2015年10月
2015年10月31日
駒崎弘樹氏と乙武洋匡氏に欠落した納税者視点
最近、読んだ記事で非常に気になったものについてコメントしたいと思います。
自分が違和感を持った記事について(駒崎弘樹氏・乙武洋匡氏)
それは下記の2つの記事についてです。
①「ひとり親の貧困が問題だ」→「貧困じゃない人もいる。失礼だ」という論法の生み出すもの(駒崎弘樹氏)
http://www.komazaki.net/activity/2015/10/004715.html
②駒崎弘樹さんが炎上している(乙武洋匡氏)
http://blogos.com/article/142000/
これらの記事は「ひとり親世帯に支給される「児童扶養手当」の増額を求めるネット署名のキャンペーン」についての呼びかけに対し、常見洋平さんが表現について異論を述べたことが発端となって書かれた記事です。
駒崎弘樹氏の主張は「税金」を使う提案なので批判があって当たり前
この話についてネット上では様々な議論があるのですが、乙武さんの記事のような「何が問題なのか」というピンとがずれた感想が溢れていることが残念です。
駒崎さんがやろうとしていることは「税金を使った『児童扶養手当』という手法」を使った貧困支援です。つまり、駒崎さんの私財を使ったものではなく、税金という公共の財産の使途に関する提案ということになります。
そのため、駒崎さんの主張は目的・方法・表現などについて、多くの人から様々な異論が寄せられて当然です。
しかし、駒崎さんはそれらの異論を「不毛」と切り捨てているわけです。「自分が正しいと感じることに関しては税金を使って当然だ」という意識がモロに出ています。税金は公共の財産であって、税金の使途について意見を述べるならば批判を受け入れることも重要です。
駒崎さんが反論で述べたことは、自らの持論に対する異論を「不毛」として言論封殺しようとしたことは「識者の驕り」以外の何物でもありません。
税金に巣食う人々のジャイアニズムの精神
駒崎さんの主張は「税金で生活してきた」人たちに見られる、「俺が正しいと思う税金の使い方は社会的にも正しい使い方」だから「反対する連中は黙っていろ」というジャイアニズムの論理構成が見て取れます。
長い間、行政の補助金などで事業を行っていると、「税金は自分の意見に反対する人が支払ったものである」という基本を見失うものです。
乙武さんは「駒崎さんが人柱としてわざと炎上させた」と言って擁護していますが、乙武さんが友達として擁護している駒崎氏の主張は単なる驕りによる言論封殺であって、一人親支援の是非やそのための署名キャンペーンなどではないということを自覚すべきです。不毛な議論として対立意見が言えない環境を作り、数の力で物事を実現しようとすることは明らかな間違いです。
駒崎さんの発言はタックスイーターの納税者無視の驕りが問題となった事例として処理されるべきです。税金には必ず「納税している他者が存在している」という意識を取り戻してほしいと思います。
日本でウケない小さな政府運動が米国で大衆化したワケ
メディアや専門家のティーパーティー運動の表層的な解説への違和感
最初に断っておきますが、自分は米国政治を研究する学者ではありません。
自分は米国保守派と足並みを合わせた小さな政府を求めるアクティビストであり、現地の人々との会話や体験を基にして議論を展開しています。そのため、権威を重んじる専門の学者の皆さんとは意見が合わないことも良くあります。
2009年に「ティーパーティー」が米国で発足して以来、私は東京ティーパーティーという団体を立ち上げ、米国のパートナーたちとの間で交流を重ね、彼らの思考・活動内容について学びを深めてきました。その中で、外国人であるからこそ米国のティーパーティーの特徴について深く理解できたことがあります。
米国のティーパーティー運動が日本の報道で取り上げられるときは、強硬な歳出削減を求める原理主義的な政治集団としてのみの側面が強調されることが多い傾向にあります。しかし、それらのメディアや専門家の解説はティーパーティー運動の表層的な一面を取り上げた分析に過ぎません。
ティーパーティー運動の本質はナショナリズムとスモールガバメントの融合
2009~2010年当時、全国規模の拡がりを見せていた「Tea Party Patriots」の幹部や全米各地のティーパーティー系団体の主催者達にヒアリングしたとき、彼らの日常的な活動に「合衆国憲法」や「独立宣言」を読むという行為が入っていることに気が付きました。
さらに、ティーパーティーを含めた保守派の集会に参加すると、彼らは「私たちは米国人です。だから、小さな政府を求めているのです。」という論理構造の演説を行っている姿を目にします。
これらが意味していることはティーパーティー運動とはナショナリズムと「小さな政府」論の一体化した政治運動であるということです。そして、これこそ米国において小さな政府を求める運動が国民一般に大衆化できた理由です。
単なる歳出削減を求める運動であったならば「小さな政府運動(Small Government Movement)」という名称になっているべきでしょう。しかし、彼らは国の起源となるボストンティーパーティー事件(Boston Tea Party)という歴史的な事件が運動の名称とすることを意図的に選択しました。
ティーパーティー運動はナショナリズム(米国人としてのアイデンティティー)という国民共通の軸を持つことで、小さな政府を求める運動の大衆化という困難な試みを可能としているのです。
日本にもナショナルヒストリーとして小さな政府を求める歴史の再構築が必要
一方、日本において小さな政府を求める声はナショナリズムという軸を欠いています。むしろ、日本におけるナショナリズムは大きな政府と一体化しており、財政出動、規制強化、排外主義的歴史観の結合という、全体主義的な傾向を示しています。
日本に小さな政府を求める大衆運動を起こしていくために必要なものは、自由民権運動などの小さな政府を求めるナショナルヒストリーを日本史の重要な要素として再構成することです。
そして、これこそが、現在の日本に蔓延する無責任な万年野党体質の政党を地上から消滅させ、責任ある二大政党の一角としての政党を育成できるたった一つの冴えたやり方なのです。
反対のための反対、選挙のための野合、それらは自らの歴史観の欠落・受け身の姿勢から生まれるものだからです。骨太の政党を創るためには政党としての独自の歴史観を持つ必要があります。
2015年10月30日
米国共和党式!「小さな政府」を創る6つの仕組みとは
米国共和党の大統領予備選挙で各候補者の熾烈な戦いが続いています。今回は台風の目としてドナルド・トランプ氏が注目されていますが、共和党の予備選挙は穏健派と保守派の2つの派閥の闘争として分析することが可能です。そして、保守派を支える政治闘争のシステムを理解して輸入することは、日本において小さな政府を目指す人々にとっては重要なことです。
表舞台で注目されるようになった保守派
共和党内部では社会保障政策などで民主党に近い穏健派と小さな政府を信条的・政策的に追求する保守派に分かれています。これらの対立の歴史はかなり古い歴史を持っていますが、歴史的には穏健派の勝利という政治情勢が続いてきました。そして、労働組合などの利権団体による動員マシーンを背景とする民主党による連邦議会も戦後の長期間の支配が続いてきました。
しかし、1994年になると共和党保守派が民主党及び共和党内の穏健派を倒すための体制を構築し、連邦議会における民主党支配を覆すことに成功しました。そして、共和党の本来の政治的な主張である「小さな政府」を金科玉条に掲げる政治勢力が政局の表舞台で注目されることになりました。保守派は民主党や共和党穏健派を凌駕する動員力、政策力、資金力を確立し、現在の連邦議会で大きな力を持っています。
米国共和党式!保守派の「小さな政府」を創る6つの仕組み
私見では、保守派を支える政治闘争のシステムは、極めてシステマチックに構築されています。代表的な事例としては、(1)保守派の大方針や大統領候補者を実質的に決定する意思決定としての保守派の年次総会(CPAC:Conservative Political Action Conference)、(2)ワシントンにおける日常的な保守派の動き司令塔となる定期会議(全米税制改革協議会主催のWednesday Meeting)、(3)保守派の運動員を育てる訓練機関(The Leadership Institute)、(4)保守派の政策立案を担うシンクタンク(ヘリテージ財団など)、(5)保守派の主張を伝えるメディアやメディア監視団体(フォックスニュースやMedia Research Center)、(6)保守派の価値観を教育する草の根組織(Tea PartyやFreedom Works)など、その他多様な能力を持つ組織が存在し、多くの仕組みが分散的・有機的に結合した巨大な運動ネットワークとして機能しています。
大統領候補者や連邦議員から政策的な言質を引き出すとともに、彼らを国政の場に送り出すための力強い運動が展開されて、減税や規制改革の政策が次々に提供される仕組みには目を見張るものがあります。
日本で旧来の米国通の識者が保守派を紹介するとき、これらの識者は穏健派との繋がりが深い傾向があり、故意に矮小化された保守派のイメージ(保守派は極端な主張を述べているという類のレッテル貼り)が伝えられることが多く、保守派の優れたネットワークの有機的な結合についての全体感が語られることは少ない印象を受けます。
そのため、本来、日本の「小さな政府」を求める政治勢力にとって必要な「米国の保守派の政治闘争のシステム」の輸入という貴重な機会が失われています。
共和党予備選で注目すべきポイント
日本の政治状況は自民党及び官僚による支配が継続しており、彼らが生み出し続けている巨額の政府債務と張り巡らされた規制制度が未来への希望を閉ざしています。しかし、依然として小さな政府を求める政治勢力の力は弱く、「大きな政府」と「更に大きな政府」を求める政治勢力による不毛な政争が続けられています。
「小さな政府」を掲げる政治勢力を代表する政党が誕生し、責任ある二大政党政治を創り上げるためには、政党や政治家だけではなく、周辺の政治闘争のためのシステムを構築することが必要不可欠です。
共和党の大統領予備選挙に注目が集まる中で、候補者同士戦いの背景で動いている米国の保守派の政治闘争のシステムについて、より多くの日本国民が注目し、日本でも「小さな政府」の政治勢力を強化する仕組みづくりが開始されることが期待されます。