2015年11月18日

切捨御免!長谷川豊さん、FBの仏国旗化を理解できない人へ

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仏国旗のFBペイント化を巡る稚拙な言論が溢れています

フランスで起きたテロに関して、仏国旗のFBペイント化について日本国内で様々な議論が起きています。しかし、有識者とされる人々の議論のレベルの稚拙さに閉口しています。 特に「笑顔の写真にフランス国旗をかぶせることが不謹慎か否か?」という、田舎の町内会レベルの議論が堂々とまかり通っていることには引いてしまいます。

たとえば、Facebookのプロフィール写真をペイントしている偽善者たちに捧げる4つの視点(長谷川豊さん)など、は大学の基礎教養から学び直すことをお勧めしたいものです。メディアで影響力がある人々にはもう少し自覚をもってほしいものです。今回はFBトリコロール(仏国旗化)への稚拙な意見を切捨御免させて頂きます。

物理的な現象としてしか「死」や「事件」を理解できない人々

テロ発生後、「レバノンでもテロ被害者がいる」「エジプトでも航空機テロがあった」「フランスの空爆もテロだ」などという様々な意見が飛び交い、FB写真にフランス国旗をかぶせることを揶揄する人々が現われました。

心情としては分からないでもない話ですが、教養がない人々の戯言だと思います。もしくは、「テロが何のために行われているのか」を理解していないと言い換えても良いです。

無理解の原因は「物理現象としてしか『死』や『事件』を理解できないこと」に起因しています。

「どの場所で何名の人が亡くなったか」という物理的な話と「発生した『死』や『事件』にどのような意味があるのか」ということは、たとえ同じ事象を指していたとしても全く異なるものです。

そして、今回の件でFB写真のトリコロール化について、上記の理由で反対している人は両者の区別がついていないか、または後者の『死』や『事件』の意味を理解できていない人ということになります。

テロリストが狙っている標的は「文明」という形而上のシステムである

テロリストが狙っている標的は、「西欧文明」、つまり自由主義・民主主義に基礎を置いた近代文明そのものです。西欧文明の価値観を象徴する場所として「フランス」・「パリ」は重要な意味を持ちます。

そのフランス・パリで起きた事件に対して反応することは、自由主義・民主主義側の文明に属している現代日本人が反応することは至極当然です。

なぜなら、今回のテロはテロリストと西側文明に属する人々の価値観を巡る戦いの延長線上に位置するものであり、何よりも「自らの価値観を表明する」ことが政治的・社会的な意味を持つからです。

自らが属している文明の価値観を守る意思表明が「仏国旗化」であり、テロリストが壊そうとした文明が崩れていないことを示す意味があるのです。

FB写真を単純にお悔やみの意味で仏国旗化した人も多いかもしれませんが、仏国旗化する行為には優れて政治的・社会的なメッセージであることを知るべきでしょう。ネット上の自由な言論空間の中で育ってきたFBがフランス国旗化を利用者に進めることは必然的なことなのです。

従って、フランス・パリのテロ以外で反応しないことも理にかなった話であり、それらを無意味な行為と揶揄する人は「テロリストが何と戦っているのか」という本質を掴んでいない政治的な感性が鈍い」人です。
 
目の前で起きていることの意味を解釈しようとする矜持

「〇〇で何人が亡くなりました」という情報を並べて相対化する人は、西欧文明に属する人々とテロリストの対立構造を全く理解できていないということになります。

つまり、自らの認識が何らかの文明と接続されておらず、毎日を飯を食って死ぬだけで過ごしているということです。もちろん、人生は自由なのでそれでも構わないですし、上記の形而上の理解を経た上で自分は仏国旗にはしない、という信念を持って批判される人も問題ありません。

いずれにせよ、文字や言葉を仕事にする人々にはもう少し「教養」を持ってほしいものです。目の前の事象の垂れ流しや感情論ではなく、事象に対する意味解釈を行う矜持を持った人材が望まれます。子どもではないのだから。





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yuyawatase at 17:00|PermalinkComments(0)社会問題 
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大人の教科書(2)「市場原理と拝金主義の違い」が分かりますか?

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巷のインテリ学者たちによって市場原理は拝金主義だと批判されています。しかし、このような論理の飛躍は実際に自分でビジネスをやったことが無い人々による勘違いから生まれるものです。そして、自らの手によるビジネス経験があれば市場原理と拝金主義の違いは実感を持って感じられます。

お金が継続的に儲かる=市場原理のプロセスとはどのようなものか

お金が継続的に儲かる状況になるために最も重要な要素は「信用」です。あの人に仕事を任せても大丈夫いう信用の積み重ねが継続的な売上・収入に繋がる源になります。

そして、ある人物や企業に対する「信用」はその人や企業の「慣習」や「風土」から生まれます。つまり、確かなサービスを適切な価格でタイムリーに提供することを常態化する必要があります。

市場原理とは、このお金が継続的に儲かるプロセス(①慣習・風土⇒②信用⇒③売上・収入)を意味しています。これは商いに従事したことがある人なら当たり前に理解できるプロセスです。このプロセスが回転していくことによって商売繁盛・社会繁栄がもたらされます。

市場原理と拝金主義の違いとは何か

市場原理と拝金主義の違いは上記のプロセスが回転するか否かの違いです。

拝金主義は、①慣習・風土⇒②信用⇒③売上・収入のうち、③売上・収入のみを重視する考え方や手法を採用することを指します。当然に、①慣習・風土と②信用を欠いたビジネスは継続性がなく一過性のビジネスということになります。

つまり、市場原理が継続的に発展するプロセスであるのに対し、拝金主義は市場原理のプロセスを断ち切る対極的なものであることが理解できます。

ちなみに、誰しもが弱い心を持っていますので、事業主であればこのような拝金主義のプロセスに陥った場合の苦い失敗の経験を持っているものです。そのため、市場原理と拝金主義が異なるモノであることは経験上理解しています。

市場原理とは極めて社会的な信用を重視したプロセスであり、社会的な信用を失った人や企業は市場原理の中では存続できません。

政府の政策は拝金主義にならざるを得ない

政府が実施する政策は、上記の市場原理のプロセスである、①慣習・風土⇒②信用⇒③売上・収入のうち、①慣習・風土と②信用に関係なく、政府が設定した特定の条件を持った人々に③売上・収入を与えるものです。

お金を支払う人と受け取る人の間に、信用を創造する機会は存在せず、政府という組織を仲介して所得移転・資源配分などの分配行為が実行されることになります。

政府の予算配分は政府に対する利益団体の交渉によって決定されるため、税金を支払った人が望むような使い方がされるかは保証されず、受け取る側も税金を支払った人の意向を軽視して補助金や助成金を受け取るために奔走します。

まさに、政府による分配行為による拝金主義であり、社会における信用を媒介とした市場原理とは対極にあるものということになります。

市場原理批判は市場原理を経験したことがない拝金主義者の見解

上記のように市場原理と拝金主義は全く異なるものであり、市場原理批判をしながら政府による拝金主義的な政策を推進する有識者っぽい方々が多すぎることに辟易します。

大学の先生や労働組合などの、まともに「市場」で働いたことが無く、なおかつ客観的に仕事が継続的に成り立つための条件すら想定できない拝金主義者が市場原理批判を行っているだけではないかと。

事業で成功して金持ちになるということは、市場原理に従って「自分や組織を律し、社会的信用を積み重ねて」ようやく到達できる境地なのです。そして、その過程で多くの人に社会的な利益がもたらされているのです。

市場とは何か、そこで何が行われているのか、ということについて学び、市場原理と拝金主義がどのように違うのかについて再度学んでほしいと思います。

アダム・スミス
岩波書店
1995-07




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速報=ネット、専門性=書籍、テレビの目指すべき方向


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今回のフランス・テロ事件を受けて、日本のテレビメディアの対応についてネット上で様々な議論が交わされました。特に海外メディアが次々と続報を上げてくるのに対し、日本のメディアの後手に回った対応が批判に晒されています。

テレビは「速報性でインターネットに100%敗北する」という事実 

テレビはインターネットでの配信、特にSNSなどに速報性で100%敗北することは事実です。特に海外の支局の話となると、元々少数の人材しか配置されていないため、まともに報道できるようになるためには時間がかかります。また、民放であればスポンサーの関係から特番を組むことも極めて困難な作業だと思います。

そのため、大きな事件が発生してからの速報力において、日本のテレビ局がインターネットに勝てるわけがないので、その点について議論しても仕方がないと思います。情報のスピードについてはインターネットの圧倒的優位と完全に割り切って付き合ったほうが良いでしょう。

テレビが「専門性で書籍に勝てるわけがない、もちろんネットにも勝てない」という事実

その上で、勘違いしたテレビ業界関係者などの中には「速報性ではネットに勝てないから専門家による分析を提供する」などと「専門性」をウリにすれば良いという方もいます。正直言って、これらの発言は大衆蔑視の驕り高ぶったメディア関係者の思想そのものだなと感じます。

まず、本格的な専門性がある識見を得たい人は、テレビもネットも参照せずに「専門書」を読みます。専門書の中では、歴史的背景、理論、考察、など非常に高いレベルの分析がなされています。テレビで提供される専門性などよりも余程示唆に富んだ内容が書籍の中には記録されています。

また、専門性云々といったところで、既にネットの専門性はかなり高いレベルに到達しており、テレビが「これが専門家の意見ですよ」と教えてくれなくても、事件発生から1日経てば普通の人が求めるレベルの専門性を持った考察をネット上から手に入れることができます。テレビがネットよりも専門性があるという発想は完全に勘違いです。

テレビが優越していることは「衝撃的な映像を一瞬で大勢の人々に見せる」ことだけ

テレビの特徴は「プッシュ型最大のメディア」だということであり、特定の映像を一瞬で大勢の人々に見せることができる点にあります。

ネットは自らが必要な情報を選び取るメディアですが、テレビはテレビが置いてある場所でチャンネルが合っている限りは半強制的に映像を視聴させることが可能です。つまり、テレビに誰もが驚く衝撃的な映像を流せば、SNS上もその映像の話題が一気に拡散していくことになります。

テレビの役割とは「意味がある映像を放映する」ことである

専門家の説明などは刺身のツマみたいなもので、テレビが素人のSNS投稿よりも良い映像を放映することができないなら存在価値はありません。テレビの力は専門家による説明?そんなものは取材力がないことのゴマカシです。

普通の人はテレビ局のような撮影機材を持っておらず、常日頃から取材活動をしているわけでもなく、フリーのジャーナリストとのネットワークもありません。それだけの資源を持っていながら素人のSNS投稿者よりも「意味がある映像」を放映できないなら止めてしまえば良いと思います。

自分もテレビは映画専門チャンネル以外は見なくなりましたが、映画よりも興味深くて見たくなる報道がなされていれば、日本の報道チャンネルに合わせっぱなしにしても良いです。自宅からテレビが完全に消える前にそうなる日は来るでしょうか。





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yuyawatase at 07:00|PermalinkComments(0)社会問題 
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