2015年11月

2015年11月27日

ふるさと納税は「合法的なヒモ」を量産しているだけだ

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ふるさと納税で買い物したお金は誰が払っているのか?

ふるさと納税制度は地方の産品を安く買えるのでオトクな買い物として認知されてきています。しかし、ふるさと納税制度は実際に誰がオトクなのでしょうか。ざっとまとめると下記の通りです。

(1)オトクな人・・・ふるさと納税利用者、物販している自治体、物販を提供している業者、広告サイト運営会社
(2)ソンする人・・・ふるさと納税利用者が住んでいる自治体、地方交付税を支払っている都市住民

ということになります。オトクな人のイメージは直ぐに分かると思うのですが、ソンする人のほうは「??」と思う人も多いかと思います。

実はふるさと納税で買い物をした分の税金は、買い物をした人とは赤の他人が地方交付税で埋め合わせをしています。そして、地方交付税の大半は都市部住民が負担しているので、ふるさと納税が地方在住者同士で利用された場合は全国の地方から都市部住民に支払い伝票が回されていることになります。

ふるさと納税は真面目に税金払っている人がバカを見る制度

現在、一部の都市地域を除いてほぼ全ての地方自治体が地方交付税を財源として受け取っています。地方交付税は地方自治体の運営にとって必要とされているでっち上げの金額(失礼w)を算定し、それに地方税収が足りなければ中央政府が補てんするという財政移転の仕組みです。
 
ふるさと納税をもらった自治体はお金が儲かる制度設計になっているのですが、ふるさと納税を利用した個人がいる地方自治体は税収が減少します。このとき減少した税収のうち一定割合が地方交付税から補填されることになります。具体的には、その自治体から減少した地方税収のうち75%は地方交付税が穴埋めします。(25%は減少したままです。)

つまり、「ふるさと納税を受け取った自治体」と「ふるさと納税を利用した個人」のために、全く見ず知らずの「ふるさと納税を利用した個人が属する自治体の他住民」と「地方交付税の大部分を負担している都市住民」が割を食っていることになります。

要は、「真面目に税金を納めている人がバカを見る」制度がふるさと納税制度です。このような不公正な税制度が存在することを認めるべきではありません。

ふるさと納税制度は「合法的なヒモ」を作っているだけの仕組みである

少なくとも、ふるさと納税で減少した分の地方税収を地方交付税で埋め合わせる必要は全くありません。なぜなら、当該自治体の住民は「ふるさと納税分の買い物をしているから」です。その買い物代金を地方交付税で赤の他人が支払うことは根本的に間違っています。

せいぜい、そのような自己中の隣人を持ってしまったツケは同じ自治体内部の住民同士の白い眼で完結させるべきであり、地方交付税で支払伝票を都市部住民に飛ばす人物は「合法的なヒモ」以外の何物でもありません。

私自身は地方交付税という極めていい加減なバラマキのためのフィクションを即刻廃止するべきだと考えていますが、それ以前にあまりに不公正なふるさと納税制度の即時廃止は当たり前のことだと思います。






本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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大人の教科書(8)資本主義は貧乏な人のためにある

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自由市場や資本主義という言葉を聞いた時に、私たちが同時に耳にする言葉は「格差」「貧困」などの言葉です。長い間、机上の空論の世界では、自由市場・資本主義は不平等を増大させ、富裕層が貧困層を搾取するという神話が拡がってきました。しかし、本当にそうでしょうか。

富裕層にとって自由市場・資本主義は必要な制度ではない

現実は資本主義が繁栄を達成し、それに反対した社会主義・共産主義が貧困をもたらしました。私たちは現実の社会について学びを深める必要があります。
 
まず最初に私たちが知るべき衝撃的な真実は「真の富裕層は資本主義を必要としていない」ということです。従来まで資本主義は富裕層のためにあると信じ込まされてきた人は驚くかもしれません。しかし、少し考えれば、これが当たり前のことだと気が付きます。

人類社会では資本主義が始まる前から、王侯・貴族が当時の超富裕層として存在してきました。彼らは資本主義など無くても「政府の権力・暴力」を使って幾らでも贅沢な暮らしができました。彼らは自分自身が贅沢な暮らしを継続するために自由市場・資本主義を求める必要があったでしょうか?

現在でも独裁国のトップは政府の力を使って、彼が支配する貧困に喘ぐ庶民には到底不可能な暮らしを行っています。彼らが豊かな暮らしを行うためには、搾取対象である庶民から絞り上げれば良いだけであり、同時に庶民が抵抗力を持たないように生活環境が向上しないようにすることが重要です。

むしろ、昔ながらの伝統的な富裕層にとって、自由市場・資本主義は普及してもらっては困るものであり、どちらも存在しない方が安心して独裁制を敷くことが可能です。

貧しい人に便益をもたらした自由市場・資本主義のシステム

独裁者はスーパーやコンビニに行く必要もなければ居酒屋チェーンに行くこともありません。それらは全て庶民が暮らしの中で望んで創られたものだからです。現在、先進国においては貧しいとされる人でもコンビニエンスストアで買い物を行うことは可能であり、貧困層とされる人でも平気で携帯ゲームで遊んでいます。

このようなサービスを自由市場・資本主義が無い社会では富裕層以外の人が受けることはできません。

工業技術や機械技術の発展がもたらした恩恵は、富裕層にとっては相対的に意味がないことであり、自由市場・資本主義が整備したあらゆるインフラ・サービスは貧しい人・一般の人が受ける恩恵のほうがメリットが大きいのです。ちなみに、現在でも富裕層にとってはスーパーやコンビニなどは必要不可欠なものではありません。

社会に存在しているインフラ・サービスの大半を誰が利用して消費しているのかを見れば、それらのサービスが誰のためであるかは明らかだと思います。このような当たり前の事実を無視した議論は意味がありません。

世界で一番貧しい人はどこに行けば沢山見つけることができるのか

私たちが世界で一番貧しい人の集団を見つけたいのであれば、資本主義が機能していない国を訪ねてみれば良いだけのことです。その社会では私たちの社会では機会によって代替されているあらゆる重労働がいまだに人間の手で行われていることが発見できるはずです。

また、現代の社会主義・独裁主義国である北朝鮮の姿を見れば明らかであり、自由市場・資本主義が誰にとって恩恵があるものかということは一目瞭然です。

かつて世界は独裁者が支配する空間ばかりでしたが、独裁者同士が対立した結果として、相手よりも豊かな国力を備える必要がありました。そこで、導入された仕組みが自由市場・資本主義であり、それによって多くの人々が経済活動の恩恵を受けたのです。

私たちは現在を都合よく切り取って見せる似非有識者たちの言説ではなく、人類が歩んできた確かな歴史にもっと自信を持つべきです。

選択の自由[新装版]―自立社会への挑戦
ミルトン・フリードマン
日本経済新聞出版社
2012-06-26

 

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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)大人の教科書 

「奨学金」を返済できる学生を作るための方法

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奨学金を返す・返さない、大学を無償化する・しない、などの議論が喧しい世の中ですが、問題の根本は全く別のところにあると思います。

大学生に働く力が教育されていないということ

そもそも奨学金が返せない理由は「大学生に働く力が教育されていないこと」にあります。奨学金を受けて大学を卒業した学生が十分な給与を得る仕事につけていないというわけです。

現代社会はかつての高度経済成長期ではなく最低限の基礎的な教育が出来ていない学生を採用するほど企業に余裕はありません。そのため、企業は採用抑制や派遣労働者を活用し、職業能力が無い学生を正規採用することを選択しようとしません。

ただし、厳しい競争に向き合っている企業に正社員を無理に雇わせるように労働法制を見直すことは、企業の雇用への意欲を失わせるとともに、企業の競争力自体を衰退させることに繋がって経済全体を痛めることになります。従って、奨学金の貸し倒れ=納税者負担の発生という問題を解決するために、私たちは現実的な回答を探す必要があります。

大学教育の無償化は問題を解決するのか

一つの方法として「大学教育の無償化」という方法が提案されています。欧州の大学教育の在り方を範にとって大学教育自体を無償化することを通じて、奨学金の貸し倒れ自体を消滅させるというソリューションです。

しかし、「大学教育の無償化」を実施しても「就業能力が無い学生」が量産されている現状については何も変わりません。結果として、奨学金が後々返済されないのか、授業料を最初から税負担しているのか、という話になります。両者ともに納税者負担の増加という意味では何も変わりはありません。

むしろ、奨学金の返済という就業に向けたインセンティブが無くなることで、大学時代において就業能力を身に付ける方向性が学生個人からも一層失われます。目の前の学費という問題を全て税負担で片付ければ良いという思考停止はは更なる問題を引き起こします。

民間企業や篤志家による奨学金制度の拡充が必要である

現在の税負担によって実施される教育制度・奨学金制度は「企業ニーズ」を捉えておらず、働く力を身に付ける教育を行っていないということが問題です。

そのため、根本的に大学教育のあり方を見直す必要があります。具体的には企業による奨学金制度を積極的に奨励することです。大学を卒業した学生は企業にとって必要な労働力を提供する人材になるため、そのための教育費用は企業が一部負担することは合理的です。

最新の経済動向・産業動向についても象牙の塔の中の大学よりも最前線で戦う企業は熟知しています。そもそも時代遅れの既存大学の教育を受けて就業できるという発想が間違っています。

そのため、大学における人材育成自体を企業に任せることを通じて、就業能力が高い企業ニーズにマッチした人材を育てるべきです。企業側も丁寧な人材育成を通じて多額の採用コストを抑えるメリットがあります。

国民にとっては就業能力が高い人材を生み出す改革を実現し、更に追加の税負担を避ける二重の効果が発生します。

目的を見失った「政府による奨学金」は一旦廃止を

税金に依存して制度設計の積み増しを行うことは、制度によって恩恵を得るステークホルダーの存在を曖昧にしてしまいます。奨学金は何のために存在しているのか、ということについて今一度問い直すべきです。

現状の制度を追認して何でも税負担を拡大すれば良いという議論を見直し、その制度による受益者が費用を負担するべきという当たり前の感性を取り戻していくことが重要です。






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2015年11月26日

大人の教科書(7)教育原理主義に陥らないこと

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教育原理主義者たちが跋扈する「中途半端な高学歴者と高齢者世代」の世界観

世の中には様々な社会問題が氾濫しています。それぞれの問題には原因と結果が存在しており、原因を取り除いて解決できること、複数の問題が絡み合って解決困難なこと、など実に様々です。

そうすると、「これらの問題を解決するのは教育しかない!」と言い始める人が現われます。特に年配になればなるほど「教育原理主義者」が増えるものです。若くても高学歴の学生らと話してみると、原理主義者がそれなりの数が存在しています。(個人的にはそういう人を見ると教育の失敗を痛感します。)

教育は誰もが体験したことでもあり、自分のこととしてある程度は語れます。そのため、とりあえず全部教育が悪いことにしておけば、それっぽく見えるように議論を収束させるために実に便利です。専門性が低い中途半端な議論に混ざると議論は必ず「教育が悪い!」という方向に行きます。

問題の解決方法を「教育」に求めるのは「大人の暴力」でしかない

教育が悪いということは、「既に教育された自分たちを棚上げにして、全ての問題解決を後の世代の責任にできる」ため、非常に気持ちが良くなることは請け合いです。

しかし、現在の社会問題を作りだしているのは現在の大人であって「自分自身であること」から目を背けるべきではありません。そして、個別の問題は個別の解決策を実行して具体的に解決していくしかないのです。

教育は「大人」が社会的な弱者である「子ども」または「未習熟者」に対して実行するものであり、大人が教育を語っている限りは無条件に社会的な優位に立つことはできます。教育に問題解決を求めることは、まさに「大人の暴力」そのものだ、と言えるでしょう。

自らが誇るべき能力を持つ人は教育に解決を求めるだけでなく、自分自身で自らの目の前に存在している問題解決に取り組みます。そして、その中で人材を育てることこそが真の教育であるということを知っています。

(ちなみに、教育を問題として教育自体の問題を解決することは正しいと思います。たとえば、現在の公教育の在り方は時代錯誤極まりないですし。ただし、その場合も自分が教育の何をどのように変えたいのかを特定すべきだと思います。)

大人は「自分たちが作っている問題」を解決することに注力すべき

大人は安易に「教育」に問題解決を求めるのではなく、自分が保有している財力・ノウハウ・権限を活用して、一つ一つの問題解決を具体的に行っていくべきです。教育原理主義者の安易な発想は思考停止とほぼ同程度です。

現在教育されている人々に残すべきものは、現在の問題に大人が一生懸命取り組んだ後の社会です。子どもはそのような大人の姿を見て行き方を学んでいくことでしょう。

全てを教育のせいにしている大人を見て育った子どもがどのような人間になるか、私たちは想像力を働かせてみる必要があります。





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yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)社会問題 

銀行強盗・休眠口座の没収法案に強く反対する


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銀行強盗と何が違うのか?「休眠口座」没収 法案の内容

来年早々に提出が予定されている、休眠口座の没収法案に当ブログは激しく反対します。なぜなら、この法案は単なる「銀行泥棒だから」です。

10年間預入引き出しが無かった場合に口座に入っている資金が預金保険機構に回したあとにバラマキ用の財団法人に移し、NPO法人などに配られるという本法案は他人の財産の政府による没収を法制化するものです。

私自身もNPO法人などを運用してきましたが、このような財産権を著しく侵害する法案は莫大な資金を手に入れるNPO関係者には良くとも、社会全体のシステムから見れば最低最悪のものだということです。

お金を預け入れた人は「銀行に預けて運用させる契約をした」のであって、「NPO法人などにお金をばらまくことを契約した」わけではありません。本人が契約していない内容で強制的に資金が使用されることは間違っています。

他人が銀行に預けたお金を自分たちのために強制的に使用することは「銀行強盗」と何が違うのでしょうか。その裏付けは強盗犯の拳銃によるものか、政府の権力によるものか、という手法の違いしかありません。

銀行は預けられた資金を運用することが責務だ

銀行は預かったお金を増やすように運用することが責務であり、預金者と連絡が付くか付かないかなどは、「預かった側の勝手な理屈」でしかありません。お金を預かっている以上、そこから利益が上がるように運用することが銀行の責務です。

また、法案では銀行が請求を受けた場合は払い戻すとしていますが、既にバラマいた後に払い戻すとしたら、銀行に余分な負担を生じさせることになります。

仮に銀行が資金を勝手にNPO法人などにバラまくとしたら、それは「銀行の方針」として示した上で利用者からの資金調達を行うべきだと考えます。本法案は法案成立後の全ての銀行口座に適用するようですが、銀行がどのように資金を運用するかは、預金者・銀行の間の契約で取り決めるべきものであり、そこに政府が介入することは経済の大原則を侵害するものです。

このような財産権の侵害や私人同士の契約行為への介入を一度許せば次々と似たような類似法令ができることを許すことになるでしょう。法律は先例ができることで増殖を繰り返すため、アリの一穴のような法案であっても許すべきではありません。

銀行がNPO法人などの支援を必要と感じるのであれば、低利のマクロファイナンスなどを自ら実施すれば良いのであって、国が実質的に認定したNPO法人などだけが資金を受け取るスキームは単なる私的財産の収奪でしかありません。

教育・福祉に使用するという曖昧な規定はもう聞き飽きた手口

増税のときも然りなのですが、今回の休眠口座の資金も「教育・福祉に使用する」としていますが、もういい加減に「その手口は聞き飽きた」とはっきりと述べさせていただきます。

かつてグリンピアなどの無駄な施設を作り続けた年金関連施設も全部公共の福祉のために使って作り上げてきたものです。消費税を増税したら随分と地方へのバラマキ財政出動を強化したものですね。国民が「教育・福祉」と聞いたら何も考えずに賛成すると思ったら大間違いです。

今回、問題となっている休眠口座は毎年500億円程度になるとのことですが、毎年それだけのお金を運用するにはそれなりの組織が必要になるため、その人件費・施設費なども全てそこから出ることになります。それで誰をどのように雇うのでしょうか。タックスイーターならぬ完全な「他人の財産」にたかるだけの話です。

韓国では似たような休眠口座の問題が最高裁まで裁判になっており、政権幹部などが自分たちの縁故の人々に情実で金を配っていたことがスキャンダルとなり一部運用が停止したことがあります。

自分は政府が「教育・福祉」関連に支出するための資金を集める(増税・没収する)ということは全て眉唾ものだと疑ってみるべきだと思っています。

どうせ銀行が休眠口座を解散するなら「利子」または「配当金」に回すべき

銀行が誰のものか分からない休眠口座を運用していることがどうしても問題であるとするなら、勝手にNPO法人などに資金を回す仕組みを作るのではなく、銀行と私人の契約として休眠化した場合は、亡くなっていて法定相続人もいない場合は、利子や配当金に回す旨を預金者に対して明示して運用するべきです。

明確に申し上げて、NPO法人と銀行及び預金者は何の関係もない赤の他人です。銀行及び預金者がNPO法人を支援しなくてはならない理由は一ミリもありません。

敢えて言うなら、銀行は10年経った段階でこの理由がないスキームで無関係のNPO法人に資金が流れる前に、休眠口座を解散して「ほぼ0%の利子」を増やすことに当てたらどうでしょうか。そこから利子を受け取った個人がNPO法人に寄付するなり好きにすれば良いと思います。

もちろん自分はこのようなスキームにも反対ですが、民間の商売に土足で踏み込んで何とも思わない連中がこれ以上社会に蔓延ることは害悪以外の何物でもありません。

本法案は断固として葬り去られるべきであり、どうしても似たような法案を作りたいのであれば、代わりに休眠口座の資金を銀行が予め処分することができる契約を法律で規定することを入れるべきでしょう。 
 


 

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大人の教科書(6)最低賃金1000円、首相は労働組合長なのか

マネキン

2015年10月1日から順次全都道府県で改定最低賃金が発効されています。最低賃金が増加したことに喜ぶ声や更に引き上げを求める声などがネット上には多く寄せられました。さらには、安倍政権が毎年3%程度の最低賃金を上げて1000円にすると言っています。

最低賃金1000円、更なる引き上げを求める人々に見えないもの

今年10月17日東京で最低賃金1500円を求めるデモが実施されるなど、政府による最低賃金の更なる引き上げを要望する動きも出ています。また、経営共創基盤CEO冨山和彦氏などのエコノミストは最低賃金1000円まで引き上げて産業の構造転換を図るべきという提言を出しています。

安倍政権は首相が労働組合長になったかのような勘違いで最低賃金1000円の引き上げを企業に要望しています。1億総活躍の意味がまともに働いた経験がほとんどないから分からないのでしょう。

これらの議論を見た場合、最低賃金を引き上げは全ての人々の賃金が引きあがったように見えます。しかし、今後、日本社会の在り方を考えた場合、最低賃金の引き上げ、もしくは最低賃金の存在そのものが大きな問題となる可能性があります。

最低賃金は超高齢化社会における「低スキル高齢者」の仕事を奪うもの

最低賃金の更なる引き上げを求めている人々は、最低賃金があるために就労可能性が奪われている人々のことを忘れています。最低賃金を引き上げた場合も当然に失われる雇用もあると思いますが、それ以上に現在の議論では「既に失われた雇用」がほとんど見えてきません。

日本は高齢化社会に突入しているため、大量の高齢労働力が余っている状況にあります。しかし、元々の社会構造や技術革新の問題から、現在の正規賃金では働けない高齢者の労働力が活用できていません。膨大な社会保障費の更なる増加を防止するため、高齢者の低賃金就労を促進することが重要です。

「最低賃金」は低スキルの高齢者から仕事を奪うため、「一億総活躍社会」どころか「老人総引退社会」を創りだすための政策でしょう。時給1000円も払って技術革新から取り残された高齢者を雇うことはないため、高齢者の就業は進まずに社会保障費がますます増加していくことになります。

政府が賃金を決定することは極めてナンセンスな行為である

そもそも賃金は雇用主と労働者の間で自由に契約して決定すれば良いものであり、自分で事業を行うわけでもない政府のような第三者が決定すること自体がナンセンスなのです。

過酷な労働環境を防ぐために最低賃金があると主張することも同様に意味がないことです。労働者にとって自らの職場環境を保証するものは豊富な労働のための選択肢だからです。仕事が沢山あれば幾らでも良い条件の仕事を選ぶことが出来るからです。





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村上ファンド・ライブドア事件が「僕らの心」に与えた影響

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「もの言う株主」として知られる村上世彰さんのファンド関連先に相場操縦の疑いで家宅捜査が入った、という報道を目にしました。自分は村上世彰さんと面識があるわけではないし、彼がどのようなビジネスをされているのかも知らない。(株主はものを言うのは当たり前だと思うが・・・)しかし、「村上ファンド」という言葉と「捜査」の風景を見て、学生時代に感じた思いが心の中に蘇った感じがしました。 

ライブドア事件というエスタブリッシュメントへの挑戦の頓挫

ホリエモンこと堀江貴文さんがライブドア代表取締役として活躍されていたころ、自分は大学生くらいの頃で、小泉政権下の時代の昂揚感の中で、一つのITベンチャーがフジテレビの買収を実行するという快挙に心が躍ったものです。

しかし、エスタブリッシュメント社会の日本はたたき上げの堀江さんの挑戦を認めず、彼をほとんど罪もないような罪で豚箱に放り込むという結末に至ってしまいました。日本の中におけるエスタブリッシュメントに取り入るための作法のようなものを逸脱していたこと、そして現在の彼のリバタリアン的な思想がファシズム的体質の日本のエスタブリッシュメントには受け入れ難かったのだろうと思います。(対照的に楽天はエスタブリッシュメント社会にうまく入り込んだと思います。)

ライブドア事件が「僕らの心」に与えた影響、守旧派の賢い代弁者の急増

ライブドア事件、そして堀江さんの蹉跌は、僕らの世代の心には相当なインパクトをもたらしたと思います。少なくとも、自分は日本のエスタブリッシュメント社会の硬直性・排他性をマザマザと見せつけられたことは衝撃的でした。あの時期を境に社会的に目立つ動きをした人々は微罪で検挙されることが急増したように感じています。

自分の周囲の比較的社会改革にやる気があった学生たちもライブドア事件を目の当たりにしたことで、エスタブリッシュメント社会にうまく取り入るような活動や言論を心掛けるようになったと思います。一見して改革派のように見えながら、その実は守旧派の代弁者のような賢い人々が増加し、本当の意味で改革に燃えた人々の心の中に暗い影を残す結果となりました。

あの時の感じた同じ思いを共有している人達へのメッセージ

堀江さん自身はそのような影響を社会に与えたことについて「勝手にショック受けるなよ」と思うかもしれませんが、青年の頃の苦い思い出を村上ファンドの再捜査の報道は思い起こさせるものでした。そして、私は今でも心ある人は「あの時の感じた思いを共有しているのではないか」と思っています。

現在、社会改革としてNPO法人などを作って部分改善に取り組んでいる人たちも増えていますが、しかし「あの時の光景」を覚えている人は、それでは埒が明かないことを本当は知っているのではないでしょうか。自分にとっては中国共産党に対する天安門事件のようなものがライブドア事件だったからです。

私と同じように感じている人がどの程度いるかは分かりません。しかし、「自分たちの世代はあの事件をいつまでも覚えているし、まだ諦めてはいない」ということをメモしておきたいと思います。

拝金 青春経済小説
堀江貴文
徳間書店
2013-07-01




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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)社会問題 

2015年11月25日

ドナルド・トランプの強さの秘密を徹底分析

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米国共和党大統領候補者を選ぶ予備選挙でドナルド・トランプ氏の爆走状態が継続しています。日本の周回遅れの米国研究者らはドナルド・トランプ氏が高い支持率を確保し続けている現状をうまく説明できていないため、本ブログがアクティビストの観点から、ドナルド・トランプ氏の強さの秘密を解説します。

周回遅れの米国共和党に関する日本の分析能力について

米国共和党の主要な派閥は、穏健派と保守派に分かれているということが基本的な共和党研究の視座となります。穏健派とは米国民主党に近い政府支出の増加を容認する立場であり、保守派とは政府支出を断固として拒否する伝統的な立場ということになります。

戦後の米国共和党内の権力構造は、穏健派による保守派への圧倒的な優位という形で推移してきました。戦後の米国共和党と日本の関係値は共和党穏健派との間で積みあがってきたものと考えることが出来ます。

しかし、レーガン政権前後から米国内では保守派の台頭が起きてきます。特に1994年の連邦議会多数派を共和党が奪取した保守革命によって共和党内における保守派の勢力が力を見せつける結果となりました。その後は、大統領予備選挙や議会運営などで共和党内部における穏健派と保守派の主導権争いが続いています。

日本の米国研究は穏健派の見方から影響を受けており、保守派の政治的な論理や腕力についての理解が足りておらず、つい最近まで的外れなブッシュ圧勝の観測を垂れ流してきていました。彼らの教えを乞うている国会議員らもテンでピントがずれたことを述べていたものです。この程度の視座ではもはや現代の米国共和党の勢力構造を正しく分析することはできないでしょう。

現代の共和党は穏健派VS保守派VSアウトサイダーという三層構造という形に

元々保守派は穏健派を「ワシントン」(中央集権)として攻撃してきた経緯があり、自分たちを「反ワシントン」と位置付けて政治闘争のスタンスを形成してきました。

しかし、保守派が台頭した1994年保守革命から既に20年の月日が経過しており、共和党の中には保守派にすら満足できない層が出現してきています。それらの層を指す名称はまだありませんが、連邦議会・州知事・グラスルーツ関係者などの政権中枢の人間ではないアウトサイダーを支持する層が生まれています。

穏健派はメディア、保守派は組織化された草の根団体(グラスルーツ団体)、アウトサイダーはそれらに不信感を持つ人に各々強みがあるといえるでしょう。

そのため、最近では「ワシントンか反ワシントンか」という二元構造よりも大きな「政治のインナーか政治のアウトサイダーか」という構図が誕生しています。この保守派とアウトサイダーは主張が似ている部分があるため、上記の対立構造の見分けがつきにくい状況にあります。

ドナルド・トランプ氏を支持する層はアウトサイダーを支持する層であり、既存の共和党内部の政治的な対立構造とは質的に異なる層であると指摘できます。

アウトサイダーを支持する層に既存の穏健派・保守派からのメッセージは伝わりにくく、逆に既存の穏健派・保守派の候補者が撤退した場合にドナルド・トランプ氏に支持が流れるかは不透明な状況です。

「トランプ・カード」ドナルド・トランプ包囲網という明確な構図が出現することの意味

既に予備選挙から撤退したスコット・ウォーカー・ウィンスコンシン州知事(保守派)のリズ・マイアー女史(共和党元広報担当者)がドナルド・トランプ氏を予備選挙から落とすための運動「トランプ・カード」を組織することの必要性を提唱しており、米国保守派もドナルド・トランプ氏の保守派との質的な相違に気が付き始めたようです。

しかし、この取り組みが必ずしも功を奏するかはまだ疑問です。なぜなら、穏健派&保守派VSアウトサイダーという構図が出来上がってしまうことで、むしろアウトサイダーのトランプ支持を強固にする可能性があるからです。

アウトサイダーはそのような既存の政治キャンペーンの在り方への不信感を持っているため、トランプ支持の熱狂が強まることも否定できないでしょう。逆に、トランプ氏が「反ワシントン」のメッセージを出し続けることで、保守派が切り崩されていくことも十分に有り得る状況です。

日本の米国研究者に聞いても「トランプは馬鹿、保守派も馬鹿、米国共和党は大丈夫か?」というような感想ばかりが返ってくると思いますが、その理由は米国内部に出現している新たな政治構造を理解できていないからということになります。(総資産1兆円を築いた経営者が馬鹿なわけがありませんので、そのくらいの常識を持つべきだと思います。)

ドナルド・トランプ氏との対決を制する人物はマルコ・ルビオ氏なのか

現在、穏健派及び保守派の両方から一定の支持を集めつつある候補者はマルコ・ルビオ氏であり、本ブログではドナルド・トランプ氏とマルコ・ルビオ氏の対決に最終的に収斂していくのはないかと予測しています。(米国政治も一寸先にはどのようなスキャンダルが生じるか分からないため明確なことは言えませんが・・・)

以上のように、日本の米国研究で主流の穏健派視点の米国共和党の分析がいかに周回遅れであるか、そしてドナルド・トランプ氏の支持者の質的な相違について分析しました。今後、大統領選挙が近づく中で米国政治への興味関心が高まっていくことを祈念します。





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yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)米国政治 

軽減税率問題は既に全部解決済みだった話

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現在、消費税の軽減税率に対して様々な議論が行われています

消費税率を8%から10%に引き上げるにあたって生鮮食品などに軽減税率を適用するか否かについて、政治界隈では議論が交わされています。

軽減税率の適用範囲、受益対象者、業界との癒着、技術的な困難さ、軽減税率の総額など、多くの国会議員や有識者とされる人々が自らの見解を発表して侃々諤々の意見交換が行われています。

最も重要な基本ラインは、軽減税率を導入するか否か、そして適用範囲はどこにするか、というポイントです。仮に、生鮮食品に限定した軽減税率の適用を想定すると、およそ4000億円程度の軽減税率の総額となるとの試算が発表されています。

現在は上記の軽減税率の適用範囲を低所得者向けに食料に限定する方向で話が進んでおり、増税分のうち4000億円を軽減税率扱いとすること、そして技術的に軽減税率導入するための方法について賛否が問われている状況です。

天空からの一撃で軽減税率に関する全ての議論が終了

という前置きはさておき、突然の出来事ですが、政府自らが「軽減税率なんて要らねえよ」という発表を断行したため、軽減税率をめぐる全ての議論は意味がないことになりました。その発表とは下記の通りです。

低所得年金者に3万円給付へ…対象1000万人(合計3000億円)

簡単に言うと、「来年は参議院議員選挙なので、年金低所得者の高齢者の皆さん一票よろしくね」という話なわけです。いやいや、いっそのこと「4万円にして軽減税率分の4000億円と一緒にしちまえよ」と思うわけです。

軽減税率について真面目な人々が議論しているときに、この発表はあまりにも斜め上に超越しているのではないかと思います。こんな感じで配るなら「軽減税率なんてまったく要らねえじゃねえか」ということ。軽減税率なんて面倒なものをやるんじゃなくて、買収したい時に勝手に補正予算組めよと。

市井の人々が色々と議論している中で、政府からゲーム終了のお知らせは惨すぎる。こんなトンデモ政策を発表した上に軽減税率を入れるとか何の冗談でしょうか。

軽減税率っていうか、消費税増税がそもそも要らないという結論

地域振興券以来、選挙前に「この手のバラマキ」が増えたわけですが、消費税増税なんてそもそも止めてしまうべきです。消費増税は社会保障費のためのだったような気がしますが、上記の「買収資金」も社会保障名目ということになるのでしょうから呆れ果ててしまいました。

おじいちゃん・おばあちゃんは普通には孫にお小遣いをくれるものだと思っていましたが、どうやら孫から金を巻き上げることが社会の常識のようでした。人間は政府という仲介者を介すと人道に反する行為を平然と行えるという良い見本のような話だと思いました。

「増税なんて盗人に追い銭」(消費税には軽減税率、さらにバラマキをゲット)みたいな話なのです。日本の財政状況は消費税を増税したところで改善することはありません。政府の壊れた蛇口を締めない限りは「老人が無限に使い続ける」だけです。





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教師の過労の原因は「昭和脳・文部科学省」の怠慢にあり

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財務省の教員人件費削減案は社会全体の方向として正しい

「財務省:公立小中学校教職員3500人規模削減方針」
http://mainichi.jp/select/news/20151027k0000m020061000c.html

という記事に対して、文部科学省や学校関係者らから激しい反発が出ています。少子化の現実を踏まえて財務省の教師数を削減するという提案は合理的な判断です。

これに対して文科省は慢性的な人手不足を主張しており、大幅な削減は受け入れられないとしています。新聞報道などでも教師の過重労働などによる自殺報道なども出ている現状です。

人口構造の問題から財務省の提案する内容は正しいと思いますが、文部科学省や現場の教師の方の問題も分かります。この問題についてどのように対応するべきでしょうか。

むしろ、課題は教員が多すぎることによる文部科学省の怠慢である

財務省は人手不足に対応するために「地域ボランティアなど外部の人材の協力を得るための施策」に予算を振り向けるべきと言っていますが、そういうことで問題が解決するとは思えません。

過重労働の改善のファーストステップは無駄な業務プロセスを廃止することにあります。

財務省が主張している人手が足りないから他所から集めてきた人材で子どもへの教育を行うことで間に合わせるなど、経営の観点から言えれば極めて愚劣な手法だと言えます。

同様に、現在大量に存在している教員自体のマンパワーに依存して物事を解決しようとしてる文部科学省の怠慢ぶりも酷過ぎます。現状は中途半端に教員の人数が多すぎるために根本的な解決が遅れています。

まずは、教員の一日の時間拘束の在り方を業務フローとしてまとめ、徹底的に無駄を排除するための施策を確実に実行することが大事です。

教師の過労を解決するには、教師の仕事内容を変えることが重要である

たとえば、教師各人による教材準備などの無駄な作業を一掃することが望まれます。

報道されていることが事実であるならば、私には各教員が毎日のように教材準備などの毎年の決まったフローに時間をかけているのか不思議で仕方がありません。

授業準備などに関する時間について、全て電子化した教材を全国一律で配布して、同一教材で同一内容の授業を実施するようにすれば劇的に必要時間が短縮されます。

更に突き詰めるなら、文部科学省がオンラインのムービーを教材として作成して子どもが視聴するようにすれば良いだけです。教師は子どもたちの学習の進捗状況を補助して支える役割に徹するようにすべきです。

保護者対応の時間についても時間制限を導入することが望ましいです。

少なくとも公立学校は税金で運営しているのであり、一部の保護者のために過大な時間を割くことがそもそも間違っています。むしろ、こちらもカスタマーデスクを作って個別の先生に負担がかからない仕組みを作り、タックスイーターの保護者を甘やかす国の方針を見直すことが重要です。

部活の対応について、子ども数の減少で個別の部活の存続すら怪しい現状に対応するために複数校の部活動を統合して専門のスタッフに任せるべきです。

部活動を学校の先生やボランティアスタッフなどではなく専門性を持った人材に指導させることが子どもの未来を拓くことにもつながります。

教師の過重労働の原因は「学校現場が昭和だから」に尽きる

以上のようにざっと見ただけで、教師の業務時間の短縮は可能だと思います。

民間企業であれば当たり前に導入される仕組みを実施することが重要です。教師個人に実行できる改革ではなく、文部科学省全体の経営体としての改革が必要です。

日本では公教育の仕組みが堅固に作られてきたため、昭和の時代の学校運営を変えることが難しくなっています。

人数の増員ばかりを訴える文部科学省や教職員組合の姿がまさにその象徴と言えるでしょう。これに対して財務省側も民間へのリテラシーの低さからまともな回答を行うことが出来ていると思えません。

現在、「昭和脳」は教育現場だけでなく会社などのあらゆる現場で弊害となっていますが、古くなった非合理なものはばっさり切り替えていくことが重要です。



 

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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)国内政治 | 社会問題