2015年11月14日

民主主義ってなんだ、投票することだ!


無題


様々な方が語る「民主主義ってなんだ」に触発されて、自分も有権者の立場から民主主義について語ってみたいと思います

議員から見た民主主義は、音喜多駿氏

行政官から見た民主主義は、水谷翔太氏

運動家から見た民主主義は、シールズの皆さん
  
民主主義とは「投票すること」である

記事タイトルは当たり前過ぎる事実だと思うかもしれません。ですが、私はその当たり前のことが軽視されている現状に危機感を覚えているのです。

上記の記事の皆さんは、再分配先を決定したり、予算を調整したり、直接行動としてデモをやってみたり、と「意思決定そのもの」の世界の住人です。いずれも「一人の有権者」という立場から程遠い議論で、大半の「一票投じるのみ」の有権者にとっては直接関係がありません。

大半の有権者は「選挙で一票投じること」が民主主義への参加方法です。他の方法はいずれも個人で行うにはコストがかさみ過ぎて通常の生活を送ることを前提にすれば実行困難です。

まあ、社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の立場を得るために必要な記憶力と根気さえあれば、議員にも、区長にも、デモ活動家にも成り得るという坂の上の雲ライフはありません。くれぐれも関係者には普通に暮らす有権者の感覚を取り戻してほしいと思います。

そこで、大半の有権者に重要なことは「投票」の意味を学びなおすことです。自らの「投票」という行動がどのような機能を果たしているのかを理解することで、民主主義に手軽かつ意味がある形で参加できるのです。

「有権者が投票で選んだ議員」の過半数で物事を決める

民主主義は議会全体の議席の過半数を取るゲームです。ゲームに勝った議席の過半数を取った人々が自分たちの意見を他の人々に押し付けることができます。(ちなみに、民主主義の多数決に対して、「少数意見を尊重する考え方」は『自由主義』なので民主主義とは完全に別物です。)

民間企業では発行株式の過半数を掌握することによって経営権を手に入れることができます。また、少数派も一定割合を確保することによって、少数株主としての一定の権利を行使することができます。

民主主義も全く同じであり、選挙というルールに従って投票した結果、議会の議席は各議員に割当られることになります。この際、過半数の議席を制した政党が政府の経営権を握ります。過半数に届かなかった政党は議席数に応じて議会のルールに従った権限を行使できます。

株主総会のソーシャル版(投票バージョン)が民主主義ということになります。政党に所属する議員は各有権者から集めた投票によって代理人としての地位を確保し、自らの支持者との約束に従って議決権を行使することになります。

有権者は上記の代理人を選ぶために投票を行います。ちなみに、政党は機関投資家の地位にあり、無所属議員は個人運営の少数ファンドとして議会に参加しています。どちらも有権者から「株式」の代わりに「票」という「委任状」を預かって議席についています。

各政党に与えられた議席の配分に従って、自分以外の投資家(有権者)に自分たちの理想とする価値観を体現した政策を押し付ける場が議会における多数決の瞬間です。予算も法律も全て多数決で決定しています。

ちなみに、投票を放棄することは、他人の意見を全部自分に押し付けられて構わない、という意思表示に他ならず、株主が自分の株券を捨てるようなものです。棄権者に手加減してくれるような軟弱な参加者は株主総会にも議会にも存在しません。

民主主義に参加するための様々な一票の入れ方について

政党・議員は有権者に対して政策などを示して政府の運営プランを発表します。彼らは機関投資家である保険会社の営業マンのように自分の政党のプランが貴方にとって良いものであると提案してくれます。

この際、有権者が徒党を組んでいる場合(たとえば、業界団体や労働組合など)、政党・議員は団体様向けの特別なプランを提示してくれることがあります。投票に際して、あなたが所属している組織・団体が推薦する候補者に投票することは、所属法人が保険会社と交渉して用意したプランに乗って資金運用するようなイメージです。政党は組織・団体に所属している有権者向けに様々な政策メニューを用意してくれるでしょう。

また、あなたが町内会で良く顔を見る地元代表の議員に投票することは、地域にベタで張り付いている営業マンの人柄を見て購入を決めるようなものなので、それはそれで一つの選択と言えます。

ちなみに、あなたが完全に浮動票の部類に属する場合は、政党・議員にとってあまり美味しいお客様ではありません。そのため、街頭演説などでのバラマキ宣伝で対応されることになります。(つまり、マス広告で引っかかる個人契約者的な扱いになります)もちろん通常の場合は有利な条件の商品の提示はありません。

個人でも議員に舐められない投票の仕方を伝授する

徒党を組まない有権者(浮動票)は、真面目に投票して民主主義に参加しても舐められるだけなのでしょうか?

答えはYesです。政党も議員も徒党を組まない有権者について非常に軽く見ています。大企業が個人株主を相手にしていない状況とほぼ一緒と言えるでしょう。投票率が上がれば浮動票全体としての価値は上がりますが、あなた個人の有権者としての価値は上がりません。

しかし、そんな浮動票な投票者であっても議員に一目置かせる方法はあります。それは、投票場で投票するときに候補者の名前を記入した後の用紙を写メで取って、駅前で演説している議員に見せつけることです。そして、「私はあなたに〇〇の理由で投票しました。今後しっかり見ていますので宜しく」と伝えて下さい。

議員はぐうの音も出ませんし、あなたの意向もばっちり相手に伝わります。そういう人がドンドン増えていくことで、政党や議員の議会での投票行動に影響を与えていくことが重要です。水戸黄門の印籠のように携帯の中に保存した写メを議員に見せつけてください。

民主主義を大いにエンジョイするために、あなたの一票の価値の最大化に是非とも取り組んでほしいと思います。みなさまの「投票」が良きものとなりますよう心よりお祈り申し上げます。

現代議会主義の精神史的地位 (新装版)
カール・シュミット
みすず書房
2013-05-17


当確師
真山 仁
中央公論新社
2015-12-18




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)国内政治 | 社会問題
スポンサードリンク

テロに対する価値観の戦いは国内の裏切り者に注意するべき!

a0231632_4382546

フランスで大規模テロ事件が発生しました。自由を愛するフランス人民とともに、私も拙い意見表明ではあるもののともに戦っていきたいと思います。

テロによって破壊されるものは何か

もちろん、フランスのテロでは多くの人が亡くなる痛ましい事件となっていることは確かですが、テロが壊すものは物理的な領域だけでなく、精神的な領域に属する価値観が極めて大きいと考えています。

テロは生命・財産・表現の自由という近代的な自由の思想に対する攻撃であり、今回のフランスのテロ事件以前から数世紀かけて行われている価値観を巡る長い戦争の一形態に過ぎません。

テロが狙うものは、そのような自由の価値観そのものであり、それらを破壊したときにテロが真の意味で成功したと言えるでしょう。テロの狙いは自由社会の政治体制の変更にこそあります。

テロに対する警戒体制が強化されていくことの意味

このような事件が起きてしまった以上、フランス国内、そして欧州の中での警戒体制は強化されていくことになると思います。これらの現象は一時的には仕方がない部分があることを認めざるを得ません。

しかし、そのような個人の自由を侵害する政府の行為が拡がることこそがテロリストの真の狙いであることを忘れてはなりません。

テロリストへの警戒を理由として自由社会がその価値観を放棄し、テロリストらの圧政的な価値観に近い政治体制に移行していくことは自由社会の敗北を意味します。

テロリストに関しては断固とした措置を実行し、一人も生かして帰してはなりません。文化的な背景の違いなどは社会学的な考察の対象ではありますが、テロが殺人が伴う政治的な闘争である以上一切考慮する必要はないのです。

しかし、それらと自由社会の権利を制限を行うことは別物です。私たちが何とどのような戦いをしているのか、その本質について注意深く考える必要があります。

真に警戒すべきはテロリストの政治的・思想的な国内共犯者たち

このような事件が起きると、西欧社会の行き過ぎた自由が問題なのではないか、というコメントを発する人々が増えますが、それらはテロリストの政治的・思想的な共犯者だと言えます。

なぜなら、この戦いは物理的な部分に本質があるのではなく、価値観を巡る戦いにこそ本質があるからです。つまり、上記のようなコメントを通じて、テロリストの価値観を正当化する行為は自由社会への敵対行為と言えます。

テロはあくまで一過性の現象に過ぎず、真に警戒すべきは国内の自由社会に敵対する人々の言説です。なぜなら、これらの人々が実際に私たちの自由社会を放棄する作業を行うからです。

テロが起きるとかならず起きる「行き過ぎた自由」議論。テロリストは私たちの社会を変えることはできません。私たちの自由社会を放棄させるのは国内のテロリストに対する政治的・思想的な共犯者たちです。

自由社会を守りたいと思う人は、今こそ自由への意志をしっかり保つことで、国内のテロリストへの政治的・思想的な共犯者の言説に対抗していくことが望まれます。

独裁者になるために
イニャツィオ シローネ
岩波書店
2002-12-20



 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
yuyawatase at 10:19|PermalinkComments(0)小さな政府 | 社会問題
スポンサードリンク

2015年11月13日

地方財政に関するゴマカシの議論は終わりにするべき

a0003_001916

イケダハヤトさんと水谷翔太さんの地方消滅に関する議論について下記の通り分析してアゴラに投稿したところ、私の論稿に対して長崎総合科学大学の前田陽次郎さんから違和感を感じるということでご意見を頂きました。

<私の意見>
財政の観点から、イケダハヤトさんが住んでいる地方自治体は地方交付税と国庫支出金漬けであること、彼が明るい未来がないと指した東京都が現在進行形で彼の生活の場である地方自治体の財政を支えていること、地方への夢想ではなく地方消滅への準備を推奨する水谷氏の意見が正しいことなど。

<イケダハヤトさんと水谷翔太さんの記事>

「地方創生を止めて地方消滅でいこう!」水谷翔太さん・大阪市天王寺区長
http://agora-web.jp/archives/1660138.html

「「地方消滅でいこう」という論調に対する強烈な違和感 」(イケダハヤトさん)
http://agora-web.jp/archives/1660587.html

「イケダハヤトVS水谷翔太、~地方消滅論を客観的に考察」(拙稿)
http://yuyawatase.blog.jp/archives/103454.html

「地方消滅なのか、地方自治体消滅なのか」(前田陽次郎さん)
http://agora-web.jp/archives/1660793.html

まず、私の意見は元々地方財政制度論としてではなく、イケダハヤト氏が地方税の納税などを引き合いに出したため、その程度の税収で地方の惨状はどうにもならないということを述べたまでであり、経済的に半社会主義化している地方の未来が明るいという主張が全く的外れであることを解説しただけです。その上で、前田陽次郎さんが述べる地方財政の議論はほとんど意味がないものだと反論させて頂きます。

主要な納税地域である東京都民が地方財政に意見を述べるのは当然

前田陽次郎さんは「中央と地方が悪口を言い合うのではなく、もう少し双方が良い方向に向けるような議論をしたほうが生産的ではないのか」と述べられていますが、私が述べたことは「地方自治体の財政は都市部からの財政移転が無ければ破綻している」という事実です。

地方自治体の財政の大半が地方交付税と国庫支出金で賄われていることは周知のことであり、国税の元手を出している納税地は東京都などの都市部が巨大なウェートを占めています。そのため、東京都民には地方財政と地方の見通しについて厳しい意見を述べる権利と義務があると思います。(イケハヤさんが住んでいる場所から生まれる僅かな国税額と東京都から支払われる莫大な国税額の差を無視して、私たちは同じ国税使っているから一緒だという論理で片付けることは暴論です。)

東京都民には地方出身者なども多く含まれるため、地方に対して明確に「実質的に破綻している状況を真剣に考えろ」とは言わないだけです。そのため、バシッと事実を伝えられることに違和感があることは認めます。しかし、私は都市からの送金が無ければ地方が実質的に破たんしている事実を覆い隠す議論こそ不毛だと思います。

そもそも地方税率は自由に変えられるので好きに設定したら良い

また、前田陽次郎さんは「税制自治体が大都市に有利に設定されている」から「大都市の自治体は裕福(税収が高い)」と述べられています。申し訳ありませんが、このようなお上意識が地方の衰退を生み出してきた原因と言えるでしょう。

地方税法の規定では地方税率は自由に変えられるため、その地方自治体が納得できるように地方税率を変更したら良いと思います。標準税率よりも引き下げることは制度的な問題が生じるかもしれませんが、標準税率よりも税率を引き上げることは可能です。

私は既に絞り取るべき財源もほとんどないような非都市部の地方自治体から豊富な税収が得られる課税の在り方というものが思いつきませんが、仮に税率を変更した地方税収で地方自治体が運営できるなら好きなだけ増税したら良いと思います。

自分はそんな場所には全く住みたいとは思いませんが・・・。

地方財政は「ゴマカシ」から「事実」を議論するようになるべき

最後に、地方交付税の不交付団体が東京都しかない状況が間違った税制であることは認めます。ただし、消費税と地方交付税の税額を比較されていましたが、全く無意味な考察だと思います。

なぜなら、その議論は平成27年度一般会計で約37兆円の国債発行を前提としているからです。つまり、消費税がどうのこうのという話以前の問題として、社会保障、地方交付税、その他諸々のための税収が根本的に足りていないのです。

そして、国家人口が分散分布した状態で増加していく社会とは異なり、人口減少して経済的に衰退する地方ではなく、東京を中心とした都市部の法人・住民が積みあげられた国債を返済していくことは明らかです。現在、非都市部の地方自治体が行っていることは、借金は作りっぱなし、返済する担い手はドロン、という国家ぐるみの大規模な詐欺みたいなものです。

担税力が無い地方自治体は、都市部からの送金、都市部への借金の飛ばし、が無ければ、とっくの昔に消滅しています。

前田陽次郎さんのような議論を目にすると、地方住民のために地方交付税などで作った借金を返済していく運命、にある東京都を中心とした都市部住民の立場を多少は考慮して議論をしてほしいと感じます。都市部住民の納める税金は地方住民の私物ではありません。このまま都市部の競争力を奪い続ける政策を継続しても両者に明るい未来は存在しません。

地方の人々は自立の道を模索するのか、地方消滅を準備するのか、を選ぶべきでしょう。

 


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
スポンサードリンク