2015年11月18日

地方交付税を廃止して首都圏3500万人の生活向上を実現せよ


日本地図

地方交付税は損切りできないFX投資のようなもの

平成27年度の普通地方交付税の総額は15兆7495億円、約4兆円の臨時財政対策債(あとで地方交付税で補てんするという名目の地方自治体の借金)が 計上されています。

つまり、1年間で約20兆円のお金が地方交付税に投入されており、東京都を中心とした都市部から巻き上げた税金が地方に突っ込まれています。しかし、大半の地方は地方交付税や国庫支出金を食い潰しているだけであり、経済成長はおろか自立の意志さえ全く見せていません。

世界的な競争力を誇る東京都がこれらの地方交付税負担の大半を支出することになっています。当然、東京都は地方交付税として一円も払い戻されていないため、世界における地位は没落の一方であり、必然的に日本全体の経済的・社会的な地位も凋落傾向にあります。

最近、日本の一人当たりGDPは台湾に抜かれてしまい、韓国にすら追いつかれる状況になっています。中国の沿岸部の一般的な富裕層らから見れば普通の日本家庭は大した所得を稼いでいない家庭です。

日本のGDPは、東京の一人当たりGDPが地方の約2倍程度、その他相対的に一人当たりGDPが高い愛知、静岡、滋賀などの東海道経済が日本を支えています。残りの地域は官製経済の色彩が強く、県によっては県内支出の40%以上が公的支出が占めて半社会主義化し、民間経済のGDPへの寄与が極めて少ない地域も存在しています。

補助金漬けでグダグダの自立の意志を失った経済圏に追加で税金を投入することは無駄です。このような状況で地方交付税や国庫支出金などを通じて、上記以外の地域への投資を続けることはFXで損切りできないダメなプレーヤー、または回復の見込みがない赤字事業を切れない経営者みたいなものです。当ブログでは地方交付税の廃止、臨時財政対策債の即発行停止を提言します。

世界は大都市中心の競争体制へのシフトが明確になっている

日本の経済発展は世界最大の都市圏である首都圏の圧倒的な人口競争力から生まれたものです。人口を集中させることを通じて、余分なインフラコストを支出することなく効率的に産業資本・労働資本・知的資本を集約することに成功しました。

都市圏規模のランキングを発表しているDemographia World Urban Areas & Population Projectionsによると、日本の首都圏は断トツで世界一位であり、日本の経済が東京を中心とした都市集中型の経済によって支えられていることが分かります。

世界全体を見渡した場合、世界の都市人口は1950年代は30%未満でしたが、現在は50%に上昇しており、2030年には世界人口84億人のうち60%・約49億人が都市に住むようになります。現在、1000万人以上の巨大都市は34か所ですが、今後経済発展を続ける新興国で増え続ける傾向があります。

既に世界は大都市による熾烈な経済競争に突入しているにも関わらず、日本では冷戦時代の寝ぼけた先進国的余裕が蔓延しており、タコが自分の足を食べているような経済運営を行っています。現状のままではアフリカの都市にすら東京が敗ける日が来るかもしれません。

高度経済成長に突入する首都圏3500万人、全人口過半数を超える太平洋都市圏の勃興

地方交付税を廃止して、東京を中心とした首都圏に投入した場合、首都圏の生活環境は一気に改善します。

首都圏を中心とした大規模な減税政策の実行を通じて、所得税・法人税・消費税の減税を実現することで、首都圏経済は大活況を取り戻すことになります。雇用や給料が改善するとともに、住宅・インフラ・環境全てが世界No1の姿を創り出すことが出来るでしょう。

首都圏への集中投下を想定した場合、都市部だけに依怙贔屓している印象を受けますが、既に首都圏住民は約3500万人程度が居住しており、日本の人口の約30%が多大なメリットを享受します。同地域に居住している人々は高度経済成長を再び経験することになるでしょう。

改革プロセスの中で主要な太平洋隣接都市圏の自立経済も確立されることを通じて、日本の経済力は再び世界を席巻するレベルにまで回復することになることは明らかです。政治は未来への投資であり、過去の保存のためのものではありません。

日本の都市化は戦後の高度経済成長期を通じて世界有数の段階まで進展しました。もはや国全体の政策として更なる都市化を止める政策を実行することは全くの無駄です。政府は日本の人口の約30%(太平洋隣接の主要都市圏だけで50%)の人々への不当な経済統制を即刻停止するべきです。

東京を中心とした首都圏、愛知を中心とした東海圏、大阪を中心とした近畿圏に分かれて世界的な都市間競争に勝ち抜く体制を整備することが重要です。

首都圏人口5000万人、世界最大のメガシティーとして君臨する東京経済圏へ

更にいうと、政府が地方交付税や国庫支出金などの強制的な財源移転を実行しなかった場合、地方から都市への流入人口が増加し、首都圏人口が5000万人程度にまで膨れ上がる可能性もあります。

ほぼ日本の過半数の人口が本来であれば首都圏に集住してもおかしくない状態であり、首都圏の生活環境の向上=日本国民の過半数の生活環境の向上、という図式が成立することになります。そのため、民主主義の投票原理の上でも合理性はある話です。(まず、早急に一票の格差問題を是正すべきです。)

ただし、地方への財政移転による人口の地方張り付け政策を維持した場合、今後しばらくは首都圏に増加する人口は海外からの優秀な移民ということになるでしょう。その段階になって地方から首都圏に引っ越しを検討しても後の祭りとなり、地方からの流入層が首都圏で主要な経済的ポジションを得ることは困難となります。(もちろん、優秀な移民が来なければ、その前に首都圏とともに日本全体も没落します。)

以上のように、世界的な大都市間の競争が熾烈化する中で、日本は損切りと再投資を実行することが必要です。自分は政府から一切お金を頂いていないため、〇〇総研や地方〇〇士のようなポジショントーカーとは主張することが異なります。そのため、今後日本に起こすべき真の改革について容赦なく提言できます。

この内容に耳を傾けなければ日本全体が没落し、首都圏に集中投下する場合は日本の生き残りに向けた道が開かれることになるでしょう。





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yuyawatase at 21:00|PermalinkComments(0)国内政治 | 小さな政府
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切捨御免!長谷川豊さん、FBの仏国旗化を理解できない人へ

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仏国旗のFBペイント化を巡る稚拙な言論が溢れています

フランスで起きたテロに関して、仏国旗のFBペイント化について日本国内で様々な議論が起きています。しかし、有識者とされる人々の議論のレベルの稚拙さに閉口しています。 特に「笑顔の写真にフランス国旗をかぶせることが不謹慎か否か?」という、田舎の町内会レベルの議論が堂々とまかり通っていることには引いてしまいます。

たとえば、Facebookのプロフィール写真をペイントしている偽善者たちに捧げる4つの視点(長谷川豊さん)など、は大学の基礎教養から学び直すことをお勧めしたいものです。メディアで影響力がある人々にはもう少し自覚をもってほしいものです。今回はFBトリコロール(仏国旗化)への稚拙な意見を切捨御免させて頂きます。

物理的な現象としてしか「死」や「事件」を理解できない人々

テロ発生後、「レバノンでもテロ被害者がいる」「エジプトでも航空機テロがあった」「フランスの空爆もテロだ」などという様々な意見が飛び交い、FB写真にフランス国旗をかぶせることを揶揄する人々が現われました。

心情としては分からないでもない話ですが、教養がない人々の戯言だと思います。もしくは、「テロが何のために行われているのか」を理解していないと言い換えても良いです。

無理解の原因は「物理現象としてしか『死』や『事件』を理解できないこと」に起因しています。

「どの場所で何名の人が亡くなったか」という物理的な話と「発生した『死』や『事件』にどのような意味があるのか」ということは、たとえ同じ事象を指していたとしても全く異なるものです。

そして、今回の件でFB写真のトリコロール化について、上記の理由で反対している人は両者の区別がついていないか、または後者の『死』や『事件』の意味を理解できていない人ということになります。

テロリストが狙っている標的は「文明」という形而上のシステムである

テロリストが狙っている標的は、「西欧文明」、つまり自由主義・民主主義に基礎を置いた近代文明そのものです。西欧文明の価値観を象徴する場所として「フランス」・「パリ」は重要な意味を持ちます。

そのフランス・パリで起きた事件に対して反応することは、自由主義・民主主義側の文明に属している現代日本人が反応することは至極当然です。

なぜなら、今回のテロはテロリストと西側文明に属する人々の価値観を巡る戦いの延長線上に位置するものであり、何よりも「自らの価値観を表明する」ことが政治的・社会的な意味を持つからです。

自らが属している文明の価値観を守る意思表明が「仏国旗化」であり、テロリストが壊そうとした文明が崩れていないことを示す意味があるのです。

FB写真を単純にお悔やみの意味で仏国旗化した人も多いかもしれませんが、仏国旗化する行為には優れて政治的・社会的なメッセージであることを知るべきでしょう。ネット上の自由な言論空間の中で育ってきたFBがフランス国旗化を利用者に進めることは必然的なことなのです。

従って、フランス・パリのテロ以外で反応しないことも理にかなった話であり、それらを無意味な行為と揶揄する人は「テロリストが何と戦っているのか」という本質を掴んでいない政治的な感性が鈍い」人です。
 
目の前で起きていることの意味を解釈しようとする矜持

「〇〇で何人が亡くなりました」という情報を並べて相対化する人は、西欧文明に属する人々とテロリストの対立構造を全く理解できていないということになります。

つまり、自らの認識が何らかの文明と接続されておらず、毎日を飯を食って死ぬだけで過ごしているということです。もちろん、人生は自由なのでそれでも構わないですし、上記の形而上の理解を経た上で自分は仏国旗にはしない、という信念を持って批判される人も問題ありません。

いずれにせよ、文字や言葉を仕事にする人々にはもう少し「教養」を持ってほしいものです。目の前の事象の垂れ流しや感情論ではなく、事象に対する意味解釈を行う矜持を持った人材が望まれます。子どもではないのだから。





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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)社会問題 
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大人の教科書(2)「市場原理と拝金主義の違い」が分かりますか?

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巷のインテリ学者たちによって市場原理は拝金主義だと批判されています。しかし、このような論理の飛躍は実際に自分でビジネスをやったことが無い人々による勘違いから生まれるものです。そして、自らの手によるビジネス経験があれば市場原理と拝金主義の違いは実感を持って感じられます。

お金が継続的に儲かる=市場原理のプロセスとはどのようなものか

お金が継続的に儲かる状況になるために最も重要な要素は「信用」です。あの人に仕事を任せても大丈夫いう信用の積み重ねが継続的な売上・収入に繋がる源になります。

そして、ある人物や企業に対する「信用」はその人や企業の「慣習」や「風土」から生まれます。つまり、確かなサービスを適切な価格でタイムリーに提供することを常態化する必要があります。

市場原理とは、このお金が継続的に儲かるプロセス(①慣習・風土⇒②信用⇒③売上・収入)を意味しています。これは商いに従事したことがある人なら当たり前に理解できるプロセスです。このプロセスが回転していくことによって商売繁盛・社会繁栄がもたらされます。

市場原理と拝金主義の違いとは何か

市場原理と拝金主義の違いは上記のプロセスが回転するか否かの違いです。

拝金主義は、①慣習・風土⇒②信用⇒③売上・収入のうち、③売上・収入のみを重視する考え方や手法を採用することを指します。当然に、①慣習・風土と②信用を欠いたビジネスは継続性がなく一過性のビジネスということになります。

つまり、市場原理が継続的に発展するプロセスであるのに対し、拝金主義は市場原理のプロセスを断ち切る対極的なものであることが理解できます。

ちなみに、誰しもが弱い心を持っていますので、事業主であればこのような拝金主義のプロセスに陥った場合の苦い失敗の経験を持っているものです。そのため、市場原理と拝金主義が異なるモノであることは経験上理解しています。

市場原理とは極めて社会的な信用を重視したプロセスであり、社会的な信用を失った人や企業は市場原理の中では存続できません。

政府の政策は拝金主義にならざるを得ない

政府が実施する政策は、上記の市場原理のプロセスである、①慣習・風土⇒②信用⇒③売上・収入のうち、①慣習・風土と②信用に関係なく、政府が設定した特定の条件を持った人々に③売上・収入を与えるものです。

お金を支払う人と受け取る人の間に、信用を創造する機会は存在せず、政府という組織を仲介して所得移転・資源配分などの分配行為が実行されることになります。

政府の予算配分は政府に対する利益団体の交渉によって決定されるため、税金を支払った人が望むような使い方がされるかは保証されず、受け取る側も税金を支払った人の意向を軽視して補助金や助成金を受け取るために奔走します。

まさに、政府による分配行為による拝金主義であり、社会における信用を媒介とした市場原理とは対極にあるものということになります。

市場原理批判は市場原理を経験したことがない拝金主義者の見解

上記のように市場原理と拝金主義は全く異なるものであり、市場原理批判をしながら政府による拝金主義的な政策を推進する有識者っぽい方々が多すぎることに辟易します。

大学の先生や労働組合などの、まともに「市場」で働いたことが無く、なおかつ客観的に仕事が継続的に成り立つための条件すら想定できない拝金主義者が市場原理批判を行っているだけではないかと。

事業で成功して金持ちになるということは、市場原理に従って「自分や組織を律し、社会的信用を積み重ねて」ようやく到達できる境地なのです。そして、その過程で多くの人に社会的な利益がもたらされているのです。

市場とは何か、そこで何が行われているのか、ということについて学び、市場原理と拝金主義がどのように違うのかについて再度学んでほしいと思います。

アダム・スミス
岩波書店
1995-07




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