2016年08月
2016年08月17日
ミニ・アイヒマン化するサラリーマン議員たち
(多くのユダヤ人を強制収容所送りにしたアイヒマン)
都知事選挙の候補者擁立に関する政党所属議員の「呆れた言い訳」
都知事選挙から半月ほど経ちました。この間に有権者や支持者から「何故、あの候補者を擁立したのか?」という質問を突きつけられた与野党の議員たちの言い訳があまりにも酷いと感じたので備忘録として記しておきます。
特に酷い有様は「組織人・会社員にようなものだから分かってくれ」という趣旨の発言を繰り返すものであり、場合によっては説明を求める国民に対して逆切れ、または自らの推薦した候補者への罵詈雑言などを並べ立てている状況となっています。
おそらくWW2の後に掌を返したように政治姿勢を180度転向させた人々はこんな感じだったのだろうなと思います。むしろ、信義も信念も全て置き去りにした対応に没我的対応に清々しさすら感じさせています。
政党所属議員は「組織人・会社員」なのか、腐ったサラリーマン根性の議員たち
上記の組織人・会社員という概念を用いて説明しようとする議員の立場を根本的にはき違えたものです。
今回の都知事選挙の候補者選びは「政党幹部が決めたもので自分が関与したものではない」という理屈があるため、議員たちの「組織の上の人に命令されたのでやっただけ」という意識が露呈している状況が伺えます。
ただし、これらの腐った根性が染みついた議員たちは、誰が自分たちに議席を与えているか、を忘れて、政党幹部が推薦する候補者を組織人・会社員意識に基づいて、自らが納得していなくても「心にもないような歯の浮くような候補者を持ち上げる妄言」で自らを支持する有権者に推薦したのです。
保険の代理店が自分の顧客にあまりオススメできない商品だけれども、本社が強烈にプッシュしている商品だからとりあえず売りさばいておこうというノリですね。そして、問題が表面化した後に「あの商品には実は疑問を抱いていたが、組織人・会社員として仕方がなかった」と顧客に白々しく述べているイメージと言えるでしょう。(ちなみに、サラリーマンであったとしても「欠陥商品を売れ!」と言われたら気骨のある人物は退職届を出します。会社員云々と言い訳する議員には日本の会社員を舐めんなよ!と言いたい。)
これらの議員は「政党幹部に良い顔するために自分に投票してくれた有権者を政党組織に売り渡した」だけです。有権者を代弁する議員としての役割を何ら果たそうとしなかったペテン師のようなものです。
今回の選挙では、政党に粛々と従った人の他に、候補者選考に明示的に反対した人や沈黙しつつサボタージュした人、様々な対応をした議員もいました。自らに投票してくれた有権者に対して真摯であった人々は政党から無理強いされた候補者を有権者に出まかせを述べて推薦することは行わなかった、と思います。
組織人・会社員に例えて自らの責任回避を強調するミニ・アイヒマン議員問題
責任回避のために組織人・会社員に例えて自らの立場を強調する人々は議員を務めるべきではありません。なぜなら、この人々は自らの政治的責任を「他責化」することに疑問を持たない人たちだからです。
どのようなおかしな決断であったとしても「組織が命令したことだから」という理由で正当化できると思っているなら、ナチスの強制収容所にユダヤ人を送り続けたアイヒマンとほとんど変わらない思考の持主だと言えます。
この人たちは「党幹部がこう言ったから」とか、「首長がこう言ったから」とか、自分の政治行動を他人の責任にして生きていくつもりでしょうか。何かの間違いで首相になったとしても「時代がこうだった」とか、「アメリカがこう言っている」とか、自らの意志と責任を捨象して様々な言い訳を作り出すだけの人々であることが今回の対応から如実に分かります。
政党を離党したり・幹部に抗議したりすることが難しかったとしても、候補者選定の責任を問う有権者に対して「候補者を推薦した所属組織の一員として自らにも有権者に責任がある。」とすら述べない議員は、いったいどこの方向を向いた仕事をしているのでしょうか?
筆者が危機的だと思うことは「理屈にならない理屈」を述べて、有権者からの付託を軽視する議員が本当に現われてきている点です。自らの置かれた現実的な立場が大前提となる大義を飛び越えることに何ら疑問を持っていない時点で相当やばいと言えるでしょう。
有権者に攻め立てられて苦しくなったとき、これらの議員の安易に組織のせいにして自らの責任を回避しようとする態度はミニ・アイヒマンの称号に相応しいと思います。
今一度、自分たちが誰の投票によって選ばれているのか、という物事の大原則に立ち返って自分自身の発言を見直してほしいものです。
2016年08月13日
都議会議員の「都落ち」立候補は良いことなのか?
「都落ち」候補者育成のために東京都民は税金を払っているわけではない
都知事選挙は地方消滅で話題となった増田寛也氏が出馬したことで東京と地方の歪な関係を見直すことに一石投じる選挙となりました。また、鳥越氏のインタビュー記事が選挙後も物議を醸していますが、国政政党の候補者選定プロセスを問う結果になったことも大きな意味があったと思います。
ところで、都議選まで残り1年、2016年になってから若手都議会議員の地方への国政転出という話題が少しづつ目につくようになってきたように感じます。
大田区選出の田中健さんは民進党の静岡県第4選挙区支部長として決定しました。
田中さんは旧富士川市(現・富士市)出身でもあることから「本当の地元」に戻ったということなのでしょう。衆議院議員の細野豪志さんの秘書を務めていたこともあり、ご縁がある静岡県に出戻りする運びになったものと思います。都知事選挙と同時に行われた大田区の都議補選は同氏の静岡転出が原因です。
また、世田谷区選出の塩村文夏さんも今年4月に「広島県第3区支部長に」ということで民進党広島県連が調整している旨が報道されました。
塩村さんは広島県福山市出身ということで直接の地元ではありませんが、飲酒運転で昨年摘発されて民主党を離党した元衆議院議員の橋本博明さん(現在、安芸太田町長選に立候補表明されていますが凄いところだ・・・)の代わりを探している中での引き抜きという文脈でしょう。塩村さんご自身がコメントしていない中で県連から先に引き抜き情報が出るということもいかがなものかと思います。
都議会議員の里帰りは個人の選択としては理解できるものの、当該政党の意思決定に関しては疑問を持たざるを得ません。東京都民は地方で国会議員に転出する人々を育てるために税金を支払っているわけではないからです。
飲酒運転で摘発された選挙区候補者の穴埋めに都議会議員を引き抜こうとする無節操さ
東京都は地方出身者も多く存在しているため、東京都に住んでいる有権者が須らく東京一極集中論者になるわけではないことは理解しています。むしろ、都議会公明党のように所属議員の地方出身者比率が相対的に高い政党があっても違和感があるわけではありません。
地元意識を地方の出身地域に持ち続けたままでも東京都民のために働くことはできるでしょう。自らの出身地で親御さんもおられる地域にアイデンティティーを持つことも人間の情として理解できます。大都市行政を理解していることが地方の国政候補者にとってプラスになる部分もあるかもしれません。
しかし、都議会議員として東京都民のために働くと一度決めた人が国会議員になることを目的として里帰りすることには強い違和感を感じます。
なぜなら、当該議員たちの「都落ち」問題が浮上するまでは、東京都の有権者は東京の選挙区で議員たちが頑張り続けることを暗黙の了解としていたと思うからです。
野党・民進党の地方人材が不足していることは理解できますが、政局上の悪手で国政行きが手詰まった若手の都議会議員に対し、地方の選挙区の国会議員の椅子をチラつかせて有権者を蔑ろにすることを覚えさせる人材育成方針は見直すべきです。東京都民の政治への信頼感も徒に傷つけることにもなります。
少なくとも前任者が飲酒運転で摘発された穴埋めに都議会議員を田舎に引き抜こうとしたり、労組が運動面を支援することを前提に若くて見た目が良い候補者を適当に立てようとする文化を止めてほしいものです。
国政政党は人材育成に関する基本方針と基本戦略を立案するべきだ
「若い時期に都議会議員を経験させた後に地方の国政選挙の候補者にする」ということが政党としての一本筋の通った人材育成方針として出来上がっているとしたら、筆者はそれは一つの考え方として尊重するべきだと思います。
しかし、現状のように行き当たりばったりの候補者選定を繰り返していれば良い人材は政治の道を選ばなくなります。その結果として特定政党だけでなく議員の質の劣化に繋がっていき、国民の政治不信を助長するものになるでしょう。
各政党が任命する候補者は、その政党にとっての候補者としての意味があるだけでなく、敵対する政党候補者にとっては切磋琢磨を積む人生の競争相手になります。
主要政党は責任ある公党として候補者選定に向けた人材育成に関する基本方針と基本戦略を立案・公表していくべきでしょう。
ケヴィン・スペイシー
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2014-06-04
2016年08月05日
参議院・都知事選・二階幹事長、安倍一強時代の終焉へ
(自民党の最重要キーマン、二階幹事長の誕生)
自公日VS野党共闘で政局は「55年体制」に逆戻りへ
2009年の民主党による国政選挙を通じた政権交代の幻想から目が覚めない政治関係者は、いまだに与野党という枠で政局を語る癖が抜けていません。しかし、野党共闘によって著しい「左傾化」を野党第一党の民進党が歩む中、日本の政治は「55年体制」に近いものに変化したと感じています。
55年体制とは1955年に成立した自民党・社会党の2つの万年与党・万年野党の間で行われてきた八百長のような政治体制であり、同体制下にあって日本の政権交代は「自民党内の派閥による疑似的な政権交代」によって行われてきました。
現在、野党共闘によって完全に時代遅れの左翼臭を漂わせる野党側が政権を取り戻す可能性が皆無となったことで、中選挙区と小選挙区比例代表制という選挙制度の違いはあるものの、野党の無意味化という状況で部分的に派閥闘争による政治力学の変化が復活したと看做すことができると思われます。
政局上の野党の存在感が希薄化した参議院議員選挙、総裁派閥である清和会による東京都・金城湯池支配の終わり、反主流派の台頭を印象付ける内閣改造など、安倍政権の屋台骨である自民党内の不安定化要因は非常に大きなものになりつつあります。
反主流派・二階幹事長の誕生、細田総務会長就任に見るパワーバランスの変化
最も注目すべき政局上の変化は、二階幹事長の誕生、であろう。安倍政権と距離が必ずしも近くない二階氏が幹事長という要職、つまり自民党の公認権の差配や政党助成金などの分配を決定できる立場についた意味は極めて重いものです。また、選挙対策委員長に首相に近い古屋圭司氏を置いたものの、古屋氏の所属派閥も二階派である点も注目に値します。
つまり、自民党議員の死活的な利益である「選挙」に関する部分は全て非主流派である二階派がおさえる形となっています。これは自民党内において清和会の影響力が徐々に低下していくことを意味しており、小泉政権から続く自民党・清和会一強時代の終わりにつながる一手となった可能性があります。
消費税増税見送りも含めて、清和会は財務省と近しい関係にある谷垣・麻生らの宏池会系派閥との間に隙間風が吹いており、小泉政権以来大枠として継続してきた清和会+宏池会の一部による連合の枠組みが崩れ始めています。
清和会の派閥の領袖である細田氏を総務会長に充てる必要があるほどに同派の人材が不足しつつある中、選挙対策委員長の経験を積んだ茂木政調会長(平成研)、古屋・現選挙対策委員長は自民党の将来的な中核を担う人材になるものと推測されます。
自民党内の勢力構造の変化が大阪・東京に影響を与える可能性も
また、野党側に対するインパクトとしても二階幹事長の人事は非常に大きな意味を持っています。首相官邸が大阪維新と極めて近い関係を維持していることは周知の事実ですが、維新と二階氏が犬猿の仲であることから官邸と自民党の間に維新に対する方針の違いが目立つようになる可能性があります。
一方、東京においてはオリンピック利権を巡って、清和会の事実上のドンである森元首相に反旗を翻した小池新都知事が誕生しました。それに伴って清和会やそれに近いポジションを維持してきた都連5役が職を辞する形となりました。
そのため、大阪とは事情が異なり、東京側では非主流派の旗が立つ可能性が出てきています。二階幹事長は政党遍歴の過程で政治行動をともにしてきた小池氏との党としての関係修復に前向きな姿勢を取り続けています。また、安倍首相に対する総裁選の対抗馬として名前が取り沙汰された野田聖子氏が小池氏に都知事選の早い段階でエールを送っていたことは印象的な出来事でした。
大阪・東京の両地域で地域政党の誕生が現実化するかどうかは予断を許さないものの、自民党という軸で見た場合、大阪・東京の対立構造の利害は必ずしも一致しておらず、中長期的には全国的な基盤形成に失敗した大阪維新は衰退し、東京・小池勢力にとっては勢力拡大プロセスに入っていると考えることもできます。
安倍政権が小池氏以来の女性大臣である稲田氏を防衛相に持ってきたことは、清和会の次期総理候補の育成プランの一環であるとともに、必ずしも安倍政権と近い関係とは言えない小池氏に対する当てこすりの面もあるのではないかと推察されます。
いずれにせよ、自民党内での勢力バランスの変化は大阪・東京という二大都市における政局構造の変化に強い影響を与えていくことが予想されます。
安倍首相の地位は安泰か?、衆議院解散のタイミングで新たな政局の展開へ
野党は「アベ政治を終わらせる」という意味不明なスローガンを掲げ続けてきましたが、仮にアベ政治なるものが安倍政権を意味するのであれば、アベ政治は野党の掛け声ではなく自民党内の政変で倒れる可能性が出てきました。
与党で衆参両院の3分の2の議席を確保したことは、結果として安倍政権の安定化を揺るがすほどに議席を取りすぎてしまったと言えるのかもしれません。野党の存在が無意味化・陳腐化する中で、自民党内での権力闘争が再び活気を取り戻してきた状況となっています。
安倍首相にとっては伝家の宝刀である衆議院解散のみが政権維持のための切り札として残っている状況です。同政権の宿願である憲法改正発議または北方領土返還交渉いずれかを通し切るために、安倍政権が残された政治資源をどのように使っていくのか興味深い展開となっています。
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