価値も良く考えずに金を貸す体制にこそ原因があります。大学の授業の方法は時間コスト・金銭コストも含めて理にかなったものではありません。

人々に等しく大学教育を提供するためには、現状の古臭い対面形式の授業ではなく、各課目をオンライン化して低価格で効率的に提供することで対応できます。誰もが研究者になるわけではないので、専門分野の最低限の知識を享受できる環境の構築ができれば大半の学生の教育には十分です。

上記の月1万円のコストを負担できない人はそもそもやる気がないと看做して良いでしょう。どうしても、それでも全ての人に月1万円を払ってあげたいという方は私設の奨学金を用意してあげてください。皆さんの給料の一部からでも払えます。

「インドの大学」で見かけたドイツの大学のオンライン授業の営業活動

筆者がインドの大学に仕事で訪れていた際に、偶然にもドイツの大学関係者が来印して当該インドの大学の関係者とビジネスミーティングを開いているところに出くわしました。

ドイツの大学関係者の人々は、インダストリー4.0などの最近のドイツの工業事情も踏まえた非常に質の高いオンライン授業のパッケージを構築しており、英語が比較的得意なインドの学生向けに同パッケージの営業活動に来ていました。筆者は話の流れでプレゼンテーションの場に同席することになり、大いに感銘を受けた事を覚えています。

インドは大学が一大産業となっており、筆者がお会いした大学経営者も6大学を経営しているというビジネスオーナーでした。その下で働くスタッフもドイツのオンライン授業がどのように学生に役立つのかを真剣に質問していました。卒業生の質の確保も含めた激しい競争下にあるインドの大学の姿は日本の牧歌的な雰囲気の大学とは趣が違うものでした。(ちなみに、このインドの大学は中の下ぐらいのレベルです。)

上記の話は授業のオンライン化などが世界的にも進展しているという教育環境の変化の一つの事例です。もはや対面で授業を行う必要がなくなっているだけでなく、他国の大学の優れた授業をオンラインで受講することが可能な状況が生まれつつあり、日本の大学教育も根本から見直しを検討するべきでしょう。

「高等教育の教育無償化(税負担化)」の憲法明記は教育の形を固定化して時代遅れにする

大学・大学院まで含めた教育無償化(税負担化)をどのように憲法に盛り込むのか、は議論があるところですが、憲法は一度制定されると再度改正することは極めて困難だと思われます。

そして、これらの税負担を前提とした大学・大学院の教育は、世の中の流れについていくことは極めて困難でしょう。なぜなら、政府の保護によって自由市場からの影響を排除した形になるため、教育機関間の健全な競争が働かず、社会からの要請への感度が下がることになるからです。

政府が大学を厳しく管理して競争を促すという発想もありますが、そのような発想はそもそも研究や教育というものを全く理解していないものです。政府が認定する教育内容というものは社会的に権威化されたorポリティカルコレクトネスにかなうものだけになる可能性が高いと思われます。

したがって、そのような大学教育は時々の支配的な思想・方法論に盲従するだけとなり、社会に革新をもたらすような優れた教育は行われないでしょう。学生に既に化石化しつつある教育内容を延々と受けさせることが「学生や社会のためになるのか」ということは良く考えたほうが良いと思います。

また、筆者は、シグナリング効果を除けば、大学・大学院という教育モデルが存在価値が問われる過渡期に突入していると感じています。社会から大学・大学院という教育の形が有効なものといつまで看做され続けるか疑問です。(大学によってはほぼ意味がないものと既に看做されているケースも少なくありません。)

そのため、教育環境自体が過渡期にある中で、大学・大学院を前提とした教育無償化(税負担化)を盛り込むことが実際には社会の革新を妨げることすらあり得ると感じます。

最後に、税金ジャブジャブで運営されるような機関は、新たな天下り先となることは必然であり、学生のための教育ではなく文科省と大学関係者が暮らしていくためのものになるだけです。社会を停滞させる利権作りはもう沢山です。

「正しい改革」の基本は「利用者側」ではなく「供給側」を改革すること

「特定の社会的なサービスを受けられないから、サービス利用者にお金を配る(税負担)」という発想は良いサービスも生まれなければ利用者のモラルハザードも生みだします。また、現状の制度・サービスの革新を考える必要もなく、単純に金をばらまく思考停止そのものです。

「全ての人にサービスを受ける権利を保障する」と言えば聞こえが良いですが、時代遅れのサービスを全ての人に提供することは間違いでしょう。また、サービス利用者がサービスの利用に適切にコミットするインセンティブを与えることも当然に考慮すべきものです。したがって、サービスの対価を税金で賄えば良いという単純な話ではありません。

本当に必要なことはサービスの供給側の改革であり、現状の高価格・低品質・長期間かかるサービスを、低価格・高品質・短期間で利用できるサービスに変更するために知恵を絞ることです。

サービス利用者を甘やかす行為は結果としてサービス供給者の怠慢を生みだし、結果としてサービス利用者の便益が低下することに繋がります。

「政府が税金で負担することが人々の権利を保障することだ」という思い込みはソヴィエトが存在していた頃から現役の人たちの時代で終わりにしてください。

そして、現代を生きる若者は自分たちがどのような教育を受けるべきなのか、を真剣に考えてほしいと思います。



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2017年05月05日

憲法9条と防衛大臣、本当に議論されるべきことは何か

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憲法9条改正で多くの国民が勘違いしていることとは何か

安倍首相が中途半端な憲法改正を打ち出したこともあり、左も右からも憲法論議が少しだけ盛んになっているように思います。

ただし、筆者は憲法9条については改憲論者(現状の著しく不合理な内容は改正すべき)ですが、そもそも憲法改正論議などという不毛な議論に政治的資源を割り当てることは論外だと思っています。

左も右も「憲法があるから戦争が起きない」とか「憲法を改正すれば中国・北朝鮮に勝てる(または抑止になる」とか、低レベルな議論はいい加減にするべきでしょう。

はっきり言いますが、「憲法」を議論すること、「安全保障・防衛政策」を議論すること、まして「戦争を議論すること」は全く別物です。

憲法があるから戦争が起きない、憲法9条を改正するから抑止になる、のでもなく、米軍・自衛隊の具体的な戦力及び日米に国際環境を形成する外交能力があるから物理的な戦争が起きていないだけです。

憲法の内容を変えることで戦争開始・戦争勝敗に影響があると思う「呪術志向」の人たちは実際の安保・防衛政策や戦争について議論することは危険なのでやめてほしいです。

象徴としての憲法9条改正を主張する首相と全く無能な防衛大臣の組み合わせ

安倍首相は憲法9条改正を主張していますが、実際の安全保障政策・防衛政策にどこまで関心を持っているのか極めて疑問です。

なぜなら、安全保障・防衛政策を所管している防衛大臣に不適格な人事を行っているからです。国会答弁の最中に泣き始めるような感情的な人物を防衛大臣に任命していることは話になりません。また、スーダンのPKOに関する日記問題では組織を全く統率できていないことも明らかになりました。

別の国会の場面では、稲田大臣は長島昭久衆議院議員に「特定の自衛隊の具体的な装備内容・予算」について問われて「事前通告が無かったので答えられない」と答弁していましたが、嫌がらせ的なクイズはダメとしても事前通告がなかった場合に如何なる兵装についてなら答えられるのでしょうか。法務・総務・財金畑のド素人を防衛大臣の席につけた責任は重いと思います。

また、外交交渉を担う岸田外務大臣は安倍首相にとっては現在政敵とも言える人物です。現在、重要な外交交渉は官邸主導で実施しているように見えますし、防衛・外務両大臣がまともに機能しているか不安を覚えます。

安倍首相が憲法9条改正を議論してもかまいませんが、現在の安全保障・防衛・外交政策の人事的な意味での適切化を行う方が先であるかことは明らかです。

まさか安倍首相は憲法9条改正が目の前の安全保障・防衛・外交の具体的な問題よりも大事だと思っているとは思いませんが、仮に今すぐ戦争になった場合に「稲田防衛大臣」「岸田外務大臣」で十分に戦えないでしょう。

憲法9条と安全保障・防衛政策・外交交渉は別物、具体論を議論する時代に

国民の多くは左右の識者たちの議論によって、憲法9条改正と安全保障・防衛・外交が結びついているように錯覚させられています。しかし、安全保障・防衛政策・外交交渉は具体論であって憲法9条と現実の戦争は直接的には関係ありません。

政府答弁によって攻撃的兵器を持つことは憲法上禁止されているとされていますが、このような地理的な概念に制約された兵器概念自体が時代遅れであり、不合理な政府答弁が見直されることは必然だと思います。したがって、このようなことも議論するまでもなく見直されるべきものであり、現行憲法下でも内容の見直しは可能です。(昨年の安保法制で事実上見直されたものと理解しています。)

その上で、国際環境形成、自衛隊の目的、装備内容、運用の実際などが体系だった議論によって行われていくべきです。日本の安全保障を守るために必要な議論とは、防衛大綱や中期防でどのような兵力を揃えていくべきか、などの具体論です。

国会議員のうち何名が日本の具体的な兵装の在り方についてまともに話ができるでしょうか。まして、現実妥当な装備計画、予算、運用について議論できる人は少数しかいないはずです。これが世界有数の軍事費支出を行っている日本という国の現状なのです。

また、北朝鮮への日本自らによる制裁だけでなく、米国に言われるまでもなく北朝鮮の貿易相手国に積極的に制裁を行うことを確約させるよう動くべきでした。米国の指示で慌てて関係国への働きかけを行っている日本の姿は悲しくなります。

国力の基本は経済力と外交能力であり、各国はその制約下で兵装を整えていくことが求められます。闇雲な軍拡はかえって国力を削ぐ結果を生みだすため、憲法改正したとしても軍拡をすれば良いという問題ではないのです。現在の国会の議論の状況ではどのみち実際の戦争に対応することは困難かと思います。

安保法制の議論の時の左派のような愚かな議論は必要ありませんし、ほぼド素人と言っても過言ではない防衛大臣を任命している場合でもありません。そして、国民もいつまでも憲法9条改正という、実際にはどうでも良い話題にかまけているべきではないでしょう。



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維新・橋下氏「教育無償化」は維新の存在意義の否定

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(敬愛する横山三国志から引用)

維新の法律政策顧問である橋下徹氏の教育無償化・憲法改正案の矛盾

憲法改正案の中に維新の法律政策顧問である橋下徹氏が大学・大学院を含めた高等教育の教育無償化を盛り込むことを提言されています。筆者は、教育無償化(税負担化)に根本的に賛成しませんし、また維新が同提案を行うことは自らの政党としての存在意義を否定するものと考えます。

産経新聞によると、橋下氏は「徹底した行財政改革で捻出した「税金の無駄」を充てた上で、不足分を相続税の引き上げで補う」と主張されているそうです。

もちろん教育無償化(税負担化)については色々な考え方があると理解していますが、筆者は地方分権を主張する維新が全国一律に同じ基準で政策を実行するという発想自体に反対です。

教育無償化に関する議論は権限・財源を移譲した上で地方自治体が判断すべき

大阪市役所によると、幼児教育の無償化(税負担化)を行う予定とのことです。また、大阪府では既に高校までの教育無償化(税負担化)を実施しています。筆者は政策の是非はともかくとして、このように税金の使途というものは権限・財源を可能な限り地方に移して地方自治体レベルで判断すべきと考えます。

政治は住民に近ければ近い方が望ましいものであり、税金の使途に対して納税者の関心が行き届くようになります。日本は既に都道府県レベルで一国に相当するGDPと予算規模を有しており、都道府県レベルではなく国策として大学・大学院を含めた高等教育の教育無償化(税負担化)を推進する必要を感じません。

仮に維新がいまだに地方分権を主張する改革政党であるとするなら、「教育無償化に関する議論は権限・財源を移譲した上で地方自治体が判断すべき」と述べるべきです。国民から遠い国全体に関わる憲法で税金の使途を定めることは地方分権の流れに逆行するものであり、ひいては維新の存在意義も無くなることになります。

地方自治体間の善政競争が国の競争力を産み出す源泉です。したがって、維新の基本的な方向性は「国全体で一律に決めることを無くし、地方自治体が独自に判断できる分野を増やすこと」ではないかと思います。維新がどうしても大学・大学院を含めた高等教育を無償化(税負担化)したいなら、地方自治体独自の判断で実行できるようにすることが大事です。

今回の憲法改正案はその流れに逆行するものであり、大阪府・大阪市(まして大阪都)で独自に判断・実行するのではなく、憲法に明記して日本全国に教育費無償化(税負担化)を強制する理由が分かりません。

現在の国政の事案を将来も国政の事案として語ることは間違い

維新は中途半端に国政に議席を保有しているために、「現在の国政の事案を将来も国政の事案として語る愚」を犯しているのではないかと思います。

高齢者に偏重しているとされている社会保障費を現役世代・子どもに振り向けるという政策、を実行したい場合、それを国政レベルで実行する必要性は本来ありません。

一度「国会病」または「有識者病」に憑りつかれると、現在国政の事案だから国政の中での組み換えを行うことが安易で分かりやすいために国政の範囲での予算組み換えなど役所の論理に議論が偏りがちです。筆者はそもそも税金で負担する話を「無償化」と表現すること自体が「お役所言葉」の典型だと思います。

結局は有権者から遠い場所で行われる議論はどれほど良い案でも紛れと骨抜きが幅を利かせることになるでしょう。維新の党是は補完性の原理に基づく地方分権改革かと思ったのですが、それは違ったのでしょうか。

社会保障の在り方も含めて積極的に地方自治体に分権していき、そして地方自治体同士が望ましい政策の在り方を競争していくことが重要なのです。

大学教育まで含めた無償化は地方に権限・財源移譲をした上で、大阪で先行実施して成果を見たら良いでしょう。その結果として、費用対効果などの成果が良いものなら全国に拡がり、その支出に見合った成果が無ければ大阪も止めるでしょう。このような柔軟な対応を可能とする点が地方分権を行うべき理由です。

一方、今回の橋下氏の改憲案のように憲法に明記した場合、政策に間違いがあっても政治的に後戻りが難しくなる違いがあります。自分が正しいと思うことだから日本全国で一度に適用する、というのは中央集権論者の発想であり地方分権論者の思考とは異なるものです。

維新は現在国政に議席を保有している唯一の「特定の地方自治体に基盤を持つ政党」であり、「国全体で物事を推し進めようとする」他の政党の「非改革的な姿勢」を見習う必要はありません。むしろ、憲法改正論議では、明確な地方分権主義を打ち出して他党とは一線を画すべきでしょう。

仮に高等教育に関して地方自治体が判断・運営する能力がない(一国並みのGDPを持ちながら)と思うなら、地方分権などを主張することは止めてしまって徹底した中央集権を主張するべきです。

明治維新は「地方の役人」が「中央の役人」に取って代わって中央集権を進めたクーデターですが、現代の「維新」勢力も結局は中央集権勢力ということなのでしょうか。維新が「国政での権力掌握を目指すための方便として地域勢力ではなく、本当に地方分権を党是とする政治勢力」なら、筆者の言っている意味が分かると思います。



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