2018年10月24日
生物学上の男性が女性オンリーの競技に参加して1位になることに関する論争
女性オンリーのスポーツ競技でトランスジェンダーの人物の競技参加を認めるかどうかが論争の的になっている。通常の場合、トランスジェンダーの女性が生物学的に男性の肉体を持ったまま競技に参加することは身体構造上圧倒的な優位さを持つことになる可能性が高い。しかし、この競技参加問題をトランスジェンダーの権利の問題として幅広く解釈すると、我々の社会はこの問題に現実的に向き合って回答を得る必要が生じてくる。
実際、カリフォルニア州で行われたUCI Masters Track Cycling World Championshipsという自転車の世界競技の35~39歳女性部門の優勝者は、カナダ人のトランスジェンダーの女性であった。この結果については、もちろん本人の競技者としての努力は前提ではあるものの、トランスジェンダーの人物の競技参加が競技上の優位性の問題ではなく人権の問題として取り扱われたことの影響の大きさを否定することは難しい。
日本の多くのスポーツ競技関係者はこの問題について我が事として深刻に捉えるべきだろう。リベラルな空気が世界中に拡がりつつある中で、全ての競技関係者がこの問題といつまでも無関係でいられるわけではないからだ。仮に、トランスジェンダーの競技者の参加を正当な理由なく拒んだ場合、事と次第によっては訴訟に発展する可能性すら存在する。
また、スポーツに限らず、性差の問題はパンドラの箱のようなものであり、本質的には男女だけでなく無数に存在する性の在り方について対応を迫られるものだ。そのため、安易に多様性が大事と口にするだけではなく、どこまで何を社会・コミュニティとして許容するのかという議論が行われるべきだろう。
筆者はスポーツに関しては男女の別をやめて全ての人類間で無差別に競争したら良いと思うが、一朝一夕にそのような形になるわけがない。「性」を巡る問題については奥深いものがあり、人間の知性による熟慮が求められる分野と言えるだろう。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。