2016年01月02日

東京都一極集中は「若者のための雇用」がある場所だから

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東京への若年世代の人口流入は「若者を必要とする新産業」が存在するから

東京都の情報通信業で働く人は約68.6万人、これは東京都における就業者の8.5%弱です。そして、これらの東京の情報通信業で働く人から生み出される付加価値は、日本の情報通信業の付加価値が53.9%にも上ります(「グラフィック東京の産業と雇用就業2015」東京都産業労働局から引用)

情報通信産業の事業者が爆発的に増え始めたのは1980年~90年代であり、ITエンジニアの仕事が東京の雇用の一角を明確に占めるようになりました。東京は自らの産業構造を時代の流れに合わせて大きく変革して雇用を生み出したと言えます。

東京の就業者数東京の情報通信業の付加価値額

また、雇用における情報通信業・金融保険業・サービス業の大きさが東京の経済構造の基本的な特徴と言えます。そして、情報通信産業・金融保険業といった東京を特徴付ける産業は若手の就業者数が圧倒的に多く、日本全体のパート・アルバイト雇用比率でみても極めて低い傾向にあります。付加価値の高い産業を安定的に生み出していくことが雇用の安定に必要であることが分かります。

従って、東京への若者の人口流入は「若者を必要とする産業」が存在していることに起因しています。また、人口集積によって生まれる宿泊業・飲食サービス業やその他サービス産業の層の厚さも相乗効果を発揮して、今後も若年層の人口流入は継続していくことになるでしょう。

東京の有業者年齢構成比産業別パートアルバイト雇用比率

人口流入原因は高度経済成長(所得格差)ではなく仕事の有無(有効求人倍率)に

高度経済成長期は東京圏への人口流入は所得格差と相関関係が強い状況でしたが、1990年以降は有効求人倍率との相関関係が強くなっています。高度経済成長期における急激な都市化ブームが終わり、安定成長時代の人口移動に社会動態が変化したことが分かります。

従って、東京圏に若者が流入する構造は大都市の魅力というだけではなく、東京に若者が就労可能な仕事が存在しているからということになります。つまり、地方は産業構造の転換が遅れて若者向けの雇用が提供できていないのです。

この傾向は高度経済成長期であっても変わることはありません。地方経済は多産小死時代に突入した結果、農業などの第一次産業中心の地方経済は次男以下の雇用を安定的に作り出すことができず、急速に工業化しつつあった都市圏がそれらの失業予備軍を吸収しました。

現代社会においても、地方は誤った政策判断の結果として製造業・建設業に傾斜した結果、前者は海外移転、後者は予算縮小によって雇用の場を喪失し、東京都が若者向けの就労の場を提供しています。従って、東京圏は常に地方の失業の受け皿を自らの産業構造の転換によって生み出し続けている場であると理解することが正しいでしょう。

巷では東京の発展は地方からの人口流入によるものとする意見が多いですが、それらは一面的な正しさを主張しているにすぎません。地方からの都市への人口流入は産業構造の転換に成功した都市部と失敗した地方のお互いの合意による人口流出という見方をするべきです。

東京圏人口流入
国土交通省「東京一極集中の状況等について」から引用

地方の衰退は「誤った国土開発に傾斜した政策の失敗」によるものだ

東京への人口流入とは「若いフレッシュな頭脳」を持った人材を求める産業が存在しているために発生するとした場合、地方が東京と同じように産業構造の転換を実施できれば若者の東京への流出は止まることになります。

地方は日本の国土開発計画の影響を受けて、工業時代は製造業、情報産業時代は情報産業、をとにかく地方に立地させるために様々な政策を実施してきました。しかし、それらは東京の発展スピードを一時的に阻害しただけであり、十分な効果を発揮するものとはなりませんでした。

しかも、製造業は海外移転が加速して空洞化が発生し、情報産業の地方への移転は入れ物だけを作って掛け声倒れに終わりました。むしろ、東京からの強制的な財政移転で行われた産業移転政策は、単なる開発事業としての意味合いしかなく、地方には政府支出に依存した建設業・農業などが残されることになりました。それらの産業に従事した人々は社会が求める産業構造の転換についていくことができず、若者のための新たな雇用を生み出すことができませんでした。

<東京圏を狙い撃ちにした失敗した政策の数々>
国土交通省立地政策
国土交通省「東京一極集中の状況等について」から引用

政権交代が発生しなかった55年体制という政治構造が産み出した悲劇

地方が愚かな政策判断から抜け出て自ら産業構造を転換できなかった要因として55年体制を上げることができるのではないでしょうか。米ソ対立の中で日本には自民党一党支配以外の選択肢は無かった状況であり、その結果として地方比率の高い自民党が政権与党の座に居座り続けてきました。

その結果として、「国土の均衡ある発展」などの掛け声の下で地方への巨額の公共事業投資が行われるようになり、それらは結果として地方の産業構造の転換を阻害することになりました。地方は自らが選挙で選んだ政治家が実行した愚かな政策(経済効率の低い無駄な道路に象徴されるような事業)に貴重な資本と労働力、何よりも時間を費やしたのです。

中央省庁の官僚は自らの権益を拡大するために政府支出を拡大し続けましたが、本来であれば政治家はそれらの支出を止めることができたはずでした。しかし、戦後民主主義の中で利益誘導政治が蔓延し、「官僚をうまく操縦すること」、つまり「官僚の仕事を先回りして道を整える能力」を持った政治家が選ばれ続けました。それらの人々による愚かな選択は産業構造・社会構造の硬直化を生み出して地方の衰退を招くことになりました。

一方、東京都は国政上における不当な扱いを受け続け、巨額の税負担と産業の地方への移転圧力に晒された結果として、政策動向によって左右されにくい三次産業比率が上昇し、若者を吸収し続けて人口拡大が継続することになりました。たしかに、東京には日本国内の情報が集積するために有利な環境があったかもしれませんが、地方がそれを理由に言い訳を行うことは各都道府県が一国並みのGRPを有する日本では成り立たないでしょう。

さらに言及するなら、知識産業という言葉は1960年代に米国で登場したものであり、地方の政治家・財界人が霞が関の補助金ではなく世界を見ていれば東京に先駆けて産業構造の転換に取り組めた可能性もゼロではありませんでした。しかし、彼らは自らが衰退する道、つまり巨額の公共投資による「今」の利益を取って、若者の仕事を創り出す「将来」を取らなかったのです。

東京都民は地方に対して何ら負い目を感じる必要はなく、東京都に対する不当な扱いを返上するべき

現在のような東京一極集中と呼ばれる状態に至ったことに「東京都民」は1ミリも責任はありません。むしろ、この結果は地方が自ら望んだものだと言えるでしょう。むしろ、最初に触れたとおり、東京は常に産業構造転換を促進しており、その結果として地方の若者の「潜在的な失業」を吸収し続けています。東京は地方に感謝されることはあっても「恨み言を言われたり恩に着せられる」ような覚えはありません。

なぜ、このような当たり前の議論がなされてこなかったというと、「政府は失敗しない」という神話が維持されてきたことに原因があると思います。政府の政策は無謬性原則の下で失敗しないとされてきました。したがって、政府が実施してきた数々の移転策、特に「テクノパーク」や「頭脳立地法」といった政策がほとんど効果をあげなかった理由が直視されてきませんでした。

その結果として、全ての政策の失敗の原因を、東京への人口流入、つまり東京一極集中に求めたのです。しかし、東京一極集中は政策の失敗による地方衰退の結果であり、地方衰退の原因ではないのです。地方は原因と結果を錯誤した幻想を捨てない限り二度と発展することは無いでしょう。

東京都の発展は、地方が自ら実行した「自滅的な政策選択」の結果で生まれたものであり、東京都民が「自発的に選択した」ものではありません。むしろ、東京都民は巨額の財政移転や地方優遇策で切り取られていく自らの生産力を保つために、新しい時代の雇用を生み出す高付加価値産業にシフトすることを迫られただけです。

東京都民は地方に対して何ら負い目を感じる必要なく、東京都に対する国政上の不当な扱いを返上していくべきです。




東京一極集中が日本を救う (ディスカヴァー携書)
市川 宏雄
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2015-10-22

 

本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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yuyawatase at 14:09│Comments(0)東京独立 | 国内政治

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