「教育無償化」の憲法明記という思考停止を超えた改革を経産省次官・若手ペーパーへの意見に対する考察に見る言論ガラパゴス

2017年05月12日

「禁煙条例」推進者に対する反論

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東京都が推進しようとしている「喫煙禁止条例」に対する考え方

喫煙及び受動喫煙によって発がん性が上がるかどうかについては様々な意見が存在しています。今回はその点について議論するのではなく、「東京都内で屋内で一律に喫煙を禁止する」ことの妥当性について考えてみたいと思います。

東京都が屋内で喫煙を禁止することを正当化する理屈は「それが強制的なものであるか」ということが問われるものと思われます。つまり、喫煙を許可している物件があるとして、非喫煙者が当該物件の利用が不可避であるケースであれば一定の妥当性があり、それ以外については非喫煙者が「利用しない」という選択を行うことで話は終わります。

筆者は既に禁煙していますが、禁煙ファシズムへの抗議の意味を込めて葉巻写真を使い続けています。自分が積極的に行わないことでも他者の自由も最大限尊重する世の中を目指しています。

受動喫煙が懸念される場所の大半は利用者によって「利用しない」という選択が可能

上記の厚生労働省が実施したアンケート調査によると、受動喫煙を体験した多い場所は「飲食店」「遊技場」「職場」「路上」ということになります。

このうち、「飲食店」は喫煙スペースがある店は利用しなければ良いだけの話です。喫煙が人々から嫌われる慣習であればあえて同店舗を利用しなければ潰れていくことでしょう。また、喫煙のみor禁煙のみの店舗はそれぞれの嗜好に合わせた独自店舗として付加価値を提供できます。

つまり、飲食店は利用者の自由意志で店舗が選べるために禁止する必要はありません。この点に関してはパチンコ・競馬場などの「遊技場」も一緒であり、議論の余地はないものと思われます。

次に「職場」についても同様のことが言えます。職場によっては喫煙がそもそも望ましくない職場もあり、それらはCSやESの向上のために各職場が戦略的に実行すべきでしょう。喫煙の有無によって働く人のインセンティブも変わるので、それによって職員の採用に影響が出るのは各職場の経営者の勝手です。

喫煙を望まない優秀な労働者を集めるために積極的に禁煙にするのも良いですし、その逆も然りです。労働価値説が通用するような非生産的な職場であればタバコタイムは無駄なので経営者判断で禁止すべきかと思います。しかし、これも経営者の判断に対して労働者は職場を選べるので、政府が禁止するような話ではありません。

議論がある点は路上と公共施設でしょう。路上や公共施設は喫煙者も非喫煙者も利用を回避することはできない、そして両者ともに納税者でもあることから「分煙」が正しい対応になります。喫煙者・非喫煙者の双方が納得できる形の対応を取るべきです。(WHOが主張するように欧州の一地域の分煙の無効性似に関する特定調査のデータで日本にも同様の規制を求めることは議論が粗雑に過ぎます。)

ちなみに、「家庭」についてはそれほど受動喫煙が嫌なら結婚しないor同居しない、という選択を取ればよいです。または、どの場所で吸うかなどのルールを家庭の自治で決めることが可能なので、一律に禁止することは理屈に合いません。子どもの受動喫煙などは虐待の問題として別途扱うべき問題です。

賃貸物件の場合は、喫煙を許容するか否かは物件オーナーの方針によるところもあり、民間同士の賃貸契約に政府が介入する必要もありません。オーナーと利用者が情報開示を適切に行うことで対応できます。

極めて解像度が荒い国際機関による条約内容を受け入れる国・地方自治体は無能だ

東京都知事や厚生労働大臣が屋内禁煙にこだわっている理由は、国際機関による条約を守らなくてはならない、というインセンティブが存在しているからでしょう。

2005年に日本も批准している「たばこ規制枠組条約」が発効し、受動喫煙の防止対策、製品への警告表示方法、たばこ税引き上げまで盛り込まれています。また、同条約に基づく「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」の中では屋内施設の100%完全禁煙が求められています。

そして、これらの条約の影響もあって、2010年から国際オリンピック委員会と世界保健機関が「たばこの無い五輪」を推進しています。

しかし、筆者は「国際機関が主張している世界の常識」を日本もさっさと受けれ入れろ、という意見には一切与しません。なぜなら、地域における政策はできるだけ住民に近い場所で判断するほうが適切に判断できるからです。

上記のアンケート調査を見ても明らかなように、飲食店などは自由意志で利用の有無を選べるため、一律に禁止する必要はありません。また、遊技場などの屋内施設については議論する余地すらないでしょう。

つまり、国際条約・ガイドラインの立案者は、個々の地域の内情までは情報の非対称性の問題で分からないので一律禁止しろ、と言っているに過ぎず、補完性の原理を無視した全く非効率で非民主主義的な決定に過ぎないからです。

要は政府や地方自治体が国際条約を根拠に自らが定めたい条例制定について法的正当性を訴えることは、自らが住民の個々のニーズや実態を把握できない無能な政府であることを証明しているのです。

また、喫煙によって何らかの特定疾患の医療費が増加するとした場合、その疾患に対して既存のたばこ税の使途を特別に割り当てるだけで良く、従来までのようにたばこ税を一般財源として扱うことがそもそも間違いです。

仮にオリンピックを実施するために質の悪い条例を制定し、国民の自由を制約することを優先するならオリンピックなど必要ありません。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。



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yuyawatase at 14:21│Comments(0)国内政治 | 社会問題

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