2015年11月27日

「奨学金」を返済できる学生を作るための方法

a0002_011580

奨学金を返す・返さない、大学を無償化する・しない、などの議論が喧しい世の中ですが、問題の根本は全く別のところにあると思います。

大学生に働く力が教育されていないということ

そもそも奨学金が返せない理由は「大学生に働く力が教育されていないこと」にあります。奨学金を受けて大学を卒業した学生が十分な給与を得る仕事につけていないというわけです。

現代社会はかつての高度経済成長期ではなく最低限の基礎的な教育が出来ていない学生を採用するほど企業に余裕はありません。そのため、企業は採用抑制や派遣労働者を活用し、職業能力が無い学生を正規採用することを選択しようとしません。

ただし、厳しい競争に向き合っている企業に正社員を無理に雇わせるように労働法制を見直すことは、企業の雇用への意欲を失わせるとともに、企業の競争力自体を衰退させることに繋がって経済全体を痛めることになります。従って、奨学金の貸し倒れ=納税者負担の発生という問題を解決するために、私たちは現実的な回答を探す必要があります。

大学教育の無償化は問題を解決するのか

一つの方法として「大学教育の無償化」という方法が提案されています。欧州の大学教育の在り方を範にとって大学教育自体を無償化することを通じて、奨学金の貸し倒れ自体を消滅させるというソリューションです。

しかし、「大学教育の無償化」を実施しても「就業能力が無い学生」が量産されている現状については何も変わりません。結果として、奨学金が後々返済されないのか、授業料を最初から税負担しているのか、という話になります。両者ともに納税者負担の増加という意味では何も変わりはありません。

むしろ、奨学金の返済という就業に向けたインセンティブが無くなることで、大学時代において就業能力を身に付ける方向性が学生個人からも一層失われます。目の前の学費という問題を全て税負担で片付ければ良いという思考停止はは更なる問題を引き起こします。

民間企業や篤志家による奨学金制度の拡充が必要である

現在の税負担によって実施される教育制度・奨学金制度は「企業ニーズ」を捉えておらず、働く力を身に付ける教育を行っていないということが問題です。

そのため、根本的に大学教育のあり方を見直す必要があります。具体的には企業による奨学金制度を積極的に奨励することです。大学を卒業した学生は企業にとって必要な労働力を提供する人材になるため、そのための教育費用は企業が一部負担することは合理的です。

最新の経済動向・産業動向についても象牙の塔の中の大学よりも最前線で戦う企業は熟知しています。そもそも時代遅れの既存大学の教育を受けて就業できるという発想が間違っています。

そのため、大学における人材育成自体を企業に任せることを通じて、就業能力が高い企業ニーズにマッチした人材を育てるべきです。企業側も丁寧な人材育成を通じて多額の採用コストを抑えるメリットがあります。

国民にとっては就業能力が高い人材を生み出す改革を実現し、更に追加の税負担を避ける二重の効果が発生します。

目的を見失った「政府による奨学金」は一旦廃止を

税金に依存して制度設計の積み増しを行うことは、制度によって恩恵を得るステークホルダーの存在を曖昧にしてしまいます。奨学金は何のために存在しているのか、ということについて今一度問い直すべきです。

現状の制度を追認して何でも税負担を拡大すれば良いという議論を見直し、その制度による受益者が費用を負担するべきという当たり前の感性を取り戻していくことが重要です。






このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
スポンサードリンク

2015年11月26日

大人の教科書(7)教育原理主義に陥らないこと

a1320_000078

教育原理主義者たちが跋扈する「中途半端な高学歴者と高齢者世代」の世界観

世の中には様々な社会問題が氾濫しています。それぞれの問題には原因と結果が存在しており、原因を取り除いて解決できること、複数の問題が絡み合って解決困難なこと、など実に様々です。

そうすると、「これらの問題を解決するのは教育しかない!」と言い始める人が現われます。特に年配になればなるほど「教育原理主義者」が増えるものです。若くても高学歴の学生らと話してみると、原理主義者がそれなりの数が存在しています。(個人的にはそういう人を見ると教育の失敗を痛感します。)

教育は誰もが体験したことでもあり、自分のこととしてある程度は語れます。そのため、とりあえず全部教育が悪いことにしておけば、それっぽく見えるように議論を収束させるために実に便利です。専門性が低い中途半端な議論に混ざると議論は必ず「教育が悪い!」という方向に行きます。

問題の解決方法を「教育」に求めるのは「大人の暴力」でしかない

教育が悪いということは、「既に教育された自分たちを棚上げにして、全ての問題解決を後の世代の責任にできる」ため、非常に気持ちが良くなることは請け合いです。

しかし、現在の社会問題を作りだしているのは現在の大人であって「自分自身であること」から目を背けるべきではありません。そして、個別の問題は個別の解決策を実行して具体的に解決していくしかないのです。

教育は「大人」が社会的な弱者である「子ども」または「未習熟者」に対して実行するものであり、大人が教育を語っている限りは無条件に社会的な優位に立つことはできます。教育に問題解決を求めることは、まさに「大人の暴力」そのものだ、と言えるでしょう。

自らが誇るべき能力を持つ人は教育に解決を求めるだけでなく、自分自身で自らの目の前に存在している問題解決に取り組みます。そして、その中で人材を育てることこそが真の教育であるということを知っています。

(ちなみに、教育を問題として教育自体の問題を解決することは正しいと思います。たとえば、現在の公教育の在り方は時代錯誤極まりないですし。ただし、その場合も自分が教育の何をどのように変えたいのかを特定すべきだと思います。)

大人は「自分たちが作っている問題」を解決することに注力すべき

大人は安易に「教育」に問題解決を求めるのではなく、自分が保有している財力・ノウハウ・権限を活用して、一つ一つの問題解決を具体的に行っていくべきです。教育原理主義者の安易な発想は思考停止とほぼ同程度です。

現在教育されている人々に残すべきものは、現在の問題に大人が一生懸命取り組んだ後の社会です。子どもはそのような大人の姿を見て行き方を学んでいくことでしょう。

全てを教育のせいにしている大人を見て育った子どもがどのような人間になるか、私たちは想像力を働かせてみる必要があります。





このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)社会問題 
スポンサードリンク

銀行強盗・休眠口座の没収法案に強く反対する


1_08

銀行強盗と何が違うのか?「休眠口座」没収 法案の内容

来年早々に提出が予定されている、休眠口座の没収法案に当ブログは激しく反対します。なぜなら、この法案は単なる「銀行泥棒だから」です。

10年間預入引き出しが無かった場合に口座に入っている資金が預金保険機構に回したあとにバラマキ用の財団法人に移し、NPO法人などに配られるという本法案は他人の財産の政府による没収を法制化するものです。

私自身もNPO法人などを運用してきましたが、このような財産権を著しく侵害する法案は莫大な資金を手に入れるNPO関係者には良くとも、社会全体のシステムから見れば最低最悪のものだということです。

お金を預け入れた人は「銀行に預けて運用させる契約をした」のであって、「NPO法人などにお金をばらまくことを契約した」わけではありません。本人が契約していない内容で強制的に資金が使用されることは間違っています。

他人が銀行に預けたお金を自分たちのために強制的に使用することは「銀行強盗」と何が違うのでしょうか。その裏付けは強盗犯の拳銃によるものか、政府の権力によるものか、という手法の違いしかありません。

銀行は預けられた資金を運用することが責務だ

銀行は預かったお金を増やすように運用することが責務であり、預金者と連絡が付くか付かないかなどは、「預かった側の勝手な理屈」でしかありません。お金を預かっている以上、そこから利益が上がるように運用することが銀行の責務です。

また、法案では銀行が請求を受けた場合は払い戻すとしていますが、既にバラマいた後に払い戻すとしたら、銀行に余分な負担を生じさせることになります。

仮に銀行が資金を勝手にNPO法人などにバラまくとしたら、それは「銀行の方針」として示した上で利用者からの資金調達を行うべきだと考えます。本法案は法案成立後の全ての銀行口座に適用するようですが、銀行がどのように資金を運用するかは、預金者・銀行の間の契約で取り決めるべきものであり、そこに政府が介入することは経済の大原則を侵害するものです。

このような財産権の侵害や私人同士の契約行為への介入を一度許せば次々と似たような類似法令ができることを許すことになるでしょう。法律は先例ができることで増殖を繰り返すため、アリの一穴のような法案であっても許すべきではありません。

銀行がNPO法人などの支援を必要と感じるのであれば、低利のマクロファイナンスなどを自ら実施すれば良いのであって、国が実質的に認定したNPO法人などだけが資金を受け取るスキームは単なる私的財産の収奪でしかありません。

教育・福祉に使用するという曖昧な規定はもう聞き飽きた手口

増税のときも然りなのですが、今回の休眠口座の資金も「教育・福祉に使用する」としていますが、もういい加減に「その手口は聞き飽きた」とはっきりと述べさせていただきます。

かつてグリンピアなどの無駄な施設を作り続けた年金関連施設も全部公共の福祉のために使って作り上げてきたものです。消費税を増税したら随分と地方へのバラマキ財政出動を強化したものですね。国民が「教育・福祉」と聞いたら何も考えずに賛成すると思ったら大間違いです。

今回、問題となっている休眠口座は毎年500億円程度になるとのことですが、毎年それだけのお金を運用するにはそれなりの組織が必要になるため、その人件費・施設費なども全てそこから出ることになります。それで誰をどのように雇うのでしょうか。タックスイーターならぬ完全な「他人の財産」にたかるだけの話です。

韓国では似たような休眠口座の問題が最高裁まで裁判になっており、政権幹部などが自分たちの縁故の人々に情実で金を配っていたことがスキャンダルとなり一部運用が停止したことがあります。

自分は政府が「教育・福祉」関連に支出するための資金を集める(増税・没収する)ということは全て眉唾ものだと疑ってみるべきだと思っています。

どうせ銀行が休眠口座を解散するなら「利子」または「配当金」に回すべき

銀行が誰のものか分からない休眠口座を運用していることがどうしても問題であるとするなら、勝手にNPO法人などに資金を回す仕組みを作るのではなく、銀行と私人の契約として休眠化した場合は、亡くなっていて法定相続人もいない場合は、利子や配当金に回す旨を預金者に対して明示して運用するべきです。

明確に申し上げて、NPO法人と銀行及び預金者は何の関係もない赤の他人です。銀行及び預金者がNPO法人を支援しなくてはならない理由は一ミリもありません。

敢えて言うなら、銀行は10年経った段階でこの理由がないスキームで無関係のNPO法人に資金が流れる前に、休眠口座を解散して「ほぼ0%の利子」を増やすことに当てたらどうでしょうか。そこから利子を受け取った個人がNPO法人に寄付するなり好きにすれば良いと思います。

もちろん自分はこのようなスキームにも反対ですが、民間の商売に土足で踏み込んで何とも思わない連中がこれ以上社会に蔓延ることは害悪以外の何物でもありません。

本法案は断固として葬り去られるべきであり、どうしても似たような法案を作りたいのであれば、代わりに休眠口座の資金を銀行が予め処分することができる契約を法律で規定することを入れるべきでしょう。 
 


 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr
スポンサードリンク