2017年05月05日

憲法9条と防衛大臣、本当に議論されるべきことは何か

稲田

憲法9条改正で多くの国民が勘違いしていることとは何か

安倍首相が中途半端な憲法改正を打ち出したこともあり、左も右からも憲法論議が少しだけ盛んになっているように思います。

ただし、筆者は憲法9条については改憲論者(現状の著しく不合理な内容は改正すべき)ですが、そもそも憲法改正論議などという不毛な議論に政治的資源を割り当てることは論外だと思っています。

左も右も「憲法があるから戦争が起きない」とか「憲法を改正すれば中国・北朝鮮に勝てる(または抑止になる」とか、低レベルな議論はいい加減にするべきでしょう。

はっきり言いますが、「憲法」を議論すること、「安全保障・防衛政策」を議論すること、まして「戦争を議論すること」は全く別物です。

憲法があるから戦争が起きない、憲法9条を改正するから抑止になる、のでもなく、米軍・自衛隊の具体的な戦力及び日米に国際環境を形成する外交能力があるから物理的な戦争が起きていないだけです。

憲法の内容を変えることで戦争開始・戦争勝敗に影響があると思う「呪術志向」の人たちは実際の安保・防衛政策や戦争について議論することは危険なのでやめてほしいです。

象徴としての憲法9条改正を主張する首相と全く無能な防衛大臣の組み合わせ

安倍首相は憲法9条改正を主張していますが、実際の安全保障政策・防衛政策にどこまで関心を持っているのか極めて疑問です。

なぜなら、安全保障・防衛政策を所管している防衛大臣に不適格な人事を行っているからです。国会答弁の最中に泣き始めるような感情的な人物を防衛大臣に任命していることは話になりません。また、スーダンのPKOに関する日記問題では組織を全く統率できていないことも明らかになりました。

別の国会の場面では、稲田大臣は長島昭久衆議院議員に「特定の自衛隊の具体的な装備内容・予算」について問われて「事前通告が無かったので答えられない」と答弁していましたが、嫌がらせ的なクイズはダメとしても事前通告がなかった場合に如何なる兵装についてなら答えられるのでしょうか。法務・総務・財金畑のド素人を防衛大臣の席につけた責任は重いと思います。

また、外交交渉を担う岸田外務大臣は安倍首相にとっては現在政敵とも言える人物です。現在、重要な外交交渉は官邸主導で実施しているように見えますし、防衛・外務両大臣がまともに機能しているか不安を覚えます。

安倍首相が憲法9条改正を議論してもかまいませんが、現在の安全保障・防衛・外交政策の人事的な意味での適切化を行う方が先であるかことは明らかです。

まさか安倍首相は憲法9条改正が目の前の安全保障・防衛・外交の具体的な問題よりも大事だと思っているとは思いませんが、仮に今すぐ戦争になった場合に「稲田防衛大臣」「岸田外務大臣」で十分に戦えないでしょう。

憲法9条と安全保障・防衛政策・外交交渉は別物、具体論を議論する時代に

国民の多くは左右の識者たちの議論によって、憲法9条改正と安全保障・防衛・外交が結びついているように錯覚させられています。しかし、安全保障・防衛政策・外交交渉は具体論であって憲法9条と現実の戦争は直接的には関係ありません。

政府答弁によって攻撃的兵器を持つことは憲法上禁止されているとされていますが、このような地理的な概念に制約された兵器概念自体が時代遅れであり、不合理な政府答弁が見直されることは必然だと思います。したがって、このようなことも議論するまでもなく見直されるべきものであり、現行憲法下でも内容の見直しは可能です。(昨年の安保法制で事実上見直されたものと理解しています。)

その上で、国際環境形成、自衛隊の目的、装備内容、運用の実際などが体系だった議論によって行われていくべきです。日本の安全保障を守るために必要な議論とは、防衛大綱や中期防でどのような兵力を揃えていくべきか、などの具体論です。

国会議員のうち何名が日本の具体的な兵装の在り方についてまともに話ができるでしょうか。まして、現実妥当な装備計画、予算、運用について議論できる人は少数しかいないはずです。これが世界有数の軍事費支出を行っている日本という国の現状なのです。

また、北朝鮮への日本自らによる制裁だけでなく、米国に言われるまでもなく北朝鮮の貿易相手国に積極的に制裁を行うことを確約させるよう動くべきでした。米国の指示で慌てて関係国への働きかけを行っている日本の姿は悲しくなります。

国力の基本は経済力と外交能力であり、各国はその制約下で兵装を整えていくことが求められます。闇雲な軍拡はかえって国力を削ぐ結果を生みだすため、憲法改正したとしても軍拡をすれば良いという問題ではないのです。現在の国会の議論の状況ではどのみち実際の戦争に対応することは困難かと思います。

安保法制の議論の時の左派のような愚かな議論は必要ありませんし、ほぼド素人と言っても過言ではない防衛大臣を任命している場合でもありません。そして、国民もいつまでも憲法9条改正という、実際にはどうでも良い話題にかまけているべきではないでしょう。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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維新・橋下氏「教育無償化」は維新の存在意義の否定

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(敬愛する横山三国志から引用)

維新の法律政策顧問である橋下徹氏の教育無償化・憲法改正案の矛盾

憲法改正案の中に維新の法律政策顧問である橋下徹氏が大学・大学院を含めた高等教育の教育無償化を盛り込むことを提言されています。筆者は、教育無償化(税負担化)に根本的に賛成しませんし、また維新が同提案を行うことは自らの政党としての存在意義を否定するものと考えます。

産経新聞によると、橋下氏は「徹底した行財政改革で捻出した「税金の無駄」を充てた上で、不足分を相続税の引き上げで補う」と主張されているそうです。

もちろん教育無償化(税負担化)については色々な考え方があると理解していますが、筆者は地方分権を主張する維新が全国一律に同じ基準で政策を実行するという発想自体に反対です。

教育無償化に関する議論は権限・財源を移譲した上で地方自治体が判断すべき

大阪市役所によると、幼児教育の無償化(税負担化)を行う予定とのことです。また、大阪府では既に高校までの教育無償化(税負担化)を実施しています。筆者は政策の是非はともかくとして、このように税金の使途というものは権限・財源を可能な限り地方に移して地方自治体レベルで判断すべきと考えます。

政治は住民に近ければ近い方が望ましいものであり、税金の使途に対して納税者の関心が行き届くようになります。日本は既に都道府県レベルで一国に相当するGDPと予算規模を有しており、都道府県レベルではなく国策として大学・大学院を含めた高等教育の教育無償化(税負担化)を推進する必要を感じません。

仮に維新がいまだに地方分権を主張する改革政党であるとするなら、「教育無償化に関する議論は権限・財源を移譲した上で地方自治体が判断すべき」と述べるべきです。国民から遠い国全体に関わる憲法で税金の使途を定めることは地方分権の流れに逆行するものであり、ひいては維新の存在意義も無くなることになります。

地方自治体間の善政競争が国の競争力を産み出す源泉です。したがって、維新の基本的な方向性は「国全体で一律に決めることを無くし、地方自治体が独自に判断できる分野を増やすこと」ではないかと思います。維新がどうしても大学・大学院を含めた高等教育を無償化(税負担化)したいなら、地方自治体独自の判断で実行できるようにすることが大事です。

今回の憲法改正案はその流れに逆行するものであり、大阪府・大阪市(まして大阪都)で独自に判断・実行するのではなく、憲法に明記して日本全国に教育費無償化(税負担化)を強制する理由が分かりません。

現在の国政の事案を将来も国政の事案として語ることは間違い

維新は中途半端に国政に議席を保有しているために、「現在の国政の事案を将来も国政の事案として語る愚」を犯しているのではないかと思います。

高齢者に偏重しているとされている社会保障費を現役世代・子どもに振り向けるという政策、を実行したい場合、それを国政レベルで実行する必要性は本来ありません。

一度「国会病」または「有識者病」に憑りつかれると、現在国政の事案だから国政の中での組み換えを行うことが安易で分かりやすいために国政の範囲での予算組み換えなど役所の論理に議論が偏りがちです。筆者はそもそも税金で負担する話を「無償化」と表現すること自体が「お役所言葉」の典型だと思います。

結局は有権者から遠い場所で行われる議論はどれほど良い案でも紛れと骨抜きが幅を利かせることになるでしょう。維新の党是は補完性の原理に基づく地方分権改革かと思ったのですが、それは違ったのでしょうか。

社会保障の在り方も含めて積極的に地方自治体に分権していき、そして地方自治体同士が望ましい政策の在り方を競争していくことが重要なのです。

大学教育まで含めた無償化は地方に権限・財源移譲をした上で、大阪で先行実施して成果を見たら良いでしょう。その結果として、費用対効果などの成果が良いものなら全国に拡がり、その支出に見合った成果が無ければ大阪も止めるでしょう。このような柔軟な対応を可能とする点が地方分権を行うべき理由です。

一方、今回の橋下氏の改憲案のように憲法に明記した場合、政策に間違いがあっても政治的に後戻りが難しくなる違いがあります。自分が正しいと思うことだから日本全国で一度に適用する、というのは中央集権論者の発想であり地方分権論者の思考とは異なるものです。

維新は現在国政に議席を保有している唯一の「特定の地方自治体に基盤を持つ政党」であり、「国全体で物事を推し進めようとする」他の政党の「非改革的な姿勢」を見習う必要はありません。むしろ、憲法改正論議では、明確な地方分権主義を打ち出して他党とは一線を画すべきでしょう。

仮に高等教育に関して地方自治体が判断・運営する能力がない(一国並みのGDPを持ちながら)と思うなら、地方分権などを主張することは止めてしまって徹底した中央集権を主張するべきです。

明治維新は「地方の役人」が「中央の役人」に取って代わって中央集権を進めたクーデターですが、現代の「維新」勢力も結局は中央集権勢力ということなのでしょうか。維新が「国政での権力掌握を目指すための方便として地域勢力ではなく、本当に地方分権を党是とする政治勢力」なら、筆者の言っている意味が分かると思います。



本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。



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2017年05月04日

共和党保守派「水曜会」と自民党「部会システム」の比較

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(イメージ写真)

共和党保守派の水曜会・International coalition meeting で講演

共和党保守派が毎週水曜日にワシントンDCで開催している作戦会議でスピーチを行ってきました。この会議は完全内容非公開・参加者非公開・写真禁止・完全招待制というインナーミーティングであり、筆者もここで何を話したかということは多くを書くことができません。

強いて言うなら、上記の公開用イメージ写真の中心に座っている全米税制改革協議会グローバー・ノーキスト議長を中心に、様々な発言者が5分程度の問題提起を行って参加者からの質疑応答、終了後のネットワーキングが行われるというイメージです。今回は世界中から様々なシンクタンクの代表が訪米してスピーチを行っていました。

筆者はワシントンDCを訪問する度に同会議に出席させていただき、DCにおける最新の政治情勢のトレンドを収集させて頂くことが出来ています。

「水曜会」小さな政府を求める共和党保守派が作り出した政治システム

水曜会は共和党においては極めて重要な政治システムの一部を形成しています。一つの民間の政治団体である全米税制改革協議会が主催するイベントにも関わらず、毎週のように設定される新たな政治アジェンダに対して保守派としての情報共有や行動方針が決定する場だからです。

また、共和党の政治家への応援の可否、新たな政権・議会スタッフの紹介、各団体のアジェンダに対する意見がテンポよく表明されていき、保守派を構成する様々な団体の意向が実際の政治過程に反映されていく様子を見ることが出来ます。もちろんプレゼンテーターのスピーチの内容が悪ければ何も起きず、内容が大うけするようであれば同アジェンダは一気に進むことになります。

この場に集っている方々は原則として「小さな政府」を求める共和党保守派の人々であり、同じ価値観をともにする人々が次々とアライアンスを形成して政策実現に向けた動きを展開する「民主導」の統治システムだと言えます。

「部会システム」大きな政府を志向する自民党が作り出した政治システム

一方、共和党保守派の「水曜会」と対比して、ほぼ真逆の機能を果たしている統治システムが自由民主党の政調部会システムです。

自民党の政調部会では、会議室の正面に部会長、有力議員、その横に部会を構成する議員席、関連する官僚が座る役人席が用意されています。そして、業界団体などの利益団体に対して、業界の意向を受けて発言する所属議員の先生方が(概ね役人に質問または叱責するポーズをして)自分は頑張ってますよというアピールをする場となっています。(筆者が見ていた頃の部会のイメージですが、今でも大差ないものでしょう。)

部会システムは、自民党という政党自体が中央省庁とほぼ一体化して業界団体の利益を拡大していく高度経済成長期のシステムであり、既に時代遅れの感はあるものの共和党保守派の理念とは対比的な自民党側の「大きな政府」を志向する政治システムとしては極めて優れたものだと思われます。

「官高党低」という状況下で変化が求められる政治システム

最近の政治的な傾向として、政党よりも官邸が強くなる、つまり官邸に予算・人事の権限が集中して、政党がスポイルされる「官高党低」が問題視されています。これは経済財政諮問会議や内閣人事局に象徴される一連の行政改革の中で進められてきた官邸主導の政治システムが確立されてきていることを意味します。

そして、このような状況下では、政党が各省庁と一体化することで運営してきた自民党の部会システムは時代遅れのものとして機能しなくなってきています。中央省庁の役人も予算・人事を握っている官邸を政党よりも重視することは当然です。日本は議院内閣制を取っているものの、実態としては大統領制に近いものになりつつあると言えるでしょう。

そこで、政党が存在感を取り戻そうとするのであれば、中央省庁の方針に反対する民間勢力を糾合して一つの政治的な勢力を形成してくことが必要だと思います。現在のように中央省庁とぶら下がっている業界団体と蜜月を築くだけでは、政党が官邸に追従する現在の構造から抜け出すことは困難です。(実際、自民党は中央省庁に紐づく業界団体の声を民主主義の声としてきたので難しいかもしれないですが。)

政治は志がある政治家が一人いれば変わるものではなく、政治システム自体が変わることで初めて大きな動きに繋がっていきます。筆者はそのための政治システムの一つとして、共和党保守派が運営している水曜会は極めて優れたシステムであり、自民党などの主要政党の志ある人々は同システムを採用していくことが望ましいと思っています。日本の政治システムはまだまだ途上であって海外の事例を参考にすべき点が多々残っています。



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