2017年01月12日

他人に何かを求める人は追加で金を払うべきだ

a0002_003051

特別扱いを受けたいなら追加で金を払うことが常識だと思う

世の中「これがマナー違反だ!」と言い始めたらキリがないと思います。

たとえば、ファミレスでの携帯電話の使用や子どもの声などがうるさいから黙らせたいとか、お年寄りには席にを譲るべきだとか、それを守りたい人たちは守れば良いし、気まずい雰囲気に耐えられずに自発的にそうすることは構いません。

しかし、赤の他人に面と向かって正義漢ぶってそれを要求する人たちには「?」マークが付かざるを得ません。なぜなら、他人に自分が望む何かを求めるということは、それに対する補償を行うつもりがあることが当然だからです。

なぜなら何が迷惑かなどは人によって違うからです。携帯を煩いと思う人にとってはそれが迷惑ですし、その場で禁止もされてない携帯を止めさせようとする人も禁止される相手にしてみたら良い迷惑です。

私人が私人に対して自我を通すために何が必要なのか

その場がいずれかの店内などであれば当該店舗が禁止していること以上を他人に求める際には最低限お願いから入るべきか、またはどうしても耐えられないなら「追加の金」を払って「マナーコード」が守られる店に行けば良いのです。

まあ、ファミレスには色々な客がいるわけなので、うるさく騒いでいる人もいれば、絶叫している子どももいて、正義漢ぶった道徳おじさんもいるし、それがウザイと思うなら筆者が場所を変えれば良いだけかもしれませんが・・・。筆者にしてみたら全部煩いだけの人ですが、しかし特に禁止もされてないし安いんだから我慢しています。

筆者は他人に対してどうあるべきかを不躾に求める連中が嫌いです。自分の中の正義は他人の正義とは限らないということを自覚できず、他人の領域に土足で踏み込む行為は最低のことだと思います。

自分が当該環境が与えている状況とは違ったサービスを受けたいなら、他人にそれを求めるのではなくて自分が追加のコストを負担したら良いだけです。それを道徳律に依拠して他人に注意しようという世の中は極めて疑問です。

お金で全てが解決するとは言いませんが、お金で解決できることは金で解決した方がいいに決まっています。対立する物事は根本的に解決できないですが、それを効率的に解決するのがお金の役割。それを頭から否定する人は、他人に対するレスペクトがあるようで、実は自己の要求のみを通そうとする傲慢な人です。

自分が正しいと思い込んで他人に強制するのではなくその場の責任者に聞きましょう

他人が自分が嫌だと思っている行為をしているとき、自分で他人に注意するならお願いするか・追加で金を払うべきでしょう。そして、筆者はそもそも赤の他人に直接的に働きかける自力救済は全くオススメしません。

自宅や道端で携帯をかけている人を止めさせる人はなかなかいないでしょう。それはその空間が完全に私的な空間か、または税金によって運営されている公的な空間だからです。形式上、前者の責任は自分、後者の責任者は全員ということになります。道端でどうしても不愉快な行為があるなら警察に行ってくれということになります。

そして、特定の店の中で行われる行為については、公の空間と錯覚しがちですが、その場を提供している店舗の責任者がルールメーカーです。そのため、何か他の人にお願いしたいことがあるなら、その場の責任者にルールを確認し、その上で責任者に何らかの対応を求めるべきだと思います。

愚にもつかない道徳心なんてものは時代に合わせて変わっていくものであり、私人間の利害調整について、何が正しいという自分の正義がある人は一度立ち止まって、その正義は相手の正義でもあるのか、について考え直すべきでしょう。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


スポンサードリンク
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
yuyawatase at 18:42│Comments(0)社会問題 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。