2015年10月31日

日本でウケない小さな政府運動が米国で大衆化したワケ

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メディアや専門家のティーパーティー運動の表層的な解説への違和感

 

最初に断っておきますが、自分は米国政治を研究する学者ではありません。

 

自分は米国保守派と足並みを合わせた小さな政府を求めるアクティビストであり、現地の人々との会話や体験を基にして議論を展開しています。そのため、権威を重んじる専門の学者の皆さんとは意見が合わないことも良くあります。

 

2009年に「ティーパーティー」が米国で発足して以来、私は東京ティーパーティーという団体を立ち上げ、米国のパートナーたちとの間で交流を重ね、彼らの思考・活動内容について学びを深めてきました。その中で、外国人であるからこそ米国のティーパーティーの特徴について深く理解できたことがあります。

 

米国のティーパーティー運動日本の報道で取り上げられるときは、強硬な歳出削減を求める原理主義的な政治集団としてのみの側面が強調されることが多い傾向にあります。しかし、それらのメディアや専門家の解説はティーパーティー運動の表層的な一面を取り上げた分析に過ぎません。

 

ティーパーティー運動の本質はナショナリズムとスモールガバメントの融合

 

20092010年当時、全国規模の拡がりを見せていたTea Party Patriotsの幹部や全米各地のティーパーティー系団体の主催者達にヒアリングしたとき、彼らの日常的な活動に「合衆国憲法」や「独立宣言」を読むという行為が入っていることに気が付きました。

 

さらに、ティーパーティーを含めた保守派の集会に参加すると、彼らは「私たちは米国人です。だから、小さな政府を求めているのです。」という論理構造の演説を行っている姿を目にします。

 

これらが意味していることはティーパーティー運動とはナショナリズムと「小さな政府」論の一体化した政治運動であるということです。そして、これこそ米国において小さな政府を求める運動が国民一般に大衆化できた理由です。

 

単なる歳出削減を求める運動であったならば「小さな政府運動(Small Government Movement」という名称になっているべきでしょう。しかし、彼らは国の起源となるボストンティーパーティー事件(Boston Tea Party)という歴史的な事件が運動の名称とすることを意図的に選択しました。

 

ティーパーティー運動はナショナリズム(米国人としてのアイデンティティー)という国民共通の軸を持つことで、小さな政府を求める運動の大衆化という困難な試みを可能としているのです。

 

日本にもナショナルヒストリーとして小さな政府を求める歴史の再構築が必要

 

一方、日本において小さな政府を求める声はナショナリズムという軸を欠いています。むしろ、日本におけるナショナリズムは大きな政府と一体化しており、財政出動、規制強化、排外主義的歴史観の結合という、全体主義的な傾向を示しています。

 

日本に小さな政府を求める大衆運動を起こしていくために必要なものは、自由民権運動などの小さな政府を求めるナショナルヒストリーを日本史の重要な要素として再構成することです。

 

そして、これこそが、現在の日本に蔓延する無責任な万年野党体質の政党を地上から消滅させ、責任ある二大政党の一角としての政党を育成できるたった一つの冴えたやり方なのです。

 

反対のための反対、選挙のための野合、それらは自らの歴史観の欠落・受け身の姿勢から生まれるものだからです。骨太の政党を創るためには政党としての独自の歴史観を持つ必要があります。





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yuyawatase at 12:00│Comments(0)米国政治 | 小さな政府

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