2017年01月01日

2017年・民衆の時代(ポピュリズム)の本格化

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2017年・民衆の時代(ポピュリズム)の本格化

昨年はBrexit、トランプ勝利、イタリア国民投票、小池都政の誕生など、既存のエスタブリッシュメントに対する民衆の反発が先進各国で発生しました。そして、本年も引き続き、このムーブメントは他各国にも紆余曲折を経ながらも拡大していくものと思います。

主要メディアではこれらの現象を極右の台頭と定義する表面的な言説が当初は溢れかえっていました。しかし、イタリア国民投票で左派の五つ星運動が主体となっていたことで前述の偏った見方は修正されて、現在では左右の違いを超えたポピュリズムの台頭として再定義されつつあります。

2017年に予定されている国政選挙でポピュリズム側が勝利しなかったとしても、その流れは留まるわけではなく、今後も世界中に拡散し続ける流れは変わらないでしょう。世界は一部のエリートから民衆に力を取り戻すプロセスの中にあり、ポピュリズムの拡大は一過性の現象ではなく、政治的な前提として所与の状況として捉えるべきだからです。

民衆の時代(ポピュリズム)の特徴は、人々の手に意思決定権限が戻ること

ポピュリズムの拡大は国際機関や中央政府に対する民衆の自己決定権を取り戻す運動の拡大と看做すべきでしょう。これらは民衆の自立心や誇りを問うものであるということに特徴があります。

EUの中央集権的なエリート主義に対する英国やイタリアにおける拒否感は、Brexitやイタリア国民投票の結果として明確化し、EU中央からの指令ではなく自分たちの手による政治的な意思決定を重視する意思が示されました。これらの背景にはEU統合後に急速に周縁化していく主要国民の危機意識があったものと思います。

米国においてもワシントンによる中央主権的な支配、連邦政府による増税・規制強化などに対する怒りが結実し、トランプ政権の誕生(&リバタリアン党の躍進)という大きな政治的決断が行われました。米国の保守的な自由主義の伝統がオバマ・ヒラリーのワシントン政治を否定する結果となりました。

日本においても国政レベルではないものの、主要国並みの経済力を持つ東京都において、政権与党が公認する地方創生を主導した元総務大臣が都民の声におされた小池氏の前に敗れることになりました。同選挙を通じて従来までは関心が薄かった東京都民の税金の使い道に関心が集まり、オリンピック委員会などの都民の税金を食い物にする集団への批判が高まりました。(選挙以前からエンブレムのデザインなどにまつわる一般国民・上級国民問題などが文脈として存在していました。)

これらの現象は民衆の与り知らぬところで税金の使途や規制の強化が行われることへの反発という点で共通しています。したがって、ポピュリズムとは特権的なエスタブリッシュメントたちから人々に意思決定権限を取り戻す政治的な潮流といえるでしょう。

力を身に付けた民衆が時代遅れのエスタブリッシュメントに取って代わるとき

世界各国のエスタブリッシュメント(既得権者)はこれらの民衆の動きに対して激しくバッシングを加え続けてきました。筆者はこれらをインテリによるリンチとして「インテリンチ」と呼称しています。

彼らエスタブリッシュメントは、Brexitやトランプ現象に対して、主要メディアを通じて選民思想を丸出しにしながら民衆を罵倒し、民衆の意思や能力を否定することに躍起になってきました。エスタブリッシュメントにとっては、民衆がエスタブリッシュメントによる善導を否定し、自らが自分の意志で歩む姿を示すことなどあってはならないことだからです。

しかし、Facebook、Twitter、ネットメディアの発達は言論空間・政治空間の民主化を促し、一部の既得権による情報取得・伝達手法の独占状態は実質的に終わりました。そして、情報伝達の手法に革新が生じたことで、民衆側に政治的な権力のパワーシフトが起きることになりました。

既得権者は民衆の時代が到来したこと自体を否定したいor信じたくない、という態度を示し続けていますが、それらの動きは不可逆的なものであり、彼らの行為は不毛かつ無駄な努力といえるでしょう。多くの人々が恐れることは「時代遅れ」になることです。そして、エスタブリッシュメントが恐れていることは、世界が変わること・自らが時代遅れとみなされることです。

むしろ、今後は力を身に付けた民衆の中から既存のエスタブリッシュメントに取って代わる民衆と一体化した強力な政治力を持った人々が表れてくることになるでしょう。その日は決して遠いものではないものと思います。

民衆の時代(ポピュリズム)では真の民度が問われることに

ポピュリズムは排他的・保護主義的な傾向があるものとして批判され続けています。その指摘は部分的には正しいところもあります。ただし、それらはエスタブリッシュメントによる中央集権的な政治によっても発生するものでもあります。(ソ連の社会主義体制などはその典型でしょう。)

つまり、それらの主張は自分が気に入らない政治的な潮流を否定しようと思えば、見方の角度を変えれば幾らでも否定的な見解を示すことができるという事例でしかありません。むしろ、これからは民衆の時代の到来を所与として受け入れた上で「何が重要であるのか」について議論を進めていくべきだと思います。

民衆の時代では、民衆の民度が直接的にその政治のレベルとして反映されます。エスタブリッシュメントが一定のレベルの平均値を叩き出してくれる丸投げの政治は終わりを告げたということです。

エスタブリッシュメントと同様に民衆の中にも外国民との対立を煽り、陰謀論的な保護主義的言説を垂れ流す輩は多数存在しています。それらの人々が力を持つようであれば、その国・地域の政治・社会は停滞して没落の一途をたどることになるでしょう。

一方、自由で活発な社会を支持する人々が多数となれば、経済的・社会的な繁栄を得ることができることになります。そのためには、私たち自身の民度を底上げして歴史や社会についての知見を幅広く持つことが重要となります。

仮に多くの人々が自由で活発な社会の意義を理解・支持することができれば、一部のエスタブリッシュメントがそれらを指導してきた時代よりも遥かに優れた良い政治が行われていくことになるでしょう。

世界は私たちの民度が問われる時代に突入し、そのレベルによって民衆の生活水準が変わっていくことになります。徒にポピュリズムを卑下するのではなく、その良い面・悪い面をしっかりと認識した上で対応をしていくべきです。

政治が良いものになるか・悪いものになるか、私たち自身が政治の責任を他者に転嫁できない社会が訪れつつあるのです。民衆の時代に問われるのは、私たちの「真の民度」だと言えるでしょう。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。



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yuyawatase at 21:36│Comments(0)米国政治 | 国内政治

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