2015年11月

2015年11月30日

舛添要一都知事は激高すべき、首都圏民3500万人の政治を

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「法人住民税1兆円を地方に再配分 29年度から、政府検討」
http://www.sankei.com/economy/news/151027/ecn1510270012-n1.html

という記事がちょっと前に報道されていました。都道府県別の1人当たりの法人住民税・事業税の25年度の税収を比較すると、最も少ない奈良県と、全国最多の東京都の格差は6・3倍に上るから、東京から税金を取り上げてしまおうという。。。

罰ゲーム化した都市部の努力への仕打ち

今回、中央政府が吸い上げようとしている税収は「法人住民税」です。つまり、ある地域に立地している企業が地方自治体に支払う法人税・地方税の一種類です。法人住民税を全体3兆円のうち1兆円も中央政府の気分で召し上げられるなら、もはや「地方税ではなく国税の間違い」だと思います。

収益力がある企業が誕生・集合することで法人住民税の金額は当然に増えていきます。都市部はあらゆる資源を活用してインフラ・人材を教育することで企業の成長を助ける努力をしています。その結果が東京を中心とした都市部の法人住民税の高さです。

その法人住民税を半ば国税扱いをして取り上げて地方に再配分する計画は「頑張った人に良く頑張ったね。でも君がやっていることは悪いことだから稼いだお金は取り上げます」ということと同義です。このような罰ゲームを導入することは人道的・経済的に許されることではありません。

継続不可能な地方交付税度を廃止することを議論すべき

このようなトンデモない政策が出てきた背景には、地方交付税、の仕組みが限界に近付いていることがあります。今回、政府は法人住民税を取り上げて地方交付税に充当しようとしています。

地方交付税の現状は「中央政府は既に単年度の支払いもできなくなっており、地方自治体に借金のツケ回しを奨励している」状態です。臨時財政対策債という名称で地方自治体で増え続けている地方債は中央政府が裏書保証した形になっている借金のことです。

つまり、今回の法人住民税の移転話は、中央政府が地方自治体に「実行不可能な地方交付税の支払い」を約束した帳尻を合わせるために、都市部に対して大型の地方交付税のための増税を実施するという話なのです。

私はかつて地方交付税の算出根拠について調べたこともありましたが、地方交付税の交付額の基準となっている基準財政需要額の算出方法の中には現代人の目から見て妥当とは言えないものもあります。

現在、議論されるべきことは、地方交付税の算出根拠などの制度の全面的な見直し、地方自治体による臨時財政対策債の発行に歯止めをかけることです。地方債を減らしたと豪語している大阪府ですら同債務が異常に増加していることに危機感を持つべきです。

世界はメガシティー同士の競争に移行しつつある

現在、人口1000万人以上のメガシティーは世界に34か所存在しており、これらの数は今後も飛躍的に増加していきます。2030年には世界の人口の60%は都市部に居住することになり、都市の競争力=国の競争力、という図式がより明確になっていきます。

このような状況の中で都市部から財源を取り上げて地方に再配分していく余裕は無くなりつつあります。むしろ、都市部から地方への移住を奨励するのではなく、首都圏などの都市部に日本国民が移住するように誘導していくことが望ましい政策です。

また、既に首都圏には約3500万人、日本の人口の4分の1が暮らしている状況があります。たとえば、東京から税金を取り上げて遠くの地方にばら撒くことは、人口全体25%首都圏住民の生活に影響を与えることになります。何よりも重要なことは東京の経済発展を促進し、都市部の規模を拡大して周辺も含めた経済浮揚を達成し続けることです。

都市部選出の国会議員も地方選出の国会議員も今後世界がどちらに向かっていくのか、日本全体の将来について責任ある議論をして頂きたいと思います。





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参議院選挙前に民主党崩壊を予言する「ある数字」とは

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民主党の解党論議が年末にかけて本格化していく状況となっていますが、民主党は「解党ではなく崩壊」する可能性が極めて高い状況となっています。それは「ある数字」が示しています

民主党の「解党ではなく崩壊」を示す「ある数字」とは何か


民主党崩壊の根拠となる数字は「参議院議員選挙の比例得票数」です。

参議院議員選挙は選挙区と比例区に分かれており、選挙区は少数の議席を争うために二大政党にとって有利な環境となっていますが、比例区は「政党の勢い」が重要であるため、毎回各政党の比例得票数は激しく上限しています。

民主党の過去の比例得票数は、2007年・2325万票⇒2010年・1845万票⇒2013年・713万票、という激減過程の中にあり、2016年の参議院議員選挙の比例得票数も支持率低迷の中で増加する見込みはありません。

そして、この参議院比例票の激減、そして比例代表の獲得議席数の減少こそが労働組合の組織に依存する民主党にとっては致命的な結果をもたらすことになります。

参議院比例票の激減で労組系組織内候補の大量落選が現実に

実際の得票数・議席数は投票率にも左右されることになりますが、推計で仮に民主党が前回同様の700万票前後であったと仮定した場合、民主党の比例獲得議席数は7議席程度になるでしょう。自民、維新、共産が得票数を伸ばしてくる中で民主党の得票が伸びる理由は特にありません。

獲得議席数を「7」とすると、かなりの数の労働組合の組織内候補者が落選することになります。実際に前回の2013年の参議院議員選挙ではゼンセン、JP、基幹労連、などの旧同盟系の労組の組織内候補が議席を得ることができませんでした。

同参議院議員選挙の票数の激減は予測を上回るものであり、各労働組合も対応しきれなかったものと思います。(その意味で候補者を1人に絞った立正佼成会の判断は見事でした。)

2016年参議院議員選挙比例区でも同様の得票と仮定した場合、自動車、電力、自治労、日教組、情報労連の5つ以外の労働組合は議席を確保することは極めて困難です。これらの有力労組に加えて当選可能な候補者は立正佼正会の組織内候補者1名と有田芳生氏だけであり、以上のメンバーで獲得見込みの7議席を消化することになります。

 つまり、参議院比例区で当選する民主党の候補者は既に全議席決定しており、2010年に獲得した議席を失う中堅の労働組合にとっては自分たちの影響力が激減することが明白な状況となっています。

同盟系労働組合は維新に流れることで議席を確保できる状況に

そのため、旧同盟系の中堅どころの労働組合にとっては民主党から抜け出て、「維新」(大阪)と組んだ方が自分たちの組織内候補者を当選させることができる状況が生まれています。(自動車・電力などの巨大労組も都市部に基盤があるため、維新との潜在的な親和性は高いと思います。)

2010年の維新の比例代表は30万票を獲得した候補者は猪木・中山の2名のみであり、その他の候補者は皆4万1千票以下の得票数でしかありません。これは維新(大阪)が全国的な基盤を持つ強力な団体の候補者を抱えていないことを意味しています。

維新の獲得議席数は前回のみんなと維新の合計(1000万前後)と仮定すると、10~12議席程度になる可能性が高いため、平均して10万票以上得票できる同盟系労組は維新に移ることで安定的に上位当選することが可能であることを同時に示唆しています。(自治労・日教組以外は維新と組めるはずです。)

また、公明と直接の関係を持たない維新は、20万票の組織票を持つ立正佼成会にとっても魅力的な連携相手であり、民主党では1名しか当選させられない組織候補を2名まで増やせる可能性があります。

共産党と選挙協力を打ち出す民主党の現執行部の方針では比例票は共産党に食われることが予想されます。そのような状況は共産党と犬猿の中にある同盟系の労働組合にとってはデメリットでしかなく、逆に政権入りが確実視される維新と組むメリットを大きくしています。

労働組合の運動力が半減した民主党は崩壊する

旧同盟系の中堅の労働組合が民主党から離反することが「比例票」の予測から確実視されるため、これらの労働組合が離反した場合の民主党の運動力は著しく落ちることになるでしょう。

そして、それらを吸収した維新勢力は全国の小選挙区での候補者の擁立が可能になるため、維新・民主の力関係は一気に逆転することになります。

民主党が崩壊を回避するためには、共産党との連携を拒否した上で民主党の支持率を上げることが必要になってくるわけですが、衆参ダブルの選挙戦が見込まれる中で、民主党内の衆議院・参議院の利害が対立することで両すくみ状態になることが想定されます。

共産党と組めば衆議院の小選挙区が有利、共産党と組まなければ衆参の比例区が有利という形になるわけで、自民側・維新側は衆参ダブルをちらつかせて民主党を揺さぶって内部分裂を待てば良いだけとなります。

民主党崩壊の運命を握る存在は公明党である

民主党崩壊のイレギュラー要素は公明党の存在です。民主党の崩壊が予測される中で、非常に近い距離にある自民党・維新が公明党をどのように扱っていくかは予測が困難です。

民主党の崩壊は自民党との連立先である公明党の利害に反すること、 衆参同時選挙は組織政党である公明党の利害に反すること、など、上記の民主党崩壊シナリオと公明党の立ち位置を相容れないものだからです。

過去の得票数だけを見た場合、民主党が唯一生き残る道は共産党ではなく公明党との連携しかあり得ず、民主独立路線で公明党との共闘関係を構築する道しかありません。民主党には旧新進党化という戦略オプション以外の選択肢は残されていないのです。

そのため、今後の展開としては、自民党が「維新を取り込みつつ」「公明党をグリップし続ける」ことが可能なのか、ということになります。いずれにせよ、本件はあくまでも得票数に基づく予測であるため、内外の要因で左右される複雑な政局動向の変化で今後大きく変わる可能性もあります。

本ブログでは政局動向を注目しながら、選挙の得票数字に基づく将来予測を行っていきたいと思います。

プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く
アンソニー プラトカニス
誠信書房
1998-11-01




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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)国内政治 

何故、政治資金でライザップに行くことは問題なのか

マネキン

何故、政治資金でガールズバーやライザップに行くことは問題なのか

現在、ガールズバーやライザップに政治資金を支出していたことが問題となっています。しかし、本来はビール券や香典などの公職選挙法で禁じられた買収行為に使用することを問題にするべきであり、政治資金の利用使途自体は何に使ったとしても各政治団体の内部自治の問題として認められるべきものです。

従って、バカみたいなものに使っている政治家は「情報を全公開される」ことで、次の選挙で落選すれば良い、ということが建前となります。ライザップに通ってお腹が凹んだことを有権者が政治活動として評価するか否かというだけの話です。

政治資金の支出内容が問題となるのは「政党助成金」が入っているから

政治資金の支出内容が問題になる理由は「政党所属議員の政治活動費には『税金』である政党助成金が入っているから」です。

国会議員が自らの政党支部や後援会に政党助成金を受け取っているならば、本来の政治団体の内部自治の範囲から外れた問題が発生します。

政党助成法第一条には、

(目的)
第一条  この法律は、議会制民主政治における政党の機能の重要性にかんがみ、国が政党に対し政党交付金による助成を行うこととし、このために必要な政党の要件、政党の届出その他政党交付金の交付に関する手続を定めるとともに、その使途の報告その他必要な措置を講ずることにより、政党の政治活動の健全な発達の促進及びその公明と公正の確保を図り、もって民主政治の健全な発展に寄与することを目的とする。

と書いてあります。つまり、政党から政党助成金の一部を受け取っている国会議員などは「まともな政党活動と民主政治をやろうね」ということです。

そのため、選挙の洗礼で判断されるべき「政治活動の支出内容」の是非が「有権者以外」の納税者一般から問われることになります。しかし、当然「公明・公正」や「健全な発展」は人によって価値観が違うので、見方によっては何でも不適切な支出にできることになります。

政治家の責任は違法行為以外は選挙で問われるべきである

本来、政治家は選挙で自らの行為の責任を問われるべきです。そのため、選挙とは異なる倫理規範が求められる「政党助成金」の存在をそもそも認めるべきではありません。日本共産党のように政党助成金は全額受け取らず、その他の収入で政党運営を行っていくことが政治団体の内部自治を確立するために必要なことです。

政党が企業・団体・個人から寄付を受けることは当たり前のことであり、政党助成金を受け取って政治団体の内部自治を放棄すれば「常に突っ込みどころ」を晒しながら政治活動を行うことになります。

政治家が目先にぶら下がった税金に飛びつくことで、選挙以外で自らを辞職に追い込める状況を作りだしていることは本当に愚かなことです。マスメディアが取り上げる不適切な支出などは適当な理屈で簡単に作り出せます。たとえば、共産党員も納税者であり、自民党の国会議員の支出に何でも文句をつけることすら可能だからです。

政治家は自分の支出の責任は自分で取るべきであり、いちいちマスメディアなどを通じて納税者全体をくだらないレベルの話に巻き込むことを止めるべきです。政党助成金という税金にオンブにダッコの政党運営を見直し、政党・国会議員には納税者から独り立ちしてほしいと思います。





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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)タックスイーター 

濃い政治ネタだけで1か月間更新し続けてみたPV数

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いまどき、濃い政治ネタだけでブログのPV数が上がるのか?

濃い政治ネタだけで果たしてブログPVはどの程度伸びるのか、という実験的な試みを1か月間行ってみた結果が出てきました。あえて、本ブログでは日常の話みたいなものはガン無視しており、しかも右や左のネトウヨ・ネトサヨにも一切阿らない新自由主義路線の内容のみ。

現在、日本に小さな政府を求める人々の市場がどの程度あるのか?ということについて、ゼロから始めた上に、内容も政治ネタ、しかも小さな政府論の当ブログがどこまで伸びるか、ということで分かると思っています。

猫や子どもの可愛らしい写真などは乗せずに、あえてガチな内容を毎日更新した結果であり、お涙頂戴的な内容もゼロ、ガチガチの政治トークのみです。

一か月間ブログを更新してみた結果は「意外と伸びるものだな」という感想

更新開始から1か月経った本ブログのPV数は、最低でも一日400PV、それなりに面白い記事を書いたときは1000PV弱まで伸びてきています。初日3日間の40~100PVだったのでかなり進歩したと言えるでしょう。

一か月で78記事を更新する、一日3記事のそれなりにハイペースな更新回数で運営しています。ライブドアブログで星4つになったので、ライブドアブログ全10万ブログの上位8%に入ることには成功した模様。星4つになると1000記事更新しているサイトもボチボチ増えており、星4つの上位に入るためには1日PVが1万は必要みたいです。

PV数の上位記事は下記の通りであり、政局予測ネタなどがやはり人気があるのだなと思います。

(1)大阪W選挙、おおさか維新の会圧勝予測!新たな局面へ 


などのPV数が多かったかなと。つまるところ、未来予測や制度解説みたいなものが良く読まれる傾向があり、小さな政府の考え方を整理した記事はあまり読まれないという(涙)

特に気合を入れて作成した経済分析や政局分析はあまり読まれないという残念な状態ではありますが、読者ニーズを捉えた記事を作っていきたいと思っています。まあ、書くのに時間がかかるということは自分が未熟だからということとほぼ同じ意味なので納得するところですが・・・。

とりあえず、3か月間頑張ってみて推移を見てみようと思う次第です

現在のPV数のまま推移したとすると、12月PV数は約2万弱というあたりで推移するものと予測しています。記事の質は維持していきたいとは思うものの、それは閃きなどとの関係もあるため、検索流入の増加などを見込んで2万くらいかなあと。

記事数が100を超えるとヒットしやすくなるという神話を信じているものの、やはり300記事くらいは更新しないとがっつりとしたPV数を生み出すサイトにならないと実感しています。本ブログの当面の目標は「ネトウヨでもネトサヨでもない小さな政府関連の濃い政治ネタのみ」で月間10PVです

1年後ぐらいには月30万PVくらいのサイトに育っていると良いなという希望を抱いています。





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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)

2015年11月29日

大人の教科書(10)左と右は180%回転すると同じもの

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世の中の政治的なスタンスとして「あの政治家は右だとか左だ」とかいうことがあります。しかし、実際のところ、それらが同じところから出てきた親戚みたいなものだということに説明します。

そもそも政治的なスタンスの右とか左って何ですか?
 
「右」の議員は保守、「左」の議員は革新、と呼ばれたりするわけですが、元々はフランス革命後の議会において座った席の場所で右・左と区分けされるようになりました。

ところが、現代社会に至るまでに政治闘争の結果として右や左が入れ替わったりしているため、右と左の政治的な呼称としての意味は言葉を使用する人によって異なるために、それらの明確な定義を求めにくい環境になっています。

そのため、上記のように右やら左やらのレッテルを貼るだけでは本記事の説明が分かりづらくなるので、政治的なポジショニングの区分けの整理をして、右と左は実は同じものだということを述べていきたいと思います。

右とか左ではない正しい政治的なポジショニングを知ること

一般的には政治的な立ち位置を分析する場合、(1)政府による経済介入の大小、(2)政府の思想・倫理への介入の大小という2軸で自分のポジショニングを知ることが出来ます。

(1)経済介入が大(2)思想介入が大=全体主義・共産主義(北朝鮮)
(1)経済介入が大(2)思想介入が小=社会民主主義(フランス)
(1)経済介入が小(2)思想介入が大=新保守主義(ネオコン)
(1)経済介入が小(2)思想介入が小=自由主義(ホリエモン)

というような分類です。自分がどのあたりに考え方に収まりそうかイメージ湧きますか?そして、日本の政党のポジションは実際のどこにあたるでしょうか?


戦後の右(自民)も左(社会・民主)も大体同じようなものだった

戦後の日本では、自民党などの保守勢力が「右」、社会党などの革新勢力が「左」とされてきました。

一応、自民党側は資本主義を守る政党で米国寄り、社会党側は社会主義を求める政党でソ連寄り、という区分けで左右の分類がなされてきました。

特に1990年以降は右と左という名称が自民党・民主党に引き継がれることになりますが、民主党や共産党は自民党(特に小泉政権)を新保守主義とか新自由主義という名称で叩き続けています。

ところが、少し考えれば分かりますが、55年体制以降の日本は一貫して政府の予算拡大・規制強化(経済介入=大)がされており、なおかつ右も左も教科書などへの思想教育(思想介入=大)を重視してきました。

要は右も左も大して変わらない「全体主義」への道をまい進している状況だと言えます。

政府の経済介入が強まると思想介入も強まっていくことは必然

このように書くと「左」(社民主義者)に区分されている人々から「我々を安倍ファシズムと同じにするな!」と怒られそうですが、実際には同じようなものなので仕方がありません。

また、仮に(1)経済介入=大(2)思想介入=小であったとしても、生活の原資を政府に握られてしまえば、その後に政権は国民に対して容易に思想を強制していくことが可能になります。大半の人々は生きていくために、自分の思想表現を簡単に変更してしまうものです。

自由市場を否定して格差是正を叫んだ先に待っているものは、北朝鮮のような政府独裁型の共産党主義国家です。

逆に、右の人々からは「我々を社会主義者・共産主義者と一緒にするな!」というクレームがあるかもしれませんが、彼らが求めている愛国主義的な思想統制は「経済介入=大」を実現しない限りは不可能です。

そのため、最終的にはナチスドイツのようなファシズム国家になっていかざるを得ません。つまるところ、共産主義(左)≒ファシズム(右)で建前は異なるけれども親戚みたいなものなのです。

正しい政治的なポジションニングを問う質問は「税金は上げることは良いことか?」のみ

上記の過程から右や左という区分が極めて無意味な質問であり、本当に重要なことは「政府の経済介入=税金を上げることは良いことか?」という質問だけで十分なのです。

政治家や政治に関心がある人に上記の質問をした場合に「YesかNoか」の回答が返ってきます。「税金を上げることにYes+その人物が権力者=危険人物」であり、「税金を上げることにYes+その人物が非権力者=頭が悪い人」ということになります。ちなみに、問題は経済全体における政府の規模の話なので、どの税を上げても結果は一緒です。

以上のことは大人の常識として知っておくと、悪い政治家にひっかからないで済みます。政治家は誰しもが己の権力の強化にまい進するものですが、せめて建前だけでも小さな政府を主張してほしいものです。

独裁者になるために
イニャツィオ シローネ
岩波書店
2002-12-20



 

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yuyawatase at 20:13|PermalinkComments(0)大人の教科書 

アグロ・アマゾニア(ブラジル)に見る日本の農業の未来

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住友商事が買収したアグロ・アマゾニアの規模が凄いということ

今年初めに住友商事はブラジルの農業資材会社のアグロ・アマゾニアの株式の65%を取得して経営参入しています。本件は日本の農業の未来を考える上で非常に示唆的だと感じています。

アグロ・アマゾニアは、唯一マットグロッソ州全域に展開する農業生産資材問屋であり、同州は日本の2.5倍の広大な土地を生かして、大豆やトウモロコシ、肉牛や綿花を始めとする農畜産物の最大生産地となっています。
ブラジルでは農業系大学の出身者の地位は高く、ビジネス分野として農業が極めて有望な扱いを受けています。

マットグロッソ州は数千~数万ヘクタール規模の大規模農地開発が続いており、投資会社のファンドによって世界各国から資金を調達し、保管・流通施設等も一体とした開発を行う傾向にあります。ちなみに、同国におけるトップクラスの投資ファンドは約20~30万ヘクタールの農地を経営しています。

住友商事は同州の農家に対して農協に類似する事業を展開して支援を開始しています。安倍首相も2014年8月にブラジル訪問時に、日本や世界の食料需給安定に貢献するため、穀物の増産や物流効率化に向けた支援を表明しています。

日本の農業の高付加価値化・規模拡大で競争できるのか

日本の農業の高付加価値化・規模拡大を促進するという議論がなされていますが、如何にも日本的というか中途半端なことばかり実施していると思います。

農業生産性が世界的に向上していく中で日本の農業は高齢化・陳腐化によって競争力が低下し続けていくことになるでしょう。また、農業保護向けの関税・補助金などによる政府依存も若者の就業忌避・生産性の低下に繋がっています。

そこで、高付加価値面も然ることながら、農地の大規模化ということについて全く発想を変更して臨むべきだと思います。つまり、農業への補助金などを徐々に削減していくことで農業経営に熾烈な競争を起こし、1つの県やそれ以上の規模を誇る経営主体を生み出していく必要があります。

現状のように隣近所の耕作放棄地を力がある農家が合併する程度ではなく、合併の視野のスケールを大きく変えていく必要があります。日本の1戸当たりの耕作面積は米は50年前と比べて2倍ですが、肉牛は32倍、養豚は600倍になっています。国際競争を含めた競争の激化は確実に大規模化を進める要因となっています。

高付加価値化は農地集約の競争過程で自然と行われていくため、自由競争に任せることが望ましいです。そのため、まずは運営主体への大規模な合併を促すとともに企業参画を大幅に進めるべきです。現状のように中途半端に経営面の補助金を維持したまま、高付加価値化のために更に税金を投入するやり方を見直すことが必要です。

むしろ、農業就業人口を低下させて一人当たりの利益を増やすことが大事

経営力がある若者が農業に就業して生産性を改善していくためには、農業就業人口の一人当たりの利益が増加していくことが重要です。逆説的には農業の低収益性に対して高齢者が大量に就労している状況こそが問題です。

そのためには、農業の大規模化を推進して1戸当たりの経済規模を拡大すること、安価で高付加価値な農産物の製造を推進していくことが重要です。

たとえば、水田の6割を占める乾田を飼料用トウモロコシに転換したほうが安価に大量に作物の製造が可能ですが、農林水産省の補助金政策によって実行されていない事など、既存政策の全面的な見直しが必要です。作物転換のプロセスの中で農地集約を推進していくべきです。

グローバル環境の中で日本に真の「大規模農家」が生まれていくことこそが日本農業の競争力強化に繋がっていくことになるでしょう。





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yuyawatase at 15:53|PermalinkComments(0)社会問題 

地方分権改革私論、「腐敗の論理」を行革に生かす

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日本の行政機構や公務員制度は既に確立されて出来上がっているため、小さな政府を実現していく場合、完全に廃止・民営化を実現していくことは極めて困難です。そのため、まずは税制度全体及び天下りなどの腐敗の面で、中央・地方関係に対立・牽制関係を働かせていくことで、行政改革へのインセンティブを付与することが重要です。

中央政府=社会保障、地方自治体=産業政策という役割分担の見直し

まずは中央政府と地方自治体の根本的な役割分担を実施していくことが望ましいと考えます。具体的には中央政府は社会保障全般(所得・衛生)、地方自治体は産業政策全般(サービス・補助金)というような役割分担に再編する必要があります。

現在の政府方針では、中央政府は社会保障・産業政策のいずれも強い権限を持ち、地方自治体はその執行役としての役割を担わされています。さらに、中央政府は財政難の状態から徐々に社会保障関連の事務を地方に移管していこうとしている姿が散見されます。

そのため、中央政府と地方政府の実質的な一体化を前提として、社会保障を餌に地方自治体側が消費税増税などに安易に賛成する、という大きな政府に陥るスパイラルが形成されています。

このような状況を根本から見直し、中央政府は社会保障全体を担うもの、地方自治体は産業政策を担うものと明確に区分することで、各地方自治体間の経済競争が促されることになります。地方自治体間の経済競争の総和として日本経済全体の浮揚に繋がることは明白です。

税制の抜本的な構造改革、所得税・法人税の地方自治体への移管を進めるべき

中央政府が社会保障を担うものとした場合、中央政府の財源は消費税などの安定財源によって担われていることが重要です。そのため、逆説的に所得税・法人税などの景気に左右される生産関連の税収は不要となります。

従来までは中央政府が所得税・法人税も吸収していたため、好況不況時の税収・支出にバラつきが生じて計画的な行政運営が難しい状況があります。そのため、中央政府の運営は消費税などの安定財源に限定することを通じて社会保障の計画的な支出を実現することが重要です。

逆に所得税・法人税などは地方自治体に移管することが重要です。生産関連税収は従来までは地方交付税の原資となっていましたが、これらを地方税と位置付けて地方自治体の予算として直接収受できる環境を整備していくべきです。

なぜなら、地方自治体に生産関連税収を移管することを通じて、地方自治体間の経済競争を促進していくことができるからです。現在、財政改革・規制改革などが遅々として進まない理由は、財政改革・規制改革の担い手となる地方自治体に改革へのインセンティブが何も働いていないことに原因があります。

地方自治体職員の待遇と地域の経済成長が連動している状態とすることで、初めて日本の構造改革が進む状態になるとともに、国と地方の間での力関係が変わってくることになります。各地域の生産関連税収と地方自治体の公務員給与が一致するからです。

中央政府が社会保障全般を計画的に実施することで、地方自治体は社会保障関連の制約から抜け出て、経済成長を実現するための施策を総合的に構築していくことが可能となります。

中央省庁の天下りなど不要、地方自治体に利権を移していくことで改革を促進する

現在、中央省庁でも地方自治体でも大量の天下りが発生しており、それらの目に見える負担・目に見えない負担は日本経済全体の重しとなっています。重要なことはこれらを一掃することは極めて難しいということです。

そのため、日本全体に影響が発生する中央政府レベルでの天下りを防止するとともに、地方自治体への利権移管を進めることで、天下りが酷くてダメな地域が勝手に潰れる環境を整えていくことが望まれます。

中央の天下り及び利権は日本全体に与える影響が大きいため、地方自治体レベルに天下り及び利権を移していくことで被害を最小限に抑えるべきです。

現在、国政では消費税を地方税に移管して社会保障を担わせる議論がされていますが、それでは日本全体レベルで産業と癒着した中央省庁が温存されることになります。中央省庁には社会保障関連の天下り・利権を残し、地方自治体は産業関連の天下り・利権を受け取るべきです。

所得税・法人税などの生産関連税収と日本の産業全体を規制する権限を中央省庁に残しているから、様々な既得権に阻まれて日本の経済改革は全く進まないのです。

日本全体では過去に築いた経済のパイがあるため、多少経済が傷ついてもそれらの腐敗を受け入れる余地があります。そのため、非常に不毛な政策が存在していても、全国横並びで実行されるために誰も不毛さに気が付かず、財政改革・規制改革が進んでいきません。

公務員による天下り・利権、つまり腐敗による支出・規制執行は無くならないことを前提とし、各腐敗の影響範囲を地理的に限定し、各地方自治体間の競争で腐敗を抑制する政策を実行していくことが望ましいです。

無駄な中央官庁を一掃してスリム化を実現していくことが大事である

日本の中央省庁は様々な名称では多様な業務を行っていますが、それらの大半は社会保障(所得・衛生)か産業政策(サービス・補助金)に分類することが可能です。

社会保障に分類できるものは中央省庁に残し、それ以外は全て地方自治体に移管することが望まれます。地方自治体の主要税収を生産関連税収とすることで、地方自治体の自主的判断で中央省庁から移管された大半の不要事業は廃止されることになるでしょう。

中央政府として、不要な省庁は、経済産業省、文部科学省、農林水産省、総務省、国土交通省、などのサービス提供・補助金系系省庁です。これらの省庁の所管政策については地方自治体側で移管される所得税・法人税によって運営されていくか、民間事業者が参入するかを決定していけば良いと思います。

これらを地方に移すことで地方レベルの腐敗(天下り・利権)は拡大するでしょうが、あまりにも酷い地域から潰れていけば良いだけなので日本全体で見た問題に比べれば小さなことです。

これらの改革を実行することで、毎年の概算要求の度に各省から数百から千枚以上の要求のための書類が出てくるような愚かな文化も無くなることでしょう。その他の中央省庁の政策も外交・防衛は除いて社会保障に似つかわしくないものは徹底的に排除し、不要な特別会計も全て整理してしまうべきです。

中央政府の社会保障、地方自治体の経済成長の対立が財政健全化への道

上記の一連の改革によって、中央省庁に社会保障費用が集中することによって膨大な量の財政支出を中央省庁が担うようになるものと思います。しかし、財源は消費税しかないという状況を創り出していくことが重要です。

そのような状況を作ることで初めて消費税は社会保障目的の税金として使用されていくことになります。

一般会計ベースでみると、地方交付税、文教科学振興費、公共事業費、その他の産業関連分の予算を地方に移すと30兆円弱になるため、法人税・所得税の約30兆円弱とほぼ同額となります。これらを地方自治体に移すと同時に、既存の国債の一部も自治体の担税力に応じて中央政府から地方自治体に移譲します。

そうすることで、地方自治体は景気悪化による所得税・法人税の減収を恐れることになるので、現在の日本政府のように安易な消費税増税に反対するようになります。

政府内で牽制関係が働く環境を作ることによって政治的な議論が喚起されることとなり、消費税増税の是非がまともな形の政治争点として国民に示されることになります。

その結果として、中央政府が消費税を増税するためには、地方自治体からの同意が実質的に必要となるため、社会保障支出の徹底的な削減、医療・介護などの規制緩和などが自然と実行されていくことになります。

日本の再生には、所得税・法人税を地方に移すことで、肥大化を続ける政府内部での牽制・対立関係を創り出すことが重要です。





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yuyawatase at 12:07|PermalinkComments(0)国内政治 

2015年11月28日

「アベノミクス」、全ての矢が折れた後に(金融政策編)

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アベノミクス、つまり安倍政権の政策は、弱肉強食、格差拡大、福祉切り捨てなどの色々な名目で批判されます。そして、アベノミクスを「新自由主義的な政策で小さな政府だ」と総括する人々もいます。

しかし、アベノミクスの本質は「弱肉強食・格差拡大」ではあるものの、「反自由主義的で巨大な政府」であるということ、そして超巨大な政府を創りだした金融緩和・財政支出・規制不緩和による経済停滞による不都合な事実こそが問題だということをお話ししていきます。

アベノミクスの金融緩和は「庶民」にも「大企業」にも無意味だった

金融緩和とは「日本円」という通貨価値を意図的に引き下げる政策です。そして、日本円を安くすることによって輸出を増加させること、人為的にインフレを生じさせることでお金を使わせて景気を浮揚させることを狙うことを目的としています。

しかし、現実に起きたことは輸出数量はほとんど増加せず、デフレからの脱却も行うこともできませんでした。実際に金融緩和によって発生した「メリットはほとんど無いということ」です。

つまり、何となく日本円がジャブジャブになったような印象があるだけで肝心のGDPへの影響があまりなかったということ、要は庶民にも大企業にもほとんど関係がないことが行われただけだったのです。

輸出も増加しなければデフレからも脱却しなかった異次元緩和


まず、輸出面ですが、ドルベースで日本からの輸出額を見た場合、円高で苦しんでいるとされた2009年のほうが中国市場の過熱から輸出総額が高い状況でした。

アベノミクス以前の2011-12年のほうがアベノミクス以後の13-14年よりも輸出額が多い状況となっており、輸出は買い手の経済の影響を大きく受けるので、日本の金融政策の影響は微々たるものであることが明らかになっています。

また、目標とした物価上昇2%というデフレからの脱却も達成できておらず、実際の食品と原油を除いた消費物価指数は直近の数か月でも1%未満の上昇率で推移しています。人口減少によって総需要が縮小を続ける日本で金融緩和によるインフレ効果は限定的だからです。

2年以内で目標不達成なら辞めると明言した黒田日銀総裁がしどろもどろの言い訳を実施していますが、潔く辞任したらよいのではないかと思います。

企業業績の回復は「人件費を減らしたこと」と「為替による見せかけ」の複合現象

ここからが重要なのですが、アベノミクスの本質を知るにはドルベースで企業業績に注目するべきです。

2011-12年から日本企業のドルベースの売上は大幅に減少しているにも関わらず営業利益は横ばい・微減程度になっています。営業利益を維持できた主要因の一つはドルベースの人件費は2011-12年段階から2015年現在で約3分の2に減少しているからです。

円安によって円ベースの見かけ上の企業収益は改善していますが、ドルベースの実際の収益状況を見た場合の重要な一つの要素として人件費を減らしたことのインパクトは大きいです。

これが日本企業の実態であり、本当の日本の実体経済だと思います。人件費を削って利益を出しているので働く人の間で景気回復の実感が無くて当たり前です。

また、円安に推移している原因は金融緩和の影響もあるとは思いますが、経常黒字の内容の変化による構造問題が影響しております。海外資産からの所得収支の黒字を貿易赤字が侵食し始めていることに注目すべきです。むしろ、円安は金融政策だけではなく産業競争力の低下という日本経済の構造上の問題です。

従って、日本企業は付加価値の向上によって競争力を高めたわけではなく、コストカットと為替で収益を出している虚構の業績改善を達成しただけなので、企業が日本市場への再投資や賃金アップを実施しないことは必然なのです。

政府から企業への賃上げ要請は完全にお門違いの議論でしかない

アベノミクスは効果が無かったどころか、アベノミクス時代に行われたことは人件費の大幅な削減と為替の構造調整だけだったのです。

たしかに、株価は上がりましたが、それは世界経済の回復に日本経済も便乗したこと及び過剰な人件費を急激に削減して利益を維持したことを好感したものだと推測します。

株価の上昇の主要因は2012年末頃に実施された欧米の政策による世界同時株高の影響であり、日銀による株価上昇は2014年末の国債大量購入の発表によるものくらいのはずです。

そのため、安倍政権発足後の株価が上昇した理由をアベノミクスに求めることは明らかな間違いです。

現在、安倍政権は労働組合のように大企業らに対して賃金アップを政治力を用いて交渉していますが、アベノミクスで実質的な業績回復が実行されたわけではなく、あくまでも「人件費削減」と「為替効果」での業績改善であるため、企業側は政権に恩に着せられる覚えは全く無いはずです。

ただし、現政権のもう一つの柱であった財政支出によって利権に浴した企業群は、安倍政権への政治献金の増額を決定しています。これこそがアベノミクスの本質的な姿と言えるでしょう。まあ、一党支配状態の政権に政治献金の増額を求められたら断る気概がある経済人がいると思えませんが。。。

「大企業が儲けているのにトリクルダウンが起こらない」という認識が間違っている

アベノミクスでは、経済的に豊かになれる人から豊かになっていき、その後社会の隅々まで順番に豊かになる、というトリクルダウンが発生しない理由は明白になったと思います。

トリクルダウンが起きない理由は日本全体が豊かになっていなからです。ドルベースの日本のGDPも2013年以降には激減しており、日本の国際的な中での競争力自体も著しく低下しています。アベノミクスとは少なくなっていくパイの取り合いをしているだけなのです。

大企業であっても自衛を実行するだけで精一杯の状態であり、まして中小企業やそこで働く従業員にまでお金が回るわけがないのです。つまり、簡単に言うと、実体経済の状況は悪化しているのです。GDPが2期連続でマイナスに陥っているにも関わらず景気が良いわけがありません。

2009年リーマンショック後から安倍政権まで続く失業率の低下は、高齢化による労働量人口の減少と比較的賃金が安い福祉関連の就業者が増加したことが原因であり、少なくなった労働者向けのパイを薄く広く分け合ったに過ぎないのです。

このような状態になっている理由は、アベノミクスの2本目・3本目である財政政策と規制緩和政策が「ゴミ」のようなものだったからであり、さらには本当に必要な4本目の矢は議論すらロクにされなかったからです。

左派なら労働法制の強化などを打ち出すのでしょうが、上記で見てきたように問題は日本全体の経済停滞または衰退状態にあるため、本来は新しいパイを創り出していくことが必要です。

それらについても追々とりあげていこうと考えていますが、今回はここまでにしてきおきます。

戦後経済史
野口 悠紀雄
東洋経済新報社
2015-05-29




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yuyawatase at 12:35|PermalinkComments(0)国内政治 

大人の教科書(9)何故、公共事業ではなく減税を行うべきか?

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代表的な財政政策の種類として公共事業と減税の2つは良く知られているところです。

特に日本では2000年代になるまで政権が公共事業を山のように積み上げ続けてきたため、景気対策の財政政策といえば「公共事業」というような刷り込みが行われてきました。今回は、公共事業と減税の2つの一体何が違うのかということについて取り上げていきたいと思います。

公共事業と減税で景気が良くなる理由は何故か?

景気の良し悪しはGDP(国内総生産)が成長しているか否かによって測定することが一般的です。GDPは個人消費、民間投資、政府支出、純輸出の4つによって構成されており、公共事業と減税は各要素を拡大する効果を発揮します。

公共事業は直接的に政府支出を拡大することでGDPを増加させることに寄与します。そして、政府支出が呼び水となって個人消費や民間投資も拡大すると仮定されています。

減税はお金がまずは政府から民間の手元に移ることになります。この時点ではGDPは変化しませんが、それらから消費や投資に使用された分だけGDPが拡大することになります。

公共事業と減税のどちらが景気が良くなるでしょうか?

日本では公共事業、米国では減税が財政政策として一般的に用いられてきました。

公共事業の方が減税よりもGDPが上昇すると考えられてきたため、景気対策といえば公共事業という手法が取られてきたからです。また、近年ではエコポイントやプレミアム商品券などの消費を無理やり促す形での便乗型バラマキ政策も実行されてきています。

公共事業は減税政策と比べて乗数効果(波及効果の一種)が高いと考えられてきたため、日本は積極的に公共事業を実施し続けてきた経緯があり、巨額の公的固定資本(道路などのインフラ)のストックを形成してきました。現在はインフラの維持費だけでも毎年莫大な金額となっています。

公共事業は用地費を除いたほぼ全額が公的資本として計算されるとともに関連産業への波及があると想定されてきたこと、減税は実際に消費に回る金額が公共事業で算入される金額よりも小さく波及効果が小さいとされてきたことが政府の判断に影響したからです。

何故、公共事業を行うべきではないのか?

上記のように公共事業が減税よりも景気刺激策として意味があるとされてきたわけですが、本ブログでは公共事業よりも減税を推進するべきだと主張しています。両者の成否は日本と米国の新産業の創造力の比較すれば明らかだと思います。

公共事業は減税と比べて経済波及効果が大きいということには陰陽の二面が存在します。公共事業が創りだす商品・サービスは新産業ではなく道路を代表とした社会インフラです。これらの社会インフラがそもそも無駄なものが多いだけでなく、それに関連する産業まで景気刺激されることに真の問題があります。

つまり、公共事業を闇雲に拡大した場合、経済効果が低い公共事業及び関連産業に中心に発生し、あるヒト・モノ・カネ・情報が大量に投入されるようになってきます。

その結果として、社会の有限な資産が無駄に浪費されることとなり、新たな消費や投資に繋がるような新産業の芽が育たなくなってしまうのです。無駄な公共事業にぶら下がった産業群が形成されることで社会の構造が固定化し、新産業への資源の移動が遅れてしまうのです。

何故、公共事業よりも減税の方が優れているのか?

一方、減税は一見して減税自体の効果は公共事業よりも低く見えますが、資金が消費・投資にダイレクトに結びつくことによって、新産業の商品・サービスの開発・提供が活発に行われることになります。

有限な資源が公共事業に浪費される状況と異なり、減税によって活性化した民間市場から生まれた新産業は将来に渡って自然な形で利益を稼ぎ続けることができます。また、環境変化に対する対応力も高く、常に新しい高付加価値の産業に資源が移動していきます。

21世紀になった後の日本と米国の決定的な違いは、公共事業で唯一の資源である人材を無駄に使ってきた日本と減税によって知的資本をフル回転させてきた米国の間に生まれた違いなのです。つまり、政府に言われるがままに道路の穴を掘ってきた人々と市場の中で熾烈な競争を生き抜いてきた人々の差です。

今日でも景気刺激というと公共事業やプレミアム商品券などが直ぐに出てきますが、中長期的に見た場合に人材育成に直結する減税に力を入れることは当然のことなのです。

増税が国を滅ぼす
アーサー・B・ラッファー
日経BP社
2009-07-16




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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)大人の教科書 

2015年11月27日

「ミニマリスト」はミドルクラスの生活習慣である


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最小限のもので生活するミニマリストに関する記事が多く氾濫しているので、自分もミニマリストっぽい一人として考えを整理しておきたいと思います。

主なミニマリストの利点について整理してみた 

(1)モノに関する購入・維持・更新費がほとんどかからない(壊れるもの・古くなるものが無いため)
(2)不要な情報が得られる媒体とのアクセスを断てる(情報媒体の取捨選択)

という2点に尽きるかなと思います。とにかく生活に関するモノのコストの最小化を図ることが重要です。モノを沢山持っていても時間は有限なのでどうせ全部使い切ることは難しいです。いつも使わないならそもそも買う必要はないよね、と思います。

モノに使われない暮らしを実践するということ

実際にモノを持っていると、「モノに使われている自分」に気が付くはずです。〇〇を使わないといけないなとか、自然とあるから使っているけれども本当はいらないとか、そのような経験があるはずです。モノを持たなければモノ本位ではなく自分本位で暮らせるようになります。

そのようにすると、初めに起きてくる変化は、人間は情報だけで意外と楽しく生きられるということです。世の中では日々様々な情報が生産されていますが、現在はデジタル媒体を通じて消化しきれないだけの様々な情報が溢れています。それらを楽しみながら生きていると時間は一瞬で過ぎてしまいます。

ミニマリストの性格は異常に飽きやすい性格だと思う

モノを持たない人は何も欲しないわけではなく、むしろ個人的な経験では真逆ではないかと思います。つまり、モノのような形で一度出現した物質に何時までも興味がもてないのです。

モノをもたない暮らしというものは、モノではなく情報に使われる暮らしといっても良いかもしれません。自分の時間の大半は情報の処理・分析・消費に使われることになるからです。

次々と生み出される情報は常に新鮮であって、モノから情報、に消費の軸を移行することで刺激を得続けることが可能になります。そのような環境に慣れてしまった場合、アンティーク的な古さを消費するのでもなければ、モノは情報に比べて魅力が劣ります。

ミニマリストとは何か、低所得者と富裕層の狭間のモノを買うことがない層

ちなみに、ミニマリストを低所得者であるかのように誤解することは間違いです。「シェアオフィスに住んでいるモノを持たない人」みたいなマスメディアの演出は一面的すぎると感じています。

むしろ、感覚的には、低所得になるとモノが多くなる、所得が高まるに連れてモノが減少していく、そして所得がある閾値を超えると再びモノが増え始めるような気がしています。物量総数の増減と連動して、そのプロセスの中で保有しているモノの価格も変わっているわけですが・・・。

ミニマリストは、低所得時代のように無意味にモノを保有することはしないが、高所得・富裕層が求めているような一流の物品の価値がイマイチ理解できない層であるため、日々生産される刺激的な情報や体験を消費するというライフスタイルが定着した新しい時代のミドルクラスのライフスタイルだと感じています。





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yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)