2015年11月11日

真の世代間格差の解消方法は「所得税0%」である

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世代間格差の問題がクローズアップされて久しくなります。しかし、超高齢化社会という現実を踏まえて、政府の財政政策の偏向ぶりを若者の特定のイシューだけに振り向けて是正することは極めて困難だと思います。

ガチガチに構築されてきた世代間格差

世代間格差の代表的な事例としての年金制度が挙げられます。現状の年金制度は賦課方式という形で現役世代が現在の高齢世代を支える仕組みであり積立式の年金とは異なります。

そして、最近では年金推計が明確に公表されることで若者からの収奪の仕組みであることが露呈しています。

年金の世代間格差はこんなに 年代別、支払う額ともらえる額(一覧)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/28/annual-pension_n_8210934.html

「厚生労働省は9月28日、納めた年金の保険料に対して、どれだけ年金の給付が受けられるかを世代ごとに試算した結果を公表した。厚生年金に加入するサラリーマンの夫と専業主婦の場合、2015年に70歳になる世代は、負担した保険料の5.2倍の年金を受け取れる見込みなのに対し、30歳になる世代以降では2.3倍にとどまった。」

ということです。早く生まれたか否か、というだけのことで、生涯年収に大きな差が生まれるわけです。ちなみに、巨額の日本国債残高を見れば分かるように、戦後世代が日本の繁栄を築いてきたから高齢者福祉は当然という話も誇張があり、実際には国債を返済していく現役世代・若者世代もお金を負担している、の間違いです。

そもそも「政府」が世代間格差を作り出している

年金制度のような世代間格差の仕組みは「政府が作り出している」という当たり前のことに気が付くべきです。

超高齢化社会における政府の政策へのインプットは、主に「高齢者の投票」によって行われます。その投票によって構築されてきた政策の成れの果てが「政府が高齢者向けに有利に構築された世代間格差」なのです。

また、社会に存在している規制は前世代にとって有利に働きます。規制は社会構造を固定化するための装置であり、社会に新しい動きが発生することを防止します。

若者よりも能力的に劣る年配社員が高い給料を受け取れる理由は正社員として労働法制に守られているからです。また、若者が日本市場で活躍するためには、規制の管理人である前世代の人々にショバ代を払う必要があります。

「若者にもっと予算を」は有効なアプローチなのか

世代間格差の是正を声高に叫ぶ人々は、若者に対する子育てや教育などに政府予算をもっと配分しろ!という主張を行う人が多い傾向があります。

しかし、政府の仕組みは「高齢者の投票」によって作られている以上、無駄とは言わないまでも有効なやり方であるかというと疑問を感じます。

たとえば、「保育園への補助金をもっと寄こせ」「児童手当をもっと寄こせ」というようなアプローチを大きな声を上げて行っていくことは有効でしょうか?

残念ながら若者向けのシングルイシューの予算増額要望は、適当な餌を貰って満足させられた気分になるだけであり、日々の生活はますます苦しくなっていくでしょう。

有権者の人口構造が日を追うごとに高齢者に有利になっていく環境の中で、若者イシューの僅かな関係者が個別テーマを掲げて高齢者と政府予算の分捕り合いを行うことは「分が悪い戦い」です。

若者は政府歳出の増加を断固拒否する「本気」を見せるべき

私は「若者が政府予算の分捕り合いに参加することは愚策だ」と思います。

このやり方では高齢者への配分のオコボレを若者が貰うことで溜飲を下げることに終始するからです。むしろ、俯瞰してみた場合、政府による所得移転や規制管理を肯定することで世代間格差を作りしている装置を更に強化していくことにすらなります。

従って、若者が「政府による世代間格差」に対抗するために必要なことは、政府の高齢者向けの予算支出に徹底してNoを突きつけることです。

現在の環境下で自分たちへの給付の増額を主張することは、FXでの損切りが出来ないプレーヤーのようなもので、まずは政府歳出の増加を拒否するムードを創るべきです。

そのためには、若者の名前を騙って社会保障拡充や労働法制強化を訴えている左翼から手を切る必要があります。大多数の若者は日々真面目に就労している人々であり、左派系の活動家は一部の若者の声を代弁しているに過ぎません。

彼らと組んでいる限りは若者は永遠に貧困のままです。

所得税0%こそが若者世代にとっての有効な世代間格差の是正手段

最も有効な世代間格差是正政策は「所得税0%」です。

所得税は働く現役世代に対する課税であり、所得税0%は若者世代を含んだ現役世代全般に恩恵を与えます。所得税総額は約15兆円であり、所得税を全廃することを通じて現役世代の負担を大幅に軽減することになり、景気の浮揚効果も極めて大きいものと思います。

所得税分の各個人の手取りが増えるとともに、景気改善による給与上昇や採用増加も期待できるため、若者にとって生活を向上させる最上の政策です。

単年度の財源は、外為特会の20兆円の含み益と労働特会の5兆円の差益で十分賄うことができます。同政策は消費性向が高い現役世代層の支出増につながり、法人税収や消費税収の増加も見込まれるため、数年間に渡って実施することが可能です。その上で、所得税0%の継続を守るために徹底的に歳出削減を求めるのです。

所得税の大規模減税であれば全生産年齢人口にとってメリットがあり、シルバーデモクラシーに対抗するための有権者の頭数を揃えることができるでしょう。生産年齢の人口総数は約7800万人であり、シルバーデモクラシーに十分に対抗できる数字です。

民主主義は過半数を取るための闘いであり、シルバーデモクラシーよりも有利な現役世代全体の声をまとめあげる政治イシューの設定が重要です。

超高齢化社会に突入する中で、若者が求めるべきことは政府歳出増加の拒否と所得税0%の実施です。これらによって日本の経済構造・社会構造は一変します。





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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)社会問題 | 国内政治
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2015年11月10日

小沢一郎・民主党政権に対する民権史観に基づく総括

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「宙に浮いた」民主党政権の総括

2009年に自民党から政権を奪取した民主党は政権を獲得した衆議院議員選挙の直前から内部闘争を繰り返し、最終的には政党としての理念を喪失する形で2013年末に下野することになりました。

国民は民主党が実行不能なマニフェストを作成した政党であり、政権を運営する力が無いものとして判定した結果、2015年現在民主党の支持率は回復しないどころか空中分解的な様相すら示しています。

現在、私たちは自公政権を日本政府の担い手を任せていますが、必ずしもベストな選択としてそれらを選んだわけではなく、自民党の他に政権担当能力がある政党が存在していないという状況が背景に存在しています。

このような状況に陥った理由は、私たちが「民主党政権とは何だったのか、彼らは本来何をやろうとしたことは何か」ということを総括していないことに起因します。アベノミクスなどの経済政策はともかくとして、政治的なパラダイムとしては時が止まったままの状況に置かれています。

小沢一郎氏の党代表選挙の際の演説

民主党政権を実質的に創った人物は小沢一郎氏と言っても過言ではないと思います。政権奪取前の民主党に小沢氏が合流することで民主党は理念と力の両方を得ることに成功し、鳩山政権の崩壊と小沢氏の代表選挙敗北によって民主党政権は終わりに向かいました。

つまり、民主党とは小沢氏が創り上げた政党であり、民主党の本質は小沢氏の言葉の中にあり、そして小沢氏が居なくなった民主党はもはや民主党ではないと言えます。現在の迷走ぶりはまさにそれを端的に表しています。

民主党の総括とは、小沢氏が民主党で進めた政治理念・政治行動に対する総括であり、その小沢氏が進めた標榜していた政治理念は2010年の小沢氏の民主党代表選挙における演説に凝縮されています。

2010年小沢一郎氏・民主党代表選挙演説全文
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/254.html

小沢氏が進めようとしていた政治の本質とは「官僚主導」から「政治主導」への転換ということになります。

<一部抜粋>
①「しかしその改革は、明治維新以来、百四十年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えな
ければ、とても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのは、その思いなのであります。」

②「官僚支配の百四十年のうち、四十年間、私は衆議院議員として戦い抜いてきました。そして漸く、官僚機構と対峙できる政権の誕生に関わることができました。我々は「国民の生活が第一。」、の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。」

小沢氏の尊敬する人物は原敬元首相だと耳にしておりますが、原内閣で実行された政治主導の試みが小沢氏が民主党政権でやろうモデルである、と考えることが妥当です。つまり、民主党政権がやろうとしたことは「官から政へ」という政治力学の構造転換を総括することで初めて完了するのです。

政治主導としての政治任用と党への陳情の一元化 

民主党政権時代、自分は下記の2つのニュースに注目してきました。

①霞が関の局長クラスまでの政治任用化
「民主政権では「局長以上は辞表を」 鳩山幹事長語る」
 http://www.j-cast.com/2009/02/10035695.html

②民主党本部への陳情一元化
「政権交代後の陳情対応の変化とは。透明性と公平性を推進」
https://www.dpj.or.jp/article/100009
「自治体首長が「民主党詣で」 陳情一元化、自民打撃も」
 http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111301000814.html

①は戦前から官僚と政治家の間で繰り広げられてきた幹部職員の人事権を巡る争いです。特に戦前は政府の中に政党の意向をくんだ人物が入り込むことを阻止する官僚との暗闘が続きました。戦後は官僚による政治支配が進む形となり、政府内の政治任用職はほぼ存在せず、自民党を中心に高級官僚が議員になる状態が常態化してきました。結果として①は実現されることなく国家戦略局などへの中途半端な政治任用の拡大に終始しました。

②は各省庁が所管している利益団体や地方自治体との繋がりを断ち、官僚がそれらの団体に対して差配する権限を弱めるための政治的な転換となりました。従来までは利益団体や地方自治体は政治家に陳情を行うものの、実際には議席に関係なく永続的な影響力を持つ官僚機構への政策要望の陳情を重視してきました。それらの流れを断ち切って、政党が政策反映へのアクセスポイントを独占することで官への優位を確立する道が開かれました。

小沢氏が目指した「官僚主導から政治主導」へという流れは上記の2つの方法によって実行されるものです。①は中途半端な形でしか実行されませんでしたが、②は短期間ながらも実行されたことによって細野元幹事長党という次代を担う人材の育成が行われることになりました。

民主党政権の末期における「官僚主導」の復活

私自身も民主党の個々の政策に関する賛否はありますが、民主党政権の政策が実行されなかった理由の一つとして、官僚機構による抵抗と巻き返しによる影響が大きかったように思います。特に財源問題などは盤石な政治主導が確立されることによって徹底した歳出削減と予算の組み替えでねん出できるはずですが、中途半端な政治主導では官僚機構の牙城を崩すことが出来ずに前提が崩れてしまいます。

派手な事業仕分けでは大した財源がねん出できないことは当然であり、官僚から政治家への予算編成権の根本的な移譲を実現させるために政治改革の断行は必要不可欠でした。しかし、政権から小沢氏が排除されたことでその道は閉ざされることになりました。

一方、菅首相は就任時に「
官僚の皆さんを排除し、政治家だけでモノを考えて決めればいいということは全くない。官僚の皆さんこそ、政策やいろんな課題に長年取り組んできたプロフェッショナルだ。官僚の皆さんの力も使って政策を進めていく」と述べることで官僚主導の復活を鮮明化しました。
菅政権の跡を継いだ野田政権もかつて自分自身が税金にたかるシロアリと揶揄した官僚と一体なって消費税増税を実現しました。さらに、民主党から自民党に政権が戻ることで政治主導の芽は完全に摘まれることになりました。

以上のように、民主党政権は官僚主導から政治主導を成し遂げるための政権交代を実施したと言えますが、逆に政権任期の途中から官僚と一体化した勢力によって反政権交代が行われたことで改革が未完に終わったという評価が妥当だと思います。

民主党の政権時代には2つの民主党が存在しており、当初に意図した民主党は途中で追い出されて、自民党とほぼ同一の民主党が力を持ったため、政権奪取時に掲げていたマニフェストは実行されなくて当然です。

小沢民主党の総括、事態の更なる悪化へ

民主党政権で未完に終わった政治主導のプロジェクトを理解することで、私たちは次の時代に進むための道標を手に入れることが出来ると思います。

小沢民主党の失敗は政権奪取のために政府支出の増大、つまりバラマキを認めたことにあります。戦前の政友会時代から繰り返されてきたことですが、政府の利権を誰が分配するのか、という基準での争いを止めるべきです。

政治家は選挙の洗礼及びバイネームの活動という特徴を持っているため、政治家が官僚を上回る形で政府の利権を長期間運営することは不可能です。そのため、肥大化した利権は主導した政治家にスキャンダルが発生すると一瞬で官僚の手に落ちます。

本来必要な改革は政府が持つ利権を国民の手に戻す「小さな政府」です。小さな政府を推進することによってはじめて民衆は官僚に勝利することができます。

政官攻防史 (文春新書)
金子 仁洋
文藝春秋
1999-02




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2015年11月09日

佐々木俊尚氏のヘイト規制正当化論に断固反対する

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佐々木俊尚氏のヘイト規制と表現の自由に関する議論
http://togetter.com/li/896972

佐々木俊尚さんがヘイト規制と表現の自由のどちらが優先するのか、という議論をされていました。この問題については議論する間でもなく結論が出るものであり、なおかつ佐々木氏の意見は非常に危険なものだと思います。

佐々木俊尚氏の主張は一見まともに見えるが。。。

佐々木氏の結論を佐々木氏自身から引用にすると、

「要するに自分が悪であると認定した相手なら、何を言ってもいいのかという問題ですね。でも何度も何度も言いますが、目的は手段を浄化しません。」

「正義と正義を空中で投げ合ってるからああいうことが起きるわけで…。しかし自分と異なる正義を許容できない人がたくさんいる以上、あのようなことはなくらないし、であればヘイト表現への法的規制しかない。」

「まったくおっしゃる通りだと思います。中道の勢力を糾合する文化が今本当求められていると思うのですが。」

ということになります。

この一見して中道かつ理性的(左右の暴力的な言葉に比べれば)な意見が実際には何の役にも立たないどころか、事態をより深刻化させる言説である理由がお分かりいただけるでしょうか。

以下、このような発言が何故問題であるのかについて説明していきます。

佐々木俊尚氏の主張の欠陥とは何か

佐々木氏の主張の欠陥は、政府を通じて法的に規制しようとしている、ことです。

政府を通じて法的に規制するためには「ヘイトとは何か」ということについて客観的に規定する必要があります。しかし、そのようなことは厳密には不可能であり、人間の価値観に抵触する問題なので客観的に「ヘイト」と認定することは本来不可能となります。

そのため、「客観的なヘイト」とは「政府が認定または裁判所が認定したヘイト」ということになると思います。しかし、それは「何がヘイトであるか」という自らの価値判断を他人である政府機関に委ねることにつながります。

そして、佐々木氏は「ヘイト規制が表現の自由よりも優先する」という考え方を持たれているようです。ただし、それは「中道である自分」がヘイトと考えているものを他人もヘイトと認定する、という「中道主義者特有のバランス感覚」に根差したものです

つまり、一見左右の暴力的なスピーチと比べてまともなことを言っているように見えますが、その発言の根っこにある思想は彼らと同一のレベルでしかないということです。

「俺のヘイトは俺のもの、俺のヘイトもお前のもの」という輸出型のジャイアニズムです。

このように自分はマトモだと思っている人はその驕りによって油断している、しかし現実には左右の暴力的な言葉を発する人と同じ思考をしています。これらを理性な・寛容な意見として振りまくことは百害あって一利ありません。

表現の自由はヘイト規制に優先するし、ヘイト規制は存在自体が認められない

表現の自由がヘイト規制に優先することは当然であり、ヘイト規制自体が認められないというべきものです。

政府機関による表現の妥当性に対する解釈を認めることは、個人の価値観の表現に政府が堂々と介入する余地を与えます。一度政府が認定した「ヘイト」を表現を行うことが許されず罰則の対象になるでしょう。

この恐ろしさに関しては、政府機関と言論の表現に対する解釈について争ったことが無ければ分からないことなのかもしれません。そのため、少なくとも佐々木氏はジャーナリストとして表現の自由の脆さについて敏感になるべきだと思います。

政府は中立的な組織ではなく自分たちの目的のために国民に価値観を強制することができる、ということを思い出すべきです。そして、まさに価値観を巡る問題では「中立的な価値観」なるものは虚構でしかありません。

中道やバランスなどというものは存在せず、政府機関による表現規制を認めるか否か、政府の許可制の下に表現の自由を置くべきか、という根本的な命題に関する問題です。

何もなかったところに「規制」を作る行為は中道ではなく、左派または右派「規制推進論者」と変わらないということです。





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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)国内政治 | 社会問題
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