2017年01月

2017年01月06日

神社やお寺はベビーカーや車椅子を断っても良い

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神社やお寺は誰のものかという基本的な問題認識の欠落

初詣でベビーカー自粛を呼び掛けていたお寺が炎上した上に、お寺にはお寺なりの事情があったことが発覚した事案について、私たちはもう少し根本的な問題認識を深めるべきだと思います。

お寺は公益法人であるために、完全に私的な宗教施設とは言えないものの、基本的にはお寺の檀家さんのためにあるものだと理解するべきです。そのため、寺院が日常的に敷地の一部を一般公開していることは、多くの人に信仰に触れる機会を提供するためにあえて行っていることに過ぎません。

したがって、お寺が安全上の問題などでベビーカーや車椅子の自粛を呼び掛けたところで、それについて第三者が喧しく意見を言うことが自体が間違っており(どうしても発信したいならそれでも良いですが)、まして少子化問題と結びつけて行政府・立法府の見地から対応を求めることは論外だと言えます。

この問題はお寺がベビーカー自粛に至った経緯を知らなかった、というよりも、私的領域に対して行政府・立法府が無暗に介入するべきではないという大原則が守られなかったことに起因しています。(したがって、警察がベビーカー自粛をお寺に要請した云々を知らなかったという経緯はある意味どうでも良いのです。)

私的な存在に対して政治家や政府が行為を求めるときは法的根拠を持つべき

本件の事例を引き合いに考えると、他に幾らでもガラガラの神社やお寺は存在しているわけで、檀家でもないような人々のためにお寺が配慮する必要性は全くありません。神様は神社などにもいるわけで、そっちに行けば良いだけのことなのです。

初詣の時期に宗教施設という私的な空間がたまたま公開されているだけにも関わらず、政治家や政府が法的根拠もなく対応を求めることは間違っています。

お願い事または相談事という形式を取らず、政治家や政府が私的な存在に対して「どうして〇〇になっているんだ、改めろ」ということがそもそも政治的にも間違っているのです。

たまたま近くに住んでいたからとか、大きな神社やお寺だから、と正月にだけ初詣に行く人が特別な待遇を受けなくても当たり前です。むしろ、お寺側の方針によってそれらの対応の是非は決まるものであり、初詣ベビーカー自粛も何を優先すべきなのかを検討した上での配慮だと言えます。

お寺は初詣場所の提供者ではあるものの、仮に死亡事故などが発生した場合、宗教施設としての運営に支障が生じる可能性があり、住職の方が檀家さんにご迷惑をかけることになるリスクを避けることは当然です。

初歩的な確認事項として、5W1Hを確認し、誰がどのようなリスクを負担しているのかを認識すべきです。本件であれば、参拝者同士の事故などの発生について、他の参拝者と寺院がリスクを抱えています。

何でも社会問題と結びつけて政治家や政府の私的空間への介入を正当化すべきではない

ベビーカーや車椅子に優しいとか優しくないとか以前に、それが大事だと思うなら自分で神社やお寺の氏子や檀家になって対応を求めるべきだ、ということです。

たしかに、神社やお寺も初詣は重要なビジネス機会ではあります。しかし、初詣の対応の在り方にだけ文句がある人は、普段は神社やお寺を何とも思っていないのに正月だけクレーマーになる自分がおかしいと自覚するべきでしょう。

手厳しい物言いかと思いますが、今回の一件は少子化や障がい者差別などの社会問題と結びつけて、政治家や元政府関係者が己の全能感を満たそうとする性が表れたものに過ぎないと思います。

たとえ一見して理にかなっているように見えたとしても、私たちの社会の大前提である私的自治に対して政治家や政府が安易に口を挟む行為を認めるべきではなく、政治家や政府関係者はそれらの行為を厳に慎むべきです。

社会における他者からの寛容さとは、お互いの立場を理解した上で迷惑をかけない範囲で合理的に行動することであって、自らの権利を無理筋で通そうとすることではないのです。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。

 

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yuyawatase at 23:12|PermalinkComments(0)国内政治 | 社会問題

「保守主義の民衆化」というプロジェクト

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池田先生と神谷さんからのご指摘を受けて

筆者が寄稿させて頂いた記事に、ハイエクの『隷属への道』のAmazonキャプチャーを貼っていたことから、池田先生神谷さんから様々なポピュリズムと保守主義の相違に関するご指摘を頂きました。

結論から申し上げますと、お二人の主張は理解している上で、あえてハイエクの『隷属への道』を貼らして頂いた次第です。しかし、筆者が申し上げたかった趣旨を踏まえれば、ルイス・ハーツの『アメリカ自由主義の伝統』を紹介したほうが良かったと思っております。

筆者もポピュリズム(≒民主主義)と保守主義が伝統的に対立概念にあることは理解していますが、ポピュリズムの台頭は避けがたい情勢情勢であることに鑑み、保守主義の思想をポピュリズムに対置させるのみでは手詰まりに陥るものと考えております。

ポピュリズムと保守主義を対置してポピュリズムの暴走による危険性を指摘することは有意義ですが、ポピュリズムの暴走を止めるためにはそれは不十分だと想定しているからです。(まして、今回失敗したリベラルなエスタブリッシュメントにそれを期待することは余計に出来ませんし)

保守主義の民衆化という困難なプロジェクトの必要性

そこで、筆者が重要視していることは、保守主義の思想を民衆に内面化する、ということです。

現代社会において、私たちは今更民主主義を辞めるわけにはいきませんし、その中で極度に肥大化した政府を立法府がコントロール可能なレベルまでダウンサイジングする必要があります。

しかし、社民主義の浸透によって立法府は行政府に対する陳情機関と化しており、巨大な政府を監視する役割などほとんどないどころか、立法府議員が行政府に事実上コントロールされている始末です。そして、民衆は人生の自己決定権を喪失した上に、大きな政府が経済成長を阻害することで更なる不満が募らせることになります。

したがって、今後も更にポピュリズムは拡大することは避けられず、巷で問題の解決策として主張される「再配分の強化」というバラマキ政策が実行されれば状況は更に悪化するでしょう。なぜなら、ポピュリズム台頭の本当の原因である上記の問題は何も解決しないからです。

これらの現状を変えていくためには、民主主義の性質自体を変えていくしかありません。つまり、人々の頭の中の社会主義+民主主義という現在の公式を保守主義+民主主義の新しい公式に変えるということです。

米国における保守主義の民衆化の動向について

米国においても同様の問題は戦後早くから認識されており、民主主義の中で保守主義者が多数を取ることを目的として、保守主義者らによって保守主義の理念を共有するグラスルーツを育てる試みが実践されてきました。

これらの運動は社会的保守と経済的保守の考え方から成り立っており、フレデリック・バスティア、ウィリアム・F・バックリー・ジュニア、F.A.ハイエクの思想などを共有したものとして展開されています。そして、それらの思想を広めるだけではなく、具体的に民主主義の手続きの一つである選挙で勝利するための仕組みも整備されています。

筆者が米国の政治状況について基本的に楽観視している理由は上記の仕組みの存在を認識しているからです。そして、それらの運動に裏付けられた政治勢力が共和党保守派であり、今回の閣僚人事も実質的に共和党保守派によって大半がジャックされた状態となっています。所謂オルト・ライトはほとんど存在せず、トランプ氏関連の人々は閣僚人事のほんの一部に過ぎません。

これは極めて米国における特殊な政治現象かもしれないのですが、私たちが民主主義が浸透した現代社会で採用するべきソリューションの1つとして参考にすべきものであり、民主主義やポピュリズムの内容を変質化させることが重要だということです。

もはやポピュリズムの台頭(まして民主主義体制)は前提であり、民衆の在り方自体を見直すために何ができるのか、を考えていくべきだと思われます。

そのため、冒頭に指摘を受けたように、「なぜポピュリズムの話しているのにハイエクを貼ってるんだ、渡瀬は本当に分かっているのか」という池田先生が疑問を持たれるのは当然ですし、神谷さんが民主主義と保守主義を対比されるのは当然なのですが、上記の通りの趣旨で多くの人にハイエク読んでほしいという文脈で書籍を紹介したということでご容赦頂ければ幸いです。

*ちなみに、筆者は理念と政策なき単なるポピュリズムは大半の行為が行政機関を追認するだけ(日本の民主党政権のように)のものになると思っており、リベラルなエスタブリッシュメントと大差ない結果になるものと考えております。






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yuyawatase at 13:56|PermalinkComments(0)米国政治 | 小さな政府

2017年01月05日

なぜトランプ当選を外した国際政治学者が今年の予測を行っているのか

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米国大統領選挙は「全世界の国政選挙で最も情報が入手しやすい選挙」

最近、昨年の大統領選挙の予測について、国際政治学者などから「米国大統領選挙の予測を外すことは大したことではない」と述べている開き直りの論稿が出てきています。そして、相変わらずファクトが怪しい愚にもつかないほぼ思い込みに近い国際政治の予想を垂れ流している状況が続ています。

筆者は米国大統領選挙の予測すらまともにできない国際政治学者に他の国の政治動向がまともに説明できるとは思えません。

なぜなら、米国大統領選挙は「全世界の国政選挙で最も情報が入手しやすい選挙」だからです。

米国大統領選挙は英語という日本人でも比較的読みこなしやすい言語で情報収集が可能であり、世論調査に関する生データや政局動向についても逐次情報が更新され続けます。日本に物理的にいたとしても米国人並みの情報を得ることができるため、これほど簡単に結果を予測できる選挙は世界に他にありません。

むしろ、筆者のように世論調査・選挙分析を生業の一つとしてきた人間にとっては、日本のほうが各種情報公開の状況が悪くて正確な予測が難しいと思うぐらいです。(そもそも何時解散総選挙になるかを予測することすら難しい。)

つまり、国際政治、特に民主主義国の政治動向の予測という意味では、米国大統領選挙はビギナー中のビギナーが扱うべき題材と言えます。

今年予定されている欧州の選挙予測は米国大統領選挙よりも困難

今年予定されている欧州の国政選挙の予測は米国大統領選挙よりも困難であることは言うまでもありません。

米国大統領選挙のように世論調査結果が常に大量に提供されるわけでもなく、それらの国々の政治情勢は各国の母国語によって詳細に解説されることになります。これらの選挙を日本人がしっかりと予測することは難しく、多くの国際政治学者の皆さんも英字化されたメディアからの情報に頼ることになるのではないでしょうか。

米国大統領選挙では英字メディア(つまり、エスタブリッシュメント側)の情報に頼り切ったため、藤原帰一氏のような国際政治学者がヒラリー大勝利を予言して赤っ恥をかいたわけです。しかし、今年の欧州の選挙はデータに基づく分析がほとんどの日本では行われないでしょうから、彼らが思い込みに近い予想を再び外しても恥の上塗りをしなくても済むことができるかもしれません。

筆者はトランプ当選すら外した人々がなお今年の国際政治の情勢を予測をメディア上で語り続けることに言論界の貧困を感じざるを得ません。欧州政治の話をするなら、せめて欧州の選挙情勢を専門にしている有識者にメディアは活躍の場を与えるべきでしょう。(それだと商業的に雑誌が売れないのかもしれませんが・・・)

今後は専門性の高い地域研究者が報われる環境になることに期待したい

今後は、国立大学などは、少なくとも選挙なら選挙、政局なら政局、各国情勢の専門家をしっかり育成することが望ましいと思います。従来までのように、〇〇国、〇〇地域の専門家、というだけで、専門の畑が全く異なる地域の選挙や政局まで語らせることは無理があるでしょう。まして、全く違う国・地域の専門家に専門ですらない分野を語らせることはいい加減にしてほしいです。

日本にも米国の選挙情勢などについて詳細かつ冷静に研究されている方々もおり、そのような方々に発言の機会がしっかりと用意されていれば、日本国内における今回の大統領選挙予測のようなおかしな結果にはならなかったはずです。今年の欧州の選挙では、昨年の反省を生かして付加価値が高い分析ができる人々が出てくることを望みます。

日本の言論界の悪弊であるリベラルな学者なら専門以外の何を語らせても「それっぽくしゃべることが許される」ことにはそろそろ見直されていくべきではないでしょうか。日本や世界を取り巻く国際政治が難局を迎える中で、高度で専門的な言論の必要性が認識されていくことが重要です。

当確師
真山 仁
中央公論新社
2015-12-18






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yuyawatase at 12:49|PermalinkComments(0)米国政治 | 社会問題

2017年01月04日

悪いポピュリズムと良いポピュリズム

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議会制民主主義の限界について

観念的に言えば、民主主義は多数決で物事を決めるプロセスであり、自由主義は個々の意見を尊重する考え方(小さな政府に繋がる)のことです。

議会制民主主義は議会における議決によって民主主義を担保し、議会における自由な質疑応答によって自由主義を担保してきました。しかし、行政国家化によって議会自体が骨抜きにされることによって、議会は行政当局による法案の追認機関と化してきました。

行政権を見張るはずの立法府は政府からの利権を求める行政府に陳情を代弁するだけの組織に堕しており、議会制民主主義は既に死に体であるということも間違いありません。

したがって、政治的な意思決定と切り離された人々の苛立ちが高まることによって、世界中でポピュリズムが発生していることには同意します。そして、それらは議会制民主主義というよりも直接投票による大衆の歓呼によって出現しやすい状況となっています。

この状況はナチスドイツが出現した際にも見られたものであり、この大衆の歓呼をしてポピュリズムと看做すのであれば、ポピュリズムが危険なものであることは同意します。

悪いポピュリズムと良いポピュリズム

しかし、既に行政国家化とそれに反発するポピュリズムの発生という政治的状況について、私たちはそれらから逃れることはできません。この状況は所与のものであり、その中でベストを尽くすことを考えていくべきだと思います。

したがって、悪いポピュリズムと良いポピュリズムは何か、ということを考えることが重要です。

筆者が考える悪いポピュリズムとは、行政国家が残されたまま、為政者が民衆の願望を叶えるために、政府組織・権限を際限なく肥大化させていくタイプのものです。つまり、ナチス・ドイツが典型的な行政国家ということになります。

現在の日本も与党も野党も「空気を読みながら」バラマキ・増税志向の大きな政府を志向しているので、既に議会制民主主義は死んでいて静かなポピュリズムが進行しているとも言えます。日本では、政府に対する自由とは何か、ということがほとんど政治的なテーマにすらならい状況です。これは悪いポピュリズムの典型だと思います。

筆者が考える良いポピュリズムとは、行政国家を解体過程に乗せて民衆が自分の生活の自己決定権を取り戻すタイプのものです。残念ながら、既存のポピュリズムではあまり見かけることがないタイプではあるものの、私たちが目指すのはこちらのタイプのポピュリズムであるべきでしょう。

むろん、良いポピュリズムは、ハイエクが主張する「法の支配」のような考え方を重視するものであり、悪いポピュリズムに走らないように民衆が歴史や思想を深く理解することが重要になってきます。

少々理想的に過ぎるかもしれませんし、それが歴史上困難なプロジェクトであっても、そちらを志向する人々がどれだけいるかで人々の盛衰は変わるものと思います。

民衆の中に保守主義を根付かせることができるか

議会制民主主義がある程度機能してきた国では、民衆の代表がポピュリズムによって政権を取ったときに行政国家に対する歯止めを機能させようとする動きが出るかもしれません。

代表的な国は米国であって合衆国憲法の構造も然ることながら、合衆国憲法を信棒する米国民は必然的に法の支配を志向する傾向があるからです。

実際、米国の共和党保守派を中心に腐敗している立法・行政の双方の権限を縮小し、人々の自己決定権を取り戻そうとする主張が激しく喧伝されています。これらは良いポピュリズムとして議会制民主主義の機能を取り戻していくことにも繋がるかもしれません。

一方、欧州のポピュリズムは行政国家化が非常に進行している上に、EUによる更なる中央集権化後の社会に起きているものです。また、その国々の根幹にも自由主義や法の支配が必ずしも共有されているわけではありません。したがって、悪いポピュリズムに走る可能性が高いです。

今年はフランスなどの欧州諸国で国政選挙がありますが、その結果として極右や極左が台頭することで、EUから自己決定権を取り戻すと同時に、多くの国民が自らが選んだ為政者によって自国内で人生の意思決定権が奪われていくことを体験することになるでしょう。

悪いポピュリズムに走る国は歴史の流れの中で衰退し潰れていくしかありません。これは避けようがない現象であり、ポピュリズムは行政国家化した政府に対する一つの薬でしかなく、その結果が薬物依存患者の国になるのか、それとも健全な人々の国になるのかは、同国民の意志にかかっています。

つまり、民衆の中に保守主義を自生的に根付かせることができるかどうかが重要なのです。そういう意味で、多くの人にハイエクの隷属への道を読んでほしいと思います。


 


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yuyawatase at 19:48|PermalinkComments(0)国内政治 | 社会問題

なぜ「3.9+5.1=9.0」が正しくないのか?

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学校は「何」を習うところなのか?という問い

少し前から「3.9+5.1=9.0」という小学生の回答が減点対象となった事案について、「子どもの創造性を失わせる」という批判が浴びせられていますが、それらの批判は筆者には極めて教条主義的な教育論に思えて仕方がありません。

そもそも「3.9+5.1」の回答が9または9.0どちらであったとしても、子どもはそれが間違いでないことは知っています。「9.0」という回答が減点された瞬間には何が起こったのかは理解できないかもしれませんが、少し考えれば正しい回答ではあるものの、先生が何を言いたかったか分かるはずです。

それに、小数点の計算は別に学校に行かなくても覚えられるものでしょうし、この程度のことで摘まれてしまう創造性など創造性ではありません。そのため、学校とは何を習いに行くところなのか、という問題に私たちは向き合う必要があるでしょう。

学校は役所に対する面従腹背を覚えるために行くところ

学校は行政機関の一部です。学校を教育機関として神格化している人々には大変申し訳ないのだけれども、そのような場所で創造性が育めると思っているほうがお門違いだと思います。

カリキュラム内容も学習指導要領で定められた英国数社理を中心とした課目を習うものであり、何のためにそれらを習っているかも二の次で、とりあえず最低限の点数が取れるように教育されていくわけです。したがって、カリキュラム自体にも自発性の欠片もありません。

学校で覚えられる事は、学校(=お役所)が求めていることを淡々とこなすこと、です。多くの国民は人生に必要な勉強か否かはともかくとして、政府が求めることに表向き従うことを学習することになります。

その中で「3.9+5.1」の回答が「9.0」で減点されて「9」であることを求められたら、心の中ではアッカンベーをしながら表向きは間違いを認めたように振舞うことを教えるだけで良いのです。

世間ではどちらでも良いが、学校では「9」である理由を教えることが大事です。そうすると、先生は満足してくれるわけで、子どもは「大人の社会とはこういうものか」と思えば良いのです。

それで創造性が削がれたり、9.0が本質的に間違った回答だと思う子どもはいないはずです。子どもはそこまで馬鹿ではありません。

むしろ、一歩踏み込んで「先生の反応がなぜそうなるのか」について「学習指導要領」、「文部科学省」、「職場の論理」などについてまで深い考察ができる子どもがいれば、探究心に溢れた学生として褒めてあげたいと思います。

学校は時代遅れな場所であり、その在り方を問うてもそもそも意味がない

学校はそもそも時代遅れな場所であり、家庭の親御さんのほうが先生よりも高度な教育を受けていることもザラになってきています。また、気が利いた家庭ならばPCやその他の機材についても学校よりも高度なものを有していることもあるでしょう。

創造性や自発性を引き出すような教育を学校のシステムに求めることは困難です。システムではなく人間として興味深い教育を授けてくれる先生がたまたま存在するのはギャンブルに過ぎるでしょう。学校というのは大人が思っている以上に、大人の社会のルールが適用されている場所なのです。

子どもに対して学校のシステム(しばしば理不尽なエラーを起こす)よりも高度な教育を与えようというならば、それらの教育を施す方針の私立の学校に入学させるか、家庭での教育をしっかりさせるしかありません。

そうでなければ永遠に終わることがない行政改革と同様に、子どもをいつまで経っても改善されることがない教育システムに放り込んで任せっきりにしていることと同義と言えます。

自発性や創造力を引き出す教育を学校に求めるという不可能な挑戦をやるべきだ、と論じるくらいなら、早々に学校での教育に見切りをつけて別の方法でそれらの教育を子どもに与えるべきでしょう。



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yuyawatase at 14:33|PermalinkComments(0)社会問題 

2017年01月03日

東京都・小池都政の「高すぎる経済成長目標」は妥当か

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小池都政が目指す「高すぎる」経済成長目標

「東京ファーストでつくる新しい東京」という小池都政の2020年までの計画が昨年末に発表されたので、筆者も一応ざっと目を通してみました。

全体として数値目標が設定されるようになったことは良かったと思いますが、掲げられた重要な数値目標の設定についての妥当性には極めて疑問があります。

その数値目標とは2020年度・都内GDP120兆円(名目)という数字です。

計画に記載されている通り、2014年度・約 94.9 兆円基準として2020年度120兆円を目指すとなると、2015年度からの毎年の経済成長率は4%程度必要になります。実質ではなく名目であったとしても近年では全く達成できていない高いハードルだといえるでしょう。


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「都民経済計算(都内総生産等)平成27年度速報・平成28年度見込」から引用>
 
実際に、東京都が発表した都内総生産の2015年度速報・2016年度見込みを見ても、2015年度は微増・2016年度は減少しています。仮に、2016年度見込94.4兆円をベースにすると毎年名目6%以上の成長を平均して記録しなければ2020年名目120兆円を達成することはできません。

「東京ファーストでつくる新しい東京」の策定経緯

上述の「東京ファーストでつくる新しい東京」を参照したところ、概ね3回のプラン策定会議によって同計画は承認されたものと思われます。

プラン策定会議の議事録を読んでみましたが、上記の経済成長目標の数字については事務方から説明があっただけで、それを達成するための方法が十分に説明されているようには思えません。

むしろ、「数字目標を議論しながらも何も現実の数字を踏まえない会議」などやる意味があるのか、とすら思えます。〇〇を〇〇やります、的ないかにも行政的なやりっぱなし感が拭えないものとなっています。

同策定会議には事務方がズラッと並んでおり、基本的にはその場で意思決定を覆すようなものではありませんが、それでもこの会議にこの数字が出てくる前に止めるべきだったのではないかと思います。

東京都政は「霞が関のお絵描き」から一線を画すべきだ

都内総生産2020年120兆円(名目)は、アベノミクスが目標とする2020年頃にGDP600兆円を目途とする計画に合わせて、日本国の約20%を占める東京都の域内総生産を単純に割り当てただけの数字だと推測されます。

日本全体・名目GDP600兆円は現状でも極めて厳しい数字であり、日本経済が毎年3%以上の成長をする必要があり、世界経済の順調な成長とインフレの進行が前提となっています。

前者はトランプ政権による巨額の景気刺激策によって下支えされる可能性がありますが、中国・欧州などでの不安定要因も依然として大きい状況です。また、後者は日本銀行が事実上グロッキー状態であり、異次元緩和が手詰まりな状況となっています。そして、そもそも日本の名目GDP自体、最近は年間3%成長を実現できていません。

したがって、東京都が都内総生産名目・120兆円の目標を達成するためには、霞が関の非現実なお絵描きに付き合っているだけでは困難なものとなっています。

小池プランの経済成長目標を達成するために必要なこと

上記の通り、霞が関に阿る東京都官僚の非現実な絵に描いた餅を食べさせられた小池都知事は、今後都議会運営で非常に厳しい立場に立たされることでしょう。都議会議員から何かある度に同経済成長目標を引き合いに出されて未達を叱責される状況となります。

そして、小池都知事が独力で経済成長目標を達成することは、従来の延長線上の現在のプランではほぼ不可能です。筆者には上記の計画の施策を繋げてみても目標達成ができるとは全く思えません。

小池都知事が目標を達成するためには、地方交付税改革、に手をつけるしかありません。国税に繰り入れられた地方交付税を推計し、各都道府県に再配分した差額の数字を基にすると、東京都からは地方交付税という形で毎年約7兆円近い税金が流出しています。

まずは、これらのマイナスを堰き止めるべく、東京都の意見を代弁する政治勢力を都政だけでなく国政にも形成してくことが必要です。今年の都議会議員選挙で小池新党が立ち上がると看做されていますが小池都政のプランを実現するためには国政にモノを申せる力が必須だと言えます。

また、トランプ政権が打ち出す法人税減税競争は世界中の都市を新たな競争に巻き込むことになり、増税志向で動きが鈍い霞が関に合わせているようでは競争に敗北するのは必然でしょう。世界的な都市間競争に打ち勝つための東京都独自の減税・規制緩和政策を推進していく必要があります。

小池都政は既に後戻りできない数字を発表しており、小池氏が経済成長目標を達成するためには、東京ではなく日本の大改革が必要です。したがって、既に昨年末に戦いの火蓋は静かに切られていると言えるでしょう。



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2017年01月02日

2017年・トランプ政権指名済全閣僚評価と展望

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トランプ政権はトランプ・共和党保守派の連立政権

2017年、トランプ政権発足まで約20日程度となり、そろそろ本格的に同政権の閣僚人事について論評していきます。

同政権の閣僚人事を一言で評価すると「トランプ人脈と保守派人脈の連立政権」と言えるでしょう。ビジネスを重視するトランプ人脈、建国の理念(小さな政府)を重視する保守派、の両派によって主要閣僚人事が構成されており、米国共和党内で権勢をふるってきた主流派エスタブリッシュメントの影が薄くなりました。

大統領選挙本選においてブッシュ・ロムニーら共和党主流派が離反し、選挙戦をトランプ氏と保守派が協力して乗り切った結果が大きく影響していることが伺えます。

そのため、従来までと同じ共和党政権の体裁は取っているものの、史上最も保守的な政権と呼べる閣僚の配置状況となっており、それらの保守派の原理に上乗せされる形でトランプ氏の経済的な交渉センスが発揮される布陣がなされています。この特殊な二重構造を理解することで同政権に関する実態に近い論評が可能となります。

本論考では上記のトランプ・共和党保守派の連立政権という視座に立ち、今後米国内で起きる政策展開について予測を行っていきます。したがって、日本国内では極めて珍しい視点からの分析となるものと思われます。

産油・産ガス国、エネルギー産業国家に生まれ変わる米国

最も大きな政策転換は米国内のエネルギー資源開発に関する規制撤廃です。

昨年7月にノルウェーの独立系調査会社Rystad Energy社が試算したシェールを含めた石油埋蔵量は米国が世界第1位となっており、トランプ政権によって米国は産油・産ガス国、その輸出国として変貌していく可能性は十分にあります。

そして、入閣した保守派の3閣僚(エネルギー省・環境保護局・内務省)と国務長官人事がその政策転換を象徴しています。

リック・ペリー・エネルギー省長官は前テキサス州知事であり、2011年の共和党予備選挙で無駄が多い政府機関としてエネルギー省の廃止を謳った人物です。実際には同省の役割は原子力に関する管理がメインとなるものの、エネルギー産業と深く結びついたテキサス州知事経験者によってエネルギー規制緩和が強烈に推進されていくことになります。

スコット・プルイット環境保護局長官は、オクラホマ州司法長官などを歴任し、シェールオイルなどの採掘に重要な水圧破砕法の影響を連邦政府が監視することに異議を申し立ててきた人物です。また、直近では、オバマ政権下の環境保護局が実施した温室効果ガス削減のためのクリーンパワープランにも反対しています。

ライアン・ジンキ内務長官は連邦政府所管の土地でのエネルギー資源開発に前向きです。米国では州政府所管の土地でのエネルギー開発は進んでいますが、連邦政府所管の土地の開発は不十分な状況にあります。地味な役どころではあるものの、エネルギー開発における同省の役割は非常に大きいと言えるでしょう。

上記の保守系の閣僚の入閣に加えて、レックス・ティラーソン国務長官の存在は非常に大きいものと思います。エクソン・モービルCEOとしての国際的なエネルギービジネス経験、世界有数の産油・産ガス国であるロシアとのコネクションは、トランプ政権下におけるエネルギー増産政策・輸出政策を成功させる鍵となります。

これらのエネルギー関連の閣僚人事は、エネルギー関連規制の緩和という悲願を達成したい保守派、経済の柱としてエネルギー産業を育成したいトランプ氏の両者の意図が組み合わさった見事な人事と言えるでしょう。

ウォール街出身者と敵対する保守派の「ドッド・フランク法廃止」という手打ち

トランプ政権では、ゲーリー・コーン国家経済会議議長、スティーブ・ムニューチン財務長官らのゴールドマンサックス出身者、著名な投資家であるウィルバー・ロス商務長官などが登用されました。そのため、トランプ氏の選挙期間中の反ウォール街姿勢に対する支持への裏切りと看做す向きも出ています。

しかし、これらの投資銀行などの出身者と共和党を支持する保守派は、ドッド・フランク法の廃止または大幅な修正という一点で利害を共有しています。

リーマンショックへの反動として導入された金融機関に過度な規制を強いるドッド・フランク法を廃止し、金融機関の組織運営や貸し出しに関する自由度を高めることは、ウォール街も共和党保守派も賛成しています。したがって、同法案への理解が深いウォール街関係者が経済系の閣僚として入閣しても不思議ではありません。

共和党保守派の支持者の多くは自営業者などの小規模事業経営者などです。したがって、彼らは地域の金融機関であるコミュティバンクなどからの借り入れを行っています。トランプ氏及び共和党は、ドッド・フランク法が制定されたことで、地域金融機関の貸し渋り・倒産が増加していることを問題視しており、同法を廃止・修正することに合意しています。(商業銀行と投資銀行業務を切り分けるグラス・スティガール法が復活するかはまだ分かりません。)

ちなみに、トランプ氏が任命したプロレス団体CEOのリンダ・マクマホン中小企業局長は、叩き上げの経営者であるとともに、グラス・スティガール法の廃止が金融危機の一因とみなして連邦議会における再制定を働きかる活動をしていた保守派の人物として知られています。

したがって、パッと見た感じではエスタブリッシュメントな人々の入閣人事は保守派(トランプ支持者含)への裏切りのように見えますが、実際には政治的な妥協は既に済んでいると看做すべきでしょう。

国内法制(社会保障、労働、教育など)の再自由化を推進する保守派

規制廃止・緩和の流れはエネルギーや金融だけではなく、更に幅広い分野の政策に展開していくことになります。具体的にはオバマケア廃止、労働法制緩和、教育の自由化などについてです。

トム・プライス保健福祉長官は連邦議会における反オバマケアの急先鋒として知られており、連邦議会においてオバマケアの廃止法案を立案した人物です。米国版の国民皆保険であるオバマケアはバラ色の社会を保証したわけではなく、巨額の財政負担の見通し、保険料の値上げ、企業側の正社員削減への誘因増、無保険者への罰金などが問題となっており、共和党は同法に強く反対する立場を取っています。

アンドリュー・パズダー労働長官もオバマケアには反対の立場であるとともに、連邦政府による最低賃金の引き上げには反対する立場です。共和党は最低賃金の裁量を各州に移管することを主張しています。(現在は連邦法以上の最低賃金を各州が定める場合はそちらに準拠し、残りは連邦法によって定められた最低賃金が適用されます。)全米でファーストフードチェーンを展開・現場に精通してきた同氏が労働長官に就任することは理にかなっているものと思われます。

ベッツィ・デボス教育長官は米国児童連盟委員長を務め、スクール・チョイス(学校選択制度)やチャータースクールの推進者です。米国では公立学校の環境が必ずしも良いものとはいえず、近年で独自のカリキュラム・環境で教育を行うチャータースクールが増加しています。同氏は教育改革に熱心なマイク・ペンス副大統領の推薦と言われており、同政策は保守派が非常に力を入れている政策分野としても知られています。

トランプ氏とも大統領予備選挙で保守派候補として競合し、その後いち早くトランプ支持を打ち出した黒人医師であるベン・カーソン氏は住宅都市開発長官に就任。同氏は大統領予備選挙からインナーシティ問題などの都市問題に注目し、選挙の論功を含めて抜擢されることになりました。

一方、規制を強化する分野を挙げるならば不法移民対策ということになります。これはジェフ・セッションズ司法長官が担当することになりますが、実はオバマ政権下でも7年間で250万人の不法移民を追放しており、不法移民を不当に擁護する聖域都市への補助金支給などについて従来よりも厳しい運用がなされる程度となるでしょう。

保守派には減税政策、主流派・民主党にはインフラ投資の使い分け

トランプ氏は税制・財政政策を上手に活用することで経済成長と議会対策を実現していく模様を見せています。米国では減税政策は共和党保守派、インフラ投資は民主党に親和的な政策とされています。そして、共和党主流派は保守派・民主党の中間的な立場といったところです。

所得税の簡素化・減税、法人税の大減税、領域課税は共和党保守派にとっては非常に望ましいものと言えるでしょう。

マイク・ペンス副大統領はインディアナ州知事以前の連邦議員時代からのティーパーティー支持者であり、プリーバス大統領首席補佐官は2011年の共和党全国委員会委員長選挙で保守派から支持を受けて同委員長に選出された人物です。この二人が政権の重要職に就任しているだけでも政権内での保守派の影響力の強さを示されている状況です。

この二人は日本で紹介されるときには主流派との繋ぎ役として紹介されていますが、いずれも減税を推進するティーパーティー運動の拡大に努力してきた人物であり、主流派とも話ができる保守派の人物と評するほうが正しい認識と言えます。

一方、スティーブ・バノン首席戦略官が強烈に推進する巨額のインフラ投資は、共和党主流派及び民主党を取り込むための政策として機能していくことになるでしょう。なぜなら、インフラ投資のような財政政策は共和党保守派は好むものではなく、即効性がある景気浮揚策として必要ではあるものの議会対策は容易ではないからです。

そのため、ブッシュ政権でも閣僚を務めたエレーン・チャオ運輸大臣の登場ということになります。彼女の夫は上院共和党主流派のドンであるミッチ・マコネル氏です。彼女がインフラ投資を所管する運輸大臣に就任することは、トランプ政権におけるインフラ投資が共和党主流派の利権であることが事実上のメッセージとして送られたことになります。

一方、米国内の公共インフラは老朽化が進んでいるため、民主党側のヒラリーもサンダースもインフラ投資を打ち出していました。そして、トランプ氏のインフラ投資額として選挙期間中に明示されてきたものはヒラリーとサンダースの中間規模のものでした。共和党側の一部が反対することも視野に入れて、民主党側を取り込んでいく可能性も十分にあります。

インフラ投資は共和党主流派と民主党に対する交渉カードとして機能していくことになるでしょう。

国連、中東、ロシア、トランプ政権人事から見えてくる外交・安全保障の意図

上記でも触れた通り、トランプ政権においてはエネルギー外交などの経済外交が重視されていくものと推測されます。つまり、余計な軍事コストなどをかけず、経済的なメリットを得ていくという方向です。この点においてもトランプ氏と保守派のコラボレーションは上手に機能していると言えるでしょう。

米国にとって、国連、中東、ロシア、中国などが外交・安全保障上の重視すべき要素です。

国連(事実上は欧州)についてはトランプ氏はあまり重視する姿勢は見せていません。そのため、国連大使のポストを国内政治対策のためにうまく利用する形となっています。今回国連大使に指名されたニッキー・ヘイリー女史はインド系で女性のサウスカロライナ州知事です。日本ではあまり知られていませんが、2016年保守派年次総会であるCPACにおいて副大統領候補者に相応しい人物として首位となり、共和党保守派から絶大な人気を誇る人物です。

実は彼女はトランプ氏とは予備選挙では途中まで対立関係にありましたが、トランプ氏はこの曰くつき人物を国際的な見栄えの良いポストに立たせることで保守派の懐柔を図ることに成功しました。ニッキー・ヘイリー女史は共和党初の女性大統領候補者としてトランプ氏の次に頭角を現す可能性が高い人物として覚えておいて損はないでしょう。

中東については対イランで強硬な姿勢を見せている以外は比較的抑制的な布陣だと言えます。

共和党はイランとの核合意・制裁解除に一貫して反対しています。また、トランプ政権は米国内のエネルギー開発を順調に進めていく上でイランからの石油の輸出による価格下落を防止したいというインセンティブを持っています。そのため、イランに対しては極めて厳しい陣容であり、その急先鋒が対外諜報活動を統括するマイク・ポンぺオCIA長官です。同氏はイラン核合意について下院において最も強硬な反対の論陣を張った人物として知られています。

一方、ジェームズ・マティス国防長官やマイケル・フリン国家安全保障政策担当大統領補佐官は、様々なメディアの憶測とは異なり極めて現実的な人々だと思われます。両氏は米国保守派の基本的なスタンスである同盟国重視の姿勢であり、単独行動主義のネオコンとは距離が遠い人物です。そのため、中東においてもサウジアラビア、イスラエルとの関係を重視し、ロシアとの妥協によって同方面の安定化を図っていくものと考えられます。

ロシアについては選挙期間中からのトランプ・プーチン間のラブコールが示す通り、オバマ政権下の半冷戦状態から劇的に改善していくことになるでしょう。両国の間には本質的な安全保障上の利益の相違が存在しています。しかし、トランプ氏がその利益の相違を乗り越える意思があることはプーチン氏と深いつながりを有するティラーソン国務長官を任命したことで明確になっています。その結果として、米ロエネルギー産出国同士の国益に基づく非産油国に対する協商関係が生まれることになるでしょう。

ただし、両者の最も大きな利益の相違点はミサイルディフェンスに関する見解にあり、この点についてはトランプ・プーチン政権になったとしても解決しないでしょう。トランプ政権のブレーンとして機能しているヘリテージ財団は同政策の強烈な推進者であり、対ロシア安全保障政策はミサイルディフェンスに重点が置かれるものとなっていくことが予想されます。

アジア向けの通商政策の見直し、米中の表面上の対立と事実上の関係深化の可能性

アジア向けの人事で注目したい人物は、国家通商会議を統括するピーター・ナバロ大統領補佐官・通商産業政策部長、マット・ポッティンジャー米国家安全保障会議アジア上級部長、テリー・ブランスタド駐中国大使の3名です。

ピーター・ナバロ補佐官は、カリフォルニア大学教授で対中強硬派として知られた人物です。新設される国家通商会議は経済分野だけでなく安全保障面も大統領に具申するとされており、アジア政策に関する保守派側のキーパーソンということになります。12月に行われた台湾との電話会談もナバロ氏やヘリテージが仲介したものとされています。

マット・ポッティンジャー氏は中国でWallstreet Journal などの記者として、環境問題、エネルギー問題、SARS、汚職などについて報道し、その後海兵隊に所属してイラクやアフガニスタンなどの現場に従事した人物です。アフガニスタンにおけるインテリジェンス活動を再建させるためのレポートを上述のマイケル・フリン国家安全保障首席補佐官とまとめたメンバーでもあります。従来までの学者肌の同職の人々とは異なり、現場の中で揉まれたたたき上げの人物です。

テリー・ブランスタド駐中国大使はアイオワ州知事であり、習近平中国国家主席とは30年近い友人関係を持った人物です。トランプ政権が習近平国家主席をターゲットにしたトップ外交のための人脈として北京に送り込む形となります。また、アイオワ州の産品でもある農産物の輸入緩和を同国に迫る意図も見え隠れします。

以上のように、トランプ政権にとっては東アジア外交とは中国との関係を意味しており、TPPも日本も台湾も対中関係の変数として扱われていることが良く分かります。トランプ氏が祭英文女史と電話したり、ウィルバー・ロス商務長官がジャパンソサエティーの代表を務めていることに喜んでいる程度の日本外交のレベルでは先が思いやられます。

中国に対して貿易摩擦的な保守派の強硬な論調で押しつつも、習近平氏とのトップ会談による問題解決を志向する姿勢は明白です。おそらく為替、補助金、その他諸々の話題で米中関係は表面的には深刻化するでしょうが、両国の間における妥協が徐々に成立していくことで米中関係は却って更に深まる可能性もあります。

トランプ政権を理解・分析する上で必要となる視座とは何か

トランプ政権を理解・分析するためには、米国共和党の保守派の方向性を理解した上で、トランプ氏が任命する具体的な人事情報を基にしてその意図を汲み取ることが重要です。

現在、日本国内で流布している有識者・メディアによるトランプ政権評は、大統領選挙以前と何も変わらない米国やトランプ氏に対する無理解に基づく情報ばかりです。

トランプ政権に対するレベルの低い報道に終始した2016年は既に終っています。新しい年である2017年では、米国に誕生するトランプ政権という新たなスーパーパワーについてより意味がある議論が行われることを期待しています。

スーパーパワー ―Gゼロ時代のアメリカの選択
イアン・ブレマー
日本経済新聞出版社
2015-12-19

本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。

 

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2017年01月01日

2017年・民衆の時代(ポピュリズム)の本格化

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2017年・民衆の時代(ポピュリズム)の本格化

昨年はBrexit、トランプ勝利、イタリア国民投票、小池都政の誕生など、既存のエスタブリッシュメントに対する民衆の反発が先進各国で発生しました。そして、本年も引き続き、このムーブメントは他各国にも紆余曲折を経ながらも拡大していくものと思います。

主要メディアではこれらの現象を極右の台頭と定義する表面的な言説が当初は溢れかえっていました。しかし、イタリア国民投票で左派の五つ星運動が主体となっていたことで前述の偏った見方は修正されて、現在では左右の違いを超えたポピュリズムの台頭として再定義されつつあります。

2017年に予定されている国政選挙でポピュリズム側が勝利しなかったとしても、その流れは留まるわけではなく、今後も世界中に拡散し続ける流れは変わらないでしょう。世界は一部のエリートから民衆に力を取り戻すプロセスの中にあり、ポピュリズムの拡大は一過性の現象ではなく、政治的な前提として所与の状況として捉えるべきだからです。

民衆の時代(ポピュリズム)の特徴は、人々の手に意思決定権限が戻ること

ポピュリズムの拡大は国際機関や中央政府に対する民衆の自己決定権を取り戻す運動の拡大と看做すべきでしょう。これらは民衆の自立心や誇りを問うものであるということに特徴があります。

EUの中央集権的なエリート主義に対する英国やイタリアにおける拒否感は、Brexitやイタリア国民投票の結果として明確化し、EU中央からの指令ではなく自分たちの手による政治的な意思決定を重視する意思が示されました。これらの背景にはEU統合後に急速に周縁化していく主要国民の危機意識があったものと思います。

米国においてもワシントンによる中央主権的な支配、連邦政府による増税・規制強化などに対する怒りが結実し、トランプ政権の誕生(&リバタリアン党の躍進)という大きな政治的決断が行われました。米国の保守的な自由主義の伝統がオバマ・ヒラリーのワシントン政治を否定する結果となりました。

日本においても国政レベルではないものの、主要国並みの経済力を持つ東京都において、政権与党が公認する地方創生を主導した元総務大臣が都民の声におされた小池氏の前に敗れることになりました。同選挙を通じて従来までは関心が薄かった東京都民の税金の使い道に関心が集まり、オリンピック委員会などの都民の税金を食い物にする集団への批判が高まりました。(選挙以前からエンブレムのデザインなどにまつわる一般国民・上級国民問題などが文脈として存在していました。)

これらの現象は民衆の与り知らぬところで税金の使途や規制の強化が行われることへの反発という点で共通しています。したがって、ポピュリズムとは特権的なエスタブリッシュメントたちから人々に意思決定権限を取り戻す政治的な潮流といえるでしょう。

力を身に付けた民衆が時代遅れのエスタブリッシュメントに取って代わるとき

世界各国のエスタブリッシュメント(既得権者)はこれらの民衆の動きに対して激しくバッシングを加え続けてきました。筆者はこれらをインテリによるリンチとして「インテリンチ」と呼称しています。

彼らエスタブリッシュメントは、Brexitやトランプ現象に対して、主要メディアを通じて選民思想を丸出しにしながら民衆を罵倒し、民衆の意思や能力を否定することに躍起になってきました。エスタブリッシュメントにとっては、民衆がエスタブリッシュメントによる善導を否定し、自らが自分の意志で歩む姿を示すことなどあってはならないことだからです。

しかし、Facebook、Twitter、ネットメディアの発達は言論空間・政治空間の民主化を促し、一部の既得権による情報取得・伝達手法の独占状態は実質的に終わりました。そして、情報伝達の手法に革新が生じたことで、民衆側に政治的な権力のパワーシフトが起きることになりました。

既得権者は民衆の時代が到来したこと自体を否定したいor信じたくない、という態度を示し続けていますが、それらの動きは不可逆的なものであり、彼らの行為は不毛かつ無駄な努力といえるでしょう。多くの人々が恐れることは「時代遅れ」になることです。そして、エスタブリッシュメントが恐れていることは、世界が変わること・自らが時代遅れとみなされることです。

むしろ、今後は力を身に付けた民衆の中から既存のエスタブリッシュメントに取って代わる民衆と一体化した強力な政治力を持った人々が表れてくることになるでしょう。その日は決して遠いものではないものと思います。

民衆の時代(ポピュリズム)では真の民度が問われることに

ポピュリズムは排他的・保護主義的な傾向があるものとして批判され続けています。その指摘は部分的には正しいところもあります。ただし、それらはエスタブリッシュメントによる中央集権的な政治によっても発生するものでもあります。(ソ連の社会主義体制などはその典型でしょう。)

つまり、それらの主張は自分が気に入らない政治的な潮流を否定しようと思えば、見方の角度を変えれば幾らでも否定的な見解を示すことができるという事例でしかありません。むしろ、これからは民衆の時代の到来を所与として受け入れた上で「何が重要であるのか」について議論を進めていくべきだと思います。

民衆の時代では、民衆の民度が直接的にその政治のレベルとして反映されます。エスタブリッシュメントが一定のレベルの平均値を叩き出してくれる丸投げの政治は終わりを告げたということです。

エスタブリッシュメントと同様に民衆の中にも外国民との対立を煽り、陰謀論的な保護主義的言説を垂れ流す輩は多数存在しています。それらの人々が力を持つようであれば、その国・地域の政治・社会は停滞して没落の一途をたどることになるでしょう。

一方、自由で活発な社会を支持する人々が多数となれば、経済的・社会的な繁栄を得ることができることになります。そのためには、私たち自身の民度を底上げして歴史や社会についての知見を幅広く持つことが重要となります。

仮に多くの人々が自由で活発な社会の意義を理解・支持することができれば、一部のエスタブリッシュメントがそれらを指導してきた時代よりも遥かに優れた良い政治が行われていくことになるでしょう。

世界は私たちの民度が問われる時代に突入し、そのレベルによって民衆の生活水準が変わっていくことになります。徒にポピュリズムを卑下するのではなく、その良い面・悪い面をしっかりと認識した上で対応をしていくべきです。

政治が良いものになるか・悪いものになるか、私たち自身が政治の責任を他者に転嫁できない社会が訪れつつあるのです。民衆の時代に問われるのは、私たちの「真の民度」だと言えるでしょう。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。



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