2015年11月17日

ティーパーティー(茶会)に外交戦略は存在しないのか?

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先日の続きで、日本の米国通とされる国会議員があまり良く理解できていないことについて、ティーパ―ティーら米国保守派の外交についての考え方を考えてみたいと思います。

米国保守派に「外交戦略は無い」という話は本当か

日本の国会議員からティーパーティーや米国保守派には外交戦略と呼べるような大戦略が無いのではないか、という質問を度々受けることがあります。特に外交安全保障に詳しいとされる議員は同様の理解をしているようです。

たしかに、ネオコンらの保守派の中のタカ派はともかくとして、一般的にティーパーティーやドメスティックな保守派が外交戦略についてあまり語らない傾向はあります。

しかし、彼らが外交戦略を持っていないとすることは短絡的で早計な理解だと思います。むしろ、彼らからあまり外交戦略が語られない点に注目し、米国保守派の政治理念が実現されていく過程で米国外交や安保政策がどうなるのか、ということについて考察することが重要です。

保守派が政権を取った場合に何が起きるのかを考えるべき

軍産複合体と結びついた一部の人々以外の保守派が掲げる政策理念は「小さな政府」です。

そのため、保守派の基本的な方向としては対外政策に関してはよほどクリティカルなもの以外は干渉を最小限にするという発想になると思います。

既に世界的な多極化の進展によって国際情勢の不安定性は増加していく傾向にあります。米国内では海外に徒に干渉するよりは国内の発展・繁栄に集中するべきという言論が力をもつ可能性があります。

特に、今年5月に著名な外交ストラテジストであるイアン・ブレマーの「Super Power」の中で、(1)「特別な存在としてのアメリカ(Indispensable America)」、(2)「利益優先のアメリカ(Moneyball America)」、(3)「独立したアメリカ(Independent America)」という3つの選択肢が示されたことに注目するべきです。

(1)は世界の警察の継続、(2)は利益に基づく選択的関与への転換、(3)は外国への干渉を最低限に留めて国内の繁栄に努める、というものです。個人的には外交政策の権威の著作の中で(3)の選択肢が重視されていることに少々驚きを覚えました。

しかし、実はこれは米国保守派の「小さな政府」による繁栄という発想、米国の伝統的なスタイルへの回帰という意味では現在米国内で蔓延する空気感との整合性があると感じています。(中東に地上軍を派遣すべし、という強硬な意見も存在しているが)

米国は自国に資源を集中することで自由主義・民主主義による繁栄を謳歌し、軍事力を使わなくても米国の魅力を海外の人々が自然と感じるようになる、という選択肢が現実に議論の俎上に上がってきているのです。

日本が準備しておくべき外交戦略とは何か

米国の外交政策について、日本の国会議員や有識者らはせいぜい(1)や(2)のレベルしか想定しておらず、米国が(3)の道に行くことについて、「薄々感じていても信じたくない」未来だと思います。今夏に制定された安保法制は米国が自国優先の姿勢に転換しないよう、(2)の観点に立って日本側が米国の関与を引き出すべく努力したものだと思います。

しかし、外交戦略はあらゆる選択肢の中を考慮した上で構築されていくべきです。米国が「世界における軍事力・経済力などのハードパワーにおける存在感を低下させつつ、自国の自由主義・民主主義による繁栄を世界に対して示す」という従来以上のソフトパワー重視の戦略に移行する場合、日本も同戦略に対応を迫られることになるでしょう。

日本はアジアにおける最大の経済力を持つ自由主義・民主主義国であり、これらの魅力を最大限に発揮できる方向に舵を切る必要があります。すなわち、日本も小さな政府を実現して国民の生命・財産を守る確固たる意志を示し、更なる経済成長を実現していくことで中国などの全体主義国に対するアジアの自由主義・民主主義としての中心地としての魅力を強化するべきです。

強力な経済・確かな価値観を持つことは外交・安全保障について基本であり、米国保守派が米国で主張することと同様に、日本も経済・社会の構造改革を断行することが望まれます。





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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)米国政治 
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「他責の国のおとぎ話」中央集権=官僚悪玉論を斬る!

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日本の大人は他責が大好きです。特に政治の話になると直ぐに「お上」の責任として擦り付けを行います。

そして、それを有識者たちが「おとぎ話」で補強することで、良心の呵責に悩む善良な国民から「責任主体としての地位」を奪ってあげて、誰もが責任を取らない一億総無責任体制を作り上げてきました。

その「おとぎ話」の一つが「戦後の中央集権はお上(官僚)が推し進め、地方は東京に若い人材を吸い上げれた被害者である」という夢物語です。

原理原則を無視した「中央集権=お上(官僚)悪玉」論 

「お上(官僚)が中央集権を推し進めて、地方は東京の高度経済成長の犠牲になった・・・」、「その補償を地方が受け取って何が悪いのか」という話についてどう思いますか?これは東京一極集中の是正の文脈で語られる通説です。

しかし、私はこの話を耳にする度に「良い年してまだオムツついてんのか?」と言って差し上げたくなります。

日本の政治の原理原則は「議会制民主主義」であり、国会議員の過半数による議決で予算と法律を決定します。そして、政令・要綱の類であったとしても、国会議員が本気で目配せしている場合は官僚も滅多なことは出来ません。

つまり、中央集権体制を容認して作り上げた人々は国民の投票で選ばれた国会議員です。そして、その国会議員が全国一律の競争条件を構築して東京の一極集中を推進し、その補償として地方が地方交付税を始めとした巨額の財政移転を受け取る仕組みを作ってきました。これこそが本当の事実なのです。

有名な日本列島改造論も台本は官僚が書いたかもしれませんが、新潟選出のたたき上げ・田中角栄首相がその台本の採用と実行を認めたことは紛れもない事実です。

大半の国会議員は地方から選出されてきたという当たり前の事実を思い出す

過去から現在にかけて、国会議員の大半は都市部ではなく地方から選出されています。東京都などの都市部選出の議員は議員全体の構成数から見れば微々たるものです。

戦後、日本の国会議員は東京に人的資源を集中させるために、全国一律の規制・税率を整備し、東京都と他の地域をほぼ同一条件で競争させるというムリゲーを強いた挙句、結果として生まれた東京の経済成長による果実(税収)を地方に再分配するという政治体制を構築しました。

つまり、地方在住者、そして地方代表である国会議員が地方の民間経済をワザと衰退させてきたのです。そして、自らが暮らす地域の民間経済を衰退させる代償として、都市からの財政移転という何の努力もいらない掴み金を受け取る選択を選んできたのです。

日本の地方は東京と同じ条件で競争することは誰が見ても不可能です。そのため、選挙民が責任ある賢明な人々として振る舞うことで、本来は地方自治体に税率・規制などの権限を大幅に移して創意工夫を持って生き残る道を選択すべきでした。

しかし、実際に繰り返されてきたことは「無用なハコモノ建設によるバラマキ金の受け取り」ばかりという有り様でした。これらを推進してきた自由民主党は資本主義・自由市場を肯定してきた政党なので、そのような政策を推進すれば地方が滅んでいくことは当然に知っていたはずです。

地方再生のために「民主主義」をやり直すことから始めましょう

何度も申し上げますが、国会議員の過半数が同意しない場合、どのような予算も法律も成立することはありません。

全ての不都合な出来事をお上(官僚)が決めたことにした場合、現在の惨憺たる状況を目の前にした鬱屈とした気持ちが軽くなることは分かります。

自分の地方の有り様を他人の責任にして押し付けてしまう、この手の「おとぎ話」は免罪符として良心の呵責に悩む人々に売れることでしょう。しかし、ヒトはいつか夢からは目を覚まさなくてはなりません。いつまでも甘美な他責の世界だけで暮らすわけにはいかないのです。

現在も国会議員の大半は地方から選出されている構造は一緒です。従来からのように東京からの財政移転で過ごして消滅まで時間を稼ぐのか、それとも一時は苦しくても自立の道をもう一度模索するのか、どちらの選択を選ぶかは地方在住者の人々の投票にかかっています。






本記事の内容は所属機関とは関係なく渡瀬個人の見識に基づくものです。取材依頼や講演依頼などはyuya.watase02@gmail.comまでお願いします。


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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)国内政治 
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2015年11月16日

〇〇議員、ティーパーティー(茶会)は景気を悪化させません

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  日本の国会議員と話していると、米国のティーパ―ティー(茶会)に対するヘンテコな誤解が蔓延していることに気が付きます。それはティーパ―ティーが財政再建至上主義であり、景気を悪化させる存在だという誤解です。

ティーパ―ティーを誤解している国会議員たち

一体誰に吹き込まれたのかは不明ですが、我が国の国会議員にはティーパーティーが「小さな政府」=「財政再建」=「景気悪化」という印象操作の図式が刷り込まれている方が多すぎるように感じます。

例えば、私がある国会議員主催の勉強会での講師を務めた際に、参加者の国会議員の一人が「ティーパーティーは財政再建至上主義だから景気回復を求める自分とは違う」と質問の中で発言してきました。

その時は「この人はティーパーティーについてあまり良く知らずに発言しているのだろうな」と聞き流したのですが、他にも国会議員で誤った理解をしている人に、何人も出会うようになって、これは何かおかしいぞと思うようになりました。

ティーパーティーが求めている政策の原則

たしかに、ティーパーティーは「財政規律」を求めています。しかし、ここで注意しなければならないのは、彼らが主張している「財政規律」の文脈は我が国のものとは全く異なるということです。日本における「財政規律」は財務省的による「増税」が必要だという文脈ですが、米国における「財政規律」とは「政府支出カット」と「減税政策」を意味しているのです。

米国のティーパーティーでは政府規模の縮小自体がテーマであり、政府支出カットと減税政策を実行することがセットになっています。日本では財政政策の選択として「増税」と「予算バラマキ」のセットだけのため、「減税」と「政府支出カット」という発想自体が無いことも理解を難しくしているのかもしれません。

つまり、米国のティーパーティーは「財政再建」というよりも「財政縮小」を目指していると理解することが正しいのです。そして、その過程で大規模な減税政策が実行されていくことで、民間の消費と投資が誘発されて景気は回復していくという論理です。

国会議員に誤った理解を吹き込んだのは誰か?を推測する

上記の国会議員の方々は基本的に米国通を自認されている方が多かった印象があります。しかし、残念ながらティーパーティーについて正しく理解しているとは言い難いものでした。そのレベルは米国の民主党員にも劣る理解でしょう。このような誤解が発生する理由は、彼らが米国の共和党穏健派または民主党と付き合いがある研究者のみと付き合っているからだと思います。

彼らは米国のティーパーティーら保守派についてかなり歪曲した世界観を日本に持ち帰ってくる傾向があります。

たしかに、戦後から現在までの対米関係であれば穏健派視点の偏った情報のみが輸入されても日米関係や日本社会に現実的な問題は生じなかったのでしょう。

しかし、米国共和党内で保守派の力が強まっている昨今、仮にも米国通を自認する国会議員が相当のバイアスがかかった状態でいることは、日本の安全保障や社会構想を考える上で大きな問題だと思います。米国保守派とのパイプを整備して最大の同盟国である米国の動向を常に察知することの重要性は日々高まっています。

 


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yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)米国政治 
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