2015年11月28日
大人の教科書(9)何故、公共事業ではなく減税を行うべきか?

代表的な財政政策の種類として公共事業と減税の2つは良く知られているところです。
特に日本では2000年代になるまで政権が公共事業を山のように積み上げ続けてきたため、景気対策の財政政策といえば「公共事業」というような刷り込みが行われてきました。今回は、公共事業と減税の2つの一体何が違うのかということについて取り上げていきたいと思います。
公共事業と減税で景気が良くなる理由は何故か?
景気の良し悪しはGDP(国内総生産)が成長しているか否かによって測定することが一般的です。GDPは個人消費、民間投資、政府支出、純輸出の4つによって構成されており、公共事業と減税は各要素を拡大する効果を発揮します。
公共事業は直接的に政府支出を拡大することでGDPを増加させることに寄与します。そして、政府支出が呼び水となって個人消費や民間投資も拡大すると仮定されています。
減税はお金がまずは政府から民間の手元に移ることになります。この時点ではGDPは変化しませんが、それらから消費や投資に使用された分だけGDPが拡大することになります。
公共事業と減税のどちらが景気が良くなるでしょうか?
日本では公共事業、米国では減税が財政政策として一般的に用いられてきました。
公共事業の方が減税よりもGDPが上昇すると考えられてきたため、景気対策といえば公共事業という手法が取られてきたからです。また、近年ではエコポイントやプレミアム商品券などの消費を無理やり促す形での便乗型バラマキ政策も実行されてきています。
公共事業は減税政策と比べて乗数効果(波及効果の一種)が高いと考えられてきたため、日本は積極的に公共事業を実施し続けてきた経緯があり、巨額の公的固定資本(道路などのインフラ)のストックを形成してきました。現在はインフラの維持費だけでも毎年莫大な金額となっています。
公共事業は用地費を除いたほぼ全額が公的資本として計算されるとともに関連産業への波及があると想定されてきたこと、減税は実際に消費に回る金額が公共事業で算入される金額よりも小さく波及効果が小さいとされてきたことが政府の判断に影響したからです。
何故、公共事業を行うべきではないのか?
上記のように公共事業が減税よりも景気刺激策として意味があるとされてきたわけですが、本ブログでは公共事業よりも減税を推進するべきだと主張しています。両者の成否は日本と米国の新産業の創造力の比較すれば明らかだと思います。
公共事業は減税と比べて経済波及効果が大きいということには陰陽の二面が存在します。公共事業が創りだす商品・サービスは新産業ではなく道路を代表とした社会インフラです。これらの社会インフラがそもそも無駄なものが多いだけでなく、それに関連する産業まで景気刺激されることに真の問題があります。
つまり、公共事業を闇雲に拡大した場合、経済効果が低い公共事業及び関連産業に中心に発生し、あるヒト・モノ・カネ・情報が大量に投入されるようになってきます。
その結果として、社会の有限な資産が無駄に浪費されることとなり、新たな消費や投資に繋がるような新産業の芽が育たなくなってしまうのです。無駄な公共事業にぶら下がった産業群が形成されることで社会の構造が固定化し、新産業への資源の移動が遅れてしまうのです。
何故、公共事業よりも減税の方が優れているのか?
一方、減税は一見して減税自体の効果は公共事業よりも低く見えますが、資金が消費・投資にダイレクトに結びつくことによって、新産業の商品・サービスの開発・提供が活発に行われることになります。
有限な資源が公共事業に浪費される状況と異なり、減税によって活性化した民間市場から生まれた新産業は将来に渡って自然な形で利益を稼ぎ続けることができます。また、環境変化に対する対応力も高く、常に新しい高付加価値の産業に資源が移動していきます。
21世紀になった後の日本と米国の決定的な違いは、公共事業で唯一の資源である人材を無駄に使ってきた日本と減税によって知的資本をフル回転させてきた米国の間に生まれた違いなのです。つまり、政府に言われるがままに道路の穴を掘ってきた人々と市場の中で熾烈な競争を生き抜いてきた人々の差です。
今日でも景気刺激というと公共事業やプレミアム商品券などが直ぐに出てきますが、中長期的に見た場合に人材育成に直結する減税に力を入れることは当然のことなのです。
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yuyawatase at 07:00│Comments(0)│大人の教科書
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