2015年11月03日

待機児童増加の犯人は事業者の資本力が足りないこと

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「待機児童増加の、意外な犯人は」(駒崎弘樹氏)
http://blogos.com/article/141651/

という記事を読みました。駒崎氏の主張に対する感想は「しっかりとした企業体の参入」が必要だということです。

民間の経営感覚から見た違和感

 駒崎氏は記事の中で、待機児童増加している原因は「役所が保育園のための初期の補助金を創らないからだ」と述べており、地方自治体や厚生労働省などへの制度設計を求めています。しかし、本当にそうでしょうか?

仮に、駒崎氏が述べているように「投資から回収までの期間が1年半」かかるとしたら、経営の当たり前の感覚としてそれに見合うだけの資金調達を実施するだけのことです。実際、普通の民間事業であっても回収までに1年半かかる事業なんてザラだと思います。

むしろ、回収見込みまで運営補助で見通せているのに「資金調達を実施することができない」と仮定することは?と思います。資金調達という経営の手腕の根幹に関わる話を「行政の補助金が無いことに責任転換」することは話の筋が明らかに違います。

本当の問題は事業者の資本力の問題ではないか

確実に儲かる可能性が高い事業であるにもかかわらず、初期資金が用意できないために参入できない、それによって待機児童が解消できない、という駒崎氏の主張の通りであれば、「資本力を持った事業体が参入すれば良い」というだけのことです。

むしろ、素人考えでは初期の補助金が無いと保育園を運営できないような主体に経営を担わせることは危険ではないか、とさえ思います。良いサービスを提供しようと思えば、資金繰りはカツカツの状況ではなく、多少の余裕を持って回す必要があるからです。

本当に重要なことは、資本力が足りない事業者が参入しやすい制度ではなく、資本力の潤沢な事業者が参入しやすい環境を整備することです。

資本力を有する事業者の参加に「価格の自由化」は不可欠

資本力を有する事業者が魅力を感じて参加するためには「価格の自由化」は必要不可欠です。価格が自由化されることを通じて、強力な資本力を持つ事業者が大量に参加すれば待機児童問題は一気に解決します。

待機児童数が多い相対的に保育料が上昇している地域には、新たに事業者が参入することを通じて価格競争が生じることになります。自由価格であったとしても競争が存在している限り価格は妥当なラインに収斂します。

むしろ、社会福祉法人に関する規制、保育士に関する規制、施設に関する規制などの規制緩和を推進するとともに、経営状況が第三者からも分かるように徹底した情報公開を義務付ける方向で改革するべきです。

社会主義者の言論が社会の発展を遅らせているということ

駒崎氏の記事の中では区役所の担当者の答弁を社会主義として切り捨てていますが、同じ問題を補助金があれば解決できると主張する姿は単なる社会主義者同士の近親憎悪でしかないと思います。自分に言わせればどちらも社会主義者ですが、それをうまく自由主義的に見えるよう化粧できているか否かというだけのことです。

現代社会においては福祉国家病が蔓延しており、あらゆる人々が政府予算にたかるようになったため、昔のように「補助金を寄こせ」と騒げば無限に予算が出てきた環境ではありません。まして、高齢者の影響が強い超高齢化社会において、それ以外のアクターに対する補助金設定をソリューションとして提示することに疑問を覚えます。

現在のような人口構造・財政構造の下では、若者や乳幼児に関する施策は自由化を進めて民間資本の力で実現していくやり方について知恵を絞る必要があります。高齢者と同じ土俵で予算の分捕り合いで競合することは生産的なことだと思えません。徒に子育て関連の補助金を求めることは物事の根本的な解決を遅らせることになるのではないでしょうか。






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2015年11月02日

ハロウィン掃除費用はドンキホーテが負担するべきか?


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「ハロウィン翌朝、渋谷を掃除した人たち まだ日本も捨てたもんじゃない?」
http://www.j-cast.com/2014/11/02219880.html

という記事が出ていました。ハロウィンの喧騒が終わった朝、主要都市部はゴミだらけなわけです。あれだけ多くの人が集まれば大量のゴミが発生し、それらのゴミが通常のゴミ箱で収集しきれないことは当然です。

政府の規制を求める声が出てきたハロウィン

ゴミ掃除を行うボランティアの人々に依存してハロウィンの後始末が成り立っている現状はかなり不健全な状況です。このような状況が度重なることで無用な規制などの議論が生まれる可能性があります。

「渋谷ハロウィンで遂に逮捕者:エアガンで警察官を殴打し公務執行妨害で逮捕、来年は規制を望む声も」
http://ringosya.jp/trend-halloween-shibuya-taiho-12174

人間が集まればゴミも出るし、無法者も現れる、それは必然的なことと言えるでしょう。ただし、そのために社会的な規制が進むことは好ましいことではありません。

大規模商業化したハロウィンの経済効果

ハロウィンの経済効果は1000億円を超える規模にまで膨らんできています。

「日本人の秋祭り好きにはまったハロウィン バレンタイン越え市場の次はどうなる」
http://diamond.jp/articles/-/61437

最初の商業規模が小さい頃はボランティアベースのゴミ拾いでも良いと思いますが、現在は大規模なビジネスとして商売が成立してきているのだから、ハロウィンによって経済的なメリットを受ける存在が「最低限のこととしてゴミ掃除の費用を担うべき」です。

ドンキホーテなどのハロウィンビジネス企業にとってのチャンス

たとえば、ドンキホーテなどは明らかに便乗商売花盛りの状況になっています。

「ハロウィン仮装・コスプレ通販【ドンキハロウィンショップ】」
http://www.donkimall.com/shop/user_data/halloween.php

現在、今年の渋谷のゴミの街化した惨状を受けて、ドンキホーテが売り上げの一部を清掃ボランティアの方々に自発的に回す対応を行うことで、自社のブランドイメージを引き上げることができます。

企業の広報担当者は「ゴミ掃除への寄付競争は誰が最初に寄付金の申し出を行うか」というレースが発生しているという認識を持つべきだと思います。これはドンキホーテだけでなくハロウィンで儲かった企業全てに当てはまることです。まともなCSR意識と広報マインドがあるなら、ハロウィンのゴミ掃除は企業ブランドを向上するために毎年起きる「非常に美味しい」イベントに見えなければおかしいです。

そのような動きが無ければ行政によってハロウィンの集合イベントは徐々に規制されていくことになり、マーケット規模の成長自体が止まることになるでしょう。それは多くの人が望まない結果なのではないでしょうか。

ハロウィンへの参加者だけでなくそこで儲けている人も含めて自由には責任が伴うのです。政府に言われる前から率先して動ける企業が増えていくことで社会が良くなっていくと思います。

ハロウィーンの文化誌
リサ モートン
原書房
2014-08-21




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yuyawatase at 21:05|PermalinkComments(0)社会問題 
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今、何故「自由民権運動」が重要なのか

自由民権塾

日本の真の政権与党は「官党」である

日本には大きく分けて3つの党派が存在しています。それは、与党、野党、そして「官党」です。与党とは選挙で過半数を制した政党のこと、現在で言えば自民党・公明党のことです。野党とはその他の政党の事です。

しかし、日本にはもう一つ「官党」が存在しています。彼らは、常に政権、つまり権力機構の側に存在しています。民衆による選挙とは別に存在し、選挙を勝ち抜いた与党を取り込み権力を保持してきた存在、それが官党(霞が関)です。

日本の近代史は「官党と民党の闘い」の歴史である

日本の近代史とは「官党」に対する「民党」の戦いです。そもそも歴史的に「国会」は民衆が「官党」と戦うために創り上げた仕組みです。

明治初期の官僚による増税・規制に対し、民衆は権力である官党に対抗する力を欲しました。そして、官党に対抗する勢力が結集して生まれた勢力、つまり「民党」が「国会」を形成したのです。

民党は官党に対峙して選挙で過半数を得た与党として戦いましたが、次第に権力を握る官党の力の前に屈服することを余儀なくされました。分断、買収、疑獄、暗殺、様々な手段を通じて、戦前の民党は崩壊したのです。

今、私たちが知ることは、選挙で選んだ「民党」ではなく、この国の与党は「官党」だということ。そして、現行の政権与党である自・公は「官党」の連立与党として存在し、私たちに増税・規制強化を迫っているということです。

毎年増大を続ける政府予算は社会における官党の力の増大を意味しており、民衆の相対的な力の後退を意味しています。

 民党の復活のために「自由民権運動」の歴史観を再興すべき

本来は、自民も民主も維新も共産も無く、官党に対して「民党」たる選挙で選ばれた政党が民衆の与党として存在することが必要です。英国などで確立されている当たり前のこと、民党の官党への優位、という体制を確立するのことこそ、何にも先立ってまず実現する必要があります。

そして、民党が勝利を手にするためには、利権などの甘い誘惑に屈さない強い信念を民衆が取り戻すことが重要です。そのためには、私たちは私たち民衆の歩み、つまり歴史を取り戻して誇りを回復することが求められます。

現在、日本の学校では「自由民権運動」は歴史の教科書のほんの一幕として取り上げられるだけに過ぎません。しかも、官党の歴史観の影響から矮小化された形で記載されており、「民撰議院設立建白書」のような歴史的な文書でさえ、私が文語調のものを翻訳し、現代語訳するまで存在していませんでした。

しかし、私たちにとって「民衆」の戦いである、自由民権運動は日本国民である自覚、その誇りに直結する大切な歴史です。

日本国民は、未完に終わったトルコを除いて、アジアで初の本格的な立憲国家を樹立して国会を開いた、アジアの自由と民主主義の灯台となるべき国家です。

私たちがその歴史を見直すことで力による圧制を強める中国やいまだ暴政が蔓延る北朝鮮に対し、自由と民主主義を守るアジアの盟主たる正統性を主張することができるのです。

議員と国民に一人でも多くの自由民権運動への理解者を増やすべき

現在のバラバラになった野党の有り様は、昭和維新の際に崩壊していく自由主義・民主主義の過程そのものです。議会制民主主義の力を信じることなくデモなどの大衆運動によって世論を動かそうとする風潮もまさに当時の日本に酷似した状況になってきたと感じています。

そのような時代であるからこそ、政治への不信、官党による政権の独占時代であるからこそ、党派の別を越えて、自由民権運動の歴史観を標榜する政治家と有権者が必要です。どこの政党が良いとか悪いとかはどうでも良く、現在は一人でも議会制民主主義の意義と歴史を大切にすることこそ重要です。
 

政官攻防史 (文春新書)
金子 仁洋
文藝春秋
1999-02




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