2015年11月17日

国際テロに世界のオタクが宣戦布告(笑)

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最初に申し上げておくことは、自分は「アノニマス」のネットワークに対して非常に親近感を持っています。非合法な集団であるアノニマスの活動は積極的に認められないものの、「自由」という基本的な価値観に基づいて行動する彼らの動機には一定の共感を持っています。

国際テロ組織に「世界のオタク」が宣戦布告

今回のフランス・パリにおけるテロ行為に関して、実行犯であるISに対してアノニマスが宣戦布告しました。今後、ISと関係があるTwitterアカウントなどの晒し上げなどを行っていくとのことです。

アノニマスは国際的なハッカー・ネットワークであり、主に政府やマフィアなどの自由や人権を侵害する存在に対し、インターネットの力を使った実力行使や圧力をかけている人々のつながりを指します。

彼らは自由主義的な映画作品であるVフォー・ヴェンデッタで有名になったガイ・フォークスの仮面をつけて365日ハロウィンのような恰好をして登場してきます。

日本のオタクと比べて可愛げはありませんが、アノニマスとともにあるITオタクの戦闘能力は極めて高く、過去にオーストラリア、チュニジア、北朝鮮などの政府、メキシコのマフィア、KKK、ネットいじめ犯などが痛い目に遭わされた経験があります。日本政府が2020オリンピックなどで標的になった場合、日本政府のセキュリティはおそらく瞬殺されるレベルです。

ちなみに、日本政府も過去に標的となったことがありましたが、「国土交通省霞ヶ浦河川事務所」のHPが「霞が関と間違えて」書き換えられるなど、日本の高い言語障壁が功を奏したこともありました(笑)(アノニマス自身が「日本語、難しい」と発言したそうです。)


非対称型戦争に対応する新しい形としてのアノニマス

国家とテロリスト、という非対称型戦争の在り方は極めて非効率であり有効性が疑問視されるようになっています。現代の先進国の軍事力は正規軍同士の戦いに特化している側面があり、ゲリラ戦やテロリズムに対して必ずしも有効な戦力を持っているわけではありません。

国家が打倒できるものは「テロを生み出す抑圧的な政治体制」です。抑圧的な政治体制を打倒することで、当該地域の社会を自由市場と立憲主義に接続し、テロが恒常的に発生する政治状況を消滅させることが役割です。

そのため、対テロ戦争はテロリズムとの戦いという意味では一定の成果を挙げることはできるものの、既に拡散して分散化しているテロリズムへの対応としては不十分なものです。

国家と非対称状態にあるテロリスト・ネットワークに対抗する一つの事例として、アノニマスのようなネットワーク型の集団が対抗する状況は世界の未来地図の一つを描き出している、と言えるでしょう。

FBアカウントをフランス国旗にしない人々が行うべきこと

テロリズムのような暴力と恐怖を用いる超国家的なネットワークに対し、国家の武力だけに頼って解決を求めることは極めて困難であると思います。ただし、テロリストに優しくすれば良い、というお花畑思考は事態を悪化させるだけのものでしかありません。

アノニマスには賛否両論が存在していますが、少なくともテロリズムに対する現実的な回答の一つが提示されていることに注目すべきです。今後、アノニマスに晒されたアカウントの持ち主が政府によって摘発されていくことになるでしょう。

テロリズムに対抗する手段という意味では、短期的にはテロ支援国家の打倒、中長期的には自由市場を世界に拡げる教育活動を徹底する世界ネットワーク(既に存在している)を拡大していくことが重要です。

私自身はテロ当日にフランス大使館前まで献花してきましたが、国家に対して拒絶感を持ってFBアカウントをフランス国旗にすることを拒否する人々は、感情論的な国家批判を行うばかりではなく、現実的な対応手段について議論するべきだと思います。





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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)社会問題 
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ティーパーティー(茶会)に外交戦略は存在しないのか?

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先日の続きで、日本の米国通とされる国会議員があまり良く理解できていないことについて、ティーパ―ティーら米国保守派の外交についての考え方を考えてみたいと思います。

米国保守派に「外交戦略は無い」という話は本当か

日本の国会議員からティーパーティーや米国保守派には外交戦略と呼べるような大戦略が無いのではないか、という質問を度々受けることがあります。特に外交安全保障に詳しいとされる議員は同様の理解をしているようです。

たしかに、ネオコンらの保守派の中のタカ派はともかくとして、一般的にティーパーティーやドメスティックな保守派が外交戦略についてあまり語らない傾向はあります。

しかし、彼らが外交戦略を持っていないとすることは短絡的で早計な理解だと思います。むしろ、彼らからあまり外交戦略が語られない点に注目し、米国保守派の政治理念が実現されていく過程で米国外交や安保政策がどうなるのか、ということについて考察することが重要です。

保守派が政権を取った場合に何が起きるのかを考えるべき

軍産複合体と結びついた一部の人々以外の保守派が掲げる政策理念は「小さな政府」です。

そのため、保守派の基本的な方向としては対外政策に関してはよほどクリティカルなもの以外は干渉を最小限にするという発想になると思います。

既に世界的な多極化の進展によって国際情勢の不安定性は増加していく傾向にあります。米国内では海外に徒に干渉するよりは国内の発展・繁栄に集中するべきという言論が力をもつ可能性があります。

特に、今年5月に著名な外交ストラテジストであるイアン・ブレマーの「Super Power」の中で、(1)「特別な存在としてのアメリカ(Indispensable America)」、(2)「利益優先のアメリカ(Moneyball America)」、(3)「独立したアメリカ(Independent America)」という3つの選択肢が示されたことに注目するべきです。

(1)は世界の警察の継続、(2)は利益に基づく選択的関与への転換、(3)は外国への干渉を最低限に留めて国内の繁栄に努める、というものです。個人的には外交政策の権威の著作の中で(3)の選択肢が重視されていることに少々驚きを覚えました。

しかし、実はこれは米国保守派の「小さな政府」による繁栄という発想、米国の伝統的なスタイルへの回帰という意味では現在米国内で蔓延する空気感との整合性があると感じています。(中東に地上軍を派遣すべし、という強硬な意見も存在しているが)

米国は自国に資源を集中することで自由主義・民主主義による繁栄を謳歌し、軍事力を使わなくても米国の魅力を海外の人々が自然と感じるようになる、という選択肢が現実に議論の俎上に上がってきているのです。

日本が準備しておくべき外交戦略とは何か

米国の外交政策について、日本の国会議員や有識者らはせいぜい(1)や(2)のレベルしか想定しておらず、米国が(3)の道に行くことについて、「薄々感じていても信じたくない」未来だと思います。今夏に制定された安保法制は米国が自国優先の姿勢に転換しないよう、(2)の観点に立って日本側が米国の関与を引き出すべく努力したものだと思います。

しかし、外交戦略はあらゆる選択肢の中を考慮した上で構築されていくべきです。米国が「世界における軍事力・経済力などのハードパワーにおける存在感を低下させつつ、自国の自由主義・民主主義による繁栄を世界に対して示す」という従来以上のソフトパワー重視の戦略に移行する場合、日本も同戦略に対応を迫られることになるでしょう。

日本はアジアにおける最大の経済力を持つ自由主義・民主主義国であり、これらの魅力を最大限に発揮できる方向に舵を切る必要があります。すなわち、日本も小さな政府を実現して国民の生命・財産を守る確固たる意志を示し、更なる経済成長を実現していくことで中国などの全体主義国に対するアジアの自由主義・民主主義としての中心地としての魅力を強化するべきです。

強力な経済・確かな価値観を持つことは外交・安全保障について基本であり、米国保守派が米国で主張することと同様に、日本も経済・社会の構造改革を断行することが望まれます。





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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)米国政治 
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「他責の国のおとぎ話」中央集権=官僚悪玉論を斬る!

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日本の大人は他責が大好きです。特に政治の話になると直ぐに「お上」の責任として擦り付けを行います。

そして、それを有識者たちが「おとぎ話」で補強することで、良心の呵責に悩む善良な国民から「責任主体としての地位」を奪ってあげて、誰もが責任を取らない一億総無責任体制を作り上げてきました。

その「おとぎ話」の一つが「戦後の中央集権はお上(官僚)が推し進め、地方は東京に若い人材を吸い上げれた被害者である」という夢物語です。

原理原則を無視した「中央集権=お上(官僚)悪玉」論 

「お上(官僚)が中央集権を推し進めて、地方は東京の高度経済成長の犠牲になった・・・」、「その補償を地方が受け取って何が悪いのか」という話についてどう思いますか?これは東京一極集中の是正の文脈で語られる通説です。

しかし、私はこの話を耳にする度に「良い年してまだオムツついてんのか?」と言って差し上げたくなります。

日本の政治の原理原則は「議会制民主主義」であり、国会議員の過半数による議決で予算と法律を決定します。そして、政令・要綱の類であったとしても、国会議員が本気で目配せしている場合は官僚も滅多なことは出来ません。

つまり、中央集権体制を容認して作り上げた人々は国民の投票で選ばれた国会議員です。そして、その国会議員が全国一律の競争条件を構築して東京の一極集中を推進し、その補償として地方が地方交付税を始めとした巨額の財政移転を受け取る仕組みを作ってきました。これこそが本当の事実なのです。

有名な日本列島改造論も台本は官僚が書いたかもしれませんが、新潟選出のたたき上げ・田中角栄首相がその台本の採用と実行を認めたことは紛れもない事実です。

大半の国会議員は地方から選出されてきたという当たり前の事実を思い出す

過去から現在にかけて、国会議員の大半は都市部ではなく地方から選出されています。東京都などの都市部選出の議員は議員全体の構成数から見れば微々たるものです。

戦後、日本の国会議員は東京に人的資源を集中させるために、全国一律の規制・税率を整備し、東京都と他の地域をほぼ同一条件で競争させるというムリゲーを強いた挙句、結果として生まれた東京の経済成長による果実(税収)を地方に再分配するという政治体制を構築しました。

つまり、地方在住者、そして地方代表である国会議員が地方の民間経済をワザと衰退させてきたのです。そして、自らが暮らす地域の民間経済を衰退させる代償として、都市からの財政移転という何の努力もいらない掴み金を受け取る選択を選んできたのです。

日本の地方は東京と同じ条件で競争することは誰が見ても不可能です。そのため、選挙民が責任ある賢明な人々として振る舞うことで、本来は地方自治体に税率・規制などの権限を大幅に移して創意工夫を持って生き残る道を選択すべきでした。

しかし、実際に繰り返されてきたことは「無用なハコモノ建設によるバラマキ金の受け取り」ばかりという有り様でした。これらを推進してきた自由民主党は資本主義・自由市場を肯定してきた政党なので、そのような政策を推進すれば地方が滅んでいくことは当然に知っていたはずです。

地方再生のために「民主主義」をやり直すことから始めましょう

何度も申し上げますが、国会議員の過半数が同意しない場合、どのような予算も法律も成立することはありません。

全ての不都合な出来事をお上(官僚)が決めたことにした場合、現在の惨憺たる状況を目の前にした鬱屈とした気持ちが軽くなることは分かります。

自分の地方の有り様を他人の責任にして押し付けてしまう、この手の「おとぎ話」は免罪符として良心の呵責に悩む人々に売れることでしょう。しかし、ヒトはいつか夢からは目を覚まさなくてはなりません。いつまでも甘美な他責の世界だけで暮らすわけにはいかないのです。

現在も国会議員の大半は地方から選出されている構造は一緒です。従来からのように東京からの財政移転で過ごして消滅まで時間を稼ぐのか、それとも一時は苦しくても自立の道をもう一度模索するのか、どちらの選択を選ぶかは地方在住者の人々の投票にかかっています。






本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)国内政治 
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