2015年11月01日

国民負担率の真実、日本はドイツ・スウェーデンとほぼ一緒

国民負担率(平成26年度)

日本政府の政府規模は「欧州と比べて小さい」のか?

日本は欧米と比べると小さな政府である、という出鱈目が跋扈しすぎています。特に社民主義者たちは好んでこのフレーズを使うが嘘も良いところです。

国民負担率(財務省・平成26年度)
https://www.mof.go.jp/…/fisca…/basic_data/201402/sy2602p.pdf

日本政府が小さな政府であるという主張は、GNPベースで租税負担率と社会保障負担率だけでを足した数字を根拠にしています。

欧州との差が大きくなるGNP表記という数字のマジック 

しかし、国民負担率をGNPで測定することは計算式に無理があります。上記のグラフを見れば分かりますが、日本と欧州諸国のGNPベースの数字はGDPベースの数字よりも大きいです。

これはGNPベースでは本来分母に加えられるべき国内に存在しているはずの間接税を取り除いた数字を計算式の分母としているからです。しかし、間接税も国内に存在していることを確かなので、本来は分母に間接税分を加えるべきものです。

財務省は意図的にGNPを採用することで間接税を分母から取り除いて日本の政府規模を相対的に小さく見せています。具体的には、同じ税収であったとしても、間接税の割合が大きい国は国民負担率が大きく表示されるバイアスがかかる、ということになります。

一方、OECD諸国などの先進国では政府の大きさを比較するときはGDPで比較することが常識なのです。

そして、政府の大きさは財政赤字まで含めた政府規模を測定することが妥当であることから、この公表されている財務省の数字では、最も小さな文字で表示されているGDPベースの潜在的国民負担率が正しい比較となります。

日本の政府の大きさはドイツやスウェーデンとほとんど変わらない

では、それでGDPベースで潜在的国民負担率の数字を見てみると、

米国33.5%、日本38.4%、ドイツ40.3%、スウェーデン42%、イギリス44.6%、フランス51.4%

ということになります。社民主義者が礼賛するドイツやスウェーデンとの政府規模の差は1.7%~3.1%しかありません。つまりほとんど一緒だということです。政府の財源を税金で賄っているのか国債で賄っているのか、という手法の違いで政府規模に差はありません。

「日本は欧州と比べて小さな政府」とかいう人は有識者ではありませんし、普通の人なら財務省に騙されている人なので真実を知らせてあげてほしいです。

増税が国を滅ぼす
アーサー・B・ラッファー
日経BP社
2009-07-16




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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)小さな政府 
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2015年10月31日

駒崎弘樹氏と乙武洋匡氏に欠落した納税者視点

マネキン

最近、読んだ記事で非常に気になったものについてコメントしたいと思います。

自分が違和感を持った記事について(駒崎弘樹氏・乙武洋匡氏)

それは下記の2つの記事についてです。

①「ひとり親の貧困が問題だ」→「貧困じゃない人もいる。失礼だ」という論法の生み出すもの(駒崎弘樹氏)
 http://www.komazaki.net/activity/2015/10/004715.html

②駒崎弘樹さんが炎上している(乙武洋匡氏)
 http://blogos.com/article/142000/

 これらの記事は「ひとり親世帯に支給される「児童扶養手当」の増額を求めるネット署名のキャンペーン」についての呼びかけに対し、常見洋平さんが表現について異論を述べたことが発端となって書かれた記事です。

駒崎弘樹氏の主張は「税金」を使う提案なので批判があって当たり前


この話についてネット上では様々な議論があるのですが、乙武さんの記事のような「何が問題なのか」というピンとがずれた感想が溢れていることが残念です。

駒崎さんがやろうとしていることは「税金を使った『児童扶養手当』という手法」を使った貧困支援です。つまり、駒崎さんの私財を使ったものではなく、税金という公共の財産の使途に関する提案ということになります。

そのため、駒崎さんの主張は目的・方法・表現などについて、多くの人から様々な異論が寄せられて当然です。

しかし、駒崎さんはそれらの異論を「不毛」と切り捨てているわけです。「自分が正しいと感じることに関しては税金を使って当然だ」という意識がモロに出ています。税金は公共の財産であって、税金の使途について意見を述べるならば批判を受け入れることも重要です。

駒崎さんが反論で述べたことは、自らの持論に対する異論を「不毛」として言論封殺しようとしたことは「識者の驕り」以外の何物でもありません。

税金に巣食う人々のジャイアニズムの精神

駒崎さんの主張は「税金で生活してきた」人たちに見られる、「俺が正しいと思う税金の使い方は社会的にも正しい使い方」だから「反対する連中は黙っていろ」というジャイアニズムの論理構成が見て取れます。

長い間、行政の補助金などで事業を行っていると、「税金は自分の意見に反対する人が支払ったものである」という基本を見失うものです。

乙武さんは「駒崎さんが人柱としてわざと炎上させた」と言って擁護していますが、乙武さんが友達として擁護している駒崎氏の主張は単なる驕りによる言論封殺であって、一人親支援の是非やそのための署名キャンペーンなどではないということを自覚すべきです。不毛な議論として対立意見が言えない環境を作り、数の力で物事を実現しようとすることは明らかな間違いです。

駒崎さんの発言はタックスイーターの納税者無視の驕りが問題となった事例として処理されるべきです。税金には必ず「納税している他者が存在している」という意識を取り戻してほしいと思います。











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日本でウケない小さな政府運動が米国で大衆化したワケ

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メディアや専門家のティーパーティー運動の表層的な解説への違和感

 

最初に断っておきますが、自分は米国政治を研究する学者ではありません。

 

自分は米国保守派と足並みを合わせた小さな政府を求めるアクティビストであり、現地の人々との会話や体験を基にして議論を展開しています。そのため、権威を重んじる専門の学者の皆さんとは意見が合わないことも良くあります。

 

2009年に「ティーパーティー」が米国で発足して以来、私は東京ティーパーティーという団体を立ち上げ、米国のパートナーたちとの間で交流を重ね、彼らの思考・活動内容について学びを深めてきました。その中で、外国人であるからこそ米国のティーパーティーの特徴について深く理解できたことがあります。

 

米国のティーパーティー運動日本の報道で取り上げられるときは、強硬な歳出削減を求める原理主義的な政治集団としてのみの側面が強調されることが多い傾向にあります。しかし、それらのメディアや専門家の解説はティーパーティー運動の表層的な一面を取り上げた分析に過ぎません。

 

ティーパーティー運動の本質はナショナリズムとスモールガバメントの融合

 

20092010年当時、全国規模の拡がりを見せていたTea Party Patriotsの幹部や全米各地のティーパーティー系団体の主催者達にヒアリングしたとき、彼らの日常的な活動に「合衆国憲法」や「独立宣言」を読むという行為が入っていることに気が付きました。

 

さらに、ティーパーティーを含めた保守派の集会に参加すると、彼らは「私たちは米国人です。だから、小さな政府を求めているのです。」という論理構造の演説を行っている姿を目にします。

 

これらが意味していることはティーパーティー運動とはナショナリズムと「小さな政府」論の一体化した政治運動であるということです。そして、これこそ米国において小さな政府を求める運動が国民一般に大衆化できた理由です。

 

単なる歳出削減を求める運動であったならば「小さな政府運動(Small Government Movement」という名称になっているべきでしょう。しかし、彼らは国の起源となるボストンティーパーティー事件(Boston Tea Party)という歴史的な事件が運動の名称とすることを意図的に選択しました。

 

ティーパーティー運動はナショナリズム(米国人としてのアイデンティティー)という国民共通の軸を持つことで、小さな政府を求める運動の大衆化という困難な試みを可能としているのです。

 

日本にもナショナルヒストリーとして小さな政府を求める歴史の再構築が必要

 

一方、日本において小さな政府を求める声はナショナリズムという軸を欠いています。むしろ、日本におけるナショナリズムは大きな政府と一体化しており、財政出動、規制強化、排外主義的歴史観の結合という、全体主義的な傾向を示しています。

 

日本に小さな政府を求める大衆運動を起こしていくために必要なものは、自由民権運動などの小さな政府を求めるナショナルヒストリーを日本史の重要な要素として再構成することです。

 

そして、これこそが、現在の日本に蔓延する無責任な万年野党体質の政党を地上から消滅させ、責任ある二大政党の一角としての政党を育成できるたった一つの冴えたやり方なのです。

 

反対のための反対、選挙のための野合、それらは自らの歴史観の欠落・受け身の姿勢から生まれるものだからです。骨太の政党を創るためには政党としての独自の歴史観を持つ必要があります。





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yuyawatase at 12:00|PermalinkComments(0)米国政治 | 小さな政府
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